1968年 第21回 日本推理作家協会賞
受賞の言葉
受賞の記
「推理作家協会の会長さんから電話」と家内がとりついだ。
どなたが会長だったのか、とっさに思い出せず、こわごわ出てみると、カイチョウにあらず海渡さんだった。
そして、私の「妄想銀行」および過去の業績に賞がきまったと知らされた。電話器か家内の耳か、どっちかに修理が必要なようだ。
まず、私をこの道に導いて下さった江戸川、大下両先生のことが頭に浮かんだ。両先生の面影に心のなかでお礼を申しあげる。そのほか、感謝すべきかたの名は数えきれない。これからも、みなさまの期待を裏切らぬよう、作風の巾を広げてゆきたいと思っている。しかし、徐々にである。
手紙や電話で、多くのかたからお祝いの言葉をいただいた。ありがたいことです。そのなかで、まだ会ったことのない地方の高校生からのは特に心に残っている。一生懸命な字で書いてある。
〈おめでとうございます。「妄想銀行」は読みましたが、「過去の業績」という作品はまだです。きっとすばらしい作品でしょう。早く読みたいです。〉
この少年の純真な期待にもこたえなければならぬ。近いうちに、「過去の業績」という題の短編を書こう。それを短編集の題とし、受賞作品と称し、大きく宣伝して発売する計画である。どこからか文句が出るであろうか。どんな文句が出るであろうか。
- 作家略歴
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1926~1997.12.30
東京生れ。東京大学卒。父のあとを継いで製薬会社の社長に。一九五七年、同人誌「宇宙塵」に「セキストラ」を発表。「宝石」に転載されてショート・ショートの作者として注目される。六八年、「妄想銀行」ほか過去の業績により日本推理作家協会賞を受賞。ショート・ショートの数は千作を越す。「人造美人」「ようこそ地球さん」「ノックの音が」「人民は弱し官吏は強し」など著書多数。
一九九七年一二月三〇日死去。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度の日本推理作家協会賞は二月三日に予選委員会を開き、戸川昌子「蜃気楼の帯」(読売新聞社)、斎藤栄「真夜中の意匠」(講談社)、星新一「妄想銀行」(新潮社)、長沼弘毅「シャーロック・ホームズの対決」(文芸春秋社)、TBSテレビ「七人の刑事」シリーズの五作品を候補作に選出したが、その選考委員会が三月二日の午後五時から虎ノ門晩翠軒で開かれた。出席者は佐野洋、高木彬光、多岐川恭、角田喜久雄の各委員(五十音順)で、松本清張委員は海外旅行中のために欠席した。
審議の結果、星氏の「妄想銀行」に授賞と決定、また同氏の過去の業績もあわせて授賞の対象とすることになった。星新一氏は本名親一、大正十五年九月六日生れ、ショート・ショートの開拓者としての活躍は衆知のところである。
授賞式は三月三十日午後三時から東京日比谷の日活国際会館フラワー・ルームで行われ、ひきつづき祝賀パーティが開かれる。閉じる
選評
- 佐野洋[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回は星氏の「妄想銀行」を推すつもりで、選考委員会に出席した。星氏の仕事がいかに大変なものか、それは万人が認めるところであろう。一作一作に趣向をこらし、しかも水準を落さない氏の頭脳に、脅威をさえ感じていた。従来何回も候補に上げられながら、短篇集だからとかSFだからという理由で除外されていたが、これはおかしいと私はひそかに思っていた。
たしかに何百枚という長篇にくらべ、短篇には力作感はない。しかし、きちっとまとまった短篇を書くことが、いかにむずかしいか。しかも星氏の作品は、すべてすみずみにまで作者の神経が行きわたっているのだ。
また星氏の場合、発想はむしろミステリーのそれであり、これをSFというレッテルの下に推理小説と異質なものと見る見解には、賛成出来なかった。幸い今回は他の選考委員諸氏も同様な意見を出され、星氏の受賞を決定した。星氏のためにも、協会賞のためにも同慶の至りである。
他の候補作品について――
「シャーロック・ホームズの対決」――おそらくホームズの研究としては、非常に秀れたものなのであろう。しかし協会賞の対象になりうるかどうか私はそこに疑問を待持った。
日本の推理作家協会賞である以上、評論等が受賞するためには、それが日本の推理小説界にとって重要な意味を持つ発言ないし研究であることが必要なのではあるまいか。
「真夜中の意匠」――斎藤氏はある座談会で"ストリック説"なるものを出していた。つまりストーリィの展開とトリックが一体になっている小説ということらしい。ところがこの作品では、その"ス"がどこかへ行ってしまっている感じなのだ。トリックについては勿体ないほどの心くばりがされていながら、それを支えるだけのストーリィ性が不足している。斎藤氏の小説論を考えた場合、氏は前作"殺人の棋譜"より、一歩遠のいたところで、この作品を書いたといえるのではないか。
「蜃気楼の帯」――読んでいる最中は非常に面白かった。しかし読後ふりかえって見ると、疑問の箇所、未解決の部分がいくつもあった。作者は未解決のまま放り出してしまったらしい。それが私には不満だった。またスパイ小説としては、いささか古い形に属し、新しい試みがあるとも思われなかった。
「七人の刑事シリーズ」――私はこのドラマをときどき見ている。企画の真摯さ、一つの番組を長い間つづけているスタッフの努力に対し、特別賞というようなものでも差し上げたらとは思ったが、現在、特別賞の規定はなかったし、他の候補作品と同一には論じられないので除外するほかはなかった。閉じる
- 高木彬光[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回の星新一氏の受賞は、おちつくべきところへおちついたという感じである。
私個人としては、テレビや映画がこの賞の対象となることに疑問を抱いている。もちろんそういう分野の人々の努力が推理小説階のためにプラスになることは認めるが、実際問題として見おとすほうが多いのだし、活字で随時読み返せるものと同列にあつかうほうがおかしくはないだろうか?
戸川、斎藤両氏の作品も、私としては大いに感心した。しかし、このお二人ならば、さらにりっぱな作品が書けるはずである。次の機会に期待したいというのが私の本心だった。
星氏の特異な才能については、私があえて語るにもおよぶまい。私はその作品を読むたびにたえず千一夜物語の語り手、シエヘラザードを連想する。一つ一つの作品には、星氏の才能をもってしても、若干の出来不出来が出て来るのはやむを得ないが、ほとんどは珠玉のような名品である。しかも某新聞の記事によると、作品の数も五百を超えているというのだから、いよいよ頭が下がるのである。
願わくは、今度の受賞をきっかけに、いよいよ自重、出来るだけ早く、現代の千一夜物語を完成していただきたいというのが私の念願である。閉じる
- 多岐川恭[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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戸川昌子「蜃気楼の帯」は行文に新鮮な魅力があり、迫力も十分で、スパイ小説としてすぐれたものになっていると思ったが、プロットに混乱が見られ、提出されたナゾの解決での過程、整理が十分でないと思えるのは残念だった。
斎藤栄「真夜中の意匠」は、アリバイ崩しが四つあるいう珍しい本格物で、それぞれのトリックもよく練られ、小道具の扱いが利いている。力作だが、ドンデン返しのくり返しという筋立てが、どうしてもリアリティを損なう。そういう設定が必要だという説明はなされているが、ただ説明に終った感をまぬかれない。
長沼弘毅「シャーロック・ホームズの対決」は、レベルの高い知的遊戯としての面白さは認めるが、推理作家協会賞の対象としては適当であるまいと思う。
星新一氏「妄想銀行」は、内容について言うべきことはなく、星氏のショート・ショートの作品的価値は、すでに広く認められている。
ただ、なぜ、いまになって、という点で私は多少こだわったが、従来、授賞はどうしても長篇に傾き、短篇集はチャンスがなかなか恵まれない事情もあるようなので、今回は星氏に、ということで納得した。SFだが、星氏の作品は推理小説的発想が豊富であり、その点でも授賞は当を得ていると言える。閉じる
- 角田喜久雄[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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協会賞の候補作家となるほどの力作を書く場合、一本の長篇と短篇集とで、一体何れがより困難であろうか。それは、人それぞれに考え方は違うであろうが、一般的に言って、それほど勝れた短篇集を連年書きつづけることが極めて困難なことは確かだと思う。
協会賞というものの性格上、候補作品中に長篇と短篇が並んでいると、どうしても長篇に重味が加わるのは仕方がない。ある年度の候補作品に長篇と短篇集が並んでいて長篇が受賞ときまったのに、次の年度には長・短篇共にこれはという作品がなかったりすると、去年の短篇集が今年出ていたらなアと嘆きが出たりして、これでは短篇作家の報いられるチャンスがない等と、これまでにも選考委員会の席上よく問題になったりしたが、結局現行の制度ではそういう運不運もやむを得ないということになっていた。
殊に星さんの作品は、純粋な推理小説からややはなれた作品であるために、ハンディキャップが一段と大きくなり、これまで屡々候補に挙げられながら受賞しなかった原因の一つはその辺にあったものと思う。いわば、今度はチャンスであった。
度々候補に挙げられるような力作を書きつづけていたということは、その実力が極めて高いことを意味している証拠だし、その特異な才能と、労多くして報いられることの少ない――えげつない言い方をすれば、余り雑にならない仕事をつづけながら姿勢を崩そうとしない一徹さとに、この際心から敬意を表したい。閉じる
- 石川喬司[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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星さんは名前を旧一と改めたほうがいいのではないか。そんな悪口を数年前から言いつづけてきたぼくらSF仲間にとって、今度の受賞はたいへん遅過ぎた――それが正直な感想である。
受賞の対象となった『妄想銀行』は、星老の十冊目のショート・ショート集だが、九冊目の『おせっかいな神々』の頃から、老の作風は微妙な変化を見せはじめた。常にオリジナリティを要求されつづける先駆者が陥りがちなマンネリズムの悲劇を克服しながら、新鮮なアイデア、完全なプロット、意外な結末――このショート・ショートの三条件を完備したおびただしい軽妙な作品群を生みだしてきた老は、しだいに東洋的な"原思想者"としての素顔を明らかにしはじめたのである。父・星一の伝記『人民は弱し官吏は強し』や、アメリカの一齣漫画を論じた『進化した猿たち』にも、その素顔があざやかにのぞいている。まさに「小説は短し影響は強し」である。こうして、価値の相対化によって生みだされる笑いをとおして、動脈硬化した日常の固定観念に新鮮なショック療法を試みる、というお得意の手法は、ますます磨きがかかってきた。
受賞式の夜は、老を囲んで、いつものハシゴをやりたいものだ。ギョウザとラーメンとピッツァのハシゴである。銀座で食べ、新宿で食べ、六本木で食べ――ニンニクの香りにうっとりと酔いながら、女死刑囚への憧れや、金嬉老とアンネの日、あるいは動物園と友情、憲法と宇宙船、肥満児童とエンタープライズなどの関係について論じる老を、小松左京らとともに、楽しく眺めていたい。
そして老と同時代に生まれたことの幸福を、しみじみと噛みしめたい。閉じる