2003年 第49回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
初めて作品に自信が持てたのは、今回の応募原稿が仕上がったときだった。同時に自分には才能などなかったこと、努力だけでここまできたことにも気づいた。
候補に残ったときには、努力が報われたという気持ちで胸が一杯になった。選考会当日までの長かった一ヵ月、「今年が無理でも、来年は絶対に取る」と何度も自分に言い聞かせた。選考会が始まり一時間が過ぎた頃、何の根拠もなく今年取れると思い込んだが、電話が鳴った途端その確信も揺らいだ。騙されているような気分で受賞の知らせを聞き、以後現実感がないまま時が過ぎた。記者会見で受賞の言葉を述べる段になり、初めて実感がこみあげてきた。涙を堪えたら、言葉までが出なくなった。
それから一週間が経過し、漸く日常を取り戻しつつある。あのとき言葉に出来なかったことをここに記したい。
まず、このような最高の形でスタートが切れたことを、選考委員を始め応募原稿を読んでいただいた全ての方に感謝したい。
本作品の『面白さ』については自信を持っているが、幅広い年齢の読者に支持される作家に成長していくために、今後さらに精進を重ねていきたい。
最後に、無謀な夢を追い続けていた私を暖かく見守ってくれた多くの方々、特に作品についての貴重なアドバイスをいただいた友人の大木雅晶氏に心よりお礼の言葉を述べたい。
ありがとうございました。
- 作家略歴
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1967.5.1~
大阪大学経済学部卒
代表作:
『マッチメイク』
趣味・特技:
特筆すべきものはなし
受賞の言葉
ひとつの事件を中心として、多くの家族がそれにかかわっていく。
犯人の家族、被害に遭った家族、濃淡の差はあるものの、何らかの形で事件にかかわったそれぞれの登場人物が、家族の絆と事件の傷あとや感慨の間で生きていく姿を見据えたミステリーを書いてみたい。そう考えて筆をとりました。
総合病院から新生児がさらわれた身代金目的誘拐事件。
そして二十年後、窓際に追いやられていた新聞記者が、ある事情から、その解決済みの事件の真相に迫っていく――長編小説二作目、文章も小説作法もよく分からぬまま書き綴ったこのミステリーが予選を通過し、江戸川乱歩賞という重みのある賞を受賞できたことに、驚きとともに望外の喜びを感じています。選んでくださった予選や最終選考の先生方には、御礼の言葉も思いつかないほど感謝しています。
わたし自身は四十七歳。
このミステリーの主人公とはほぼ同年齢。
受賞者の平均年齢が比較的高いとされる江戸川乱歩賞の中でも、高年齢の方に入ると思いますが、今回の受賞を糧にして、長く生きてきた分だけの、深みのあるミステリーを書いてゆきたいと考えています。
丁寧な作りで、味わいのある作品を残していくことだけを考えて、書きつづけたいと思います。
- 作家略歴
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1955.9.17~
早稲田大学政治経済学部卒業
(株)ニッポン放送入社
平成15年、第49回江戸川乱歩賞受賞
代表作:
「翳りゆく夏」
趣味・特技:
囲碁、ギター、ゴルフ
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度江戸川乱歩賞は、一月末の締切りまでに三百五十六編の応募があり、予選委員(香山二三郎、新保博久、村上貴史、三橋暁、横井司、吉田伸子)により、最終的に左記の五編が候補作として選出された。
〈候補作〉
マッチメイク 不知火京介
Shift 佐藤 仁
犯意 櫻木 そら
パドックにて 税所 隆介
二十年目の恩讐 赤井 三尋
この五編を、五月二十三日(金)午後三時より、第一ホテル東京において、選考委員の井上夢人、逢坂剛、北方謙三、北村薫、乃南アサの五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる審議の結果、不知火京介氏「マッチメイク」と赤井三尋氏「二十年目の恩讐」を本年度の江戸川乱歩賞と決定した。授賞式は九月十九日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。閉じる
選評
- 井上夢人[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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プロレスというものについて、私は全く無知なのだが『マッチメイク』の読後、ついプロレス中継をどこかでやっていないかテレビ欄を探してしまった。そういう気持ちにさせてくれたのは、今回の候補作中、この作品が唯一だった。細かく見れば勇み足的なものを感じさせる部分もあるが、なによりも作品にパワーがあり、読者を物語に惹き込む誘導がきちんとなされている。授賞は当然の結果だったと思う。
『翳りゆく夏』は、丁寧に書き上げられた秀作だと思う。ただ、その一方で、登場人物の行動が作者の都合によって割り当てられていると感じられる部分が、誘拐事件のあちこちに存在している。小説における「現在」が実に丹念に造り上げられているだけに「過去」の造りの粗さが気にかかった。ただ、この作者がプロとしての充分の資質をお持ちだという意見に異存はなく、授賞に賛成した。
『Shift』は、独特の小説世界を描いていて、私としては、そのムードを心地よく読ませてもらった。しかし、他の選考委員からこの作者の前年の候補作と小説がほとんど同工異曲だと聞き、考えを改めざるを得なかった。小説の技術においても、かなり冗漫な「説明小説」に終始していることも問題点の一つだろう。
『パドックにて』は、小説に幼さを感じた。人物の設定にせよ、物語の組み立てにせよ、ほとんどが漫画的なパターンによって書かれている。どこかで読んだり見たりしたものを集めてきて組み合わせたという印象が、最初から最後まで拭えなかった。
『犯意』には首を傾げた。この小説には決定的な欠落がある。それは「小説が閉じていない」ということだ。事件を結末まで描くべきだという意味ではない。小説そのものが閉じていない。作者はこのエピローグを書きたかったのかもしれないが、だとすればもっと充分に作品を練り上げる必要があると思う。閉じる
- 逢坂剛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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『Shift』の作者は、知っていることや調べたことを、詰め込みすぎるきらいがある。むろん、小説を書くときに取材や調査は必要だが、それらを全部作中に生かそうとすると、ストーリー展開のリズムが崩れてしまう。パチスロ、覚醒剤、ソープランド、エイズ、ピッキングと、作者がいろいろなことに詳しいのは分かるが、その説明が物語に溶け込んでいない。ペダンチックな〈日本語の講釈〉も、ここまでくると少々いやみになる。死というものの重みを考えることに、もっとエネルギーを費やしてほしい。
『犯意』は、テレビのリポーターに対する第三者の談話のようなスタイルで、小説が始まる。この手法は、だれの視点で書かれているのか分からないために、読み手に混乱を与える。それが最後にきて、ある人物の手記だということが明らかになるのだが、その間に小説スタイルの記述が混入したりするため、きわめて読みにくい。構成の失敗だろう。全体に平板で、感情移入できる登場人物がいないせいか、物語の推進力に欠ける。キャラクター造型に、もう少し工夫をしてほしい。
『パドックにて』は、競馬を巡って登場人物が動く構成になっているが、なぜそれが競馬でなければいけないのか、よく分からない。作者の思い入れが、空回りをしている。留守電のテープに残された声を手掛かりに、あてもなく不特定多数の中から容疑者を探す、という設定自体がリアリティに欠ける。真犯人を断定するくだりも、論理的根拠に乏しい。読みやすい文体で書かれているものの、登場人物の行動におしなべて説得力がないのが、致命的だった。
そのような次第で、選考会ではこれら三作がまず対象外に去り、高得点で並んだ『マッチメイク』と『翳りゆく夏』に、選考が絞られた。前者は、乱歩賞では前例のない、プロレス・ミステリー。後者は、巧みな伏線を張り巡らされた、乳幼児誘拐小説。
ともに、タイプがまったく異なる佳作であり、二作授賞ということになった。閉じる
- 北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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私は、『犯意』に最高点をつけた。選考会で賛同が得られない予測はついたが、きわめて小説的な連環と必然がよく描かれていると思った。小波を連続させながら、全体に大きなうねりがあるのは、物語のツボを掴みかけているのではないかと感じる。ただ、まだ稚拙で生硬である。期待点と思って欲しい。
『Shift』は、人それぞれが人生の変化(シフト)に到る小説だということはわかった。しかし、小説の発想が安直である。カラ回りも多いし、なによりもパチスロの記述がうるさい。調べたものを、すべて生かそうとしないことだ。
『パドックにて』は、殺人と殺意がいくつも交錯して、読む側に徒らな負担をかける。私と相京の友情関係もいささかオーバーで、したがって復讐の情念にも暗い迫真力がない。全体に、さまざまな動機や状況を組み合わせ、パドックという場所に集約するという発想が、アイデア倒れであった。競馬が、象徴的な意味を有するほど昇華されてもいない。
受賞作の二本は、実に対照的であった。
『翳りゆく夏』は、無難で、きちんとした構成で書かれ、安心して読める。武藤の描き方にちょっとひっかかったが、ほかに気にかかるところはなかった。ひとつだけ言わせて貰えば、減点法で一位になる作品という感じがあり、今後はそのあたりで冒険した作品を試みたいと感じた。
『マッチメイク』は、プロレスがうまく取り入れられている。小説の中でこういうものを生かすには、力量が必要であろう。門番のレスラーとともに、筋肉を作る描写など、圧巻であった。門番のレスラーがまたいい。最後の部分のドタバタは、無理にミステリーを貫こうとしたせいではないか。こだわらず、格闘小説などにも挑戦したらいいと思う。
二作受賞だが、合わせ技ではない。対照的でありながら、ともに賞の水準に達している。今後の競い合いを期待したいと思う。閉じる
- 北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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『翳りゆく夏』を一位とした。全ての発端となる報道については首をかしげざるを得ない。人権意識の高い今日、いかに美談の形でとりつくろったにしろ、大手週刊誌が、こういう記事を載せるだろうか。しかし、そこから始まる捜査は、善意に支えられているだけに、好感を持てる。物語は、終始、手堅く展開する。自殺する若手カメラマンなど、端役に至るまで、一筆で、しかし過不足なく描かれている。ラジオ局の様子その他、背景となる世相に関する細部の調べも、幅広く手落ちなくなされていて、物語に厚みを加えている。万全の準備をし、満を持して書いた作であろう。
ただ、重要なある登場人物の語る部分に、子を奪われた両親への思いが一言もないのが気になる。煩悶がなかったはずはない。他にも、物語の流れが当然、要求していながら、書かれていないところがある。そういう細部は簡単に加筆できるし、作品全体の価値は、このままで十二分に乱歩賞に価すると思う。
これとまったくタッチの違う『マッチメイク』も楽しく読み、次点と考えた。そこまでわからないはずはないだろう?――と突っ込みたくなるほど純朴な主人公が、実に見事に描かれている。作者が「そういうふりをさせている」といういやらしさが、まったくない。心地よい素朴さが、生き生きと伝わってくる。丹下や本庄といった脇役も見事に生きている。殺人の様子はわかりにくいが、その手段としたあるものによって、被害者の人柄を浮かび上がらせるところなどうまい。
この二作が投票の結果、高いレベルで同点となった。共に捨てがたく、同時受賞となるよう希望した。
『パドックにて』は、二人の男を車の車輪のように描き、『犯意』は特異な冒頭から独特な構成を見せ、『Shift』も個性的な舞台と語り手を登場させ、それぞれに魅力的ではあった。しかし、上位二作には惜しいところで及ばなかった。閉じる
- 乃南アサ[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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作品から著者のエネルギーが感じられるか、その物語が、きちんとした「人間」の織りなすミステリードラマになっているかが、私にとっての最大の興味だった。
『Shift』は、ソープランドで働く主人公が客に急死されることから始まる物語だが、パチスロ、シャブ、レイプ、聴覚障害、HIV、ストーキング、ピッキングなどなど、話題が盛りだくさんすぎて逆に消化不良を起こし、説得力もリアリティも奪っている。結末まで読ませる力はあるものの、理屈ばかりで人間の描き方が浅薄であることも感情移入を妨げる。ことに女性を描く場合、母子、姉妹、恋人といった関係にせよ、美容整形、レイプ、妊娠などの問題にせよ、もう少し丁寧に考えられた方が良いように思う。
『犯意』は、最後の最後まで主人公が登場せず、それまで数え切れないほどに物語の視点が変わっていくために、まず読み疲れてしまった。果たして主人公は誰なのかという謎の掲示も、趣向の一つだったのかも知れないが、そこに大きな意味は感じられず、成功しているとも言い難い。さらに、その主人公は、父の死の真相を探るために動いているはずでありながら、事件の方にばかり引きずられてしまい、結局は中途半端な形で物語を終えている点も残念だ。父の死そのものと、物語の主軸となる事件とに、もっと説得力のある因果関係が作れていれば、また違った印象になったかも知れない。
『パドックにて』はレイプ・いじめと復讐とが大きなテーマとなった作品だが、それぞれ心に傷を負った二人の男が対をなして織りなすストーリーに、もう一つ新鮮味が感じられなかった。全体として、どうもご都合主義的な印象があり、「偶然」が多く、登場人物たちが「競馬」でつながっているところや、事件解決に「声」が唯一の手がかりとなる点、少年法の扱いなども雑で、どこか陳腐な印象を受けてしまう。さらに、この作品の場合は言葉遣いに大きな欠点があった。「沈黙が落ちる」「目を丸める」などといった表現の間違いが目立ち、また、「ト書き」と小説の違いにも、あまり気づいておられないのではないかという印象を受けた。もう一度、小説というものについてお考え頂きたいと思う。
『翳りゆく夏』は、ミステリーとしての完成度という点では、もっとも優れた作品だったと思う。二十年前に新生児が誘拐されるというところから物語は端を発しているが、ストーリーに目新しさは見えない代わりに、破綻なく丁寧に考えられている。ただ緻密な部分がよく描かれているだけに、逆に警察の誘拐捜査の目に余る杜撰さや、就職が内定した女子大生への新聞社上層部の対応など、現実的でない部分がかえって目立ってしまった印象もある。また、丁寧なあまりに全体から躍動感や新鮮さが失われていること、ことに台詞の部分が、かなり古めかしい印象になっているのが残念だった。
『マッチメイク』は今回の候補作の中で唯一、わくわくさせてくれる作品だった。格闘技でありながらショービジネスとしての側面を持つプロレス界を舞台としている点も新鮮だった。まず、若手レスラーである主人公の、プロセスに対する情熱や若者らしい単純さなどがよく描けていて好感が持てる。丹下という「門番」も魅力的に描かれているし、試合のシーン、トレーニングのシーンも躍動感があって魅力がある。ただ、毒物についての記述に誤りがあったり、被害者の立場や脱税疑惑などといった伏線があまり活かされていなかったり、殺人事件でありながら、不自然なほどに警察を登場させまいとしていたり、主人公と同期である本庄が、都合の良い謎解き役に徹し過ぎていて物語の気分をそいだりと、ミステリーとして見た場合には気になる点がないわけではない。だが、それにも増してエネルギーがあった。作者の眼差しが感じられた。そこがいちばんの強みだった。閉じる
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第49回 江戸川乱歩賞
- 『Shift』 佐藤仁
- [ 候補 ]第49回 江戸川乱歩賞
- 『犯意』 櫻木そら
- [ 候補 ]第49回 江戸川乱歩賞
- 『パドックにて』 税所隆介