2010年 第63回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
受賞の言葉
手垢にまみれた表現で申し訳ないのですが、『狐につままれたよう』というのが今の率直な気持ちです。なぜなら私は物心ついた頃からB級ホラーに魅入られ、B級ホラーにどっぷりと漬かりながら青春時代を送り、その惰性で今日までズルズルと生きてきた人間であり、推理小説とは無縁の世界にいたからです。今回の受賞作にしても、デビュー作が余りにも未熟でストーリー構成が不完全だった為、二作目はせめて最後にオチのある小説を書こうという思いしかありませんでした。しかも純度百パーセントのエログロホラーを書いたつもりだったので、ミステリ小説としてここまで注目され、ここまで評価していただけるとは夢想だにしませんでした。なので未だに「本当に私でいいのか?」という疑問はありますが、ここまできてしまった以上腹を括り、ホラーとミステリを融合させた新たなる小説世界を構築して、その中でまたキラリと輝けたらいいなと思っております。
受賞の言葉
『乱反射』はノンミステリーだとあちこちで公言してきたが、正確には違う。それは、冒頭三ページを読んでいただければ、マニアックなことを書いてあるのでわかるはずだ。だがこの作品をミステリーだと主張しても、理解してくれる人は少ないだろうという諦念から、ノンミステリーだと韜晦気味に宣言していた。ノンミステリーと言っておかなければ評価してもらえないだろう、という諦めもあった。
しかしこのたび、日本推理作家協会賞の候補に挙げていただいて、これをミステリーとして読んでもらえたのかという嬉しい驚きがあった。それだけでも充分なのに、賞をちょうだいした。誰もわかってくれないだろうという諦めから生まれた作品だったが、そんなことはないんだよと言ってもらえた。これほど嬉しいことはない。選んでくださった予選委員の皆さん、選考委員の皆さんに深く感謝します。
- 作家略歴
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1968~
東京都渋谷区出身 早稲田大学商学部卒、不動産会社勤務後、一九九二年退社。
一九九三年「慟哭」で東京創元社よりデビュー。他に「失踪症候群」(双葉社)、「天使の屍」(角川書店)、「修羅の終わり」(講談社)、「崩れる 結婚にまつわる八つの風景」(集英社)など。
趣味 スキー。
2010年『乱反射』にて第63回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞。
2010年『後悔と真実の色』にて第23回山本周五郎賞を受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 柳広司[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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≪長編及び連作短編集部門≫ 柳広司
史上まれに見る激戦で、選考会は異例の三時間に及びました。
最初の投票で候補作五作品がわずかに一点違いで踵を接する結果となり、次いで各選考委員が候補作それぞれについて評価を述べたものの、文章、キャラクター、物語設定などの点において判断が分かれ、明確な基準とするまでには至りませんでした。
やむなく、減点法を採用することとなり、選考委員から「一番推薦」を得られなかった『贖罪』『追想五断章』の二作品を、以後の議論の対象から外すことになりました。
残る三作品『粘膜蜥蜴』『身の上話』『乱反射』については、引き続き白熱した討議、及び再度の投票が行われたものの、やはり明確な差は認められませんでした。
最終的に「候補作が推理作家協会賞に相応しいか否か」の観点に絞って検討が行われ、その結果「本賞以外では作品の本質を顕賞できない」と思われる『粘膜蜥蜴』『乱反射』の二作品が受賞作に決定しました。
≪短篇部門・評論その他の部門≫ 大沢在昌
短編部門からスタートした選考会では、五本の候補作中、三本が警察小説、二本が少年犯罪という”現代”のミステリの傾向が話題になった。
○X△形式の評点で議論がなされた結果、「雨が降る頃」、「ドロッピング・ゲーム」がまず外された。残る三作、「随監」、「ミスファイア」、「師匠」から受賞作を選ぶ過程で、「受賞作なし」を主張する選考委員もいたが、「だすべき」とする選考委員もいて、討議の結果、受賞作を選ぶという方向性で選考会を進めることになった。この中で浮上したのが「随監」である。詳しい選考過程については、各委員の選評を読んでいただきたい。
つづいておこなわれた評論その他の部門では、選考委員それぞれが「勉強になった」とする候補作を挙げ、意見がわかれた。が、「英文学の地下水脈 古典ミステリ研究」にある「文学的発見」を評価するという見地から、受賞作が決定した。閉じる
選評
- 赤川次郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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私にとって初めての選考会だったが、飴村さんの「粘膜蜥蜴」が候補に上っていることに驚いた。今「ミステリー」の範囲はここまで広がっているのかと思った。この作品については、私の考える「小説」と、あまりにかけ離れていて、判定ができないので、他の選考委員の判断に委ねた。
貫井徳郎さんの「乱反射」は、小さな悪意(というほどのものでもないが)の積み重ねが悲劇に至るという話だが、作者の義憤(?)が強調されるあまり、どの登場人物も一面的な「非常識な人間」としか描かれていない。そのために全体が「社会への批判」でなく、「個人への弾劾」にとどまって、テーマに共感しにくい結果になっている。筆力はあり、長い間の実績も加味しての受賞ということで賛成した。
佐藤正午さんの「身の上話」は、候補作中最も面白く読んだ。成り行き任せのヒロインが宝くじの大金を手に入れてしまう展開も自然で、何よりヒロインの人物像が鮮明である。ただ最後の解決の部分で、ミステリーとしては問題があるとの指摘で、受賞に至らなかった。
湊かなえさんの「贖罪」も語り口が巧みで一気に読ませるが、犯人像の無理が問題になった。私としては、とてもセンスのある文章だと感じたが、ただこういう暗いテーマを扱うだけが現代を描くことではないと言いたい。
米澤穂信さんの「追想五断章」は、候補作の中で最も本格物らしい工夫がこらされた作品だった。リドルストーリーを組み込んだ構成にもミステリーらしい味わいがある。しかし解決の明解さに欠けるのと、主要人物がいかにも影が薄く、魅力が乏しい。
候補作全体に活き活きとした魅力的な登場人物に出会えない物足りなさを覚えた。また、どこまでを「ミステリー」の枠に含めるのか、私としては多少の疑問の残る選考だった。閉じる
- 伊坂幸太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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三作品同時受賞は無理なのかな、と思いながら(無理なことは分かっていたのですが)選考会に臨みました。
米澤穂信さんの作風は、理論的に作品を構築をし、たとえば、羽目の外し方についても計算され尽しているような、知的で、非常に明晰なもの、といった印象があります。ただ、理詰めの作品は(これは僕の先入観に過ぎないのかもしれませんが)どれほど質の高いものを作り上げたとしても、感心はされても感動はされないような、つまり読者を迫力で捻じ伏せる「魔法」を得にくい気がしていました。が、そこで、今回の、『追想五断章』です。これは、「コンセプトに基づき、きっちりと構築する」といった米澤さんの作風が最上の形で生きているように思えました。隅から隅まで、知や理が行き届いているのが分かり、最後の一文を読み終えた時には、「理詰めで魔法をかけてやる」とでもいうような執念を感じ取り、とても感動しました。実は、この作品は文句なしで受賞が決まると思っていたのですが、予想外に同意を得られず、僕自身も説得力のある推し方ができませんでした。非力さを痛感しています。『身の上話』は読み応えのある、まさに小説本来の喜びに満ちた作品でした。「語り方」について工夫を凝らし、文章の豊かさを原動力として読者を引き込んでいきます。「大金をめぐる人間たちの騒動」といった骨組は、西部劇やギャング物をはじめ、さまざまなフィクションで使われていますが、現代の日本で機能させるために、「宝くじ」を使ったことにも感嘆しました。選考会では、登場人物の竹井の(ラスト近くの)言動に現実味がないのではないか、という意見が出ました。ただ、僕自身は読んでいる最中、この竹井という男は、コーマック・マッカーシー「血と暴力の国」のシュガーや、古谷実「ヒメノアール」の森田君のような、悪意の超人として機能しているのだと思っていたため、違和感を覚えませんでした。佐藤正午さんの最近の力作がことごとく賞と無縁であることに(一読者として)絶望的な思いを抱いていたにもかかわらず、今回、自ら選考委員となった場でも授賞できず、悲しさと恥ずかしさのいりまじった複雑な気持ちを抱いています。『粘膜蜥蜴』の凄さは、不気味さや気持ち悪さ、乱暴さといった「イロモノ」的な部分ではなく、むしろ、それに甘えることなく、贅沢なほどに魅力的なエピソードを積み重ねているところだと思います。しかも、「不快感に満ちた作品」のように見えて、(意外にも!)バランスが取れています。それはたぶん著者の視線に、人間を分析し、見下すような傲慢さがないからかもしれません。『乱反射』に関しては、「すでに知っている事柄の答え合わせをさせられている」感覚が強く、話に乗り切れない思いが最後までありました。ただ、今まで、貫井さんの作品をたくさん読んできた身としては、貫井さんがこの賞を取られていないこと自体が不思議なところもありますから、そういった意味で授賞に反対するつもりはありません。『贖罪』は、告白体の様々な様式に挑戦しながら、人間の思いのすれ違いや、誤解や思い込みを描き、とても楽しめたのですが、他の候補作が傑作揃いであった分、どうしても推す順位が下がってしまいました。閉じる
- 歌野晶午選考経過を見る
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『追想五断章』
途中で作者の企みがおぼろげに見えてしまうのと、五断章の意味づけに切れ味が足りなかったのは、全体の雰囲気がよかっただけに残念。登場人物も、それぞれ何かを抱えているようで魅力的なのだが、それを活かしきれていない。もともと達者な書きっぷりだった作者がもう一段高いところに行った感がある。次作以降に期待したい。
『贖罪』
一話ごとに驚きがある。全体像が徐々に見えてくるので、読み進むわくわく感がある。人物と出来事の複雑なからみを巧みに整理してある点も大いに評価したい。ただ、この種のデリケートな動機を扱うのなら、もっと密な背景説明が必要だろう。それは読者の共感を得るためでもあるし、作り物の臭いを消すためでもある。
『身の上話』
卓抜な小説である。とくに表現の巧みさにはしばしば溜め息をつかされた。一方で、犯罪に関する説明の不足が散見された。作者は意識してそこに力点を置かなかったのだろうし、小説としてはそれで問題ない。一つの手法だ。しかしながら本賞がすぐれた推理小説を選ぶ賞であることをふまえるなら、犯罪の解明についての物足りなさは見過ごすことができなかった。
『粘膜蜥蜴』
先を読まずにはおれない、破格のエンターテイメントである。もしこの作品に賞を与えないことがあったとしたら、その理由は、登場人物、舞台設定、発生する出来事が非常識きわまりないからであろう。しかし異様な作風でありながら、実は抑制がきいており、推理小説、冒険小説としての根幹はしっかりしている。破天荒であるがゆえ、どのような結末でも許されるところ、きちんと着地し、合理的な驚きが用意されている。嫌な作品にふさわしい嫌な伏線の数々は見事。
『乱反射』
同じ群像劇ということで『贖罪』と比較してみると、『贖罪』とは対照的に、事件の背景説明を徹底的に行なっている。そのため強いリアリティが作品を支えているのだが、反面、驚きや意外性に乏しい。事故後の主人公の行動は読者が知っている情報の後追いで、推理の妙味にも欠ける。以上のことから、当初、本作品の評価は芳しくなかった。しかし、本作品の胆は歴史的名作への今日的な挑戦であり、その作品が中途半端に終わらせていた点まで達成しているという北村委員の説明が考えをあらためさせた。先行する某作品のトリックには、無理をして作ったという印象が否定できなかったが、本作のそれはきわめて現実的な設定の中で無理なく達成しており、その点も評価すべきだろう。閉じる
- 北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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本賞が推理小説の賞である以上、まず第一に、その方面で顕著な成果をあげた作品を顕彰しなければならない。
貫井徳郎『乱反射』の帯の表には、《全く新しい社会派エンターテイメント》とある。全く新しいわけではないが、その方面での《小説》として、すでに評価を得ている。これに対し、推理小説としての試みについての論評は、あったのだろうか。それを考えなければ、作者が冒頭に振り、帯の一方にまで引いた《かつてイギリスの有名なミステリー作家は……》という言葉が宙に浮いてしまう。
なぜ、巻頭という大切なところにこれがあるのか。しかもネタばれの言葉である。貫井徳郎は、あえてそれを書くのである。
ここから先は、その《イギリスの有名なミステリー作家》の作品と、『乱反射』のミステリ的仕掛けについて触れなければ書けない。二つの作を未読の方はとばしていただきたい。
作者がここであげた英国の作品は、《意外な犯人》のひとつのパターンの代表作である。しかし、読者サイドからの不満はある。探偵を含め、必ずしも《全員》が犯人となってはいないのだ。そのことに対する挑戦が貫井氏の作にはある。その雄々しい指摘──言挙げが、冒頭に掲げられた《登場人物のほとんどが犯人》という、氏の言葉である。この《ほとんどの》というひらがな五字にこめられた《やってやるぜ》という熱情がくみ取れなければ、推理小説として、この作を読んだとはいえない。
『乱反射』はミステリ史上、画期的な作品である。現代において、古典的あるいは原則的トリックに挑み、成果をあげることがいかに困難か。推理作家なら、それは骨身にしみて分かる筈である。それを作者は、『虚無への供物』に通じる、社会を──世を見つめる眼を持つことによって達成した。探偵もまた犯人であり、そこで世界が犯人となる。ここにおいて、このトリックは完璧な形で成就された。──英国の古典の主旋律が、現代の東洋において見事な変奏を奏でたのである。
この奇跡の瞬間に立ち会った読み手を代表し、その戦慄と快感に拍手することこそ、推理作家協会賞の役目である。『乱反射』は小説の衣の下に、《本格》の鎧を見事に隠した作なのだ。小説の賞では、ここを読み過ごす。それは一向にかまわない。それでも読める作となっている。そこに貫井徳郎の実力がある。
だが、繰り返す。この賞は、プロの推理作家が、プロの推理小説に与える賞である。推理作家の血と汗と──心意気に眼を向け、評価しえなかったら、《推理作家協会賞》の存在意義はない。
もう一作として、彩り豊かな悪夢、裏返しの『春琴抄』──といっていい物語『粘膜蜥蜴』を推した。整合性という意味では、おかしな点も眼につく。だが、そういう指摘は無意味だろう。理性は、夢から覚めて後に働くものである。
『身の上話』は、《変》な人物が《普通》の仮面を被って、次々に登場する。その物語展開の巧みさに感服する。三作に授賞出来ないことがうらめしい。
これらに比べ、『追想五断章』、『贖罪』はそれぞれ魅力的な部分を持ちつつも、全体的な完成度という点で、一歩及ばなかった。閉じる
- 佐々木譲[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考委員は二度目のおつとめ。
二度目にあたっても、意識したことは次の二点だ。ひとつ、もったいをつけない。次作に期待したり、様子を見たりしない。いいと思った作品を強力に推す。もうひとつは、自分の読書傾向に合わないものにも虚心で向かい合うこと。選考委員を指名されたということは、わたしにとって世界を広げる機会を与えられたということなのだから。
というわけで、その日上京して選考会場へ。
わたしは佐藤正午さんの『身の上話』をいちばんに推した。氏は日常生活の細部とそのほころびを描写するとき、絶妙な巧さを発揮するひとだと思う。本作も「土手の柳」と評されるような主体性のない女性が、意識しないままに周囲に破綻を呼び寄せてゆく過程を、じつに計算された語り口で描いてゆく。物語の「話者」は誰なのか、彼は主人公の人生とどう交錯するのか。最後にはけっきょく何が起こったのか。その謎の掲示のしかたも最後まで魅力的だ。ミステリ風味が薄い。と評価するほかの選考委員のかたがたを説得しきれなかったことは残念である。
飴村行さん『粘膜蜥蜴』は、わたしにとって初めて読む種類の小説。「蜥蜴人間」が登場した冒頭から、わたしは読み方もわからないまま、感動のラストへと引きずられていったのだった。ラストで、まるで妄想全開で書かれた小説のように見えていたこの作品が、じつは緻密な構成と記述を持っていたことに気づいて、唸って次点。もっとも、解釈できなかった部分もかなりあったのだが、「この作品に整合性を求めるのは無意味」という、ある選考委員の見方を受け入れる。
貫井徳郎さん『乱反射』は、冒頭の大上段な書き出しに、結末が見合っていないという不満が残る。全編いやな日本人のショーケースというトーンにも、エンターテインメントを読むときの楽しみは感じられなかった。しかし技量の安定感は図抜けており、また「ミステリ界への貢献度を加味して授賞してもよいはず」という選考委員の主張にも賛同できた。
湊かなえさんの『贖罪』は、きわめてデリケートな素材を扱っていて、どのように救いを成立させるか、かなりハラハラしながら読んだ。残念ながら、後味悪く終わってしまったことが減点部分だ。
米澤穂信さんの『追想五断章』は、なによりその様式性を楽しめた。惜しむらくは、文体と下地部分の設定が、この素材を語るためには若干粗雑に思えることだった。ほんとうはもっと耽美的な作品となったのでないかと、そこに少し不満を感じたのだった。閉じる
立会理事
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第63回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
- 『身の上話』 佐藤正午
- [ 候補 ]第63回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
- 『贖罪』 湊かなえ
- [ 候補 ]第63回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
- 『追想五断章』 米澤穂信