2009年 第55回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
「空想で作文して、投稿し、その上賞金をもらうなんて、なかなかできることじゃない」
ちょっと胸を張った。
「よほどの変わり者じゃなきゃ、できることじゃない」
え?
「常々、常識を知らねえ変わり者だとは思っていたが、まさか、そこまでの変わり者だとは思わなかった」
ちょっとへこんだ。
私の周りには立派な人たちが大勢いる。
酔って火の見櫓に登って大騒ぎをし、引きずり降ろそうとした警官の頭に小便した人。朝、バスに乗り遅れそうになり、服を小脇に抱え、裸のままバスに飛び乗った人。バーで脱糞し、顔を出せなくなった人。インターネットは五台持っているが、パソコンはまだ持っていないと言って、機械音痴の人たちから尊敬されている人。等々。
私はこれ等の立派な人たちに、常識とやらを教えられている。お返しに、いつか彼らを作中に登場させたいと目論んでいる。
ただ心配なのは、世間の声が彼らの耳に入ったときのことだ。きっと彼らは、住みにくい国になったと言って嘆くだろう。昔の人間には真心や思いやりがあったと言うだろう。
杞憂に過ぎないと思いなおした。彼らが登場する小説は、騒々しくって、読み通すことのできる人がいないに違いない。ひとりずつ登場させれば大丈夫か?
- 作家略歴
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1966.2.8~
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
第55回江戸川乱歩賞受賞
代表作:「プリズン・トリック」
趣味・特技等:愛車での独り旅、競馬予想
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度江戸川乱歩賞は、一月末日の締切までに応募総数三九八編が集まり、予選委員(石井千湖、佳多山大地、香山二三郎、末國善己、杉江松恋、細谷正充、吉野仁の七氏)により最終的に左記の候補作五編が選出された。
〈候補作〉
七年誘拐 伊兼源太郎
謀略の翼 長瀬 遼
オルドリンの無念 直原 冬明
二度目の満月 伊予原 新
三十九条の過失 遠藤 武文
この五編を五月十五日(金)、午後三時より第一ホテル東京において、選考委員の内田康夫、大沢在昌、恩田陸、天童荒太、東野圭吾の五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる協議の結果、遠藤武文氏の「三十九条の過失」を本年度の江戸川乱歩賞と決定した。授賞式は九月三十日(水)午後六時より帝国ホテルにて行われる。閉じる
選評
- 内田康夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回ノミネートされた五作とも、ある程度の水準を超えていて、それぞれに見るべきものもあり、欠点もあるというところから、選考会が難航することが予想された。案の定、委員ごとに採点が割れ、ある人はAをつけ、ある人はCをつけるといった具合で、それぞれの視点で評価の見方が分かれた。
『二度目の満月』は、モラトリアム中の青年の、一種の成長ドキュメントといった趣で、たんたんとした語り口には好感が持てた。パチンコ業界について書き込んでいるが、蘊蓄物の域までは達していない。裏ロムをめぐるヤクザとの軋轢など、いささか単純で軽く説得力に欠ける。肝心な事件も解決を見ないまま終わったのでは物足りない。
蘊蓄物といえば、『七年誘拐』の新聞社内を舞台にした部分の話は興味深かった。ただし、これに事件が絡んでくると、とたんに無理な演出が目立つことになった。七年目ごとに起きる誘拐事件の意味も、それに伴って起きる殺人事件も、それなりに工夫を凝らしてはいるのだが、いかにも作り物のイメージがあって、白けてしまう。養護施設の役割も、早い時点で誘拐事件とのつながりが読める。七年のあいだに他の誘拐事件が発生しないものなのか―などとも考えた。
蘊蓄物のきわめつけは『三十九条の過失』である。交通刑務所内の生活など、僕には知るすべもなかったのを、詳しく教えてもらった。犯人側の視点で書かれているので、臨場感もあり、この話がどう収斂されてゆくのか興味を引かれた。ただしその後、視点がどんどん移って、誰が主人公なのか、見極めがつかなくなってくる。これぞと目をつけ、感情移入した人物があっさり殺されたりして、カタルシスに結びつかない。導入部の迫力のわりに、解決部が物足りなく、かなり強引なトリックを使っているのもどんなものか。とはいえ、総合点では第一位にあげた。
『謀略の翼』は終戦間際を舞台に、「橘花」という特攻用のジェット戦闘機の開発をめぐって、アメリカが放った日本人スパイが活躍する話だ。この「橘花」については丁寧に調べられている。敗色濃厚な日本の軍需工場の描写も、まずまずといっていい。とはいえ、単独で動くスパイのスーパーマンぶりに対して、日本の防諜体制や憲兵があまりにもだらしがない。半死半生ぐらいにうちのめされたはずのスパイが、いとも簡単に脱出したのには驚いた。致命的なのは、最後に、墜落した飛行機から脱出して、農家に救われ、気がついたら二週間経っていたという部分。二週間もどうやって生き延びたのだろう?
『オルドリンの無念』はSF小説に無理やりミステリーの要素を加味した作品のような気がした。自殺か殺人か――といった謎めいた事件が連続して起きるのだが、動機や手法に説得力がない。調査隊員の誰にも使命感らしきものがなく、そもそも、月世界に日本隊しかいないというのも不自然な話ではあった。閉じる
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回の候補作の水準は高かった。受賞作とするには瑕疵をもちながらも、作者の将来性には大きな期待を感じられる作品が多い。乱歩賞の未来は明るい、選考後、そう思ったことだった。
「七年誘拐」は、候補作中、最も私が好感を抱いた作品だった。新聞記者の体臭ともいうような気配が濃厚に漂っており、臨場感もある。力みが多いものの、文章には独特の味があり、磨いていけばかなりのレベルに達するだろう。
ではなぜ受賞を逸したのかというと、一にも二にも、ミステリの根幹である「七年誘拐」の謎に理由がある。けれんも大風呂敷もよいが、限度はある。複数の新聞記者が長年にわたって誘拐に手を染め、その秘密が守られてきた、というのは、いくら何でも説得力がない。また愛の強さゆえに殺人に走る真犯人も唐突な印象をうけた。書ける人だけに、リアリティとけれんのぎりぎりを狙った次作に期待したい。
「謀略の翼」は、主人公の設定に無理があった。日系アメリカ人がスパイとして戦時下の日本に入りこむという設定はおもしろいのだが、アメリカ人に感じられないところが苦しい。またスパイであるにもかかわらず非情さがなく、子供ができたのを喜んでいるというのも首を傾げた。会話が説明的でところどころ資料の丸写しと思われる文章も減点の対象となった。
「オルドリンの無念」は、人対コンピュータという、大きなテーマを扱った本格推理でおもしろく読んだ。登場するコンピュータには感情がある。であるなら、コンピュータをだまして殺人をおかさせることも可能なのではないか。二転三転する話には惹かれたが、どこか詰めの甘さを感じずにはいられなかった。
「二度目の満月」は、すでに単行本化されて書店に並んでいるといわれても違和感のない作品だった。今風、とでもいうのだろうか。ミステリでありながら、どこか癒しを感じさせる作品である。登場人物、わけてもカイの造型がよい。一方で、犯罪被害者による交換殺人という設定なら、それぞれの加害者が明らかになっていなければならない。復讐の相手が確定してこその交換殺人だからだ。その点で、カイの恋人を殺した犯人が不明というのは、無埋があった。
しかしこの小説には「読む心地よさ」のようなものがある。
「三十九条の過失」に、私は厳しい点をつけた。まず視点人物が多すぎる。進行上、不要とも思える人物の視点まである。また主人公だと信じていた人物が、実にあっさりと殺されてしまい、肩すかしをうけた。交通刑務所内での密室殺人という謎は魅力的だが、物語が後半に向かうにつれ、作者の都合が目につきだすところが苦しい。
だが謎の魅力を推す選考委員も多く、また近年の乱歩賞では珍しい、本格推理の力作であることも踏まえ、授賞に賛成した。
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- 恩田陸[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回、五作品、どれも面白く読んだ。受賞しなかった四人の方も実力の差はほとんどない上に、まだまだ伸びしろがある。これに懲りず書き続けていただきたい。『七年誘拐』、タイトルにぐっと来た。新聞社の内部や警察の捜査の描写にリーダビリティがある。しかし、タイトルの元となっている誘拐事件の設定そのものにかなり無理があり、せっかく丹念に描かれたお話の興趣を削ぐ結果に。『謀略の翼』は、良くも悪くもハリウッド映画的。誰かの死で話が始まる話が大部分の応募作の中で、誰も死なず、日本起死回生の戦闘機という興味だけで話を引っ張っていくところに感心した。後半の逃亡場面も面白かったし、書き手の人柄であろう品の好さと明るさが全体に漂っているところも好感が持てた。惜しむらくは、強い既視感が漂うところ。プロローグとエピローグがやや安易。登場人物が歴史を俯瞰するような発言をするのが気になった。『オルドリンの無念』。なんと、SF本格ミステリで、面白く読んだ。宇宙という特殊環境を使ったミステリで、少ない登場人物が減っていくのだから当然犯人は割れるはずなのに、コンピューターと登場人物が互いに相手が犯人だと申し立てるところなど、うまく設定を使っていて楽しめた。むろん、突っ込みどころはいろいろあるし、最大の難点は人物があまりにも類型的なところだろうが、書ける人だと思う。タイトル、分かるけれどもう一工夫。推しきれず、私も無念。『二度目の満月』は、たぶん候補作中でいちばん小説が上手だし、芸風も確立されている。「日常の謎」ふうの導入部に始まって、実はパチンコ業界をめぐるコン・ゲームなのか? と思わせるところなど、「いったいどこに連れていかれるのだろう」という期待感を待った。裏ロム、交換殺人など古くからあるネタを青春小説に無理なく落としこみ、作品としてのまとまりもよい。が、その「無理なく」「上手に」まとめたところが引っかかる。この小説、あらゆる小説誌の新人賞に応募可能なのである。むしろ、乱歩賞でなくいわゆる中間小説誌と呼ばれる雑誌での新人賞だったら受賞してもおかしくない。その最大公約数感、どれでも言いぬけ可能な感じが惜しい。そこへいくと、受賞作『三十九条の過失』は『二度目の満月』のアンチテーゼのような作品である。「まとまり」もなく、小説としての成立を危うくしかねない破綻がそこここに漂っているし、誰に感情移入してよいのか分からぬ登場人物の多さなど、傷はたくさんあるのだが、ひと言でいうと、志が高い。描こうとしている絵の大きさ、やろうとしていることのハードルの高さに惹かれた。新人賞はゴールではない。それから先、技術は幾らでも磨ける(磨かなければならない)し、テーマも一生考え続けていかなければならない。ぜひ、未完成でも全力でぶつかってきてほしい。閉じる
- 天童荒太[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回すべての候補作が、規定の五百五十枚ぎりぎりか、それに近い枚数だった。しかし、確かにその枚数が必要と感じた作品はなく、四百枚前後に切り詰めていれば、もっとよい小説になったろうと思える作品ばかりだった。
乱歩賞という冠に気負うのか、風呂敷を広げ過ぎて、整理がつかなくなり、せっかくの題材が後半みるみる失速というのも、ほとんどの候補作に見られる傾向だ。事件が多ければ、作品のスケールが大きくなるわけではない。数より深さこそ問うてほしい。
今回、私は積極的に推す作品を見いだせなかった。才能を感じる候補者はいたが、根幹に看過できないミスが散見した。長編の構造や、物語がどうあれば読者の心に届くのか、挑戦者にもう一度考えてほしかった。
『七年誘拐』は、冒頭の緊張感がよく、新聞社内の雰囲気も素晴らしい。ただ前提の七年誘拐が、筆者の設定では七年蒸発になる。千葉県内で少女の蒸発が七年に一回しかなく、それを県警も記者たちも誘拐と見ている、というのは現実的ではない。もう一つの問題は犯人像だ。エリート的人物が複数、大スキャンダルとなる犯罪に関わる点を、読者が納得して読んでくれるものか、よく考えてほしい。新聞社の内情など、鉱脈は持っている。
『謀略の翼』は、よく調べている点もあり、冒頭は期待した。だが資料の丸写しが目立ち、戦争末期の風俗にリアリティを感じさせない点もつらい。様々な映像や話を通じて、社会的に共有されている時代感覚というものがある。そこから大きく外れると、読む側は乗りきれない。また主人公の窮地と脱出の連続に、ご都合主義的な描写が多過ぎた。
『オルドリンの無念』の冒頭の一文はぞくぞくした。以後の設定もよく書き込まれている。軌道エレべーターの発想もよい。けれど、これにリアリティを与えるアイデアの補強がなく、社会的な文化や道具立てに関し、そこここに現代風俗が変化なく持ち込まれているのも惜しい。文章も、コンピューター関連では勢いがあるが、人間関係の機微を書く段になると急にトーンが落ちる。筆者の人間と社会に対する関心が、科学関係に対するのと同じ程度に高まれば、テクノロジーとの融合で、新しい物語を書ける人かもしれない。
『二度目の満月』は、今回一番好きな文章だった。伝えるべきことを的確に伝え、人と人との機微がよく書けており、表現に節度がある。けれど展開が遅く、最初の重要な出会いに関する様々な疑問に対し、成程と膝を打つような解答が与えられなかった。犯罪被害者同士で声を掛け合うという設定も納得しがたい。何をどう話し合ったのか、しかもある人物は加害者が不明なのに、なぜ計画を話すのか。犯人たちが主人公を巻き込む理由も苦しく、根幹をなす部分が曖昧だった。文章同様、謎についても的確さと節度を心がければ、プロヘの道に近い人だと思う。
『三十九条の過失』の冒頭の叙述は魅力があり、密室殺人のアイデアも細かな部分にまで気がきいている。また、交通事故の加害者と被害者の対峙の場面がよく書けていた。ここは謎と直接関係はなく、書くべきだと信じた筆者の意志の問題だ。そうした小説に対する志は、この候補者が最も高いと感じた。
ただし感心できない点も散見する。たとえば、注射器にまつわる中盤の事件の不自然さ。唯一、感情移入して読めていた人物が、警察から逃げる部分も無理がある。その彼が、たまたま見かけた刑事を尾行し、結果……という流れも不合理だ。ラストも、狙いはわかるが、謎が新たに生じ、ドンデンが返らない。
ただし、所々の描写でサプライズ感があり、トリックの造り込みと合わせ、頭一つ抜けているとは思った。受賞作なしという結果は私もつらい。ほかの選考委員の方々の言葉にはうなずけるところもあり、ならばこの作品と、加筆を条件に授賞に同意した。高い志を大切に育てて、飛躍を遂げてほしい。閉じる
- 東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考に携わるのは二度目だが、前回よりもレベルが高いと感じた。どの作品も、書店に並んでいてもおかしくない出来だと思う。選考会は難航すると予想された。そして実際難航した。だがその理由は、意見が分かれたからではなかった。
『七年誘拐』
七年ごとに女児が何者かに連れ去られるという奇怪な事件を扱っている。非常に魅力的な謎で、一体どういう真相が隠されているのかと思ったが、いくらなんでも非現実的すぎる。最初の犯人にしても、この犯行に加担する人間たちにしても、その心理は全く理解しがたい。筆力は十分で、こういうネタでさえなければすぐにでも受賞しそうな予感を抱かせる。
『謀略の翼』
戦争末期、日本にスパイとして潜入している日系米国人の任務を描いた小説である。個人的には楽しく読めた。破綻がなく、史実をうまく使っていると感じたので私は推したが、賛同は得られなかった。読み手側のスパイに対するイメージが違いすぎているのが原因だと感じた。私は本物のスパイのことなど何も知らないから、こんなものかなと思って読んだが、スパイに詳しい人にとってはリアリティが感じられないようだ。
『オルドリンの無念』
月面基地という閉ざされた空間で連続殺人が起きる、SF未来ミステリだ。未来の科学技術については克明に描かれているが、未来の人間がどうなっているかを想像することは作者が放棄したように感じられる。ただし終盤、主人公が女性と二人きりになった際、女性が「コンピュータが犯人だ」といい、コンピュータが「女が犯人だ」と主張した瞬間は、ぞくぞくした。ここからアクションではなく、論理の戦いが始まっていたなら、評価は違っていたかもしれない。
『二度目の満月』
日常の謎に首を突っ込んだことから、ある犯罪に巻き込まれていく青年の話だ。文章は達者だし、人物もよく描けている。ストーリーに大きな矛盾もない。だが読みながら不満が募った。主人公が何かを調査しようとすると、常に都合のいい人物が出てきたり、ネット検索で簡単に手がかりが見つかったりするのだ。いかにして主人公にパズルのピースを集めさせるか、という点も作家の腕の見せ所だと思ってほしい。ある計画を成し遂げようとするグループが、主人公を仲間に引き込む理由が弱いことも気になった。
『三十九条の過失』
過半数の委員がAの評価を下した。私もその一人だ。ところがすんなりと授賞とはならなかった。それはこの作品には、どうにもならない大きな傷があまりにも多いからである。減点法を採用すれば、真っ先に落ちていただろう。だが魅力的という点でも、この作品は抜きん出ていた。序盤の刑務所で起きる密室殺人の件は抜群に面白く、ラストで明かされるトリックの内容にも唸った。問題は、傷だらけ穴だらけの中盤をどう評価するかだが、私は目をつぶることにした。どのような経緯があって、作者がこういう仕掛けを思いついたのかは不明だが、このトリックに挑んだところに志の高さを感じた。閉じる
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第55回 江戸川乱歩賞
- 『七年誘拐』 伊兼源太郎
- [ 候補 ]第55回 江戸川乱歩賞
- 『謀略の翼』 長瀬遼
- [ 候補 ]第55回 江戸川乱歩賞
- 『オルドリンの無念』 直原冬明
- [ 候補 ]第55回 江戸川乱歩賞
- 『二度目の満月』 伊予原新