1960年 第13回 日本推理作家協会賞
受賞の言葉
受賞雑感
昨年ほどすぐれた作品がそろった年は、近頃めずらしかったのではないかと思う。その中から私が受賞したことは、なんと云っても運がよかったからに他ならない。
私は、今だから云っても差支えないと思うが、仁木さんの「林の中の家」がいちばんの出来ではないかと思っていた。視点を真正面にすえて、堂々とあれだけのプロットをさばいていくことは、とても私にはできない。仁木さんのような正統的な作品をかく人は、おそらく今後は出て来れないのじゃないかと思う。それは二十五人集などの傾向からも判断されることである。ある新聞社の人に質問されたとき、ずばぬけた才能の持主が出現しないかぎりはという表現で、私のこの考えをのべておいた。
候補作品にえらばれた三篇は、怠けものの私も読んでおり、そしてそれぞれ感心した。スタートを切って一年にも満たぬ人々がこれだけの作品を書いたのである。私はかきはじめて十数年、そしてようやく彼等と肩をならべる程度のものを、ともかくこしらえた。省りみて恥かしい。
四日の午前三時に受賞の通知がとどいた。発信局は二時の受付になっているから、審査のかなり難航したことが想像された。多くの秀作のそろった年だから、それは当然のことだろう。そして書記長を最初として、多くの人から祝電を頂戴した。その中には、思いもかけぬ方からのものもあった。その人達の祝福を私はうれしく受け、その祝電を読んでいる時だけ恥かしさを忘れていた。
- 作家略歴
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~2002/9/24
東京生れ。
一九四八年、「ロック」に短編「月魄」を発表。五〇年、長編「ペトロフ事件」で「宝石」百万円懸賞に入選。五六年の「黒いトランク」以降、鮎川名義でアリバイ物を中心に本格推理を多数発表。「憎悪の化石」「黒い白鳥」で六〇年に日本探偵作家クラブ賞を受賞。ほかに、「りら荘事件」「砂の城」「鍵孔のない扉」などの長編や短編多数。鉄道物や密室物などアンソロジーの編集にも熱心。2001年第1回本格ミステリー大賞特別賞受賞。
受賞の言葉
受賞雑感
昨年ほどすぐれた作品がそろった年は、近頃めずらしかったのではないかと思う。その中から私が受賞したことは、なんと云っても運がよかったからに他ならない。
私は、今だから云っても差支えないと思うが、仁木さんの「林の中の家」がいちばんの出来ではないかと思っていた。視点を真正面にすえて、堂々とあれだけのプロットをさばいていくことは、とても私にはできない。仁木さんのような正統的な作品をかく人は、おそらく今後は出て来れないのじゃないかと思う。それは二十五人集などの傾向からも判断されることである。ある新聞社の人に質問されたとき、ずばぬけた才能の持主が出現しないかぎりはという表現で、私のこの考えをのべておいた。
候補作品にえらばれた三篇は、怠けものの私も読んでおり、そしてそれぞれ感心した。スタートを切って一年にも満たぬ人々がこれだけの作品を書いたのである。私はかきはじめて十数年、そしてようやく彼等と肩をならべる程度のものを、ともかくこしらえた。省りみて恥かしい。
四日の午前三時に受賞の通知がとどいた。発信局は二時の受付になっているから、審査のかなり難航したことが想像された。多くの秀作のそろった年だから、それは当然のことだろう。そして書記長を最初として、多くの人から祝電を頂戴した。その中には、思いもかけぬ方からのものもあった。その人達の祝福を私はうれしく受け、その祝電を読んでいる時だけ恥かしさを忘れていた。
- 作家略歴
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~2002/9/24
東京生れ。
一九四八年、「ロック」に短編「月魄」を発表。五〇年、長編「ペトロフ事件」で「宝石」百万円懸賞に入選。五六年の「黒いトランク」以降、鮎川名義でアリバイ物を中心に本格推理を多数発表。「憎悪の化石」「黒い白鳥」で六〇年に日本探偵作家クラブ賞を受賞。ほかに、「りら荘事件」「砂の城」「鍵孔のない扉」などの長編や短編多数。鉄道物や密室物などアンソロジーの編集にも熱心。2001年第1回本格ミステリー大賞特別賞受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選評
- 大下宇陀児[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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鮎川君が受賞してよかったと思う。
長いうち、少々大げさな言葉とはなるが、私は鮎川君に借金をしてた気がする。もう何年前になるか、私は鮎川君の「赤い密室」を受賞作品として推薦した。ところが、その作品は、はじめ文章がひどいもので、O君が手を入れ、朱でまっ赤にしたのだ、と横槍を入れた。文章をなおされたにしても、作品はいいものだ。と私はいったが、その主張をいつもの私のくせで、そう強くしなかった。だから委員会の協議としてはおとされた。あとで聞くと、どうもO君のいったことは、ウソらしい。とすると、当然その時に受賞すべきものだったのだから、私は気にかかっていたのである。
ついに受賞した。
おくれはしたが、よかったのだ。
本格の謎ときを、私は好きではない。時には、読んで腹が立つ。読者をだますことに専念し、だますために、合理的であるべき謎とき小説の中へ、ひどく不合理な人間の動きをもちこんでくる。これが私にはがまんならないのだ。が、鮎川君のものは、その点で救われる。人間の動きに納得できるものがある。しかもよく綿密にトリックを念出する。たいへんな努力だろう。
鮎川君以外のものでは、結城、水上両氏のものを読んだ。どちらも相当の出来栄えだ。結城氏は、どうして隅におけない筆の達者さを見せ、水上氏は、ひどくゴツい作風だが、いっそ純文学のほうをやったら、と思わせるものがあった。点数で現わす、となったら、三者そう大きな差はないだろう。けれども、おもしろく読ませる、という点で、やはり鮎川君のものに、私は点を入れたわけだ。閉じる
- 江戸川乱歩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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候補作四篇とも、それぞれ特徴あり、皆よく出来ているので甲乙がつけにくかった。一番ずっしりと読み応えがあったのは水上勉君の「霧と影」であった。筋は横溝好みの地方旧家の因縁話を中心としているが、書き方が克明で力作感に充ちているので、読後堪能させられたという感じが強かった。しかし、人物や情景の描写が克明にすぎて、サスペンスが早く迫ってこない恨みがある。やはり推理小説としては、十頁も読んだら、謎にひきつけられて巻をおくことが出来ないようなサスペンスがほしい。
佐野洋君の「一本の鉛」は出版当時読んだ記憶だけで判定したのだが、新人の作として大いに感心した印象が強く残っているので、直接他の三作との比較がむずかしかったが、プロットの面白さでは、これが第一ではないかと思う。文章も気が利いていて、新人らしい新鮮味を感じたことを忘れない。新人中でも売れっ子になっている佐野君の実力を考え合せて、この作は私の心中に可なりの重力を持つていた。
結城昌治君の「ひげのある男たち」は一番読みやすかった。プロットはルパン風に、別の言い方をすればチェスタトン式に、思い切ったものだが、気の利いた文体のユーモア小説なので、プロットの突飛なことが却って効果的である。前記の二作に比べて重量感はないけれども、ユーモアものとしては、それが当然で、これはこれとして充分面白かった。作品の性格がちがうので比べにくいが、前二作とほとんど同レヴェルといってよいと思う。
鮎川哲也君の「憎悪の化石」は縦来の作風とことなって、筋を運ぶだけでなく、背景描写の余祐を加えようとしたことがよくわかり、そういう点でもクロフツの現実描写を学ぼうとした苦心は買うけれども、その余祐の部分が取ってつけたようで、充分板についていない感じがした。そこで、候補作の参考として附記してあった「黒い白鳥」をまとめて読んでみたが、これにも同様の努力がはらわれていて、その中の大阪方面の地方色描写が可なり長く書いてあるところがあり、その部分が実に面白く読めたので、板につかないという不満がほとんど解消した。筋も「黒い白鳥」の方がよく出来ていると思った。トリックは例によって両方とも鉄道ものだが、いずれも新トリックで、鉄道だけから、よくこんなにトリックを見つけ出すものだと感心した。この作品は鉄道トリックばかりをどれほど案出したことであろう。同君の諸作品は「鉄道トリック百科全書」の観がある。トリックが種ぎれになったといわれる現在、この人の考案力は実に珍重すべきである。
結局、鮎川君のたゆまざる本格作家としての特殊の立場に敬意を表する意味をも含めて、「黒い白鳥」を主、「憎悪の化石」を縦として、私はこれを一席に推した。この判断が最も妥当と考えたからである。閉じる
- 角田喜久雄[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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本年度のクラブ賞が鮎川さんにきまった。決定委員会が今年のようにすらすらと片付き殆んど満場一致に近い得票で決まってしまったことは近来まことに珍しい。鮎川さんお目出度うという前に、何か委員一同やれやれといった顔付であった。
といっても別に悪い意味ではない。鮎川さんのように年々、毎回といっていいほどクラブ賞候補にあがり、決選の得票と争った人は少いだろう。毎年、ああまた鮎川さんが出てるなと思い、その癖何とはなしに運が悪くて次点に落ちたりする。委員会の席上、度々受賞運命論が出る例になっているのもそのためであった。その鮎川さんが受賞されたから、委員としても何となく肩の重荷でもよいが、何かひっかかっていたものがおりたように、やれやれといった気持になったのである。
しかし、いざこうきまってみると、今更お目出度うというのも可笑しいくらいだ。とうの昔受賞されていて当たり前だという気がするからである。
純粋本格というしろものくらい、読んでアラ探しをするのは易しくて、いざ書く段になるとむずかしいものはない。しかも、連続佳作を発表しつずけるということはいよいよ至難な事だ。それにはよくよく特異な才能とよくよくの努力が必要であろう。鮎川さんはこれをやってのけられたのだから立派である。
どんな大作家にでも探せばアラはいくらでもある。鮎川さんにも、文章とか小説作法上の技術面に弱点のあることは御本人が誰よりもよく御承知で努力しておられることであろうが、次の時代の純粋本格派を背負って立つ人だと思うから、どうかその稀な優れた才能を大事にして育てて頂きたい。閉じる
- 城昌幸[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年のクラブ賞詮衡には、出席委員の九割までが、鮎川哲也氏を推した。こんなことは今までの例から見て、むしろ珍しいことである。大概、委員の間に、相当激しい議論の応酬があって、その後に採決の投票が行われるのだが、今年は、その必要を見なかったわけである。
と、いうことは、鮎川氏の作品価値が、昨日今日のものではなく、既にレベルを超えていたのだ、と証明するようなものだ。却ってその受賞の遅きに失した傾きさえある。
周知の通り、本格物は厄介で難しい。推理作家と世間体には銘打たれて居ながら、僕は元より、事実上、その本筋である本格物を書ける作家は寥々たるものだ。それを、鮎川氏は、その処女作以来、この困難な道程のみを辿ってきたのだから――而かも、それぞれの作品が粒揃いなのだから、これは偉とするに足る可きだろう。
鮎川氏の処女作は『宝石』で最初の長篇募集の折の第一席、『モロトフ事件』だ。その頃は、中川透の筆名だったが、ところが。このことに思い及ぶと、僕には胸痛む記憶があるのだ。その時の賞金を、会社は支払えなかったからだ。戦後の新興出版社が軒並み倒産した時で、わが社も亦、その例に洩れず、四苦八苦の経営状態だった。
爾来、僕は、中川透の鮎川氏に、深く負い目を感じていた。なんとかして、氏の為になることが出来してはくれないだろうか。甚だ他力本願で恥づかしいが、ひそかに、そう思いつづけてきた。
あれから十年、鮎川氏は、とうとうクラブ賞を獲得された。ほツとして僕は、わが半分の罪が許されたように思った。――テーブル・スピーチめくが、鮎川氏の今後に大きな期待と希望を寄せる者だ。閉じる
- 香山滋[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回の日本探偵作家クラブ賞が鮎川哲也氏に決ったことは、毎年、同氏を推して巳まなかったぼくとしては、まことに御同慶にたえない。
ぼくは、氏を、中川透時代から注目していた。その、ひどく地味で、こちこちで、どちらかと言えば読むのに可成りな抵抗を感じさせながら、つい読了まで引きずられてしまう。そうした強引というか、執拗というか、とにかく妥協のない作風が、僕のように気弱な性格にはむしろ生理的に痛快でもあった。その痛快さは、また、氏のあらゆる作品のバックボーンとなっている推理小説として最も興味深いアリバイ崩しの面白さ(作者の側からすればそれに傾倒する努力)から来るものであろう、とぼくは見ている。
そこが、鮎川作品の魅力である。へたに文学ぶらず、軽率に才気走らず、他所見をせずにコツコツと真面目な努力を積重ねていく制作態度から滲み出る好感というものは、具眼の士の注目を逸らさせるものではない。それを裏書するかに、氏の作品に対する新聞雑誌評は、最近特に目ざましいものがある。また我が意を得たり、というところである。
毎年必ず一作は予選を通過していながら、いつも賞の決定線からシャットアウトの憂目に会ったのも、ここ何年のことであったろうか。それは、もう、ただの不運であって、むしろ今となっては、その不運の堆積が目出度く今回の受賞に盛り上らせた、とぼくは見る。その証拠に、決定委員会の席上、投票を待つまでもなく、わずか二人の反対があっただけで全員の推薦を見ている。
こんなにすっきり、短時間に、圧倒的な決定を見た例は、ここ何年来無かったことである。
いささかひいき讃めに過ぎたきらいはあるが、率直に祝意を述べて、好漢今後の活躍を更に期して待つとしよう。閉じる
- 山田風太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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いつときクラブ賞の候補作品にすら払底したころを想うと、今度選び出された長篇四篇が、いずれも力作秀作であったのは、やはりブーム時代であるといわなければなるまい。
力作であるとは思うが、しかし「霧と影」面白味は、ついに僕にはわからない。ちょっと松本氏の作風に似た点があると評した人もあるが、松本氏の作品は、重厚なリアリズムの衣でつつんであるけれど、その中に恐ろしく小手のきいたテーマなりアイデアがある。探偵小説ははじめ地味でも終りほど面白くなるのが通例だが、これは逆のように感じた。「ひげのある男達」「一本の鉛」「憎悪の化石」――いずれも捨てがたい作品で、僕は三本ともクラブ賞になってもいいくらいに思ったが、しいていえば僕はやはりこの順で感心した。「ひげのある男たち」の鼻につくほどの才気は、探偵小説の場合、珍重すべきものであり、現在のところ、ほかに真似手がないほどである。ただし、探偵が犯人を決定する論理に、すこし飛躍があるようだ。他の嫌疑者を抹消していって残ったものというにしても、いささか釈然としないふしがある。少くとも、もってゆき方が、そうである。
「一本の鉛」はトリック、才気、文章、あらゆる点でソツのない岸首相的作品。充分長期政権を担当するに足る安定性がある。但し、すぐにどんな話だったか忘れてしまいそうだ。
「憎悪の化石」は文章に関するかぎり、他に比していささかおちる。しかし、舌にのこる探偵小説独特のの妙味は、それを償ってあまりがある。このカンどころを天性知っている人という点で、高木氏と相ならぶ作品であろう。この才能は、ほかにもうんとありそうで、案外ないものである。このごろ新劇ばやりの探偵小説で、古典歌舞伎の味をつたえるものとして、むろん、鮎川さんの受賞には大賛成である。いわんや、「黒い白鳥」は小生未読だがこの作以上にすぐれたものであるらしいに於いておやだ。
しかし、鮎川氏もききあきたろうし、探偵作家全般にもむかしからイヤになるほどいわれてきたことだが、この探偵小説のカンを心得た人ほど、文章のカンがわるいのはどういうわけかな。むろん悪達者はさらに感服せず、ごく素朴な意味でいうのだが、この相関現象は一奇である。閉じる
- 高木彬光[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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例年クラブ賞の授賞については、人か作品かということが問題になる。既受賞者の作品は省くから、それはいいとしても、大家というべき人の傑作があらわれた場合、今さらという声を聞くことはしばしばなのだ。
この論の当否は別として、私は大体作品本位の主義を通して来たつもりである。
その意味では、「憎悪の化石」はずばぬけた傑作とはいい切れない。他の三篇も、ある意味では優り、ある意味では劣り、後は個人の好みなり主観を以て判断すべき場合だった。
従って、私は他の三氏には後日の機会を期し、信念を以て鮎川氏を推したのである。
この数年、たえず候補となる作品を書きあげながら、強力なライバルの出現によって、たえず不運をかこっておられた鮎川氏に、努力賞をプラスすることは、この賞の性質上、当然と思われる。
一本のずばぬけた傑作を書き上げることももちろん難しい。しかし、長年にわたって、情熱と努力を傾けつくし、少しずつでも、自分の作品の水準を上げて行くことは、これに劣らぬ難事である。
私は、鮎川氏がこの受賞をきっかけに、自信を持ってなお一段の飛躍向上を実現されることを祈ってやまない。
思えばこの受賞は遅きにすぎた。数年前、「赤い密室」が話題となったとき、悪質な妨害工作がなかったならばと、私は慨歎するのだが、それも考えようによっては、鮎川氏の将来の大成のために与えられた試練だったかも知れない。
おめでとう。本当におめでとう。閉じる
- 日影丈吉[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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私が事務局をあずかるようになってから、クラブ賞のあつかいはこれで三度目。一昨年は大先輩の角田さん、昨年はクラブ会員外の有馬氏だった。今年は同期の作家に取ってもらいたいものだと願っていた。 シミッタレた話だが、候補作品は審査員たちで回し読みする。私は佐野、結城、水上、鮎川の回覧順で読んだ。
「一本の鉛」は話のもって行き方が、いちばんうまい。テーマの通俗的なのもよいが、密度が稀薄で、他の作品にくらべると軽い。若くて才能のある人だから見送ることにした。「霧と影」の中にも「鉛一本の差」という言葉がある。日常性の中の皮肉な危機には、誰しも敏感なのだろうか。
「ひげのある男たち」は題名が気がきいているが、長篇としては文体のアンバランスが気になる。「鉛」の作者同様、今後に期待したいと思った。
「霧と影」はいちばん読まされた。物を見る眼の鍛えも他の作品とは、ちょっと違うし、中小企業の世界をとりあげたのも面白いし。委員会の席上、横溝氏の亜流だという批評も出たが、それだけのものではない。ただ捜査の道すじが次第に一本調子になってしまうので、推理小説として興味を減殺される。はじめの方の面白さは随一なのに、惜しいと思った。
「憎悪の化石」には、いただけない点もあったが、この作者が、あきずに時間表トリックと取り組んでいる努力はたいへんなものだし、参考作品として「黒い白鳥」が挙げられていたことに気がつかず、読まなかったが、その方はたいそうよいものだという江戸川先生の批評を尊重して、この作者の作品への授賞に賛成した。とにかくご同慶の至りである。閉じる
- 中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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鮎川哲也さんのクラブ賞受賞がきまった。那珂川透、薔薇小路棘麿、中川淳一、中川透の筆名から、現在の名前までもう十年の馴染である。
鮎川さんは人柄もそうだが、作品も実に堅実でゆるがないところがある。緻密な設計計画に基づいて拵えられた建築物のように、どっしりとしている。
十年とはいうものの、作品数は決して多い方ではない。一作一作に心魂を傾け、それ相当に買われながら、はなやかなブームに乗るようなことはなかった。少しでも注目されるようなことがあると、きっと何かしら障碍があって、機会を逸した。こんどのクラブ賞の獲得に際して、私は苦節十年ということばを思い浮かべた。
鮎川さんは流行は追わず、ひたすら自分の途を進まれた。その長い期間の精進を振り返るなら、作品の出来不出来はあっても、逞しい意欲に誰しも敬意を表するに違いない。どんな地味な作風であっても、長年蓄積されてみると、今更ながら偉大な全貌に気付かざるを得ないのだ。
その場ではぱっと騒がれても、長い年月を経てみると色の褪せる作品もある。その時はそれほど目立たなくても、後年まで読むに堪える作品もある。鮎川さんのものは、古いものを引っぱり出してみても、骨格がしっかりしているため、価値が変らない。
鮎川さんにとっては遅きに失した授賞だが、地嗹な努力はきっと報いられることが分れば長い間こつこつとわき目をふらずに仕事を続けている人たちに、力強さを与えるだろう。こんどの受賞の嬉しさは、そういう功徳まで具えている。閉じる
その他
- 椿八郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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日本探偵作家クラブが、年一回授興するクラブ賞の本賞としてエドガー・アラン・ポオのブロンズ像をつくる話のきまったのは、一年前のことであった。資料あつめに日数がかかり、具体的にこの仕事が緒についたのは、昨年九月も下旬に入ってからのことで、ぼくたちは、以前から持っていた資料に、木々会長が八月米国から持って帰えられた写真類をつけ加え、クラブ幹事大河内常平君の恩師である、新制作中堅彫刻家の後藤光行氏にリアルな様式で、ポオのブロンズ像を制作することを依頼した。
後藤氏は、非常に人柄のよい方で、ぼくたちのてんで勝手な注文も素直にうけいれ、ご自身でも、ポオの生涯を研究して、十月には、三つの試作彫塑像を制作され、ぼくたちの批判を求められた。その一つは、後藤氏の創作力を自由に発揮したもので、ポオのリリーフに大烏と黒猫の脚とを配したものであったが、これはポオの像に立体感がとぼしく、ぼくたちは、これを採決するわけにゆかなかった。
第二の像は、ポオの理想化された肖像画、あるキンヘラー・ペイカーのエッチングを基調とした小綺麗な容姿のもので、出来栄えは上上であったが、その一面、平凡すぎるというぼくたちの多くの批評で、とりあげるにいたらなかった。第三の像は、木々会長が、今度米国から持ち帰えられた『唯一つの本当のポオ写真像』といわれるものを参考とし、マリイ・E・フィリップ著の『ポオとその人間』の中にある一八四八年にとった写真を基盤としてつくられたものである。木々会長の写真は一八四五年ブラデイ氏によって撮影されたもので、ベイカーのエッチングの原像のように思われるふしがある。フィリップの著書の中にある方は、ポオがボルチモアで悲惨な死をとげる丁度一年前にとったダゲレオタイプ(銀板写真)であって、ポオの顔は、アルコール中毒のために歪んでおり、一種の精神病的な陰鬱な相貌を呈しているものである。後藤氏のこの像は、よくその特異な面影をとらえていて、ぼくたちの心持ちに一致するものがあったが、それでも、批判はなかなか厳しく、凝り性の乱歩氏は、相当なダメをだされた。ポオは四十才で死んでおるのだから、年寄りじみた顔では困る、米国人だから眉と眼の間隔がありすぎるのは本当でない、これでは口髭が分別くさくていかんと、いったようなところが乱歩氏の評であった。木々会長は、ポオの口が極端なうけ口であることを強調して塑像に手を加えてもらった。城昌幸さんも、ポオの名詩『大烏』の訳者であるだけに、城氏独自なポオ像の細かい印象を述べ手を加えることを注文された。この第三の塑像は、その後三回手直しされ、十二月に石膏像に仕上げられ、今年の一月仕事始めとしてブロンズに鋳こまれた。このポオのおはぐろ仕上げになっているブロンズ像は、北米産ウオール・ナッツ材の台座にとりつけられている。像の髙さは、十五糎、台座は髙さ三十七糎の十二糎角で、その正面に『日本探偵作家クラブ賞』という明朝活字体の文字が縦に浮彫りされたロクショウ仕上げのブロンズ・プレートがはめられており、裏面には、受賞者の性名と、受賞年度の西暦アラビヤ数字が横書に刻まれた銅版がつけられている。これらの文字は、いずれも会員でその道の専門家である朝山蜻一氏の筆になるものである。尚ほ、このようにポオ像の決定版が出来たので、会員証の指輪についているポオのリリーフも、このポオ像をミニチュア化して原型をつくり直し、いままでのものと取更えてゆくことになっている。閉じる
予選委員
- 小山勝治
- 中島河太郎