2007年 第60回 日本推理作家協会賞 短編部門
2007年 第60回 日本推理作家協会賞
短編部門
該当作品無し
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門
本年度より、予選選考方法が以下のように変更された。
〇六年の一月一日から十二月三十一日(奥付)までに小説媒体で発表された短編小説については、その小説媒体の編集部が選考を行い、予備選考作品を協会に推薦する(推薦作品数は三作以内)。推薦されなかった作品は、その時点で選外となる。推薦対象となっていない媒体等で発表された短編小説については協会が委託した予選委員が吟味し、適当と判断した場合は予備選考作品に追加する。こうして選ばれた予備選考作品について予選委員が協議し、最終候補作を決める。
初の試みであったが、大きな混乱を招くことはなく、三月には例年通りに最終候補作五編が決定した(予選通過時では六作であったが、その後、辞退があった)。
本選では最初に各委員が、候補作品すべてについて三段階で評価を行った。その結果、『未来へ踏み出す足』の点数が伸びず、まず圏外となった。ほかの四編については、いずれも、受賞圏内と評する委員が一人しかおらず、選考は難航した。唯一、『心あたりのある者は』への授賞が検討されたが、譲りがたい欠点や論理的でない部分がある、などの理由で見送りとなった。
評論その他の部門
この部門については、予備選考方法は従来通りに行われた。
本選で短編と同様の投票を行ったところ、『私のハードボイルド 固茹で玉子の戦後史』がほぼ満票を集めて、まず受賞となった。その後、『論理の蜘蛛の巣の中で』について検討したいという意見が過半数を占めた。そこで議論を重ねたところ、反対意見もなかったことから、二作同時受賞となった。
選考の詳しい内容については、両部門とも、選考委員の選評を参照されたい。閉じる
選評
- 有栖川有栖[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門の候補作は、いずれも推理小説ならではの面白さをしっかり持っていて、楽しく読めた。各小説誌の編集部から推薦されたものだけのことはある、という印象だ。これらをアンソロジーで読んだのなら、「いい本だ」と感心しただろうが、突出した作品がなく、各選考委員が「推すならコレ」と指したものがバラバラで、受賞作なしという結果になった。選考委員を含め、誰もが喜べぬ結果となったのは残念だ。
私自身は、ミスディレクションの切れ味に勝れ、しかもその誤導が小説のテーマそのものと結びついている「ホームシックシアター」に一票を投じたことを表明しておく。最後まで議論の対象に残ったのは「心あたりのある者は」で、安楽椅子探偵ものとして水準以上の出来だった。ケメルマンらの先行作品のお題をクリアした上で、オリジナルの趣向が付加されていたら、と惜しまれる。
対照的に、評論その他の部門では『私のハードボイルド』が満場一致で即決した。ハードボイル道を歩んできた小鷹信光氏の半生は、わが国におけるハードボイルドの受容・発展の歴史とぴたりと重なるため、情報と含蓄に富む上、読み物としても一級の楽しさだった。ハードボイルド研究書のスタンダードとなる一冊で、これほど推理作家協会賞を贈るにふさわしい本はない。
同時受賞の『論理の蜘蛛の巣の中で』は、ジャンルを横断的に語ることでミステリの現在を考察した時評だが、ミステリの面白さはどこからくるのか、という大きなテーマが射程に入っている。類例のないスタイルの時評で、意外な組み合わせの作品を意外な回路でスリリングに結びながら、見過ごされている問題の在処を示唆する洞察は素晴らしく、これまた受賞作にふさわしかった。
紙幅が尽きる。他の二冊も好著だが、今年は強敵が二人もいたため、受賞には至らなかった。閉じる
- 北森鴻[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門での該当作品がなかったことについて、はじめに言い訳めいたことを述べさせていただく。選考委員の一人として、賞を授賞したい気持ちは十分にあったのだが、どうしてもこれはという作品にめぐり合えなかった。はたして賞をどのように捉えるか、との問題をも含んでいたような気もする。はたして相対評価で選考すべきか、絶対評価で選考すべきか。個人として、候補作の中から最も優れた作品に賞を与えるべき、と考えることができず、絶対評価として「受賞作なしもやむなし」、との決断をしたのである。今回から、候補作品の選考方法が変更されたことも、その方法はうまく機能しなかったことも、あるいは一因であるかもしれない。しかしそれは来年以降、必ず改善されると信じる。
評論その他の部門について。
われわれの先達であり、長くハードボイルドの旗手でもあった小鷹信光氏の受賞を心より喜びたい。戦後のハードボイルド小説のクロニクルであり、同時に氏自身のクロニクルでもある。この作品が面白くないはずがない。もしも選考会の場が荒れたならば、ひと肌でもふた肌でも脱いで、なんなら背中の刺青にかけてでも――ありませんが――この作品を推そうと心に決めておりました。ですが、意外にも選考会では満場一致で、授賞決定。非常に満足していたのでありますが。
さて、巽昌章氏の「論理の蜘蛛の巣の中で」を選考するか否かについて、大いに意見が分かれたことは事実でした。当初、この作品の授賞に賛成していたのは、二選考委員でした。満場一致で授賞を決定した小鷹氏と、五人の選考委員の過半数に満たない支持しか得ていないこの作品に果たして同じ賞を与えることが正しいのか。そもそも実作者の意思と乖離したところで評論をするという作業に、なにか意味があるのかという意見もありました。それでも授賞に至ったのは、ひたすらにこの作品を推す選考委員の情熱によるもの、その熱意にほかの選考委員も首を縦に振る以外になかったということでしょうか。選考会ではえてしてこのようなことが起こりうるものなのです。巽さん、おめでとうございます。閉じる
- 黒川博行[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門の『未来へ踏み出す足』は、地雷除去という設定はよかったが、ミステリー的要素が薄かった。犯行動機が弱く、容疑者がふたりしかいないのでは密室興味にとぼしい。この作品はもっと多くの枚数で舞台を広げたらいいと思った。それがもったいない。
『ホームシックシアター』は、主人公のキャラクターが興味深かった。性格的に破綻した人物の日常を巧くすくいとっているが、事件の原因になった“大音量”について、もう少しリアリティーが欲しかった。たとえば自治会や地区の調停委員、所轄警察からの苦情申し立てや指導も重なっていたというふうにしておけば、よりインパクトが増したのではないだろうか。もちろん、そういう伏線が目立つのはいけないが、主人公のだらしない生活を細かに描写することで裏に隠せたと思う。
『スペインの靴』は、徹底したフェティシズム趣味がおもしろかったが、ディテールに瑕があるように思った。たとえば四年前に(壊疽で)足を切断した糖尿病患者がこんな元気なはずはない。両足を切断するのは重度の糖尿病であり、手術後四年も経てば、ほとんど寝たきりか、失明しているか、腎透析をしているか、脳梗塞で死んでいるはずだ。また大建設会社の社長夫人が十日も監禁されて警察が動かないはずはないし、ヤクザの扱いも甘い。ディテールにもう少し気配りがあればフェティシズム趣味が際立って楽しい作品になったと悔やまれる。
『オムライス』は結末のどんでん返しが意外で、うまく騙された。地の文も台詞も手堅い。しかしながら、紙束とアパートの外壁にガソリンをまいて火をつけるだけで、部屋に寝ている(狙いの)男を首尾よく殺せるものだろうか。リアリティーを追求しすぎると小説が成り立たないのは分かっているが、ここはもう一歩踏み込んで欲しいとわたしは思った。
『心あたりのある者は』は、いわゆる安楽椅子探偵もので、舞台設定や時間経過など制約が多いだけにミステリーとしてはむずかしいが、楽しく読ませてくれた。台詞は巧いし、キャラクターも自然で、地の文は饒舌。高校生の視点でこういう大人びた語り口はかえっておもしろい。ただ、発端となる校内放送が、十年間高校教師をしていたわたしには納得できなかった。教頭による生徒の呼び出しはめったになく、まして放送で具体的なことはいわない。教師は生徒のプライバシーに敏感であり、学校は警察権力の介入を嫌う。また、生徒が謝罪文を書いたことも不自然で、これは他の選考委員も指摘した。
一回目の投票で『オムライス』と『心あたりのある者は』が票を集めたが、強く推す委員はおらず、受賞作なしという結果になってしまったのは残念だった。
評論その他の部門は『私のハードボイルド』を推した。幼いころから外国映画と探偵小説に耽溺した著者の人生がこの労作に凝縮されている。まさにハードボイルドの戦後史であり、資料的価値も大きい。全員一致で受賞と決まった。
『論理の蜘蛛の巣の中で』を読んで、評論とはつまり、書評家の内面を吐露した“エッセイ”の一種ではないかという想いを強くした。小説や映画を肴にしてあれこれ論じあうのは楽しいし、それを著者も楽しんでいる。そしてその楽しさをわたしは推した。閉じる
- 直井明[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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昨年度の候補作はホラー系が多かったが、本年度は推理小説らしい作品が出た。しかし、各作品に対する選考委員諸氏の評価がみごとにばらつき、いずれも目をつぶれぬ弱点があるとの主張で、どなたも譲らず、該当作なしとの結論になった。
『未来へ踏み出す足』は、グループの中の誰かが犯人という本格の設定だが、事件発生から解決までの展開があっけなく、意外性がない。彩りとしてちょっとは現地の風物描写がほしいし、作者の意図した対人地雷批判のメッセージが空転した感じだ。
『ホームシックシアター』は、殺人事件のあったアパートに平気で入居してくるというのはどんな女なのかと思わせながら、その隣室に平気で住み続ける無神経な女の方がもっと変な存在だった話で、伏線もきちんと書かれているが、インパクトが弱い。
『スペインの靴』はフェティッシュの気味悪さを描いたもので、推理小説ではない。選考会終了後、某氏が、自分が作った靴なら脱げるように作れたのではないかとぼそっと言っておられたのが、おかしかった。
『オムライス』では、事故に見せかけた殺人が予想外の結果になる。被害者が入れかわっていた意外性が面白いが、犯人と被害予定者との関係を考えると、もっと突っ込んだ殺意の説明が必要だったのではないか。犯人の視点から描いたために、殺意がぼやけてしまった。
『心あたりのある者は』は、高校の男子生徒と女子が妙な校内放送を聞き、あの放送は何のことかと議論を始める。議論というよりは、若いペアが楽しくおしゃべりしている雰囲気で、二人が推理を積み重ねて行くうちに、もっともらしい結論に達する。ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』を思わせる着想を生かした、明るいさわやかな語り口が気に入ったが、実作者でもある他の選考委員各位から、不出来とは言わないが、最後にもう一ひねりないのが不満であるとか、こんな校内放送は絶対にあり得ないなどの意見が出て、押し切られてしまった。
今回の選考委員会で、切れ味のいい優れた推理短編を書くことがいかに難しいものであるか、あらためて認識した。実作者である諸氏の指摘を聴いていると、短編部門の質的向上のためには、既受賞者の再受賞も認めて、ヴェテランたちの自信作も対象としてはどうかと思った。
評論部門では、期待どおり、『私のハードボイルド』を全員が推し、受賞即決。ハードボイルド物の生き字引である著者が自分史と重ねながら、固茹で玉子の歴史を語り、語源学的な研究も加えた快作である。フレックスナーらの俗語辞典にチャンドラーが百五十六回引用されているといった記述は極めて挑戦的で、違うと思ったら調べてみろと言われそうで、ぐうの音も出ない。
『論理の蜘蛛の巣の中で』は六十冊を超える作品を感情を排した無機質な文体で論じた力作で、著者の視野と個性的な立脚点に敬意を表する。閉じる
- 法月綸太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門の五編の候補作がいずれもミステリーらしいミステリーだったのは、今回から予選システムが変わったせいだろう。昨年度の候補作がかなりホラーに偏っていたのと比較すると、この変化は歓迎すべきものだと思う。その分、ミステリーの「定型」というものの難しさ、ハードルの高さをあらためて痛感する選考会となったのも確かだが。
候補作中、私が○をつけたのは、「スペインの靴」と「オムライス」の二編。前者は靴フェチ男の妄想監禁小説で、毛色の変わった道具立てと王道のプロットが手堅く結び付いているのが好ましい。専門用語と固有名詞を駆使した文体をどう評価するかが分かれ目だったが、「奇妙な味」の寓話に昇華するところまでは惜しくも届かなかったか。「オムライス」はトリッキーな真相と、タイトルにからめたさりげない手がかりの置き方が絶妙。私はこれをイチ押しにしたが、ラストの意外性を生かすための、背景の書き込みが甘いという指摘には首肯せざるをえなかった。
受賞作とすべきかどうかで、最後まで議論の的になったのは、「心あたりのある者は」だった。H・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」を下敷きにした佳品で、語りのバランスにもブレがない。ただ、今このパターンに挑戦するなら、逆にどこかで「定型」を踏み越える蛮勇を求めたくなる。連作シリーズの二編で、また別の仕掛けがあるのかもしれないが、この作品単独の評価としては、受賞には半歩及ばず、という結果になった。受賞作なしという結果は選考委員としても残念だけれど、冒頭にも記したように、ミステリーらしいミステリーが並んだ分、選ぶ側としてもハードルが上がったということである。
残りの二編について、簡単に。「未来へ踏み出す足」は、トリックとテーマ、舞台の組み合わせがちぐはぐで、互いに相殺しているような印象。「ホームシックシアター」は、自堕落な自己中女の造型が面白かったが、彼女の鈍感さを無自覚なまま放置しているのは、話の都合とはいえ、ちょっと書き方が恣意的にすぎるのではないかと思った。
一方、評論その他の部門に関しては、選考委員としてとても満足のできる結果になった。『私のハードボイルド』は、著者の自伝的な記述がそのまま日本のハードボイルド受容史と重なり合っているのだが、そうした特権的な立場に胡座をかくことなく、「私」と「ジャンル」の関係性を問う視点が、常に外部に開かれている点をいっそう評価したい。
同様に『論理の蜘蛛の巣の中で』も、本格という「ジャンル」の魅力を予定調和的に語るものではない。その魅力の源を、さまざまな角度から手探りで突き止めていこうとする悪戦苦闘のスタイルが、総体として確かな批評になっている。対照的な作品だが、この二作がそろって推理作家協会賞に選ばれたことは、日本のミステリーの現在にとって、非常に有意義なことだと思う。
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