2016年 第62回 江戸川乱歩賞
2016年 第62回 江戸川乱歩賞
受賞作
きゅーじぇいけいじぇいきゅー
QJKJQ
受賞者:佐藤究(さとうきわむ)
受賞の言葉
今回、賞に参加された三百三十七名の皆様と同じく、ただ書き続ける日々を送ってきました。「書くこと」は、もはや私の古い友人です。
その友との絆が大きな危機に直面したのが、二〇一一年の、あの三月でした。津波や火災に見舞われた方々のご辛苦とは比べようもないですが、私にとってもあれは未曾有の破局、突きつけられた刃となりました。――これからも書くか、それとも書くのをやめるか――
当時私は、新宿歌舞伎町の近くで、企業を警備する職についていました。地震から十日後、私は平常通り、表での立哨を命じられ、制服に無線とイヤホンを着装し、土地柄もあって公安に申請した特殊警棒をホルスターに入れて(施設警備が警棒を持つのは稀です)、レインコートに袖を通して外に立ちました。
すぐに灰色の空から、雨が降り出しました。「シーベルト」「ベクレル」を連呼するニュースによれば、都内の放射線量は通常をはるかに上回る値で、さらに南向きの風が、雨を運んでくる。政府国民ほぼすべてが事態を把握できず、東京あるいは日本から脱出する人々が跡を絶たなかった頃です。
空を見上げながら、私は、生と死の境界について考えました。仮にこの瞬間、自分が致命的な放射線量を含む雨を浴びているとしても、それが事実上の「死」だとは、全くわからないのです。いつもと同じ曇り空、同じ雨。「シュレーディンガーの猫」のような生と死の量子的な重なり合わせが、都市全体を包んでいました。
それは、強烈な感覚でした。自分はこれに匹敵する小説を書いていただろうか。「書くこと」で超えられるだろうか。それができなければ無意味ではないのか。書くか? やめるか?
結局私は、古い友と歩む道を選び、いつしかあの三月の雨に並ぶ「絶対探偵小説」(夢野久作風に申し上げます)を求めるようになり、暗闇を這い回るうち、何の偶然か、穴底からここに出てきてしまった次第です。
賞の運営に関わられたすべての方々に、一兵卒として、心より深謝申し上げます。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度江戸川乱歩賞は、一月末の締切までに応募総数三三八編が集まり、予選委員(石井千湖、円堂都司昭、川出正樹、末國善己、羽住典子、三橋暁、吉野仁)により最終的に下記の候補作四編が選出された。去る四月五日(火)午後七時より、講談社会議室で行われた。
〈候補作〉
ラリックの天球儀 光月 涼那
QJKJQ 犬胤 究
キャパの遺言 十河 進
「(仮)ヴィラ・アーク□設計趣旨VILLA ARC (tentative)」 家原 英生
この四編を五月十六日(月)午後四時より帝国ホテルにおいて、選考委員の有栖川有栖、池井戸潤、今野敏、辻村深月、湊かなえの五氏による協議の結果、犬胤究氏の「QJKJQ」を本年度の江戸川乱歩賞と決定した。授賞式は九月九日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。
なお、佐藤氏は応募時、犬胤究の筆名であったが、受賞決定後に筆名を変更された。閉じる
選評
- 有栖川有栖[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
全候補作を読み終えた時点で、『QJKJQ』を受賞作にしたい、と強く思った。「したい」というのは妙に響くかもしれない。破天荒な受賞作に反対する委員が出るかもしれない、という一抹の危惧を覚えたのだ。
結果として、しかるべき討議を経た上でめでたく授賞が決まり、私としては欣快の至りである。
一家全員が猟奇的なシリアルキラーという設定を読んだ段階では、それはもう嫌な予感がしたものだ。極端を売りにした、けばけばしくも退屈な人殺し小説を読まされるのはつらい。ところが、これが絶妙の浮遊感をもって非常に読ませる。
主人公が「あるもの」を発見したところから物語はどんどん転がり始め、ファンタジーかと思うような広がりを見せて、ナンセンスな法螺話になる寸前で身を翻し、主人公のアイデンティティを攪乱させたかと思うと、人類の原罪を剔抉せんとしてミステリ的に意外な真実へ収斂するという具合で、読む者を引き回す。
乱歩賞に投じられる作品としては新しいが、小説として最先端かどうかに疑問を呈する委員もいたが、私は「新しい」という判定を下した。たとえて言うならば、これは平成の『ドグラ・マグラ』である。文字の連なりとしては意味深で無機質、声に出して読めばひたすら異様で意味不明なタイトルもそれらしい。
作者の佐藤究さん、おめでとうございます。
夢野久作ファンであることは授賞後に知り、「やっぱり!」と思いました。今後のご活躍に大いに期待し、注目しています。
他の候補作について、受付順に。
『ラリックの天球儀』は、真犯人の心理に納得がいかない。成功している上々の人生を、そんなことで自ら破壊するだろうか? 他のキャラクターについても行動原理が説得的に描かれておらず、ミステリとしての捻りが弱い。犯人の正体に気づいた主人公が行なう反撃にリアリティがない(枚数がなくて急いだか?)のもまずかった。
『キャパの遺言』は、現代史の虚と実が分かれすぎているため、作者が狙った効果が出ていない。アレが事実だったとしても暴露されたぐらいで政権が倒れるだろうか? また、作中の編集部は原稿のチェックが甘すぎる。せめてキャパが遺した言葉の謎が史実であればまだしも、それがフィクションでは美しい空中楼閣が建たない。
見取り図が見事な館もの『(仮)ヴィラ・アーク□設計趣旨 VILLA ARC(tentative)』は、結末部分が第一章の終りにきて、そこから連続殺人が始まっていたらさぞ面白かったのではないか(このままのプロットではできないが)。館の秘密を知る主は冒頭で退場すべき。作者が真摯に訴えたかったことは伝わったが、それをこんな形の薄い本格ミステリに仕立てたのは設計ミスだろう。閉じる
- 池井戸潤[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
小説の書き方は様々だ。そして読み手もまた様々である。ある人物が全く評価しない作品を、別の人物が絶賛することもある。選考会の場でも同様だ。どちらが正しいというものでもなかろう。
『キャパの遺言』
黒幕の人物造形が乏しく、小説としての奥行き、魅力を欠いた。出自に関する動機も脆弱だ。
戦中戦後の暗黒史を写真家キャパの遺したフィルムから繙くのはいいとして、実在の政治家を容易に推測できる形で登場させてしまったのは配慮を欠いている。ここに作者の重点があるのなら正々堂々とノンフィクションで勝負すべきではないか。主人公の言動も一貫せず、書き切れていなかった感がある。昭和史は脇に置き、メディア潰しのコンゲームとして成立させることもできただろう。
『ラリックの天球儀』
なぜ主人公はかくもヤクザの遠藤に目を掛けられ、様々な恩寵を受けたのか。その肝心な関係が欠落しているから、主人公の言動に釈然としないものを抱いたまま読了することになった。終盤における主人公の反撃は本来見せ場になるところだが、いかにものご都合主義で、かつ現実離れしている。犯人の動機もいまひとつだ。人物の描写や設定の間違い、噛み合わない会話のロジックなど、粗さも目立った。
『(仮)ヴィラ・アーク□設計主旨 VILLA ARC(tentative)』
文章はきちんとしていて、好感を持って読んだ。
いわゆる「館もの」の道具立てだが、残念なのは、この館に「招く側」と「招かれる側」の因果関係が設定されていないことだろう。本作で問題提起されるのは、犯人探しやその動機ではなく、この館の構造そのものだ。おもしろい着想だが、それならば館の設計者である主人を登場させてしまったのは失敗だろう。これで、主人に尋ねればどんな問題も一気に解決してしまう(のに尋ねない)という構造上の矛盾を抱えてしまった。人物造形に関する描写などは悪くないだけに、この問題が解決できていたらと惜しまれる。
『QJKJQ』
現実と幻想が交錯するストーリーで、その境界線が曖昧なことが読み味なのかも知れない。小説は自由なのだから主人公を含め家族全員が殺人鬼という設定があってもいいし、殺人鬼が犯人を追って密室殺人に挑むというのなら、それはそれでおもしろい。だが、その謎解きは肩すかしだ。その後の展開も、この小説世界を支える枠組みやルールを後出ししている印象を受け、果たしてこれが周到に準備された小説といえるか、という疑問を最後まで拭えなかった。
だが、これはあくまで私一己の読み方である。選考委員のうちふたりがこの小説に最高点を与えて評価するというのであれば、それを拒むものではない。受賞者の今後の活躍を大いに期待したい。閉じる
- 今野敏[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
選考委員たるもの、冷静に作品の質や作者の資質というものを見極めているつもりだ。しかし、選考会では時に自信を失いがちになる。特に世代の差はいかんともしがたいという思いがある。
若い選考委員たちが推す作品にまったく魅力を感じない場合もあるし、自分が強く推そうと思った作品を、若い世代がまったく評価しなかったような場合には困惑してしまう。
もう自分の読み方は古いのではないか。つまりは、作家として自分は古いのだと、その世代の作家たちに言われているような気がしてくる。
しかし、世の中の読者は若い世代だけではない。私は私の信じる候補作を推すしかないと自分に言い聞かせた。結果、私が強く推した作品が受賞作となったのだが、選考会を終えたとき、何とも言えない後味の悪さを感じたのだった。
『ラリックの天球儀』は、前半は面白く読めた。文章も達者だし雰囲気もあると思う。だが、終盤に急速に興味が失われていく。完全に尻つぼみだ。
ラリックのイカロス像という素材は面白いが、それが活かされているとは言えない。主人公の若い頃のエピソードはなかなか読ませるが、犯罪の動機など登場人物たちの行動の理由が納得できず、物語全体として心を動かされることはなかった。
『キャパの遺言』は、なかなか苦労をして書かれたという印象があった。ただ、全体として冗長。実在、あるいは実在した人物をモデルとした登場人物に、もう少し何とかならないかという感がある。
フィクションは、素材や思想を噛み砕き、普遍化することが肝腎だ。事実に即した物語を書きたいのならノンフィクションを書くべきだし、政治的な思想を述べたいのなら論文を書くべきだ。読み終えても納得できない部分が多いのは、理由づけに無理があり、言い訳じみて感じるからだろう。読者に言い訳をしなければならない設定は、最初から間違っているのだ。
『(仮)ヴィラ・アーク□設計主旨 VILLA ARC(tentative)』は結局、災害に対してどういう家を建てたらいいのかという論文に過ぎないような気がする。
「館もの」として興味を引かれるという選考委員の声もあったが、残念ながら、これが小説として面白いとはとても思えなかった。小説は、事実以上に動機や原因に説得力がなければならない。
『QJKJQ』には興奮した。嫌ミスではないかとおそるおそる読みはじめた。たちまち引き込まれた。叙述トリックも効果的だ。
登場人物が類型的かもしれないが、その類型がうまくはまっていると思う。あり得ない設定だが、それを力尽くで読ませる筆力がある。終盤の主人公の少女と実父とのエピソードには思わず落涙しそうになった。殺人そのものを突き詰めることで、人間を見つめている。脱帽だ。閉じる
- 辻村深月[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
選考結果には納得している。
しかし、受賞作『QJKJQ』の作風を「新しい」という観点で迎えることについては不満が残る。主人公の生きていた世界が綻びを見せ、まったく違う虚構と現実の景色が開かれていくこの作品のような〝新しさ〟はすでに既存の小説の世界で名作がいくつもあり、そのパラダイムシフトはノベルスやライトノベルの現場で十年以上前にすでに起きていたという印象である。なので、受賞作のよさはそうした点にはないと私は考えたい。
この作品を〝新しい〟ものではなく、すでにあるジャンルに連なる読み物として考えた時、非常に真面目な作品であると感じた。ただし、真面目すぎて、ものすごく律儀に物語が閉じてしまっている。まず、これまでずっと何年も自分の世界を生きてきた主人公の現実が、何のスイッチによって壊れ始めたのかの説得力が乏しい。彼女はずっとその世界を生きてきたのだ。生半可なことではあらゆることが自分の思い込みに目隠しされていて当然だろうに、物語のスタートが脆弱であるがゆえに、作品の土台が厚みを失ってしまっている。本来なら魅力的であるはずの“彼女の現実”が著者にのみ都合のいい単なる舞台装置に読めてしまう。
鳩ポンが殺人者になる理由も、主人公を見守ってきた〝父〟がなぜ死を選ぶのかといった点にも疑問が残る。そうした部分を説明しつくさないところも作品の味なのだろうとわかったうえで、ならば、逆に、「アイダホ州章」ののりづけに代表される他の細かい点については説明しすぎではないか、と感じる。混沌を混沌のまま残すに足る小説にするならば、そうした疑問を読者が差し挟む余地がないほどの、こちらの予想を遥かに裏切り、読者の目線を凌駕する何かをもうひと押し見せてほしかった。その〝何か〟は、圧倒的な真相でも、読者を煙に巻くようなさらなる混乱でも破綻でも、なんでもいい。こちらが作品世界の前で呆気に取られて棒立ちになるような瞬間を待ち続けたが、すべてが丁寧にまとまりすぎ、それが果たされないまま終わってしまった。好みの作品であり、かける期待が大きかった分、残念だ。
しかし、既存の小説の世界ではどうかわからないが、江戸川乱歩賞受賞作としての本作が〝新しい〟のは疑いようのないことであり、今後の乱歩賞に新しい地平が開かれたことは、心から喜びたい。
『QJKJQ』は、文章が巧い。
主人公の倫理観が信じられ、その彼女が変容していく自分の世界に翻弄されながらも食らいつく様子にも好感が持てる。
私はこの作品を新しいとは思わないが、それでも、著者がまったくオリジナルの場所から他の何とも似ていない作品として本作を描いたことは伝わる。その意味では、今後が非常に楽しみな作家だ。二作目、三作目の予想がつかず、その中には今はまだ誰も見たことがない新しさが潜んでいるのかもしれない。受賞作でそれが見抜けなかった自分の不明を恥じる日が来ることを、楽しみに待ちたい。閉じる
- 湊かなえ[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
選考会の日、私は選考される側でもありました。自分の書きたかったことが選考委員に伝わるだろうか、その思いをもって、候補作を読ませていただきました。
『ラリックの天球儀』
ほぼ一気に読みました。主人公を含めて仲間六人の描き方が浅いため、真犯人がわかっても「それで?」と拍子抜けするような気分でした。動機も、ITで金儲けに成功した犯人が、人と接するという、自分とは対極にある仕事をしている主人公にコンプレックスを抱いているところから発していますが、その仕事の一つがデートビジネスでは、対極とは思えず、納得しがたいところがありました。もったいぶった書き方の多用は、後出しじゃんけんのようになるので、それほど重要でない箇所は時系列に沿って書いたほうが、物語にメリハリを持たせることができるのではないかと思います。
『QJKJQ』
一番高い評価を付けました。文章が上手く、たくさん張られた伏線もすべて回収されていて見事だと思います。しかし、こういう作品があまり好きではないのです。ネタバレに気をつけなければなりませんが、結局、主人公が人殺しでない世界で行ったのは、同級生をこらしめたのと、事件を解くために家の半径数キロ内をうろうろしただけなのかな、と。同級生のことも人殺しの世界内かもしれませんが、描写の仕方が同じなので区別することができませんでした。どちらかに匂いがあったり、一人称などで区別されていると、伝わりやすいと思いますが、このもやもやした感じが魅力なのかもしれません。こういった作品が大好きな人はたくさんいるはずです。佐藤さんにしか作れない世界を極めてほしいと思います。おめでとうございます。
『キャパの遺言』
物語の構成も文章も上手いと思いました。しかし、実名や実際にあった事件が多出する中、批判対象になる人物や組織に対してだけ名前を変えているのは、いかがなものかと思います。物語を書きたいのではなく、世の中を批判したいだけではないか、と。この作品はノンフィクションとフィクションが混ざっていますが、おもしろいのはノンフィクションの部分でした。有名な人物を取り上げるほど、それに飲み込まれない魅力的な大嘘が必要なのだと思います。
『(仮)ヴィラ・アーク□設計主旨 VILLA ARC(tentative)』
館の設計図にワクワクしました。しかし、その館になかなか到着せず。事件も起きず。八川建築設計事務所シリーズを想定して書いたのかもしれませんが、新聞記者や留守番の事務所員は今作には必要なかったのではないでしょうか。葬儀場の見学も。一番気になったのは、防災のために建てた家で、窒息死や転落死といった事故死が起きることです。悪人を作りたくなかったのかもしれませんが、災害を利用しているように感じました。痴情のもつれが原因なら、殺人事件であった方がミステリ小説として楽しむことができたように思います。回文は半分くらいでよかったのではないでしょうか。閉じる
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第62回 江戸川乱歩賞
- 『ラリックの天球儀』 光月涼那
- [ 候補 ]第62回 江戸川乱歩賞
- 『キャパの遺言』 十河進
- [ 候補 ]第62回 江戸川乱歩賞
- 『(仮)ヴィラ・アーク□設計趣旨VILLA ARC(tentative)』 家原英生