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1958年 第4回 江戸川乱歩賞

1958年 第4回 江戸川乱歩賞
受賞作

ぬれたこころ

濡れた心

受賞者:多岐川恭(たきがわきょう)

受賞の言葉

読者のみなさんへ

 この小説に登場する典子や寿利は私のアイドルです。私は書いている間中、彼女たちといっしょになって悲しんだり喜んだりしていました。私の創造したこれらの少女たちが、この本を通じてみなさんの胸の中にも住むのだと思うと、作者である私は激しい喜びを感じます。みなさんの中には、ちょうど典子や寿利のような若い方たちもいられることでしょう。どうぞみなさんは、私の小説の語ったところから、みなさん自身の典子、寿利を育ててやってください。

作家略歴
1920~1994
北九州市生れ。東京大学卒。
毎日新聞社に勤めていた一九五三年、白家太郎名義の「みかん山」で「宝石」の懸賞に入選。五八年には多岐川名義で長編「氷柱」を刊行し、翌五九年に「濡れた心」で江戸川乱歩賞を受賞した。同年発表の「落ちる」ほかで直木賞も受賞。「私の愛した悪党」ほか多彩な推理小説のほか、SFや時代小説など作品多数。協会の常任理事などを務めた。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選評

江戸川乱歩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
報告と感想

選考報告
 講談社に集まった江戸川賞応募作品を四つに分けて、中島河太郎、渡辺剣次、黒部竜二、村山徳五郎の四君に予選をお願いした。四君は、十二分に探偵小説観賞力を持っている上に、毎年各種の賞の予選委員をやっているので、充分信頼できる人々であるが、その四君とも、今年はよい作がなかったという感想を漏らしていた。ある委員などは、自分の読んだ中から一篇出すけれども、これが他の作に伍し得るかどうかと心配していた。偶然よい作の集まった委員は二作でも三作でも推薦してもよいのだが、誰もそれをしなかった。皆辛うじて一作を選び得たので、二作以上を残すことなど思いも及ばなかったという。こうして、各予選委員から一作ずつ、都合四篇が五人の選考委員に廻されたのである。
 さて、九月十六日夜、赤坂「清水」で選考委員会が開かれ、五委員全員出席、四篇を読んだ感想を述べあったが、全体に甚だ不評であった。今年は「入選作なし」とした方がよいという説が多かったほどである。しかし、話し合っているうちに、やはり、いろいろな意味で、入選作を出す方がよいという結論になった。
 その席で、私は甚だ甘い点をつけたが、昨年の仁木悦子さんの「猫は知っていた」を八〇点として、その標準で採点したという委員があったので、私もそれに準じて各作の点数を十点ずつ減らした。次に五委員の点数を表示する。「猫は知っていた」を八〇点とするという意見が出たけれども、必ずしも全員がその標準によったわけでもないらしく、点の辛い人も甘い人もあったが、順位については全員ほとんど同意見である。

作品江戸川木下木々長沼
多岐川恭「濡れた心」5070604060280
志保田泰子「哀傷日記」4060503050230
朝吹賢司「黒百合はなぜ咲いた」3060302040180
佐世保太郎「天に代りて不義を討つ」2550402025160


私の選評
 前の表は私の点が飛びはなれて高いが、「猫は知っていた」を八〇点とすれば、「濡れた心」に七〇点ぐらいは認めるのである。同じ作者の「氷柱」よりも、私はこの方を採る。
 「濡れた心」は探偵味は稀薄である。真相は少女自身の告白によってわかり、刑事の推理は真相がわかってから、つけ加えられるにすぎないので、推理興味は甚だ弱くなっている。しかし、近年の探偵小説は、内外とも、推理興味は従で、他の面白味の方が勝っている作風が多くなっているのだから、この作も少女同性愛という特殊のテーマを買うべきであろう。少女らしいロマンチックな同性愛感情はよく描かれていると思う。それがくどすぎるという説が多かったが、あのくどさをあっさりさせてしまったら、かえって見劣りする作品になるのではないかとも考えられる。
 次点作の「哀傷日記」は警察が主人公を参考人として呼び出し、初対面の巡査が捜査の秘密を全部うちあけて協力を求めるのは唐突すぎる。巡査が一目で恋愛に陥ったとしても、場合によっては、容疑者になるかもしれないし、また容疑者の味方であるかもしれない女性に、平気で捜査の秘密を知らせるのはおかしいのである。
 私のメモには、ほかに次のようにしるしてある。「作品の裏から犯人がのぞいていない」「サスペンスが乏しい」「推理がない。巡査が突然指摘するだけで、あとの説明はあるが、論理的な面白味がない」「動機がロマンチックすぎて納得しにくい」等。「濡れた心」の場合は少女の世界だからロマンチックでよろしいが、この作は大人の世界だからロマンチックすぎるのである。
 「黒百合」は多くの委員は悪達者だというので低い点を与えたが、私はそれほど「悪」達者とも感じなかった。私のメモには欠点としてこう書いてある。「ゼロ殺人の動機不充分。にせ作家がばれるよりも、二人も人を殺す方がずっと罪が重く不利である。全体に主人公の行為が納得できない」
 「天に代りて」はレベルに達していない。筋も無理で退屈だし、文章も小説の文章ではない。
 結局、多岐川恭君を入選とするほかなかったが、この人は「氷柱」ですでに世に知られているので、今更ら受賞しても、大してプラスにならず、新人発掘の主旨にも添わないのだが、といって、次点作を入選とするには各委員とも難色があり、「当選作なし」も淋しいというので、議論をつくした末、「濡れた心」入選と決定したのである。
(「宝石」一九五八年十一月号)
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荒正人選考経過を見る
新しい文章の魅力

 こんどの江戸川乱歩賞は、多岐川恭の「濡れた心」に決った。私は、この決定を喜んでいる。多岐川さんは、昨年の江戸川乱歩賞で、仁木悦子の「猫は知っていた」と争って、惜しくも破れたという閲歴をもっている。その作品は、「氷柱」と改題されて出版され、好評であった。探偵小説として型破りの点が注目されたのである。私は、この作品の推薦文を書いたが、その後で作者から手紙をもらい、野心の一端を知った。「氷柱」は、いわば習作にすぎず、作者は、もっと本格的な計画をもっているということであった。それが早くも、こんどの作品となって実を結んだのである。作者は、新聞記者という忙しい仕事をもっているらしいが、そのあいまに、よくこれだけの長篇を書きあげたと、感心のほかはない。探偵小説を書くことが、好きでたまらぬのかもしれぬ。
 多岐川さんは、「氷柱」とこんどの「濡れた心」の二作で、立派な探偵小説作家になったのである。いずれ、新聞記者はやめて、独立した探偵小説作家になることと思う。「濡れた心」の成功は、そのはずみになるであろう。
 「濡れた心」は、日記体で書かれているが、文章が平明で、しかも一種の魅力を備えている。新しい文章だと思う。他の応募作品の文章が余りにひどかったせいか、特に目立っていた。また、素材の一つとして扱われている若い女性の同性愛も、余り嫌味なく書けている。この作品の成功の半分ぐらいは、この点にあるように思う。探偵小説というと、謎解きだけで、妙に骨ばったものが多いが、作者はそれを避けて、ふくらみを与えている。同性愛をこれだけ書けるのは、確かに一つの才能である。むろん、同性愛は添えもので、探偵小説としての事件の展開、謎の提出、その解説という道筋も、まちがいなく進めている。本格ものの愛好者の渇を癒すだけの内容を、たしかにもっている。本格ものは、ともすれば、無理に無理を重ねた組立てに陥りやすいが、作者はそれを避け、大人の読者が読んでも余り不自然をかんじさせないように仕上げている。むろんこまかく見てゆくと、これはどうかなと思わせるようなふしも二三ないではないが、それも余り気にならずに、最後まで読み通してしまう。息づまるような謎解き小説ではないが、最後まで面白くて読んでしまう。最近探偵小説を読みはじめた人にも面白いが、長年読みふけってきた人にも、やはり面白い。日記の形式でこれだけ書きこなしているのは、感心のほかない。今後、この作家が、どういうふうに仕事をすすめてゆくか、それも興味をそそられる。必ず立派な仕事をして、私たちの期待を裏切らぬであろう。
 「猫は知っていた」につづいて、この作品の現れたことを、心から喜びたい。
(「宝石」一九五八年十一月号)
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大下宇陀児[ 会員名簿 ]選考経過を見る
乱歩賞選考感想

 候補作品は四篇とも、手を入れないこのままの形だったら、昨年度の候補作品に劣っているといっていいだろう。
 その中で「濡れた心」以外の作品については、多くを言いたくない気持がある。作者を傷つけたくないからだが、どれも作者がずいぶん苦心したものにはちがいなく、その苦心が十分に実らなかったのは残念である。概していうと、無理な設定が多すぎる。ほおっておいても死ぬとわかっている人間を毒殺したり、そのまた毒がアドルムだったり、女がコンクリートで固めたところを掘り起したり、という工合である。中には、探偵小説の悪いところばかりを集めて書かれたような作品もあり、通読するのが苦痛だったほどだ。
 そういう欠点の、いちばん少ないのが、私の見たところでは「濡れた心」だったということになる。
 欠点は、作者の手で、改められることを強く私は期待する。
 欠点を別にしていえば、女の同性愛を取扱った点が面白く、これは書きすぎるくらいに書かれている。文章がある程度うまいから、強いて探偵小説にしないで、同性愛だけをテーマにした小説であった方が、よかったのではないかと思うくらいだが、それでは乱歩賞の対象にならないから、どうもしかたがないのだろう。探偵小説だとすると、同性愛についての描写が、長くてくどい、という非難も出てくる。
 探偵小説というものは、それだけにむつかしいのである。
 採点してみて、私は、仁木君の「猫は知っていた」を八〇点と仮定して、「濡れた心」には六〇点を入れた。
 つまり、数字的には、二割五分ほど劣っている、ということになる。
 作者が手を入れて、その二割五分を消し、昨年以上の作品にしてくれれば、勿論問題はないし、またそのままで活字になったにしても、それはそれで意味があることと思う。二割五分劣った作品でも、乱歩賞にはなるということが知れると、それくらいならおれも書くぞ、という意慾を、新しく持つ人もあるだろう、と思うからである。
 最後にいうと、「濡れた心」の作者には、期待をもつことができる。素質は十分にある人だ、と私は思うのである。
(「宝石」一九五八年十一月号)
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木々高太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
やっと一つあった

 今度の乱歩賞は、読んでゆくうちにいよいよ失望し、実は委員会に出る時には受賞作なしという意見で出た。
 もっとも読んだうちでは、一篇だけ及第点(六十点)を与えてもよいものがあったが、他の三篇は、いずれも、僕は二十点、三十点しか与えられない。
 委員会に出てみると、不思議にこの順位は誰もほぼ同じであった。ただ点のつけ方は、僕は僕流に遠慮なく落第点をつけたのは、一に、乱歩賞をどのような賞と考えるかできまる。
 芥川賞や直木賞の場合には、遠慮なく受賞作なしを宣するから賞が重んぜられるので、江戸川乱歩賞をそういう最高賞にするか、そうでなく、とも角探偵小説を奨励する役目を果さしめればよい、とするかで、委員各々考えが異なるのであろう、八十点、七十点という点をつけていた人もある。
 さて然し、僕は、委員会で話しあっているうちに、とに角一篇だけとり度い、と考えるようになった。というのは、第三回、仁木悦子にしても、理想作ではなかったが、ベスト・セラアになっている。
 そこには、やはり一種の意味がある、とすれば、今度の多岐川「濡れた心」でもよい――と、だんだんに考えて来たので、あれがもっと短時間で切りあげる委員会だったら、そうはならなかったかも知れない。
 「濡れた心」などという題は、あまり好ましくない。もっと何か具体的の題、例えば「プール殺人事件」でもよいし、いっそのこと「同性愛殺人事件」としてよい。それで種がわれるかというと、決してそういうことはなかろう。
 他に、これをすっかり書き改めたらよいものになろうというのがあった。「哀傷日記」という女の人の書いたもので、それは京都の或るお寺の生活で、それは取り上げたら、批判もあるし、珍らしくもある。そこにつけ込んで殺人がおこり、一挙に人はその世界に顔をむけさせられるというのであればおもしろい。
 ところが惜しい哉、胃出血が月経代償だったりする不合理が出てくる。その女と警察官とすぐに恋仲になるなどというのも、おかしい。事実あったことならずっと実感がなくてはならぬ、というような点で、おしい材料を三十点ものにして了っている。
 この作家に改めて小説を勉強させ、これを書きなおすことは出来ないか。
 さて、他の二篇には何も言い度くない。来年度はすばらしいものを見度い。よければ最大限にほめ度いのが僕なのだから。
(「宝石」一九五八年十一月号)
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長沼弘毅[ 会員名簿 ]選考経過を見る
乱歩賞選考後記

 今回は、総体的に、作品内容が、すこぶる貧弱であった。この程度のものに、乱歩賞を授けることがいいか悪いかが、当然、問題にされた。賞の品位をさげるのではないか、優秀な作家は、がっかりして、今後、応募しなくなるのではないか、いや、この程度のものでも授賞できるなら、じぶんでもやれるという奨励的効果があるだろう等々、議論百出の形であったが、発足以来、日の浅い乱歩賞を、今年は授与しないというのは、歯の抜けたような空白感を与えて面白くない、ここは、ひと奮発すべきであるという一種の妥協案に落着いた。選考委員のすべてのひとの気が重かったことだけは、はっきりさせておきたい。従って、多岐川君の当選作のごときも、一種の奨励賞とご承知願いたい。
 候補にあがった四篇を通じていえることは、文章の稚拙、構成の粗莫という一語につきる。プロット上の見落し、不自然さのないものは一作もなかったことは、こころ細い。つぎに、各作について、寸言をのべておこう。
 「黒百合(朝吹賢司)――じぶんの職業上手馴れた領域に足をいれているので、安定感がありそうなものだが、これが逆に作用して、安易に流れ過ぎ、一種、悪達者なところを露呈している。のみならず、謎が謎にならぬようなところがあったり、ひとり呑み込みのところがあったりする。また、脱獄犯人など、なんのための人物か説明不足のところなどがある。「動機のない犯罪」ということに酔っている節もある。
 「天に代りて」(佐世保太郎) ――これは、まだ原稿を売物にできるひとではない。プロットも未熟、陳腐不自然だが、それよりもなによりも、用字用語の勉強から練り直すこと。
 「哀傷日記」(志保田泰子) ――京都の生活が馴染んでいること、尼さんの生活の内幕をいくらか知っていること、女性らしい観察や感傷を盛り込んでいることなど、相当の取柄があり将来見込みのない作家ではない。しかし、もう少し、「ていねいな仕事」をされることを望みたい。例えば会話のごとき、東京弁と関西弁が、やたらにまじったりしているのは、それだけで大減点ものである。また、刑事が捜査上の秘密を、いきなり初見の女性にベラベラしゃべってしまうこと、その女性が途端にその刑事と結婚してしまうことなど、大人の芸とはおもわれない。もう一回、慎重に書き直して見ることを、おすすめしたい。
 「濡れた心」(多岐川恭) ――一応の才能のある作家、「氷柱」より、この作の方が上であるという意見の委員もいた。文章もまずまずだが、じぶんのスタイルに満悦してはいけない。プロット上の不自然、不用意は、残念である。しかし、前記三作に比較すると、一番整っている。
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選考委員

候補作

[ 候補 ]第4回 江戸川乱歩賞   
『哀傷日記』 志保田泰子
[ 候補 ]第4回 江戸川乱歩賞   
『黒百合はなぜ咲いた』 朝吹賢司
[ 候補 ]第4回 江戸川乱歩賞   
『天に代りて不義を討つ』 佐世保太郎