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2000年 第46回 江戸川乱歩賞

2000年 第46回 江戸川乱歩賞
受賞作

のうおとこ

脳男

受賞者:首藤瓜於(しゅどううりお)

受賞の言葉

   光栄ある後衛として

 うっかりした軽はずみで書いた小説が過分なお褒めをいただいた、などというキザな意味ではなく、小説家としてやってゆく覚悟もないまま、選考委員の先生方のファンであるという、いわばストーカー的心理で書いた拙稿が、このような伝統と格式のある巨大な賞を受けたことで、その結果先方様のご様子などかえりみず、才能ひしめく世界に遮二無二押しかけ、静謐な雰囲気をいたずらに乱すようなことになってしまったのではないかと恐縮するばかりです。
 むろん己の非力非才は己自信がいちばんよく知っていて、私の名前など早晩消えてゆく運命でしょうがないが、しかし、実のところ拙作がひとたび乱歩賞受賞作として刊行されれば、本の末尾にはかならず歴代受賞者と作品名がならぶわけでありまして、近い将来刀折れ矢尽きて敗退しようとも、あたらしい乱歩賞作家が世にでるたびに、私の名は第四六回受賞者として末席につらなるわけで、これは「おいしい」といわざるをえません。
 目の前にはるかに遠く白い道がつづいているだけで、あまりの心細さに茫然とするばかりですが、わが国最大の推理小説部門の新人賞の光栄ある後衛として、精進してゆきたいと思っています。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

選考経過を見る
 本年度乱歩賞は、一月末日の締切りまでに応募総数三六四編が集まり、予選委員(池上冬樹、大森望、関口苑生、原田裕、山前譲、吉野仁の六氏)により最終的に左記の候補作五編が選出された。

候補作
 escape―エスケープ―    大司 海
 フェンス          松浦茂史
 カーティス・クリークの畔で 三浦明博
 脳男            首藤瓜於
 鋼の使命          宮崎 連

 この五編を六月二十二日(木)「福田家」において、選考委員・赤川次郎、逢坂剛、北方謙三、北村薫、宮部みゆきの五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる審議の結果、首藤瓜於氏の「脳男」に決定。授賞式は九月二十二日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。
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選評

赤川次郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 「脳男」の受賞は順当な結果である。
 候補作の中で、唯一、独自の世界と文体を持った作品だった。ユニークなキャラクターと、その成長過程を辿っていく展開にはミステリー的な感興がある。
 ただ、人名があまりに現実離れしていること、後半、特にクライマックスは映画風の展開になってしまうのが残念。あくまで活字ならではの面白さを貫いてほしかった。けれども、この個性的な世界は貴重なものであろう。
 「フェンス」は沖縄という舞台の空気感は出ていたが、その風土と内包する問題をエンターテインメントの中に取り込むには筆力不足だった。
 「カーティス・クリークの畔で」は、マニアックな釣りファンには面白いのかもしれないが、全く釣りを知らない読者にも、その楽しみが伝わらなくては、小説として世に出せない。展開が一本調子なのも単調な印象を与える。
 「エスケープ」はまだ小説以前の問題として、自分が何を書きたいのか、分かっていない。ストーリーはあってもドラマがない。
 シュワルツェネッガーの映画を連想する「鋼の使命」はアクション場面の連続で、ゲームのような印象である。人間を書き込むのに、もっとページを使うべきだ。
 今、ミステリーの幅は広がっているが、こういうRPGのようなアクションものまで乱歩賞の対象になるのだろうか?疑問を覚えた。
 全体として、魅力的なキャラクターが見当らないこと、語り口の工夫に乏しいことが残念だ。候補者たちに、こう訊いてみたい。
 「あなたは小説を読んで感動したことがありますか?」
 なぜ、小説を書きたいのか、考えてほしい。
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逢坂剛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 『エスケープ』厳しいようだが、この作品はミステリーになっていないし、小説にもなっていない。文章、日本語に対する感性が、あまりにも鈍い。誤字、脱字、ワープロの変換ミス、浮いた饒舌と、悪い点しか浮かばない。これは小説以前の問題で、最終候補に残したことに問題があるだろう。作者にはむしろ気の毒だったかもしれない。これだけ酷評されて、もしまだ小説を書こうという意欲が残っているなら、こちらもその挑戦を受けて立つ。ほんとうに作家になりたいなら、それくらいの気概をもってほしい。
 『フェンス』沖縄を舞台にした、明確なテーマをもつ作品である。にもかかわらず、それを伝える技術にまだ難がある。自分の主張を伝えるのに、これほど話を複雑にする必要があったのか。意余って力足らず、としか言いようがない。むだな描写や内省が多く、物語に疾走感がない。主語を明示しない文章は、いったいだれの視点で書かれた独白なのか分からず、読み手を困惑させる。そうした点も含めて、今少し小説技術を磨いてほしい。
 『カーティス・クリークの畔で』釣竿に関する薀蓄はなかなかのものだが、小説の素材として十分に昇華されていない。登場人物の執念が、実感として伝わってこない。探偵役が分散して、感情移入できない欠点もある。ミステリーの形式、ルールをもう少し勉強してほしい。文章は読みやすいが、それだけでは賞はねらえない。
 『脳男』もっともしっかりした文章の小説だが、読点が極端に少ないためにリズムが取りにくく、読むのに苦労する。着眼点もキャラクターもおもしろいのだから、もう少し読みやすさを考えて書いてほしい。女性精神科医が活躍する部分は、精神医学の知識も十分に盛り込まれて興味深いが、茶屋というハードボイルドな刑事が出てくると、とたんに話がマンガ的に崩れてしまう。マスコミの動きを無視した事件の展開にも、不自然さが残る。とはいえ、この作者には一つのテーマを追求する粘着力と、物語を作るストーリーテリングの才能が、過不足なく備わっている。受賞にふさわしい佳作である。
 『鋼の使命』この種のゲーム小説は、パソコン画面でお気軽に片付ければいいので、わざわざ活字にする必要はあるまい。ただし、いろいろなキャラクターを書き分けようとする努力、おもしろい物語を書きたいという意欲は、感じ取れる。今後はそこに、知的作業としての小説観をのぞかせてほしい、と注文をつけておく。
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北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 なにを、どのように、なぜ書かなければならないか。それを必ず言葉で把握する必要はないが、書き手はみな思念の底に衝動のようなものとして持っている。それが、多分創造の核とでも呼ばれるもので、読者へのインパクトにもなるものである。そのインパクトが、どうしても不足だと思える作品が多かった。たとえば『エスケープ』や『鋼の使命』は、こんなふうに書きたい、という思いしか伝わってこなかった。読者と作者の間に、自己満足がある。それが、すべての描写を白けたものにしてしまっている。もう一段深いところに、書く動機を置いて欲しいと思う。技術的には、小さくまとまる必要はないが、長篇を構成するための、全体を見る視野を身につけるべきであろう。
 そういう点で『カーティス・クリークの畔で』は、ミステリーを書こうという思いは伝わってくるが、逆に小さくまとまった感がある。登場人物がひとりひとり立ちあがってくるのに、絡み合って幅輳するところがない。ゆえに、薄手のミステリーになった。
 『フェンス』は、昔、自分が信条によって犯した過ちと同じ道を辿ろうとする若者を、躰を張って止めようとする中年男という、物語の背骨の構造が、見えにくい書き方をしてあるのが惜しかった。古い警察小説の匂いもした。いい題材を掴んでいたのに、残念である。次作を期待したい。
 受賞作は、スピード感のある展開で、意志や感情をまったく持たない男の、自我の回復を描いて、きわめて個性的で際立った作品に仕あがっていた。人間性や能力の、欠落と、それと相反する豊かさが、想像上のものだとわかっていても、不思議なリアリティと迫真力を持っていた。その男に対する、ヒロインの女性精神科医が、またいい。茶屋という刑事とともに、作品に輝きを添えた。訓練による適合性と、実際の回復の間にあるブレが、やや結果を曖昧にしたが、それも悪くない。
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北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 それぞれに傾向のまったく違った作品で、ミステリの多様化を実感させてくれた。従って物差しは違ってくるが、まず、『カーティス・クリークの畔で』と『脳男』の二作に絞った。
 前者は、最も古典的な構成の作品であり、よくまとまっている。出発点からゴールまで、安心して歩き、周囲を見回すことのできる道、という感じである。ただ、それだけに奇抜な風景は見られない。バンブーロッドに関する執着が、もっと前面に出た方が、物語は強くなったろう。これに対して『脳男』の個性は強烈だった。架空の都市を設定すると世界全体が軽くなりがちだ。しかし、ここでは全編が、不思議な絵画を見るようであった。主人公、鈴木一郎の造形だけでも一読の価値はある。さらに、それにからむ人物の動かし方、物語の展開なども巧みである。結末については論議がわかれるだろうが、そこも含めて問題作だと思う。
 まったく違う種類の作品ではあるが、さらに進んで一作を選ぶとなれば、『脳男』を採ることに迷わない。
 他の作品は、安定した筆力、強烈な個性の点で、この二作に及ばなかった。『フェンス』には、この物語のどうしても書かねばという志を感じた。しかし、視点の揺れなど、読みにくいところが気になった。選考会で、「犯人側の意図を、もう少し早く明かしてしまった方が小説的には成功したろう」という意見が出たが、まったくその通りだと思う。『鋼の使命』は、テンポよく進み、すらすら読めるが、反面、御都合主義の展開とも思えてしまう。筆者としては承知の上でやっていることであろうが、視覚的に魅力のある素材であればあるほど、それを文章化し読ませることは難しい。『エスケープ』は恭子をもっとよく書き込めば、読者を引き付けられたろう。全体に若さが感じられ、そこが魅力でもあり、欠点でもあった。
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宮部みゆき[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 色とりどりの五作が集まった最終選考でした。そのなかで、受賞された首藤さんは、昨年も最終候補に残り、新野さんの受賞作『8月のマルクス』と競って、惜しいところで受賞を逸した方です。実はその際、二対二に評決が割れ、五人目がどちらに手をあげるかで決定――という局面で、その五人目に巡り合わせてしまったのが私でした。
 でも、今年最終候補に残ってきた『脳男』を読んで、前年に涙を呑んてもらい、もう一年頑張ってもらって良かったと、心の底から喜びました。二段階特進ぐらいで上手くなっているだけでなく、ご自身の色というものを、昨年の候補作の時点よりも、よりしっかりと把握してこられたと思います。受賞作として広く読まれれば、突き放したようなラストについては、読者の意見も分かれることでしょうが、わたしはこれがベストのラストだと思いました。おめでとうございます。
 『カーティス・クリークの畔で』と『フェンス』は、『脳男』の強烈な個性とぶつかったことで、かなり損をしたと思います。ただ、『カーティス――』は、本来フーダニットに向かないお話を、強いフーダニットにしたことで、いたずらに登場人物が増え、事件は小さいのに話の核がわかりにくくなっていましたし、『フェンス』は、作者の沖縄に対する強い愛情と思い入れが、かえって作品の間口を狭くした感がありました。お二人とも力のある書き手だと思いますので、惜しいところです。気落ちせずに、題材や形式を選ぶところから、またスタートしてみてください。捲土重来を期待しています。
 『エスケープ』と『鋼の使命』は、それぞれに良い意味でも悪い意味でも映画的な作品でした。でも、映画の魔法と小説の魔法は手順が違います。同じ呪文では同じ効果は発見しないのです。それを踏まえた上でどうすればいいか、もう一度じっくりと考えてみていただけないでしょうか。
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選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第46回 江戸川乱歩賞   
『escape―エスケープ―』 中田周
[ 候補 ]第46回 江戸川乱歩賞   
『フェンス』 松浦茂史
[ 候補 ]第46回 江戸川乱歩賞   
『カーティス・クリーク』 三浦明博
[ 候補 ]第46回 江戸川乱歩賞   
『鋼の使命』 宮崎連