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2009年 第62回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門

2009年 第62回 日本推理作家協会賞
長編及び連作短編集部門受賞作

からすのおやゆび

カラスの親指

受賞者:道尾秀介(みちおしゅうすけ)

受賞の言葉

 数年前、新潮文庫のコピーに「想像力と数百円」というのがあったが、あれは素敵だった。近年いろいろなものが小型化されて携帯できるようになったけれど、言葉ほど苦もなく持ち歩け、どこででも取り出して楽しめるものはない。その言葉だけで成り立っている小説というメディアは、今だからこそ注目されるべきだ。
 ミステリーの世界は言葉でつくられた電子回路のようなもので、一本一本のケーブルの先端を複雑に繋いでいき、最後の一箇所を接続した瞬間にパッと明かりが灯る。そのとき突然の光の中で見えた光景が、ほかのどんな景色よりも強く心に残るからこそ、きっと世の中にはミステリー作家がいるしミステリーの読者がいるのだろう。
 今回の受賞を力にして、これからも一つでも多くの光を灯していければと思っている。読者の皆様に是非その光を持ち歩いてもらいたいし、光の中で見えた景色を思い返したり、あるいは同じ光で別の場所を照らしてみたり、そんなことをしてほしい。
 受賞できて本当によかったです。

作家略歴
1975.5.19~
2004年、『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞。
デビュー第一作短編『流れ星のつくり方』が第59回日本推理作家協会賞候補に、第一作長編『向日葵の咲かない夏』が第6回本格ミステリ大賞候補になり、『シャドウ』で第7回本格ミステリ大賞を受賞。
2009年『カラスの親指』にて第62回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞。
2010年『龍神の雨』にて第12回大藪春彦賞を受賞。
2010年『光媒の花』にて第23回山本周五郎賞を受賞。
2011年『月と蟹』にて第144回直木賞を受賞。
歌とギターとBBQと堤防釣りが趣味。
ペンネームは都筑道夫から勝手に拝借。

2009年 第62回 日本推理作家協会賞
長編及び連作短編集部門受賞作

じょーかー・げーむ

ジョーカー・ゲーム

受賞者:柳広司(やなぎこうじ)

受賞の言葉

 私は自分で小説を書き始めたのが割合遅く、純然たる「読者」でいた期間が長いのですがその頃、書店や図書館に行って膨大な書物の中から自分が読みたい本を探す際の一つの指標――それが「日本推理作家協会賞受賞作(作家)」の謳い文句でした。
 巡り巡って、その賞をこの度自分の作品が頂くことになりました。大変光栄であり、また著者として賞を得た作品を誇らしく思います。
 願わくは、これからも読者の皆さんにとって「日本推理作家協会賞」が、新たな作品、新たな著者と出会う際の有効な指標であり続けますよう。
 そのためにも、受賞者としては、賞の名に恥じぬよう、ひたすら書き続けていかなければならないと(柄にもなく)決意を新たにしています。
 これからもどうぞよろしくお願いします。

作家略歴
1967.9.20~
幼時より妄想、虚言癖に悩まされる。十指に余る職を経て、2001年運良く(?)ミステリー作家としてデビュー。今日に至る。
2009年『ジョーカー・ゲーム』にて第26回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞。

代表作:「新世界」「贋作『坊ちゃん』殺人事件」
趣味:引越

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
≪長編及び連作短編集部門≫ 北村 薫

 最初に投稿を行った結果、『カラスの親指』『ジョーカー・ゲーム』の二作が同点で一位に並んだ。
 それぞれの検討に入ると、まず『官能的』については、楽しく読んだ、リアルを越える方向でひとつの可能性を示したとする声もあったが、強く推されるまでに至らなかった。
 『還るべき場所』は、よく調べて書かれ、力作感はあるが、反面、説明的となり山岳小説として必要な、描写による臨場感が薄くなっているのを惜しむ見方があった。
 論議を尽くした結果、最初の投票で同点一位となった残りの二作に絞られ、まず『カラスの親指』が、細部に至るまで非常によく出来ている、精巧なプロットを評価したい、として受賞が決まった。
 次いで『ジョーカー・ゲーム』が、トリックなどは斬新なものではなく、時代の描き方に気になる箇所もあるが、うまくまとめ一級の読み物としたプロの技を買おう、ということで、同時受賞と決まった。

≪短編部門・評論その他の部門≫ 垣根涼介

 選考会はまず短編部門から始まり、五つの候補作について、各選考委員が○△×の三段階で評価・検討を行った。結果、最初に『前世の因縁』が、続いて『パラドックス実践』が候補から落ち、残る三作での再検討となった。この時点で、ライブシーンの独特の表現が評価された『渋い夢』の優位は動かず、受賞確定となる。残る二作での選考で、『身代金の奪い方』には小説としてのリアリティがやや欠けているとの評価があり、一方の『熱帯夜』は、プロの書き手としての手堅さが評価され、最終的に『渋い夢』と『熱帯夜』の二作受賞となった。
 続いて評論その他部門の、四作の選考に移った。まず選考委員の総意として出たのは、四作ともまったく違うジャンルであり、完全な意味では比べようがない、という意見であった。それでも個別の評価としては、『「謎」の解像度 ウェブ時代の本格ミステリ』に選考委員すべてが○を付け、早い段階での受賞が決まった。しかし他の三作との差は各選考委員とも敢えてつけたものであり、しかも三作とも、評価的にはほぼ横並びであった。最終的に、もう一つの受賞に『<盗作>の文学史 市場・メディア・著作権』が決まったのは、内容への作者のバイアスのかかり方はさておき、『盗作』というデリケートな問題を扱ったその姿勢を評価するのなら、本賞以外にはなく、このまま埋もれさせてしまうのには惜しいという意見のもと、この部門も二作受賞となった。
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選評

伊坂幸太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 『官能的』は、「官能」と呼ぶよりはシモネタと呼ぶほうが近いテーマが根底にあり、個人的にはそういう話が好きではないにもかかわらず、この作品の場合はそれがとてもあっけらかんと描かれているせいかポップに思え、とても楽しく読めました。しかも、馬鹿馬鹿しい語り口ではありますが、細やかに構成が作られている印象を受けましたし、荒唐無稽なトリックや推理もこの世界観の中であれば問題がないと思いました。ただ、第四話で明かされる大きな仕掛けについて、それを隠すためなのか、前半に(反則とまでは言わないのですが)フェアではないと思われる記述がいくつかあって、少し無理があるように感じましたし、その仕掛けがあるがために全体が(この世界観とは別の意味で)軽薄になってしまったようにも感じました。『カラスの親指』はとてもよくできた作品ですが、道尾さんの他の作品と比べると雰囲気や読後感の印象が少し違うように感じ、しかも、他の作品のテイストのほうが好みだということもあって、それほど強く推す気持ちにはなれませんでした。個人的には(ネタバレになってしまいますので、曖昧な書き方しかできないのですが)「主人公の心理描写(文章の曖昧さ)をミスリードに使う」という手法に違和感があり、騙される心地良さが奪われた気分になったのも事実です。ただ、それらは僕個人の好みの問題ですし、受賞に相応しいレベルの作品であるのは間違いありません。『還るべき場所』は最初、「一緒に登山をした恋人がロープを自ら切断し、死んでしまう」といった設定をはじめ、どこか既視感を覚えずにはいられず、なかなか読み進みませんでした。が、第一章を過ぎたあたり、公募登山のことや、ペースメーカーをつけたワンマン社長神津が出てきたあたりからとても惹きつけられ、中盤以降は夢中になってページをめくりました。不愉快で不穏な(神話におけるトリックスターにも似た)存在としてのアルゼンチン隊、サスペンスを作り出すペースメーカーの不具合、サブエピソードとしての会社の騒動など、物語を構成するエピソードや登場人物の配置も周到に思え、このような直球で骨太の冒険小説が最近は少ないように思いますし、多くの人に読まれるべきだ、と感じました。読後に、「生命の力強さ」とでもいうべき前向きな力を与えてくれることにも感じ入るところがありました。ただ、「最後で明らかになるある事実」について前半部で少しでも触れていたら印象が違っていたのではないか、という指摘や、「描写によって、もっと臨場感が出るのではないか」という指摘を、跳ね返すことができず、自分の非力さを痛感しています。『ジョーカー・ゲーム』は読後、シャーロックホームズの冒険譚を読んだ時のような興奮を覚えました。現実的な出来事や設定を使ってはいるものの、寓話的な別の世界を作り上げ、短い枚数の中に、アイディアが贅沢に盛り込まれています。縮小再生産にならぬように、各短編ごとに話者や舞台を変えるなど工夫がされ、戦時中に舞台をあえて設定するという果敢な姿勢を含め、僕にとっては文句なしのミステリーでした。
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歌野晶午選考経過を見る
『還るべき場所』
 広い意味のミステリーからもはずれているのではないかという疑問がまずあり、評価の軸をどこに置けばよいか困惑した。恋人の死の謎解きには力点が置かれておらず、サスペンス性も薄い。恋人の死を乗り越えようとする主人公の気持ちの変化が、本作品の最も重要な点であろう。それが説明的にしか描かれていないのは、小説的見地からもマイナスである。
『官能的』
 謎解き部分の充実度は、今回の候補四作の中では一番だった。しかしあまりに人工的で、たとえバカミスであっても、もう少しリアリティが必要だろう。逢坂氏が的確に指摘しておられたが、叙述の甘さも目についた。
『カラスの親指』
 テーマ、文章、キャラクター、構成、会話、比喩――どれもが高いレベルにあり、それらの相互作用により、読み手は心を鷲掴みにされ、物語の世界の奥深くに引きずり込まれていく。読書の楽しさを体験したいのならこれを読めと人に勧めたくなる、一級のエンターテインメントである。しかしながら推理小説としておおざっぱな点が気になった。メインの詐欺の、最も重要な二つの誘導は相当な部分運に頼っており、しかも成功しない可能性のほうが高いのではないだろうか。結果オーライで成立している物語があってもいい。しかし、そうであるなら、推理小説としての評点は下がる。コンゲームを扱ったミステリーにおいては、その騙しの手口が鮮やかであることがカタルシスにつながるのであり、その実現のため、作者は最も心を砕くのである。道尾氏は小説家としての伎倆がすぐれているがゆえに、この部分をうまくごまかして物語として成立させてしまっている。それはそれで見事なのだが、推理小説として評価する場合はマイナスとせざるをえない。この点がクリアされていれば、文句なしの受賞だった。
『ジョーカー・ゲーム』
 戦時中、スパイ、となると、情報小説としての比重が高くなり、長大な物語になりがちだが、本作はそれを短編でやってのけている。短いにもかかわらず、複数の驚きが用意されている。トリックの多くがよく知られた種類のもので、そのアレンジに工夫が足りないのはマイナスだが、一つのトリックによりかかっていないので、大きな瑕とはならない。構成や伏線、文章の切り詰め方にも深い注意が払われており、読みやすさと小説的効果を高めている。時代考証の甘さはあるものの、作品世界の中でのリアリティは確保されているので、個人的には問題ないとした。テーマが一般的でないにもかかわらず、幅広い層が読める推理小説に仕上がっており、本賞に十分値すると第一に推した。「XX」の質がほか三編と較べて低いのは残念。
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逢坂剛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 今回の候補作には、それぞれ夕イプの違う作品が四本あがり、その優劣を同じ土俵で論じることにいささか当惑を覚えた。タイプごとにみれば、すぐれた仕事と評価できる作品も、推理作家協会賞の対象として検討すると、別の基準を採用せざるをえない。
 『還るべき場所』は、候補作のうちでもっとも力のこもった、本格的冒険小説である。笹本さんの、登山に関する該博な知識は驚くほどで、この人は豊かな登山経験を糧に書いたのか、それとも単に登山の技術を資料で調べたり、専門家に苦労話を聞いたりしただけで書いたのか、大いに考えさせられた。どちらにしても、その情報量には舌を巻いてしまうが、小説との融和性という観点からすると、それが少々わずらわしくもある。ともかく、「登山はかくあるべし」という手引書としてなら、この本は実によく書けている。キャラクターの造型にも、それなりの工夫がみられる。ただ、惜しむらくはミステリーとしての体裁を、整えていない。笹本さん自身も、この作品をいわゆるミステリーとして書いた、という意識はあるまい。推協賞の候補にあげられたことで、むしろとまどいがあったのではないか、と推察される。今回は受賞を逸したものの、サントリーミステリー大賞でデビューして以来、めきめきと腕を上げてきた笹本さんに、敬意を表したいと思う。
 『官能的 四つの狂気』を、「ばかにするな!」と放り投げることは、簡単である。こうした小説(らしきもの)が、推協賞の候補に残るようになったのも、時代の流れだろうか。だとすれば、わたしは時代を信用しない。あえて注文をつけるとすれば、この作品のような荒唐無稽な小説こそ、細部のリアリティにこだわってほしい、と思う。もし、それがきちんと実現されていたら、別の評価が生まれたかもしれない。どうせバカミスだから、という甘えが少しでも見えたら、しらけてしまう。もっとも、そうした注文をつけるべき小説ではない、というならわたしのような頑迷な読者は、黙って引っ込むしかない。
 『カラスの親指』は、ミステリーの持つ魅力を過不足なく盛り込んだ、才気あふれる佳作である。すべての伏線が、ラストに向けて収束していくおもしろさは、ミステリーならではのものだ。ジェフリー・ディーヴァーの最近作のような、どんでん返しのためのどんでん返しといった不自然さがなく、すべてがよく計算し尽くされている。破天荒な動機と、それを実現させるための大仰な仕掛けも、わたしにはすなおに楽しめた。たとえ荒唐無稽に見えても、この作品には隅から隅までリアリティの配慮が、行き届いている。だからこそ、読者は気持ちよくだまされるのだ。当然の授賞といえよう。
 『ジョーカー・ゲーム』は、大藪春彦賞を逸したものの吉川英治新人賞を受賞し、報われるところがあった。わたしは、大藪賞に続いてもう一度この作品を読み、柳さんの目指す小説世界と、それを実現するための力量を再確認した。ただし、ほとんどの謎が登場人物の推測、それも主に情況証拠からくる蓋然的な、もっといえば少々強引な推理によって解決される点に、ミステリーとしての弱さも感じた。とはいえ、高い集中力と執着力を必要とする、こういう地道な仕事をわたしは評価するし、個人的にも好きなタイプのミステリーなので、同時授賞にもろ手を挙げて賛成した。
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小鷹信光[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 当初私は『還るべき場所』と『カラスの親指』の二作を推した。前者はよく調べて書かれたけれんのない山岳小説、後者は登場人物だけでなく読み手をもだますことを主眼にしたコン・ゲーム小説。同じ物差しでは優劣を決めかねるが、私の総合点では前者がわずかにリードしていた。
 しかし『還るべき場所』という緊迫感に満ちた小説は犯罪行為をいっさいとりあげていない。また、唯一ミステリーの要素と呼べるのは、使い古された“ロープ切断にまつわる謎”だが、この謎は結末でロマンティックなファンタジー風にしか解かれない。そのすがすがしさがむしろこの小説の持ち味なのだ。登頂の成功ではなく生死をかけた下山を物語のクライマックスにすえる展開も好感がもてた。
 とはいえこれらの要素は、はたして推理作家協会賞という固有な賞に見合う結構と言えるのだろうか。その判断を留保したまま、私は選考委員会にのぞんだ。そこでの議論の過程で、この作品そのものに対する私とは正反対のきびしい評価(臨場感、緊迫感の欠如)も拝聴した。その一票の重みもあって、結局大勢が決まった。
 『カラスの親指』は私好みの趣向で、周到に練りあげられた仕掛けにまんまとだまされたことに快感をおぼえた。ただし、ひんぱんに出てくる鳥に関する英語ネタのダジャレは感心しない。とっておきの「カラス」をもちだすための策なのだろうが、ダジャレが効果的に流れに溶けこんでいない。〈by rule of thumb〉という慣用句(目分量、大ざっぱ、経験則の意)をモジった英文の副題も英語として不自然でしかも意図不明。「カラスの親指」が仕組んだ大ペテンは、もともとそれほど緻密なものではなく、運まかせの大ざっぱな計画だったのだという“弁解”だったのだろうか。
 そしてもう一つの疑問というか注文は、物語の前提となる“事件、背景”をなぜこんなに救いのない、暗い設定にせねばならなかったのかということ。本筋の軽快な運びや結びのあと味のよさとは水と油だ。
 一方私は同時受賞の『ジョー力ー・ゲーム』をそれほど高く評価しなかった。とりわけ気になったのは昭和十年代初めという時代背景にふさわしくない用語や文体である。ただしこれはまさに読み手の年代による受けとめかたのちがいなのだろう。個々の話にはそれぞれ工夫が施されていて楽しめるが、欲を言えば連作集としての大きな仕掛けがほしかった。さらに望むなら、この題材、この切りロを駆使し、スパイ養成機関の“魔王”と呼ばれる男をさらにじっくりと描きこんだ大長篇を期待したい。
 『官能的-四つの狂気』については、二度のどんでん返しにあっけにとられはしたもののだまされた快感は希薄だった。扱われているきわめて通俗的な素材の料理法も、書名の“官能的”とはおよそかけはなれている。
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真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 個人的には、小説内のリアリティとは何か、について考えさせられた選考会だった。
 『官能的 四つの狂気』に対して、まずリアリティが感じられない、と意見が出された。しかし、こういう喩えが適切かどうか自信はないのだが、ギャグマンガを評する際に、こんな人物はいるはずがない、と斬り捨てられたのでは、作者も返事に困るだろう。正直に言えば、私は面白く読めた。主人公の変態ぶりに幾度も笑い、リアルの壁を突き抜けてしまったような真犯人にも、一応の納得はできた。それというのも、一見意図不明と思われる視点の移動に意味があり、名称などの手がかりも提示され、作者の真摯な姿勢がうかがえたからだ。ただし、どんでん返しを前提としたためか、各事件の収束の仕方が駆け足になり、また強引さも目立った。しかし、小説内でのリアリティは、辛うじて成立していたように思えた。
 『還るべき場所』は、山岳冒険小説と言っていいだろう。となれば、読みどころは手に汗握る描写と、主人公たちの内なる動機だと私は考えた。ところが残念なことに、物語の多くが説明によって進み、具体的な描写というリアリティが薄いため、いったい何人の登山者が、どのような壁を上り、どこで遭難しているのか、漠然とした印象でしかつかめず、何度もページを後戻りして読み返すことになった。人物の動機もエピソードの説明と台詞による主張によって語られていたため、作者の傾けた情熱ほどには、迫るものがなかったように感じられた。
 受賞作となった二作は、ともに騙しの物語であり、どちらもその設定自体にリアリティの問題を投げかける人もいるだろう。特に『ジョーカー・ゲーム』は戦時下のスパイを扱っており、考証に怪しい部分があるとの指摘も出た。が、短い物語の中で、騙し合いのアイディアを贅沢に盛り込み、読み手を翻弄してくれる。やや粒にばらつきが見られたのは、今後の課題だろうか。
 『カラスの親指』は、騙しの計画が偶然に左右されかねない部分もありそうだが、全体を貫く構成力と安定した筆力が評価された。小説内のリアリティは、作者の確かな狙いとそれを支える筆力によって大いに違ってくる。その差が明暗を分ける結果になったと思う。
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立会理事

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第62回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『還るべき場所』 笹本稜平
[ 候補 ]第62回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『官能的』 鳥飼否宇