2008年 第54回 江戸川乱歩賞
2008年 第54回 江戸川乱歩賞
受賞作
ゆうかいじ
誘拐児
受賞者:翔田寛(しょうだかん)
受賞の言葉
私が最初に就職した職場は、やたらと出張の機会の多いところでした。学生時代から活字中毒だったので、移動中の車中での読書が習慣となったのは当然の成り行きでした。しかも、旅行鞄に携帯する本のジャンルは、いつもミステリー。早めに家を出て、出発する駅近くの書店で本を選ぶのも、お決まりの手順だったと記憶しています。そんなとき、書店の本棚にずらりと並んだ文庫本の中に、キラリと光る本がいくつも目に留まったものです。それが江戸川乱歩賞の受賞作品でした。自分もこんな小説を書いてみたい、そんなことを思うようになったのは、三十歳を過ぎてからだと覚えています。以来、ずいぶん久しい時がたってしまいましたが、ついに念願がかない、感激と感慨、ひとしおです。願わくば、今度は私のこの小説が、出張諸氏の旅の友にならんことを。新幹線の車内で、ローカル線の車内で、見知らぬ人々が拙著を手にしている姿を目にしてみたいと熱望しています。そして、これからも読者が現実を忘れ、ついつい物語世界に引き込まれるような小説を書いていこうと、決意を新たにしたところです。最後に、選考に携わったすべての皆様に、深甚のお礼を申し上げます。そして、わがままな夫の執筆をいつも暖かく見守り続けてくれた妻には、心より、ありがとう。
2008年 第54回 江戸川乱歩賞
受賞作
けつべつのもり
訣別の森(「猛き咆哮の果て」を改題)
受賞者:末浦広海(すえうらひろみ)
受賞の言葉
物語(ストーリー)というものを意識し始めたのは、いつの頃からだろう――。
四十年近く前、小学校に上がる頃から、周りの仲間とともに漫画雑誌を読むようになった。スーパーカー・ブームに火をつけたレース漫画、魔球を繰りライバルと闘い続けるスポ根漫画、子供たちが皆で真似をしたギャグ漫画など、手当たりしだい読みまくった。
そんななか小学四年生のある日、手塚治虫さんの『火の鳥・未来編』と出会った。子供心にもこの本から受けた衝撃は大きかった。こんなに面白い世界があるのかと、この時から物語というものを強く意識するようになったのだろう。高校に入ると本格的に小説を読み始めた。大学生、社会人となり読書量が増えるとともに、自分でも書きたい、物語を作り上げてみたい、との想いが膨らむのは自然な成り行きだった。
とにかく一本書いてみよう。そう思い立ち、手探りのまま書き上げた作品が乱歩賞の二次予選を通過した。もしかすると自分にも目があるのでは、と書き続けるうちにいつの間にか九年もの歳月が経過していた。少しばかり時間がかかり過ぎだが、途中で諦めずによく続けてきたと我ながら思う。
この受賞を機に、ようやく物語を作り出すプロとしてのスタート地点に立つことができる。
一読後、これは面白かった、と読者の皆さんから言ってもらえる物語を作り続けていきたい。
この決意をしっかりと胸に抱き続けることこそが、受賞者に課せられた使命なのだと覚悟を固めた。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度江戸川乱歩賞は、一月末日の締切までに応募総数三三一編が集まり、予選委員(青木千恵、佳多山大地、香山二三郎、杉江松恋、古山裕樹、細谷正充、吉野仁の七氏)により最終的に下記の候補作五編が選出された。
<候補作>
止まり木 新城利之
ハーネス 横関 大
贖罪に鳴る鐘――サグラダ・ファミリア 下村敦史
誘拐児 翔田 寛
猛き咆哮の果て 末浦広海
この五編を五月十六日(金)午後三時より、第一ホテル東京において、選考委員の内田康夫、大沢在昌、恩田陸、天童荒太、東野圭吾の五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる協議の結果、翔田寛氏「誘拐児」、末浦広海氏「猛き咆哮の果て」を本年度の江戸川乱歩賞と決定した。授賞式は九月十九日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。閉じる
選評
- 内田康夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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しばらくぶりに賞の選考に携わった。乱歩賞は初めてだが、他の委員の話を聞いても、今回は粒が揃ったと思う。ただしずば抜けた作品があるかというとそうでもない。受賞作に推した二作も、決して満点というわけではなかったことを言っておく。
『贖罪に鳴る鐘』はサグラダ・ファミリアの建築にまつわる謎を背景にして、個人的には大いに期待したのだが、いささか羊頭狗肉の感がある。ガウディの解説と薀蓄はもう少し割愛できるはず。根本的なことを言えば、ガウディの設計図があろうがなかろうが、建設作業に大幅な変更などあり得ない。このことが最後まで頭に引っ掛かって何か驚異的な解決があるのかと期待していただけに、白紙だったかと知ってがっかりした。
『止まり木』はタイトルの意図がよく分からない。倒叙形式のミステリかと思ったが違った。二つの事件の流れが別々にあって、絡み合いながら大団円に向かうという展開はよく考えられていると感心した。相関図を丹念に描いた成果だろう。ただし、それを成立させるあまりのご都合主義に白けてしまった。
『ハーネス』は盲導犬訓練センターの話はそれなりに面白く読めたが、その関係の話が冗長すぎる。三年前の事故で婚約者と愛犬を失ったという事件の真相が予測できてしまうのが物足りない。事故を起こした赤いスポーツカーを警察が特定できないとか、警察への通報電話がたまたま犯人の知人が取るなど、ご都合主義が目立つこともいただけない。
『誘拐児』はよく練られていて、人情味のある物語になっているのだが、警察の動きのもたつきや、刑事と記者の連携がボヤけてしまうなど説得力がない。死亡届など戸籍の問題はどう解決したのか、よく分からない。書留郵便のカラクリもはたして成立するかどうか微妙だ。これらの点を修正すれば、かなりいいセンいくかもしれない。
『猛き咆哮の果て』はドクターヘリ、自衛隊、知床の自然環境保護問題などを巧みに絡めており面白く、最高点をつけた。登場人物それぞれの役割配分にも行き届いた配慮がなされている。ただし作為が過ぎるあまり、ご都合主義に堕した点がある。とくに不自然なのは上官が部下に自動小銃の盗み出しを依頼すること。憎いエゾシカを殺すにしてもかなり無理ではないか。そういった細かい条件設定が精査された上での創作なら立派。構成力、文章力もあり、最上級の作品だと思う。
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- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回、候補作の水準は上がっていた、と思う。それぞれ個性をもつ作品がそろっていた。しかし受賞に至る切り札をもっていたか、となると、どこか決め手に欠ける恨みもあった。
『止まり木』は、文章力、という点では候補作中、随一だった。ときに重すぎる表現もあるが、筆はプロレベルである。問題は、プロットを濃密にしすぎたことだろう。おわってみたら、全登場人物が、事件関係者というのでは、作り過ぎの感をぬぐえない。ことに川田の妻殺しの真犯人が、ヒロインと呼んでよい人間であったことは、驚きよりもむしろ徒労感を読む者に与えてしまう。ミステリーに「自然さ」を求めるのは不自然かもしれないが、書ける方だけに、あえてそういう難癖をつけてみたい。
『ハーネス』は、今年で候補三度目となる方の作品で、さすがに物語の運びは手慣れている。過去二作では、真犯人とその動機にあまりにリアリティがないことが致命傷となった。今回、そうした欠点は消えている。がその結果、物語がひどくこぢんまりとしてしまい、読者をひっぱる驚きに欠けてしまった。作者にしてみれば、じゃあどうすればいいんだ、という気持かもしれない。冷酷なようだが、選考会に「こうしろ」という答えはない。がんばって下さい。としかいいようがない。
『贖罪に鳴る鐘――サグラダ・ファミリア』の作者も、去年につづいて候補となられた方だ。スペインを舞台に若い女性を主人公として書くことにこだわられているようだが、残念ながらその手法は昨年と同様、成功しているとはいえない。何より、ひとりとして思慮深い登場人物がおらず、全員の行動が短絡的であることが、物語の魅力を失わせている。
ガウディという題材に作者はふり回されてしまったのではないか。
『猛き咆哮の果て』は、候補作中、プロットに最もスケール感があり、それが受賞につながった。が、主人公をとり巻く主要登場人物の行動原理が読者に伝わりにくい、という欠点があった。冒険小説に分類される作品ではあるが、作者は今後、より情念のこもった文章を書けるよう、精進していただきたい。
『誘拐児』は、昭和三十六年という舞台を描いて、無理を感じさせない実力に、まず可能性を感じた。人物のだし入れがうまく、読んでいて飽きさせない。作者はすでに本を何冊かだされているだけあって安定感がある。一方で、現代を舞台にしたら果たしてどれだけ書けるだろうか、という疑問も残った。
地味であることは欠点ではない。だが読者を驚かそうという意欲は、ミステリーを書く限り、もっていていただきたいと思う。
お二人の今後の活躍を期待している。おめでとうございました。閉じる
- 恩田陸[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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乱歩賞という賞は、全国一斉ロードショー公開できるような、「大きい」作品を求めていると思うので、自主映画みたいな作品は困る。賞の性格や自分の作品の資質について、送る前に一考してほしい。今年は技術的にも内容にもあまり差はなかったと思う。ただ、皆タイトルがひどすぎる。もう少し自分の作品に愛を込めてタイトルを付けてほしい。「登場人物を多くしすぎるな」とどこの小説教室でも言われているせいか、少ない登場人物がみんな過去で繋がっているという設定が多かった。『止まり木』は、どう考えても短編のタイトルだ。内容ともあんまり関係がない。無理なく最後まで読めたし筆力はあると思う。でもこの話はやはり短編である。二つの話の流れがあるが、接点はあるものの、乖離してしまっている。『ハーネス』もタイトルがあまりにもそっけない。うまいし読みやすいが、去年と同じく平均点以上のものになっておらず、すべて話が予想通りの展開で、そこから一歩も出ていないのが残念。『贖罪に鳴る鐘』、去年は闘牛場面など素晴らしい描写があったのに、今年はすべて説明文となってしまった。暗号や動機など工夫も見られるだけに、もったいない。何より、去年いちばん不自然だったヒロインが今年もまた主人公だったのが解せない。『誘拐児』、手堅い筆力で、時代の雰囲気にも読者がすんなり入っていけるし、登場人物にも個性と生彩がある。しかし、入口の大きさに比べて話が小さい。冒頭の身代金受け渡しの場面に期待したのだけど、どんどん地味に、身の周りの話になっていってしまう。謎解きの部分が分かりにくかった。『猛き咆哮の果て』は、最もスケール感があって目に情景が浮かんだし、自然保護、ドクターヘリとタイムリーなテーマを扱っているので興味深く読んだ。描写のうまいところと陳腐なところとかなりムラはあるが、登場人物に魅力を感じた。受賞作二作、どちらもとことんブラッシュアップして、書き続けて下さい。閉じる
- 天童荒太[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回は筆力のある候補作がそろった。情景描写や状況を的確に伝える表現力、資料を小説化する技術など、全員が書く力を持っていた。だが、小説の根幹をなす部分にいたると、急に作劇の粗さや思慮の浅さがあらわになるのも問題点だった。各作品に共通した弱点に、偶然の多様もある。偶然は物語における重要な潤滑油だが、幾度も重ねれば当然リアリティを失う。ことに物語の根幹をなす箇所を偶然に頼ると、読者は興ざめる。「ここまで書けるのになぜ……」と、繰り返し吐息をつく選考となったのは残念だ。
『止まり木』は冒頭が面白く、期待して読みはじめた。書く力は十分持っており、書くことが好きという大切な資質も感じる。だがあまりに偶然を多様し過ぎ、魅力を失った。
『ハーネス』は資料を小説化する力を持っているし、ドラマ的な展開が軽快に読ませる。だが肝心の謎の作り込みに隙が多い。乱歩賞である。核心の謎に厚みを持たせてほしい。
『贖罪に鳴る鐘』はいわばガウディ・コード。構えは壮大、スペイン事情も面白く読める部分がある。だが壮大な謎を構築する肝心のリアリティの積み上げ方に弱点が多かった。
『誘拐児』は候補作中、最も文章が長けている。人と人との関係の機微だけでなく、人とモノとの間の機微までが書ける。大人の書き手を感じさせた。何より優れたエピソードを作れる力が受賞の決め手となった。小説の豊かさとは、エピソードの豊かさでもある。
『猛き咆哮の果て』はドクターヘリの描写が巧みで、冒頭から引き込まれる。伏線を巧みに引けるし、ディテールの書き込みも緻密。面白く物語る力は、頭ひとつ抜けていた。
ただし受賞作となった二作とも、先に書いたように肝心の部分で弱点が散見される。その修正が授賞の条件である。詳しくは書かない。読者の手元に届くときには、歴代の乱歩賞作品にひけをとらぬ秀作として、存分に楽しませてくれると信じられる才能だからだ。閉じる
- 東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考委員は苦手なので大抵辞退するのだが、これだけは断るわけにはいかなかった。私自身が二十年以上前に受賞しているからだ。ただし選考に関わるにあたって、大沢理事長に確認したことがある。それは、「該当作なし」という結論が出る可能性はあるのか、それとも事実上ないのかということだった。理事長の回答は「可能性はあるが、自分としては極力避けたい」というものだった。そこで私は、「必ず受賞作を出す」という心構えで候補作を読み、選考に臨んだ。したがって多少の欠点には目をつぶり、長所を探し出すという読み方になった。その方針は正しかったと思っている。あら探しをしながらの読書など、つまらないものだからだ。候補作すべてを楽しく読めた。本当はそれだけで終わりたいのだが、受賞作を決めるためには優劣をつけねばならない。そこはやはり辛かった。
『止まり木』
文章は達者だし、人物を描くのもうまい。しかしストーリーを進めるのに偶然を多用しすぎている。意外な結末にも単なる偶然、しかもありえないような偶然を使っているものだから、読者としては白けてしまう。ただし平凡な夫妻が亡き母を密かに火葬しようとするあたりまでは抜群に面白く、その時点では「これで決まりだ」と確信していた。もう少しシンプルな構造で書いてみたらどうだろうか。
『ハーネス』
何度か候補になっている方なので期待して読んだが、序盤で首を傾げることになった。殺人の疑いで兄が逮捕されている最中、盲導犬の訓練士にカムバックしようとする主人公の神経が理解できない。カムバックが兄の無実を晴らすことに繋がる、ということなら抵抗がなかった。事件自体やその真相が盲導犬と本質的に無関係だという点にも不満が残った。だがこの作者の人間を見る目には温かみがある。文章もうまい。犯罪を絡ませなくてもミステリは書けるということを知ってほしい。
『贖罪に鳴る鐘――サグラダ・ファミリア』
この作品も『ハーネス』と同様に主人公の行動に感情移入できなかった。たとえ不仲でも、殺人の容疑がかかった父親が行方をくらましているとなれば、近所の家庭内暴力に心を痛めている場合ではないはずだ。壮大な謎が、ごく身近な範囲だけで解決されてしまうのも拍子抜けだし、面白く読めた部分がガウディに関するエピソードのみ、というのでは高い点をつけるわけにはいかなかった。しかし異国の文化を咀嚼し、それを生かしたストーリーを練り上げようとする姿勢は素晴らしい。
『誘拐児』
すでにプロとしてデビューされている方の作品だけに、文章、ストーリー、人物描写、すべてが安定している。殺人事件を追う刑事、自分の出自を探ろうとする主人公、いずれの行動にも不自然さが少なく、物語世界に入り込みやすかった。場面転換も巧みで、読者を飽きさせない。だがもちろん不満はある。御自身も作中で指摘しておられるように、刑事たちの捜査が奏功したのは偶然の結果だ。こういう部分は、やはり読者の共感を得にくいだろう。また本作には誘拐事件の重要な証拠が小道具として登場するが、犯人がきちんと処分しないこと自体おかしいという指摘は当然だろう。頭ひとつ出ているということで推したが、圧勝ではない。
『猛き咆哮の果て』
読み終えた時点では最低点だった。文章は荒いし、無駄な描写が多すぎる。そのくせ肝心なところを、まるで粗筋のように書き飛ばしている。とても受賞圏内ではないと思った。だが候補作すべてを読み終えたところで振り返ってみると、最も印象に残っているのだ。広大な北海道を舞台に、ヘリコプターを飛ばし、バイクを走らせ、ついでに狼も走らせる。文章は荒いが、情景が浮かんでくるのは事実で、その情景に魅力があった。反面、人間が描けているとはお世辞にもいえない。登場人物たちは、全員が変人に見える。まともなのは狼だけである。変人たちが物語をぶっ壊しそうになるのを狼が辛うじて支えた、そういう作品なのだ。悩みに悩んだが、才能が開花することを期待し、授賞に同意した。閉じる
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第54回 江戸川乱歩賞
- 『止まり木』 新木利之
- [ 候補 ]第54回 江戸川乱歩賞
- 『ハーネス』 横関大
- [ 候補 ]第54回 江戸川乱歩賞
- 『贖罪に鳴る鐘――サグラダ・ファミリア』 下村敦史