1999年 第45回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
格好いい小説を書きたい。それだけを思っていた。
完全無欠のヒーローではない。傷つき悩み、転んでは立ち上がりぼろぼろになりながらも前に進もうとする男―そんな人間を主人公としたハードボイルドが、私の書きたいものだった。
ところで私はテレビでコメディアンを見ると、つい笑顔の裏にある陰の部分を想像してしまう。彼らは傷を負い悩みながらもひた隠し、ちりぢりの心で客を笑わせているのではないか。
もしそうだとすれば、それこそ正に私の求めるハードボイルドだと気付いた。
今作品の主人公は元コメディアンである。舞台で人を笑わせ続けてきた男が素顔になったとき、そこに現われるはずの傷跡を描きたかった。さらに相方という、友情とはまた違ったもので結ばれた男たちの絆が描ければ、格好いい小説になるに違いないと思った。
執筆を進めるうち、私は望んだ世界を自分の中から作り出す快感を得た。これがあればこそ、小説を書くという極めて孤独な作業に耐えられたのかもしれない。
この作品は、自分自身ではっきり好きだと言える初めての小説である。そして、その作品で受賞できたことを、たいへん嬉しく思う。
私はこれからも小説を書き続けていく。書きたいものは、やはり格好いい小説だ、
あのとき得られた快感を何度でも味わいたいからだ。
- 作家略歴
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1965~
神奈川県生れ(本籍は東京)。立教大学中退。
旅行会社を退社後、三年半の放浪生活のかたわら応募原稿を書き続け、一九九九年「八月のマルクス」で第四十五回江戸川乱歩賞を受賞。お笑い芸人が探偵役でも志向はハードボイルドで、学校教師を主人公にした受賞第一長編「もう君を探さない」も好評を博した。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度江戸川乱歩賞は、一月末日の締切りまでに応募総数二八九篇が集まり、予選委員(池上冬樹、大森望、関口苑生、原田裕、山前譲、吉野仁の六氏)により最終的に左記の候補作五編が選出された。
<候補作>
マルクスの恋人 新野 剛志
そして、僕はいなくなった。 木村 千歌
うじ虫の災厄 首藤 瓜於
落日の使徒 奈津 慎吾
ダブル・トラブル 堂場 瞬一
この五編を六月二十二日(火)「福田家」において、選考委員・赤川次郎、大沢在昌、北方謙三、皆川博子、宮部みゆきの五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる審議の結果、新野剛志氏の「マルクスの恋人」を授賞作に決定。授賞式は九月二十二日(水)午後六時より帝国ホテルにて行われる。閉じる
選評
- 赤川次郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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無条件で推せるものがなく、かなり意見が割れた。
私は最も面白く読んだのは「そして、僕はいなくなった。」である。タイトルからして展開が読めてしまうという弱点はあるものの、テンポのいいストーリー運び、各キャラクターがくっきりと眼前に浮かぶ筆力はエンターテイメントとして充分に楽しめるものだった。似た設定の書き手がいるということで、他委員の賛同を得られなかったのは残念。
受賞作の「マルクスの恋人」は、私にはその良さがよく理解できない。入り組んだ、よく考えられたプロットだと思うが、読後にも真相の筋が見えて来ないのは、むだな会話や説明が多すぎるからだと思う。これからは「削る」ことも作家にとって必要だという目で自作を見直してみてはどうだろう。
誰にも真似のできない新しさという点で一番印象的だったのは「うじ虫の災厄」である。刑務所を出た男の日常を淡々と描いて、一種の凄味まで感じさせるが、後半でペースが崩れ、その破綻が大きすぎた。
「ダブルトラブル」は長編にしてはあまりにプロットが単純すぎた。著者のよく知っている世界だけに、書きすぎないことが大切だ。「落日の使徒」は、弁護士経験者らしい完全犯罪(?)ものだが、登場人物が記号のようで、生きていない。ドラマの肝心の軸が抜け落ちて、ゲーム風の部分だけが残った印象。
今回の選考では、「読者を楽しませるための語り口の面白さ」にあまりに無頓着な作品が目についた。
同じ話でも、語り口次第でもっと分りやすく、面白くなるのに、としばしば首をかしげてしまった。いい意味での「けれん味」をもっと学んでほしいと願わずにいられなかった。閉じる
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回は、私が選考に加わった四回の乱歩賞において、最も低調な年であったといわざるをえない。また四回の間、候補作の中に一本も本格推理傾向の作品が含まれなかったという事実は、新人賞における極端な分化の表われなのかもしれないが、正直、残念な気持である。本格推理が決して低調ではないと思えるミステリ界にあって、これはいびつな現象である。
さて、各候補作についてだが、「落日の使徒」は、会社乗っとりとそれに伴う裁判について、作者は弁護士の経歴を生かした作品に仕上げてはいる。だが情報を小説として昇華しきっていない。AとBの会話において、両者の心理描写が頻繁に挿入されるなど、基礎的な問題点が目立ちすぎた。また物語があくまでも一方が描いたシナリオ通りに進み、おもしろみに欠けている。
「ダブルトラブル」には、現場の新聞記者のリアリティが刻まれている。しかしそれを除けば、話はあまりに単純で怪しいと思った人物がやはり犯人だったというのでは、作者の努力が足りないとしかいいようがないだろう。
「そして、僕はいなくなった。」は、候補作中、最も欠点が少ない作品である。本作が書籍化され書店に並んでいたとしても違和感はない。しかし異次元スリップのプロットが目新しいものではなく、むしろ平凡に見えたことで作者は損をした。もしこうした大技をつかうなら西澤保彦氏の諸作に比肩しうるような知恵を絞るべきだろう。結果、軽い作品との印象のみしか残らなかった。
「うじ虫の災厄」は、独特の表情を持つ作品である。しかし主人公が物語中唯一(唯二か)、感謝と尊敬を抱く二人の人物が実は事件の黒幕というのは、かえってわかりやすすぎる。この作者の筆はエンターテインメントには不向きなのかもしれない、と
も思った。カタルシスのない物語が、エンターテインメントに不向きだとはいわないが、物語作りにもう少し大胆さがあってもいい。
「マルクスの恋人」は、候補作中、最もその文章に私は好感を持った。芸能界を「罠」によって去らざるをえなかった男の屈折が滲み、バー「ホメロス」の描写など、秀逸である。だが犯人の造形には不満をもった。この人物に殺人を実行するだけの体力、気力は果してあるだろうか。読者を納得させるには、ぎりぎりの線であったろう。ただテレビ局や芸能プロダクションなどの描写には、距離感があり、作者のセンスを感じた。そのセンスを買い、私は本作を推した。閉じる
- 北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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接戦であった。これは、他を圧した作品がなかった、ということを意味する。
『ダブル・トラブル』は、生きのよさが感じられない。ミステリーとしては類型であり、新聞記者が主人公であるということにも、特段の必然性や新鮮さはない。全体に臨場感が乏しい中で、緑川という刑事に存在感があったのが、救いであった。
『落日の使徒』は、スピーディで軽く読めたが、厳しい争闘を描く力量に達していない。二者の能力の差が歴然とした闘いで、専門的な法知識が、逆にマイナスに作用している。近年、専門知識を生かす応募作が増えているが、知らない者にもリアリティと説得力を持たなければ、小説では生きないと思う。
『うじ虫の災厄』は、沈んで平明なモノトーンという印象であり、それが持続すれば、いっぷう変った作品になったと思う。細部に妙なリアリティがあり、それは小説の力になっていた。殺人が惜しい。特徴的な主人公の性格描写が、ここで崩れた。善人らしい二人が極悪人というのもパターンである。そういう点を克服すれば、いいところに行くと思う。
『マルクスの恋人』は、緻密に考えられた小説だったが、むしろそれがスピード感を欠く結果になった。もうひとつ、謎を解明しようという主人公が、どうも停滞気味で感情移入がしにくい。そういう点を除けば、輻輳した人間関係の中での物語の展開は、なかなか読ませるものを持っていた。読後も悪くなく、筆に勢いがついた時が愉しみである。
『そして、僕はいなくなった。』は、アイデアは新鮮だと感じたが、私の偏狭な読書の中での印象らしく、最近の傾向ではめずらしくない発想のようだった。細部は非常にうまい。悪達者と紙一重のところで留っている。今後が、大いに期待できると思ったが、瑞々しさを失わないでいて欲しいと思う。
後者三本が残り、挙手で決まった。授賞作には、いつも強運がついている。閉じる
- 皆川博子[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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四回、乱歩賞の選考をつとめ、のべ二十作を読み、候補作の多くが、体験、あるいは取材によって得た情報の伝達のみに偏りすぎていると感じました。体験に基づいて書けば、確かに、その部分の情報量は多く、正確で、珍しい情報であれば読者の興味をひくこともできます。けれど、情報はうまく溶かしこまないと、小説の面白さが浮かび上がりません。
また、受賞作はかならずしも、これから応募なさる方が手本にすべき最良の作というわけではないのです。選考委員は、新鮮な作を待っています。
想像力と創造力を十分に使ってください。『ダブル・トラブル』『落日の使徒』に、情報に頼りすぎる弊が強く出ていました。
弁護士の経歴を持つ方によって書かれた『落日の使徒』は、一方の側にあまりに都合よく万事がすすみすぎ、葛藤のドラマが生じません。読者にはわかっていることを文中で繰り返すため、テンポがだれます。
新聞記者の作者による『ダブル・トラブル』は、身代金受渡しの杜撰さと横から奪うものの関係に、読者はまず目をつけます。金の運搬役と横取りしたものとの共犯関係を、探偵役より読者のほうが先に疑い、疑ったとおりの結果になるのでは、ミステリの面白さはゼロです。
『そして、僕はいなくなった。』は、交換殺人、パラレルワールドへの転移、ともに古くから使われている手法です。先行の逸品もあります。敢えて使うからには、工夫を凝らした先行の作品とは別の、何らかの魅力が必要になります。
『うじ虫の災厄』は、主人公の性格設定とその描写は抜群でした。残念なことに最後になって急に乱れます。この傷が大きすぎました。
『マルクスの恋人』は、目に余る傷は他の作品に比して少ないものの、ある重要な人物の描き方が説得力に欠けますし、構成にもっとめりはりが必要だと思いました。閉じる
- 宮部みゆき[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年から初めて選考に携わりましたが、最終候補の五作品とも、全体にまとまってはいるのだけれどおとなしいな、という印象を受けました。受賞作の『マルクスの恋人』も、新人の応募作らしい強い意気込みや、ユニークな個性という点では少し寂しい感じを受けてしまいました。
ユニークという点では、『うじ虫の災厄』はなかなか魅力的な作品で、とりわけ冒頭から四分の一あたりまでは素晴らしく、文章表現もみずみずしくて、強く惹かれるものを感じました。惜しむらくは、ラストの着地にかかるあたりから物語がゴタゴタすることです。また、この作品では、やはり主人公には絶対に人殺しをさせてはいけなかったと思います。
『そして、僕はいなくなった。』は、完成度、読みやすさ、読者へのサービス精神という点では、いちばん良い作品だったと思います。パラレル・ワールドものというジャンルのなかの一作品だと考えるにしても、物語設定のオリジナリティという点で物足りないものを感じたこと、ライトな作風でありながら読後感が良くないことがひっかかってしまい、強く推せなかったのは残念です。
『ダブル・トラブル』と『落日の使徒』は、どちらも、厳しい表現ですが、まだ小説になっていないという感想を持ちました。作者はお二方とも職業的な専門知識や経験のある方ですから、とてももったいない気がします。物語世界や、登場人物と作者自身との距離を、どうやって目測し定めるか――これは、職業作家になってからもつきまとう難しい問題ですが、大切なのは、やはり“冷静で客観的な読者としての目”を、どこかにキープしておくことではないでしょうか。
『マルクスの恋人』には、最初、タイトルで騙されました。こちらではなくあちらのマルクスかと思ったのです。よくまとまっている作品ですし、何より楽しめました。初読の際、主人公が少しカッコ良すぎないか?と感じましたが、最終的には、受賞に異議を唱えるほどの瑕疵ではないと判断しました。閉じる
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第45回 江戸川乱歩賞
- 『そして、僕はいなくなった。』 木村千歌
- [ 候補 ]第45回 江戸川乱歩賞
- 『うじ虫の災厄』 首藤瓜於
- [ 候補 ]第45回 江戸川乱歩賞
- 『落日の使徒』 奈津慎吾
- [ 候補 ]第45回 江戸川乱歩賞
- 『ダブル・トラブル』 堂場瞬一