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1957年 第3回 江戸川乱歩賞

1957年 第3回 江戸川乱歩賞
受賞作

ねこわしっていた

猫は知っていた

受賞者:仁木悦子(にきえつこ)

受賞の言葉

 表の写真(註、単行本での口絵)でごらんのとおり、私は、寝床で横になっている人間です。この本も、全部床で書きました。
 しかし、ほんとうの仁木悦子嬢は、病人ではありません。病気などとは縁もゆかりもない、まるまると太った元気な女学生です。どうか読者の皆さんは、表の写真のことはこのへんで忘れてしまって、陽気でおてんばな今ひとりの仁木悦子嬢と、お近づきになってやってください。そして、彼女の出会った奇怪な事件のてんまつに、耳を傾けてくださるよう、同姓同名の私からもお願いいたします。

作家略歴
1928~1986
東京生れ。胸椎カリエスによって仰臥生活となり、家庭で学習した。
一九五〇年代より童話を執筆。五七年に「猫は知っていた」で最初の公募の江戸川乱歩賞を受賞、ベストセラーに。さらに「林の中の家」「刺のある樹」など、仁木雄太郎・悦子の兄妹探偵が活躍する爽やかな推理小説を発表。八一年に「赤い猫」で日本推理作家協会賞短編部門を受賞。ほかに「枯葉色の街で」「冷えきった街」「青じろい季節」など。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選評

江戸川乱歩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
  江戸川乱歩賞選考委員  荒  正人
              江戸川乱歩
              大下宇陀児
              木々高太郎
              長沼 弘毅

 江戸川乱歩賞は昭和二十九年十月、江戸川乱歩の還暦を機会に設定され、翌三十年度より毎年贈賞をつづけている。この賞はその前年度において探偵小説界に顕著な業績を残した個人又は団体に贈られるたてまえで、贈賞はシャーロック・ホームズ青銅像、副賞は金五万円である。
 第一回の昭和三十年度には「探偵小説辞典」など評論考証にすぐれた業績のあった中島河太郎氏に、第二回昭和三十一年度には、ハヤカワ・ポケット・ミステリー叢書の大量出版により探偵小説の新しい読者層を開拓した早川書房社長早川清氏に贈賞したが、第三回昭和三十二年度からは既成作家と新人とを問わず広く書下し長篇探偵小説を募集し、われわれ五人の委員が選考に当って、その第一席当選者に賞を贈り、さらにこれを講談社より単行本として出版、その印税を作者に支払うという条件をつけることとなった。
 その第一回募集は本年三月末に締切り、応募作九十六篇を慎重に選考した結果、五名の委員全員一致で仁木悦子さんの「猫は知っていた」を当選作と決定した。贈賞式は九月二十八日、選考委員、講談社代表、日本探偵作家クラブ幹事、新聞雑誌記者など数十名列席のもとに、日活国際会館シルバー・ルームにおいて行われ、病身の仁木悦子さんは兄さんに伴われて出席、江戸川乱歩より本賞、副賞を贈呈し、各委員は選考の感想を述べ、仁木さんの前途を祝福した。講談社はただちに当選作の印刷に着手し、ここに装釘をこらして世に送られることとなったのである。
 『猫は知っていた』は、いわゆる本格探偵小説であって、謎のデータを一つ一つ提出し、これを論理的に解いて行く型の作品である。応募規定は「本格と変格を問わず」となっているので、もしほかに犯罪心理小説、犯罪社会小説などのすぐれたものがあれば、この作は当選しなかったかもしれないのだが、そういうものもなく、また謎と論理の作品はこれに及ぶものがなかったのである。
 英米にすぐれた女流探偵作家が多いのに反し、日本には僅かに一、二の女流をかぞえるのみで、それらの作家も論理性に富むおわゆる本格探偵小説は、ほとんど書いていないのである。仁木さんは、その従来全くなかったものを掲げて現われた。大きなトリックには必ずしも創意はないけれども、こまかいトリックや小道具の扱い方に、女性らしい繊細な注意が行きとどいていて、その点ではアガサ・クリスティを思わせるほどのものがある。文章も平易暢達で、病院内部の描写は、選者たちを驚かせたほどにも的確であった。
 仁木さんはまだ若い女性であるが、幼時カリエスを病み、それ以来ずっと寝たきりの生活をつづけている。学校へも行かず、兄さん(東大出、心理学専攻)の行きとどいた家庭教育を受け、これほどの教養を身につけたのである。それらの珍しい条件がジャーナリストを刺激したのであろう、仁木さんの当選が発表されるや、各新聞、週刊雑誌、婦人雑誌などがこれを大きく取りあげ、病床の仁木さんの写真をデカデカと掲げて、その略歴と日常生活を紹介した。中にもAP通信社がこれを取材して世界に流したのは特記すべき出来事であった。また、本が出版されないまえに、数社から映画化の申込みがあり、すでに映画化は決定しているのである。
 われわれ選考委員はこの入選作に予想以上の反響があったことを喜び、日本には珍しい女流探偵作家の登場を心から祝福するものである。
  昭和三十二年十一月
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荒正人選考経過を見る
  江戸川乱歩賞選考委員  荒  正人
              江戸川乱歩
              大下宇陀児
              木々高太郎
              長沼 弘毅

 江戸川乱歩賞は昭和二十九年十月、江戸川乱歩の還暦を機会に設定され、翌三十年度より毎年贈賞をつづけている。この賞はその前年度において探偵小説界に顕著な業績を残した個人又は団体に贈られるたてまえで、贈賞はシャーロック・ホームズ青銅像、副賞は金五万円である。
 第一回の昭和三十年度には「探偵小説辞典」など評論考証にすぐれた業績のあった中島河太郎氏に、第二回昭和三十一年度には、ハヤカワ・ポケット・ミステリー叢書の大量出版により探偵小説の新しい読者層を開拓した早川書房社長早川清氏に贈賞したが、第三回昭和三十二年度からは既成作家と新人とを問わず広く書下し長篇探偵小説を募集し、われわれ五人の委員が選考に当って、その第一席当選者に賞を贈り、さらにこれを講談社より単行本として出版、その印税を作者に支払うという条件をつけることとなった。
 その第一回募集は本年三月末に締切り、応募作九十六篇を慎重に選考した結果、五名の委員全員一致で仁木悦子さんの「猫は知っていた」を当選作と決定した。贈賞式は九月二十八日、選考委員、講談社代表、日本探偵作家クラブ幹事、新聞雑誌記者など数十名列席のもとに、日活国際会館シルバー・ルームにおいて行われ、病身の仁木悦子さんは兄さんに伴われて出席、江戸川乱歩より本賞、副賞を贈呈し、各委員は選考の感想を述べ、仁木さんの前途を祝福した。講談社はただちに当選作の印刷に着手し、ここに装釘をこらして世に送られることとなったのである。
 『猫は知っていた』は、いわゆる本格探偵小説であって、謎のデータを一つ一つ提出し、これを論理的に解いて行く型の作品である。応募規定は「本格と変格を問わず」となっているので、もしほかに犯罪心理小説、犯罪社会小説などのすぐれたものがあれば、この作は当選しなかったかもしれないのだが、そういうものもなく、また謎と論理の作品はこれに及ぶものがなかったのである。
 英米にすぐれた女流探偵作家が多いのに反し、日本には僅かに一、二の女流をかぞえるのみで、それらの作家も論理性に富むおわゆる本格探偵小説は、ほとんど書いていないのである。仁木さんは、その従来全くなかったものを掲げて現われた。大きなトリックには必ずしも創意はないけれども、こまかいトリックや小道具の扱い方に、女性らしい繊細な注意が行きとどいていて、その点ではアガサ・クリスティを思わせるほどのものがある。文章も平易暢達で、病院内部の描写は、選者たちを驚かせたほどにも的確であった。
 仁木さんはまだ若い女性であるが、幼時カリエスを病み、それ以来ずっと寝たきりの生活をつづけている。学校へも行かず、兄さん(東大出、心理学専攻)の行きとどいた家庭教育を受け、これほどの教養を身につけたのである。それらの珍しい条件がジャーナリストを刺激したのであろう、仁木さんの当選が発表されるや、各新聞、週刊雑誌、婦人雑誌などがこれを大きく取りあげ、病床の仁木さんの写真をデカデカと掲げて、その略歴と日常生活を紹介した。中にもAP通信社がこれを取材して世界に流したのは特記すべき出来事であった。また、本が出版されないまえに、数社から映画化の申込みがあり、すでに映画化は決定しているのである。
 われわれ選考委員はこの入選作に予想以上の反響があったことを喜び、日本には珍しい女流探偵作家の登場を心から祝福するものである。
  昭和三十二年十一月
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大下宇陀児[ 会員名簿 ]選考経過を見る
  江戸川乱歩賞選考委員  荒  正人
              江戸川乱歩
              大下宇陀児
              木々高太郎
              長沼 弘毅

 江戸川乱歩賞は昭和二十九年十月、江戸川乱歩の還暦を機会に設定され、翌三十年度より毎年贈賞をつづけている。この賞はその前年度において探偵小説界に顕著な業績を残した個人又は団体に贈られるたてまえで、贈賞はシャーロック・ホームズ青銅像、副賞は金五万円である。
 第一回の昭和三十年度には「探偵小説辞典」など評論考証にすぐれた業績のあった中島河太郎氏に、第二回昭和三十一年度には、ハヤカワ・ポケット・ミステリー叢書の大量出版により探偵小説の新しい読者層を開拓した早川書房社長早川清氏に贈賞したが、第三回昭和三十二年度からは既成作家と新人とを問わず広く書下し長篇探偵小説を募集し、われわれ五人の委員が選考に当って、その第一席当選者に賞を贈り、さらにこれを講談社より単行本として出版、その印税を作者に支払うという条件をつけることとなった。
 その第一回募集は本年三月末に締切り、応募作九十六篇を慎重に選考した結果、五名の委員全員一致で仁木悦子さんの「猫は知っていた」を当選作と決定した。贈賞式は九月二十八日、選考委員、講談社代表、日本探偵作家クラブ幹事、新聞雑誌記者など数十名列席のもとに、日活国際会館シルバー・ルームにおいて行われ、病身の仁木悦子さんは兄さんに伴われて出席、江戸川乱歩より本賞、副賞を贈呈し、各委員は選考の感想を述べ、仁木さんの前途を祝福した。講談社はただちに当選作の印刷に着手し、ここに装釘をこらして世に送られることとなったのである。
 『猫は知っていた』は、いわゆる本格探偵小説であって、謎のデータを一つ一つ提出し、これを論理的に解いて行く型の作品である。応募規定は「本格と変格を問わず」となっているので、もしほかに犯罪心理小説、犯罪社会小説などのすぐれたものがあれば、この作は当選しなかったかもしれないのだが、そういうものもなく、また謎と論理の作品はこれに及ぶものがなかったのである。
 英米にすぐれた女流探偵作家が多いのに反し、日本には僅かに一、二の女流をかぞえるのみで、それらの作家も論理性に富むおわゆる本格探偵小説は、ほとんど書いていないのである。仁木さんは、その従来全くなかったものを掲げて現われた。大きなトリックには必ずしも創意はないけれども、こまかいトリックや小道具の扱い方に、女性らしい繊細な注意が行きとどいていて、その点ではアガサ・クリスティを思わせるほどのものがある。文章も平易暢達で、病院内部の描写は、選者たちを驚かせたほどにも的確であった。
 仁木さんはまだ若い女性であるが、幼時カリエスを病み、それ以来ずっと寝たきりの生活をつづけている。学校へも行かず、兄さん(東大出、心理学専攻)の行きとどいた家庭教育を受け、これほどの教養を身につけたのである。それらの珍しい条件がジャーナリストを刺激したのであろう、仁木さんの当選が発表されるや、各新聞、週刊雑誌、婦人雑誌などがこれを大きく取りあげ、病床の仁木さんの写真をデカデカと掲げて、その略歴と日常生活を紹介した。中にもAP通信社がこれを取材して世界に流したのは特記すべき出来事であった。また、本が出版されないまえに、数社から映画化の申込みがあり、すでに映画化は決定しているのである。
 われわれ選考委員はこの入選作に予想以上の反響があったことを喜び、日本には珍しい女流探偵作家の登場を心から祝福するものである。
  昭和三十二年十一月
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木々高太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
  江戸川乱歩賞選考委員  荒  正人
              江戸川乱歩
              大下宇陀児
              木々高太郎
              長沼 弘毅

 江戸川乱歩賞は昭和二十九年十月、江戸川乱歩の還暦を機会に設定され、翌三十年度より毎年贈賞をつづけている。この賞はその前年度において探偵小説界に顕著な業績を残した個人又は団体に贈られるたてまえで、贈賞はシャーロック・ホームズ青銅像、副賞は金五万円である。
 第一回の昭和三十年度には「探偵小説辞典」など評論考証にすぐれた業績のあった中島河太郎氏に、第二回昭和三十一年度には、ハヤカワ・ポケット・ミステリー叢書の大量出版により探偵小説の新しい読者層を開拓した早川書房社長早川清氏に贈賞したが、第三回昭和三十二年度からは既成作家と新人とを問わず広く書下し長篇探偵小説を募集し、われわれ五人の委員が選考に当って、その第一席当選者に賞を贈り、さらにこれを講談社より単行本として出版、その印税を作者に支払うという条件をつけることとなった。
 その第一回募集は本年三月末に締切り、応募作九十六篇を慎重に選考した結果、五名の委員全員一致で仁木悦子さんの「猫は知っていた」を当選作と決定した。贈賞式は九月二十八日、選考委員、講談社代表、日本探偵作家クラブ幹事、新聞雑誌記者など数十名列席のもとに、日活国際会館シルバー・ルームにおいて行われ、病身の仁木悦子さんは兄さんに伴われて出席、江戸川乱歩より本賞、副賞を贈呈し、各委員は選考の感想を述べ、仁木さんの前途を祝福した。講談社はただちに当選作の印刷に着手し、ここに装釘をこらして世に送られることとなったのである。
 『猫は知っていた』は、いわゆる本格探偵小説であって、謎のデータを一つ一つ提出し、これを論理的に解いて行く型の作品である。応募規定は「本格と変格を問わず」となっているので、もしほかに犯罪心理小説、犯罪社会小説などのすぐれたものがあれば、この作は当選しなかったかもしれないのだが、そういうものもなく、また謎と論理の作品はこれに及ぶものがなかったのである。
 英米にすぐれた女流探偵作家が多いのに反し、日本には僅かに一、二の女流をかぞえるのみで、それらの作家も論理性に富むおわゆる本格探偵小説は、ほとんど書いていないのである。仁木さんは、その従来全くなかったものを掲げて現われた。大きなトリックには必ずしも創意はないけれども、こまかいトリックや小道具の扱い方に、女性らしい繊細な注意が行きとどいていて、その点ではアガサ・クリスティを思わせるほどのものがある。文章も平易暢達で、病院内部の描写は、選者たちを驚かせたほどにも的確であった。
 仁木さんはまだ若い女性であるが、幼時カリエスを病み、それ以来ずっと寝たきりの生活をつづけている。学校へも行かず、兄さん(東大出、心理学専攻)の行きとどいた家庭教育を受け、これほどの教養を身につけたのである。それらの珍しい条件がジャーナリストを刺激したのであろう、仁木さんの当選が発表されるや、各新聞、週刊雑誌、婦人雑誌などがこれを大きく取りあげ、病床の仁木さんの写真をデカデカと掲げて、その略歴と日常生活を紹介した。中にもAP通信社がこれを取材して世界に流したのは特記すべき出来事であった。また、本が出版されないまえに、数社から映画化の申込みがあり、すでに映画化は決定しているのである。
 われわれ選考委員はこの入選作に予想以上の反響があったことを喜び、日本には珍しい女流探偵作家の登場を心から祝福するものである。
  昭和三十二年十一月
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長沼弘毅[ 会員名簿 ]選考経過を見る
  江戸川乱歩賞選考委員  荒  正人
              江戸川乱歩
              大下宇陀児
              木々高太郎
              長沼 弘毅

 江戸川乱歩賞は昭和二十九年十月、江戸川乱歩の還暦を機会に設定され、翌三十年度より毎年贈賞をつづけている。この賞はその前年度において探偵小説界に顕著な業績を残した個人又は団体に贈られるたてまえで、贈賞はシャーロック・ホームズ青銅像、副賞は金五万円である。
 第一回の昭和三十年度には「探偵小説辞典」など評論考証にすぐれた業績のあった中島河太郎氏に、第二回昭和三十一年度には、ハヤカワ・ポケット・ミステリー叢書の大量出版により探偵小説の新しい読者層を開拓した早川書房社長早川清氏に贈賞したが、第三回昭和三十二年度からは既成作家と新人とを問わず広く書下し長篇探偵小説を募集し、われわれ五人の委員が選考に当って、その第一席当選者に賞を贈り、さらにこれを講談社より単行本として出版、その印税を作者に支払うという条件をつけることとなった。
 その第一回募集は本年三月末に締切り、応募作九十六篇を慎重に選考した結果、五名の委員全員一致で仁木悦子さんの「猫は知っていた」を当選作と決定した。贈賞式は九月二十八日、選考委員、講談社代表、日本探偵作家クラブ幹事、新聞雑誌記者など数十名列席のもとに、日活国際会館シルバー・ルームにおいて行われ、病身の仁木悦子さんは兄さんに伴われて出席、江戸川乱歩より本賞、副賞を贈呈し、各委員は選考の感想を述べ、仁木さんの前途を祝福した。講談社はただちに当選作の印刷に着手し、ここに装釘をこらして世に送られることとなったのである。
 『猫は知っていた』は、いわゆる本格探偵小説であって、謎のデータを一つ一つ提出し、これを論理的に解いて行く型の作品である。応募規定は「本格と変格を問わず」となっているので、もしほかに犯罪心理小説、犯罪社会小説などのすぐれたものがあれば、この作は当選しなかったかもしれないのだが、そういうものもなく、また謎と論理の作品はこれに及ぶものがなかったのである。
 英米にすぐれた女流探偵作家が多いのに反し、日本には僅かに一、二の女流をかぞえるのみで、それらの作家も論理性に富むおわゆる本格探偵小説は、ほとんど書いていないのである。仁木さんは、その従来全くなかったものを掲げて現われた。大きなトリックには必ずしも創意はないけれども、こまかいトリックや小道具の扱い方に、女性らしい繊細な注意が行きとどいていて、その点ではアガサ・クリスティを思わせるほどのものがある。文章も平易暢達で、病院内部の描写は、選者たちを驚かせたほどにも的確であった。
 仁木さんはまだ若い女性であるが、幼時カリエスを病み、それ以来ずっと寝たきりの生活をつづけている。学校へも行かず、兄さん(東大出、心理学専攻)の行きとどいた家庭教育を受け、これほどの教養を身につけたのである。それらの珍しい条件がジャーナリストを刺激したのであろう、仁木さんの当選が発表されるや、各新聞、週刊雑誌、婦人雑誌などがこれを大きく取りあげ、病床の仁木さんの写真をデカデカと掲げて、その略歴と日常生活を紹介した。中にもAP通信社がこれを取材して世界に流したのは特記すべき出来事であった。また、本が出版されないまえに、数社から映画化の申込みがあり、すでに映画化は決定しているのである。
 われわれ選考委員はこの入選作に予想以上の反響があったことを喜び、日本には珍しい女流探偵作家の登場を心から祝福するものである。
  昭和三十二年十一月
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候補作

[ 候補 ]第3回 江戸川乱歩賞   
『背徳の街』 飛鳥高 (『疑惑の夜』として刊行)
[ 候補 ]第3回 江戸川乱歩賞   
『お天狗様の歌』 土屋隆夫 (『天狗の面』として刊行)