1999年 第52回 日本推理作家協会賞 短編および連作短編集部門
受賞の言葉
ミステリー作家としてデビューしたかぎりは、いつかはほしいと願っていた本賞を、こんなにも早くいただけるとは思っていませんでした。とはいえ、ミステリー全盛の世にあって、短編および連作ミステリーのジャンルは苦戦を強いられているのが実情です。けれど名探偵の系譜を遡り、その祖をオーギュスト・デュパンに求めるならば、ミステリーの歴史は短編の歴史であるといっても良いはず。そこまで大袈裟に啖呵を切らずとも、短編ミステリーが持っている切れ味と面白さについては、だれもが認めるところではないでしょうか。拙作が、短編ミステリーが見直されるほんの小さなきっかけにでもなってくれたなら、これほど嬉しいことはないのですが・・・。
今回は本当にありがとうございました。これからもより面白いミステリーを目指して、ワープロのキーを叩かせていただきます。
- 作家略歴
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~2010.1.25
山口県下関市出身
駒沢大学文学部卒業
職歴 デビュー・編集プロダクション勤務を経て一九九五年「狂乱廿四孝」で第六回鮎川哲也賞を受賞。
代表作 「冥府神の産声」「狐罠」。
趣味・特技 山歩き(釣りを含む)をのぞいては特に趣味はなし。大学時代、無職時代を通して長い間大衆割烹の板場に立っていたので、料理は少々できますが。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 斎藤純[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第五十二回日本推理作家協会賞の選会が、去る五月二十一日、第一ホテル東京において行われ、別掲の通り授賞作が決定した。
選考対象となった作品は一九九八年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長編小説と、各小説誌の一月号より十二月号までに掲載された短編小説、および評論集などで、ここから協会員、出版関係者のアンケートを参考に、長編二六二、短編九一五、連作短編集二六、評論その他三五をリストアップした。
リストアップされた作品は、協会が委嘱した部門別予選選考委員が選考にあたり、長編十六編、短編四〇編、連作短編集八編、評論その他十六編を第二次予選に残した。三月二日、四日、九日に部門別で行われた最終予選会において、本年度の協会賞候補作は既報の通り、長編五編、短編四編、連作短編集一編、評論その他三編となった。
本選考委員会には生島治郎、北上次郎、北村薫、佐々木譲、辻眞先の全選考委員、立合い理事として斎藤純が出席して選考を行なった。選考内容については、各選考委員の選評を参照していただきたい。
選考会後、第一ホテル東京を会場に記者会見が開かれ、全受賞者が出席した。記者会見には年々取材社が増加し、また質疑も活発になるなど協会賞に対する認識と注目度が高まっていることが実感された。この記者会見の模様はスカイパーフェクTV『ミステリチャンネル』にて放映される予定である。
なお、来年度から本選考の方法に変更を加えることになった。詳細は別記でお伝えする。閉じる
選評
- 生島治郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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『グランド・ミステリー』は作者が自分の世界にはまりこみすぎていた。平明ではなく、時間の経過もわかりにくい。
『屍鬼』も作者の思いこみのはげしい分、文章が長くなりすぎている。視点のばらつきにも問題がある。
『司法戦争』は現代のかかえる司法の問題が良く描かれていて、私は面白く読んだ。受賞は逃したものの、今後を期待できる作家ではないだろうか。
『幻の女』は主人公が幻の女とかかわりあう必然性にやや弱さがあり、主人公のキャラクターにも強い味つけが欲しいが、この作家独特のハードボイルド世界は充分に描かれていた。受賞を期にさらに一層の飛躍を期待したい。
『秘密』は最初親娘の入れ替えにむりがあるかなと思ったが、読みすすむうちに、それが不自然とは思えないほど作品の世界に魅きこまれてしまった。この実力があるかぎり、この作家はどんな世界を描いても大丈夫であろう。
短編は短い枚数の中で読者をドキッとさせる趣向が必要で、そのためには本格仕立てにするのにはむりがある。
『凶笑面』はそういう点でむりが目立ちすぎた。文章も受賞作の『花の下にて春死なむ』の方が良いように思う。
その『花の下にて春死なむ』だが、レストランのオーナーが探偵役で、しかも安楽椅子探偵の役割を果すというところがユニークである。受賞作にふさわしい連作短編集と言えるだろう。
『七通の手紙』は手紙形式にする必然性が見えてこず、そのためか途中で説明的になりすぎている。
『時効を待つ女』は文章は良いが、トリックにむりがあるように思う。
『使用中』はリドル・ストーリイで、私はこういう作品が好きである。こういう傾向の短編がどんどん候補作になってくれば楽しいなと思う。
『評論その他の部門』では、最初から『世界ミステリ作家事典』で勝負あったという感じだった。
ただし、私としては『安楽死裁判』は現代の医者と殺人という問題を捕えていて非情に興味があったし、『カルト教団 太陽寺院事件』も現代の宗教を分析していてユニークな作品だと思う。閉じる
- 北上次郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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森英俊氏篇の『世界ミステリ作家事典〔本格派篇〕』は、書誌の整備が遅れている日本のエンターテインメント界にとって画期的な一冊だったと思う。こういう仕事をきちんと評価することが日本ミステリー界の発展にもつながるはずだと私は考えている。作家事典でありながら「感情的」な一冊であるところもいい。評論その他の部門賞を満場一致で受賞したのは大変喜ばしい。他の候補作はノンフィクションとしてはすぐれていても、ミステリー的興趣に欠けているのが難。と書きながら、私が頭に浮べているのは、数年前にこの賞を受賞した秦新二『文政十一年のスパイ合戦』である。あのレベルに到達しなければ、苦しいだろう。
短編連作部門は、候補作が横一線であり、どの作品が受賞しても不思議ではなかったが、その中で北森鴻氏の連作集『花の下にて春死なむ』が受賞したのは、表題作を含む各篇が巧みに交錯しながら独特の小宇宙をつくっていたからだと思う。
長編部門は力作が揃い、五作品全部受賞でもおかしくはなかったが、そういうわけにもいかないだろうから、大変に困った。東野圭吾氏の『秘密』がその中でもいち早く受賞が決まったのは、究極のリドル・ストーリーとしての完成度を高く評価されたからだと思う。細かな疵も選考会では指摘されたが、評価がぐらつくほどの疵ではなく、大作の多い昨今のミステリー界でこういう小品(テーマ的にということだけれど)を評価するのは意味のあることのような気がする。
香納諒一氏の『幻の女』については、他の賞の最終候補作になりながら落選したことが選考委員から参考意見として提出され、定型の枠を出ていないとの指摘もあったものの、その定型を最大限にいかしながら、作者独自の世界をかたちづくった作品だと思う。この受賞を契機として大きく飛躍されることを期待する。閉じる
- 北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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<評論その他の部門>では『世界ミステリ作家事典〔本格派篇〕』を推した。この部門の多様性を示すように、他の二作は、これとはまったく傾向の違う本であった。それぞれ、重みのある優れた作品だったが、推理作家協会賞である以上、森氏の偉業を評価しないわけにはいかない。
時を経て、大乱歩の『海外探偵小説作家と作品』、中島河太郎先生の『海外推理作家事典』(『推理小説展望』所収)に続く≪巨人の仕事≫がなされたのだと思う。単に、知識の整理がなされている便利な本ではなく(勿論、その意味でも感嘆すべき出来なのだが)、森氏の個性のよく表れた、読んで楽しい、熱い事典になっている。年度を代表する――というにとどまらず、日本ミステリ史上に残る本である。
<短編及び連作短編集部門>では『花の下にて春死なむ』を推した。表題作の味わいに加え、強引な論理の出た後には、『七皿は多すぎる』のような一見、奇妙な作品が置かれ、作者の姿勢を説明補完している。一冊で北森ワールドを形作ったといえ、連作集としての強みを遺憾なく発揮していた。
今年は他の短編候補作も、巧みに構成された『七通の手紙』など、それぞれ魅力に富んでいた。そこで、この部門としては珍しい≪二作受賞≫を提案したが、続く作品の票が割れ、果たせなかったのが残念である。
<長編部門>では『秘密』を推した。誰もがいう通り、今年は長編に収穫が多く、読者としては嬉しいが、選考委員としては、選択に苦しむことになった。大傑作となり得る作品と思い、最も力を感じたのは『屍鬼』であり、読むことの喜びを、強く感じたのは『グランド・ミステリー』の、特に前半だった。
『秘密』は、――結局は、個人である人間が読むわけだから、≪女の子を持つわたし≫にとって、前半は、実におぞましい話だった。両親の心の動きがどうしても受け入れられず、登場人物に感情移入出来なかった。しかし、途中から、それも解消し、物語の中に入ることが出来た。同時に――≪東野作品に接して来たわたし≫という個人が読むわけだから、これが、多様な試みをなし≪現代ミステリ≫を豊かなものにして来た作者の、一方の代表作であると実感した。そう考えた時、この作は重い。まさに≪現代ミステリ≫を代表するものの一つとして、協会賞にふさわしい作品だと思う。閉じる
- 佐々木譲[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考委員も二回目だと、選考自体を楽しむ余裕も出てくる。緊張して臨んだ前回は、船戸のおっちゃんとガチガチの議論をかわしてしまって、いまとなってはなつかしくも照れくさい。
で、評論その他の部門は文句なしに森英俊氏の労作「世界ミステリ作家事典(本格派篇)」と決まった。辻由美氏「カルト教団太陽寺院事件」、三輪和雄氏「安楽死裁判」は、どちらも興味深いノンフィクションであるが、推理作家協会賞というよりはむしろ大宅賞向きの作品であろう。サッカーのフィールドに送りこまれた陸上競技選手のようで、ややお気の毒であった。
短編賞については、わたしは浅黄斑氏「七通の手紙」を推した。候補作の中ではもっとも結構が整っておりおもしろかったのだが、ほかの選考委員の賛同を得られなかった。受賞作は北森鴻氏「花の下にて春死なむ」で、これに異論はないのだが、この連作短編集には、この話はこれで完結したのか?と感じさせるものが複数あって、自分がこのジャンルに弱いことをつくづく認識させられた。
法月綸太郎氏「使用中」については、氏に推理作家協会賞を贈るとしたらこの作品を取り上げてではあるまい、という気持ちが強く働いた。このような賞の制度的弱点かもしれない。選考委員は、その年に候補として挙げられた作品の中からしか選ぶことができないのだから。
長編部門は、今年は候補が五作。いずれ劣らぬ力作揃いで、鼻の差にあえて差を認めるとしての二作同時授賞である。
香納諒一氏「幻の女」は、きわめて端正なハードボイルド。かたちが定まったジャンルではあるが、その定型を厳格に守って究みに達した作品である。なにより主人公の造形が魅力的であった。東野圭吾氏「秘密」は、プロットに多少の違和感があるものの、ラストは感動的である。読んだひとと繰り返し話題にしたくなる作品。奥泉光氏「グランド・ミステリー」、小野不由美氏「屍鬼」は、視点の混乱、視点変換の無頓着さという技術的ミスが目立ち、興をそいだ。ただし「グランド・ミステリー」は、シーンのひとつひとつが圧倒的なおもしろさで、わたしは野心作としてこの作品も強く推した。中嶋博行氏「司法戦争」は、せっかくの素材と情報性にプロットがうまく対応していない、というのが残念であった。しかし、ともあれ、濃密、充実の読書を楽しんだ今回の選考であった。閉じる
- 辻眞先選考経過を見る
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人間を長くやってきたおかげで、読者として多少の年季がはいっているつもりだが、作家としてはひよっ子で、まして評論家の柄ではまったくない。そんなぼくだから、評論部門の選考に頭を悩ます覚悟をしていたら、案外だった。候補作の中で『世界ミステリ作家事典』が質量ともに傑出していたからだ。他の二作については興味をもって読んだものの、事実の面白さに魅かれたのであって、作品自体にミステリ的興趣をおぼえたとは言いがたい。その点『世界ミステリ作家事典』は、個性にあふれた堂々たる推理書誌学の収穫で、座右の名著としてこれから先長くお世話になりそうな予感がする。
短編部門は多士済々であったが、どの一作をとっても作者のベストとはいいにくい気がして、選考に及び腰だったことを告白する。中でもっとも印象に残ったのは『花の下にて春死なむ』だが、連作短編集として見ると、作品にややバラツキがあったのは残念だ。
長編部門は一転して、どれもこれも力作労作ぞろいで、一冊読了するごとに(これで決まり)と思いこむ有り様だった。作品のバラエティもあって、比較しようがない。いっそ五作全部受賞作にしたら、という冗談が冗談でなくなりそうな選考風景となった。ぼく自身、読者として接するかぎりオール五つ星であったので、順位をつける気にならなかった。こうなればやむを得ない。同業者の目から見て、どの作にいちばん(畜生やられた)とほぞを噛まされたか、そんなあやふやな物差しで選ぶ結果となった。
第一に推したのが、泣かせる結末にミステリーの醍醐味をおぼえた『秘密』。それに次いで、この主題を日本の風土にぴたりと当てはめた力技の『屍鬼』。残念ながら同作は多数の賛成を得られず、二作受賞の想定下に浮上したのが『幻の女』であった。ハードボイルドの枠内で、描きたいものを描ききる勁い文体を羨ましく思ったし、主人公の造形に共感していたので、あらためて賛意を表した。
『グランド・ミステリー』の構想や『司法戦争』の題材にも圧倒されたが、『秘密』を除く四作のどれもが、あまりの大長編であることにも圧倒された。来年度から選考のシステムが変更されるという。よりよい協会賞を選ぶことができるよう、期待したい。閉じる