1974年 第27回 日本推理作家協会賞
受賞の言葉
受賞の言葉
賞には昔から縁のない星まわりとわりきっており、ペンネームもそのつもりでえらんだぐらいだから、協会の方から拙作を候補に、といわれた時も、枯れ木も山のにぎわいぐらいの気持ちで承諾した。――世情不安とたまたまかさなって、多少世間をさわがしたにしても、候補となった作品は、私自身にもまだ構成上の不満がいっぱいあった上、何しろ第一部だけで見切り発車をした格好で、作品としては未完だったから、とても賞の対象にはなるまいと思っていたのである。
そんなわけで、受賞の通知をうけとった時は、正直言って仰天した。SF界で最初に協会賞をもらった星新一さんに大急ぎで電話して、受賞の心得をきいたが、この際参議院立候補を宣言したらどうだ、などと無責任な事しか教えてくれない。佐野理事長からお祝いの電話をもらった時も、まごついて、受賞式の時、お礼にあなたに熱烈なロシア式キスをしてもいいですか、などとあらぬ事を口走る始末である。――賞をもらったというよりも、SFといういわば「小説番外地」で、気ずい気ままにかけまわり、いたずらしていたのを、こわいおとなに見つかったような気持ちである。考えてみるとSFを書きはじめてから、もう十四、五年になる。惰性もあって、この方向からはおいそれとは変えられないが、受賞を機会に、SFとミステリーの接点、エンターティメントの哲学、フィクションと形而上学といったもろもろの問題を、気をひきしめて考えなおしてみようと思っている。
- 作家略歴
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1931.1.28~2011.7.26
大阪市西区京町堀生まれ。昭和二九年京都大学文学部イタリア文学卒業後、経済誌「アトム」記者、理化学機械工場長、漫才台本作家などを経て、昭和三六年「地には平和を」で第一回SFコンテスト選外努力賞を受賞。翌年「易仙逃里記」で商業誌デビュー。昭和四九年「日本沈没」で第二七回日本推理作家協会賞受賞。昭和六〇年「首都消失」で第六回日本SF大賞受賞。2011年第32回日本SF大賞特別功労賞を受賞。他に「日本アパッチ族」「果しなき流れの果に」「継ぐのは誰か?」「復活の日」「歴史と文明の旅」など。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度の日本推理作家協会賞選考委員会は、三月十八日午後六時より、有楽町"山水楼"において開かれた。出席者は佐野理事長をはじめ、生島治郎、菊村到、笹沢左保、角田喜久雄の各選考委員で、さきの予選委員会で選出した左の候補作
石沢英太郎 「唐三彩の謎」
小松左京 「日本沈没」
草野唯雄 「爆殺予告」
天藤 真 「殺しへの招待」
西村寿行 「安楽死」
半村 良 「黄金伝説」
の六篇について慎重な審議を行なった結果、小松左京氏の「日本沈没」を受賞作に決定した。閉じる
選評
- 笹沢左保[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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協会賞の候補作品は、新人賞その他の応募作品とまったく違うのであって、そこに選考委員の選考態度の難しさがある。協会賞の候補作の作者はすでにプロ作家であり、その作品に対する批判はおのずと限定されるものと思う。
構成がどうの、文章が未熟だの、プロットの運び方が下手だの、主人公が描けていないのといった批判は、批評家がすべきことであって、選考委員の仕事ではないような気がする。そこに応募作品の選考と、本質的な違いがある。
つまり小説の基本的条件には、触れないほうがいいと、ぼくは思ったのだ。小説の基本的条件に欠けている作品が市販されているはずはないのだし、そうした作品に対するいささかの批判は批評家に任せるべきなのである。
では、協会賞はいかなる規準を設けて、選ぶべきか。第一に、面白い推理小説。第二に、新鮮さをも含めてこれまでにないような推理小説。と、この二点において満足できれば、協会賞を受賞する価値は十分にある。ぼくはそのように、選考の規準を決めて候補作を読んだのである。
その結果、天藤真氏の『殺しへの招待』が最もぼくなりの規準に近い作品と、思われたのだ。決して十分には満足させてもらえなかったけれど、面白さでは抜群だったし、変った型を狙っている工夫の跡も窺われた。
ぼくとしては、『殺しへの招待』を推すつもりでいた。
だが、選考委員諸氏の間の空気として、小松左京氏の『日本沈没』授賞の感じが強かったので、ぼくは棄権をすることにした。ぼくとしては『日本沈没』授賞に賛成できなかったし、『殺しへの招待』に徹底的に執着する意志も持たなかったからである。
『日本沈沒』については、何よりもまず推理小説ではないということで、ぼくは賞の対象から除外したのである。これは半村良氏の『黄金伝説』にも、言えることなのだ。
現在、協会ではアンケートにより今後の協会賞のあり方について検討中なので、やがて相応の結論が出ると思うが、少なくとも推理小説とSF小説とを一緒にして協会賞の候補とするのは、おかしなやり方である。
推理小説とSF小説とでは、分野がまるで違う。それを同一の賞の候補作品として出されて来ても、比較のしようがないのだ。同時にぼく自身、SF小説というものを殆ど読んだことがない。読んだことがない人間が、選考委員になるというのも妙な話ではある。
現在のところ協会賞の対象になるのはやはり推理小説だと思うし、SF小説はその分野での賞を設けて、SF小説によく通じている選考委員によって選ばれるべきだとぼくは考えるのである。閉じる
- 生島治郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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本年度の最終候補作六篇は、昨年度の候補作にくらべると、いずれも、それぞれユニークな持味のある作品ばかりで、日本のミステリーの質的な向上をあらわしていたのは喜ばしい傾向である。
しかしながら、ミステリーの手法の多様性を考えるとき、推理小説の場合は、いまだにトリック偏向主義や本格本道主義の檻に自らを閉じこめて、独創的な世界を構築する自由な精神を見失っているような気がしてならない。
その意味で、小松左京氏の『日本沈没』は、氏以外の誰もが創造し得ない世界を、見事に、作品化してみせている。
『日本沈没』は推理小説ではなく、SFであるから、推理作家協会賞にふさわしくないという印象を一般に与えるかもしれないが、協会賞は、推理小説ばかりでなく、ミステリーとして秀れた作品であれば、受賞の対象になるのだということを、この機会に、はっきりさせておくのも意義のあることだろう。
推理小説はむろんのこと、SFも評論も、最終候補作に残された以上、平等にあつかい、それぞれのジャンルの規準に照らしあわせて優劣を決めるのが、審査員としての態度ではなかろうかと私は考える。
こういう審査規準からすると、『日本沈没』は他の候補作をひきはなして、今まで日本になかった娯楽小説のひとつの典型を堂々と示してくれた。
この作品には、小松左京ならではの、スケールの大きい発想があり、その発想を虚構のドラマとして結実させる非凡な才能と手腕がありありとあらわれている。
氏はこれまでにも、独自の世界を切り開いたSF作品を数多く産みだしていて、この『日本沈没』が、それらの作品群のなかでは、必ずしもベスト作とはいえないかもしれないが、氏の過去の作品群もふくめて、他に真似手のないSF作家として、貴重な存在であることは間ちがいない。
ただひとつ、私見によれば、『日本沈没』のテーマはきわめて悲観的なる結末であるべきはずなのに、楽観的な結末になっていることが気にかかった。しかし、『日本沈没』は第一部であり、第二部では、おそらく、日本民族の悲惨な将来を描かざるを得ないであろうし、氏がそこでどのような手腕をみせてくれるかが楽しみである。
ミステリーの楽しみとは、このような可能性への楽しみである。
他の五篇の候補作のなかにも、天藤真氏の『殺しへの招待』のような凝った趣好を盛りこんだ作品もあり、西村寿行氏の『安楽死』のように、日本でもてはやされる社会的大事件によりかかった社会派推理小説ではなく、本来の意味での社会派推理小説に挑戦した力作もあり、半村良氏の『黄金伝説』のように、SFに推理小説的手法をからませて工夫をこらした作品もあったが、残念ながら、『日本沈没』の雄大な世界には及ばなかった。
とはいうものの、今回の候補作に新しいミステリーを創ろうとする意欲の萌芽がみられたことを考えれば、これらの候補作の作者ばかりではなく、今後、推理小説、SF、評論を問わず、ミステリーの新しい可能性を追求する作品を生みだす書き手が続々とあらわれるであろうことを私は期待してやまない。閉じる
- 菊村到[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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純文学などに比べて、推理小説の作品傾向は一般的に保守的で、相変らず密室ものやアリバイ崩しが幅をきかせている。推理作家はいつまでも犯罪の手口にばかり、うき身をやつしていていいものだろうか。推理小説というものの機会を一ぺんにひっくり返してしまうような型破りの作品が生み出されてもいい筈で、その意味で「日本沈没」を高く評価したい。この作品の魅力はSFとか推理とかのジャンルをすでに超えている。
現実世界のはらんでいる未知のものや謎に挑み、これを解明していくところに推理小説の面白さがあるわけで、この作品の受賞は決して賞の性格からはずれたものではない。
「安楽死」(西村寿行)は社会派推理の力作で受賞を逸したのは惜しいが、次回作に期待したい。不満を言えば、密告者が警察に電話をした時、自分の名前や身分を伏せたのはなぜだろうか。あの段階で密告者が積極的に情報を提供していれば事件はきっと解決する筈で、しかもこの密告者の立場からは当然そうすべきだろう。また被害者の看護婦が容疑者たちのグループと、ああいう状況の中でのんきにスキュバダイビングに行くというのも心理的なリアリティにそむきはしないか。
「殺しへの招待」(天藤真)――凝りに凝った作品だが、どんでん返しの乱用が逆に小説としてのリアリティをこわしている。この種の遺言にタイプライターを使用した場合は、法律的に無効になる筈で刑事がそれを見落すのはおかしいし、当然結末も変ってくることになる。またこの共犯者がいればもっと簡単に完全犯罪は成立する筈でわざわざこんな手のこんだことをするのはおかしい。この作者には、むしろトリック抜きのブラック・ユーモアふうの密度の濃い作品を期待したい。
「黄金伝説」(半村良)――着想の面白さは抜群だが、SF的要素と日常的な部分との落差が大きすぎてバランスが崩れている。たった一人のミュータントの力で政治経済のすべてが牛耳られてしまうというのも不自然。
「爆殺予告」(草野唯雄)――都内の全警察署に手配が行く筈だから地名の思い違いに気が付かないのは不自然。それにヘリコプターをすぐ飛ばせば簡単に発見できる筈。前半のサスペンスが利いているだけに残念である。
「唐三彩の謎」(石沢英太郎)――唐三彩の魅力にとりつかれた男の悲劇を描きたかったのだと思うが、あれこれ推理仕立てに工夫を凝らしすぎて却って肝腎のテーマが沈んでしまった。折角、いい主題を掴んでいながら惜しい。閉じる
- 佐野洋[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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私は選考会に臨むにあたって、入選作として「日本沈沒」と、できれば、ほかに推理小説を一本出したい――と考えていた。
「日本沈沒」については、S・Fを専門とする方々の間では、余り評判がよくないらしい。恐らく、それは、日本をなくしてしまう方法が、S・Fとしては余りにも不器用(?)だという点にあるのだろう。放射能、或いは他の天体の影響など、たしかに、もっとスマートに、日本を沈沒なり、霧散なりさせてしまう方法はあるわけで、民族の脱出とか文化財の疎開、国際政治の駆け引きなど、「日本沈沒」で取上げられた諸テーマは、そのような方法でも、追及が不可能ではなかったろう。そして、その方がすっきりとしたS・Fになったとも言えよう。(もっとも、その種の作品は、これまでにも、沢山書かれているが・・・)
しかし、小松左京は、敢えて、泥臭い手段を選んだ。これは、ある意味で、S・Fの最大の武器を放棄を意味する。例えてみれば、コンピューターを使わずに、人工衛星の軌道を計算したようなものだ。その思考過程は、ある種の推理小説を考えるときそれと、全く同じである。(このことについては、別に機会に詳述したい)
この会報の二月号「推理小説展望一九七三年」において、大内茂男氏は、江戸川乱歩の「私自身の好みを言えば、更にもっと大規模な、学問であるか小説であるか、けじめのつかないような作品が現われることは、少しも差支えないばかりか、むしろ望ましいことだと考えている」という文章を引用し、「邪馬台国の秘密」がそれに当ると述べていられるが、私は、その評価はむしろ『日本沈没』にこそ、あてはまると思っている。
しかし、『日本沈没』について、他の委員諸氏が、どう評価されるかわからなかったが、笹沢委員を除いては、それぞれ推薦のニュアンスに相異はあったものの、授賞に賛成された。
ただ、私の個人的な気持では、「日本沈没」のほかに、もう一本、いわゆる推理小説からも授賞を出したかった。
もともと、「日本沈没」と他の作品とは、比較して優劣を争うということが不可能に近いものであり、とすれば、他の作品の中にも授賞に価いする作品があれば、受賞作としてもよいはずだ――と考えたのである。
そし、私自身としては、西村寿行「安楽死」を頭に置いていた。
実を言うと、「安楽死」は、発行直後、出版社から送られてきたのを読みかけ、最初の数ページで投げ出していた作品だった。ところが、今回候補作となり、義務感から読み始めたところ、次第に作品に惹きこまれ、一気に読了した。ことに、海中漫歩の描写、犬の扱い方などから、大変な筆力の持主だという印象を持ったし、最後の法廷場面は、刑事が特別弁護人になるという着想の面白さ、緊迫した雰囲気など、鮮やかに描かれていた。また、社会的なテーマが単に殺人事件の背景をなしているというだけでなく、有機的に関連している点にも感心した。いわゆる社会派推理小説の嫡流と見るべきであろう。
だが、選考会の席上、他の委員から、二、三構成上の疑問が提出され、それは私もなるほどと思った。それに、エンタティンメントである以上、作者には、冒頭から読者をひきつけるだけのテクニックが要求されて然るべきであろう。それらを考えると、敢えて強く推すことはできなかった。しかし、この作者の実力を以てすれば、今後、これ以上の作品が書かれるものと期待している。
他の候補作について書く紙数が足りなくなったが、一般的には、今回は粒選りの候補作が顔を揃えたという印象であった。とくに注目したいのは、作品の傾向がそれぞれ違い、各作家が、独自の世界を切り開こうと懸命な努力をしておられるあとがうかがわれた点である。
ただ、どの作品にも、どこか『安易さ』と言えるものがあり、また決定的な迫力に欠ける点があるのが残念だった。閉じる
- 角田喜久雄[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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日本沈没(小松左京氏)は今更感想を述べるのがおかしいくらいベストセラーになってしまったが、しかしこれだけスケールの大きな野心的作品は滅多に出ないであろう。推理小説的興味が稀薄だという意見もあるようだが、サスペンス小説やスリラーを推理小説の範疇に入れるとすれば、そういう興味も十分盛られていると思う。こんな途方もないテーマを読者に推しつけておいて、最終段階で作者はどうやって読者を納得させるつもりかと、多分に懐疑的な気持ちで読みはじめた私も、何時の間ににか惹きこまれて耽読した。耽読したという意味の中にはサスペンス的スリラー的興味も十分感じたと言う理由がは入っている。委員会の席上色々と欠点の指摘があり、その点私も同感であったが、とにかくこれだけの力作をS・Fであるからという理由で黙って見過すわけにはいかない。始めから授賞に賛成であった。
推理小説としては安楽死(西村寿行氏)を一番高く買った。殺しへの招待(天藤真氏)も些か作りすぎた難点はあるが、力作であった。どちらも協会賞の水準にあると思い、その何れかを日本沈没と一緒に推薦したかったが、結局投票の結果に従うことになった。閉じる