1963年 第16回 日本推理作家協会賞
受賞の言葉
受賞の夜
ありがとうございました。
大へん面はゆいことではございますが、皆様方の御好意を喜んでお受けいたします。
選考の結果を、まっさきに知らせてくれたのは産経新聞であった。四月六日の夜である。
産経の本社が支局に連絡し、支局では、どうやって知らせようかと迷ったあげく、町役場に電話した。そこで宿直員が、町内の雑貨屋に電話し、そこのカミさんが私の家に駆けつけ、話を聞いた家内が、私の書斎にとびこんで来た。相手が変るたびに、伝言が少しづつ変化したらしい。
「スイリキョウカイの小説ってなんですか」
と家内は、早口で言った。
「知らないな」
「入選したから、新聞社で賞をくれるというんですが・・・」
私は家内と、推理小説について語ったことはない。仕事は私だけのものである。コッソリ作品は読んでいるらしいが、感想めいたことは、一度も言ったことはない。クラブが改組したことなど、勿論知る筈がないのだ。
「わかったよ」
と私がうなづくのへ、
「新聞社の賞状だけかしら・・賞金もあるんでしょうねえ」
と、いささかヨクの深そうな顔を向けた。
つづいて、朝日新聞の学芸部が、いつも私の借りている呼び出し電話で、私を呼んだ。協会から、正式の電報を頂いたのは、夜の十一時である。ことし高校に入った長女が、その電報を、緊張した表情で、私の部屋にとどけに来た。私は、さりげない手つきで、それを受取ったのだが、一枚の紙片が、ひどく重たいように感じられた。
- 作家略歴
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1917~2011.11.14
長野県生れ。中央大学卒。
一九四九年、「宝石」百万円懸賞C級(短編)に「『罪ふかき死』の構図」で一等入選。五八年、最初の長編「天狗の面」を刊行。六三年、「影の告発」で日本推理作家協会賞を受賞する。主な長編に「危険な童話」「赤の組曲」「針の誘い」「盲目の鴉」「不安な産声」、短編に「肌の告白」など。「事件÷推理=解決」に剰余があってはならないと主張し、評論書「推理小説作法」もまとめている。
2001年第五回日本ミステリー文学大賞を受賞
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 山村選考経過を見る
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推理作家協会賞選考経過
本年度より探偵作家クラブ賞は推理作家協会賞と名称を改め、授賞対象も作品の他に評論、翻訳、映画、演劇等にも範囲をひろげることになり、選考方法も従来までの幹事会選出を取りやめて、新に選考委員を委嘱することになった。
それにもとずき、恒例により正会員のアンケート及び評論家諸氏の推薦を参考にした結果、ゴメスの名はゴメス(結城昌治)、方壺園(陳舜臣)、影の告発(土屋隆夫)、誘拐作戦(都筑道夫)、シャーロック・ホームズの世界(長沼弘毅)が候補として選ばれた。
選考委員会は、さる四月六日午後五時から虎ノ門晩翠軒において開催。松本清張、横溝正史、中島河太郎(以上協会側)、十返肇、平野謙(協会外)の五選考委員のもとに行われたが、ます長沼弘毅氏の「シャーロック・ホームズの世界」と都筑道夫氏の「誘拐作戦」がいずれも候補作以外に力作があるという点で落ち、残った三篇、結城昌治氏「ゴメスの名はゴメス」、陳舜臣氏「方壺園」、土屋隆夫氏「影の告発」にしぼられた。
席上各委員の発言要旨は次の通り。
松本「ゴメス」と「方壺園」を残したい。「ゴメス」は 後半三分の一の乱れが気になるがこれまでチャチだっ た日本のスパイ小説に一つの知性を加えたものと云え る。「方壺園」は文章のよさにひかれ、芥川の作品に 匹敵すると思ったが、短篇以外にいい仕事をする作家 という気がするので、いずれもとりがたい。
中島「ゴメス」は結城氏のこれまでの作に新展開を試みているので、「ゴメス」をとりたい。
十返「影の告発」と「ゴメス」はどちらも感心して判定がつけにくいが、私は「ゴメス」を取りたい。
平野「影の告発」
横溝「影の告発」の力作感と「方壺園」
票が割れたので、更にしぼった結果、松本氏は「影の告発」が多くの弱点を持ちながらも、真剣に本格推理小説にとりくんでいる点をとり、各委員もその努力作であるのを認めて、これからも大いに伸びる作家である結城氏には、今後を期待することにし、事実上は、第一回に当たる協会賞には、本格物を取るべきだという見地と地方在住作家の奨励という意味をも含めて、二時間半にわたる論議の結果、土屋氏に決定したものである。(山村 加納記)閉じる
- 加納選考経過を見る
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推理作家協会賞選考経過
本年度より探偵作家クラブ賞は推理作家協会賞と名称を改め、授賞対象も作品の他に評論、翻訳、映画、演劇等にも範囲をひろげることになり、選考方法も従来までの幹事会選出を取りやめて、新に選考委員を委嘱することになった。
それにもとずき、恒例により正会員のアンケート及び評論家諸氏の推薦を参考にした結果、ゴメスの名はゴメス(結城昌治)、方壺園(陳舜臣)、影の告発(土屋隆夫)、誘拐作戦(都筑道夫)、シャーロック・ホームズの世界(長沼弘毅)が候補として選ばれた。
選考委員会は、さる四月六日午後五時から虎ノ門晩翠軒において開催。松本清張、横溝正史、中島河太郎(以上協会側)、十返肇、平野謙(協会外)の五選考委員のもとに行われたが、ます長沼弘毅氏の「シャーロック・ホームズの世界」と都筑道夫氏の「誘拐作戦」がいずれも候補作以外に力作があるという点で落ち、残った三篇、結城昌治氏「ゴメスの名はゴメス」、陳舜臣氏「方壺園」、土屋隆夫氏「影の告発」にしぼられた。
席上各委員の発言要旨は次の通り。
松本「ゴメス」と「方壺園」を残したい。「ゴメス」は 後半三分の一の乱れが気になるがこれまでチャチだっ た日本のスパイ小説に一つの知性を加えたものと云え る。「方壺園」は文章のよさにひかれ、芥川の作品に 匹敵すると思ったが、短篇以外にいい仕事をする作家 という気がするので、いずれもとりがたい。
中島「ゴメス」は結城氏のこれまでの作に新展開を試みているので、「ゴメス」をとりたい。
十返「影の告発」と「ゴメス」はどちらも感心して判定がつけにくいが、私は「ゴメス」を取りたい。
平野「影の告発」
横溝「影の告発」の力作感と「方壺園」
票が割れたので、更にしぼった結果、松本氏は「影の告発」が多くの弱点を持ちながらも、真剣に本格推理小説にとりくんでいる点をとり、各委員もその努力作であるのを認めて、これからも大いに伸びる作家である結城氏には、今後を期待することにし、事実上は、第一回に当たる協会賞には、本格物を取るべきだという見地と地方在住作家の奨励という意味をも含めて、二時間半にわたる論議の結果、土屋氏に決定したものである。(山村 加納記)閉じる
選評
- 平野謙選考経過を見る
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候補作のなかで「ゴメスの名はゴメス」「影の告発」「方壺園」の三作が最後まで残って、十返さんと中島さんが「ゴメス」を、松本さんが「方壺園」を、横溝さんと私が「影の告発」を推したため、なかなか授賞作を決定することができなかった。松本さんの「影の告発」に対する批判は、さすがの手だれの実作者によるものだけに、大いに聞くべきものがあった。松本さんは第一に文章上の弱点、第二に検事と警察との関係の曖昧、第三に前日のアリバイを洗わなかったことの不備、第四にキメ手となった写真のトリックに気づくことの遅さなどをあげられたと記憶するがことごとく当っていて、私も少々ひるんだことである。しかし、そういう弱点はあるものの、「ゴメス」とくらべた場合、やはり私は「影の告発」に軍配をあげたいと思う。「ゴメス」の決定的な弱点は、ダブルスパイという現代的なキャラクターを、単にニヒリズムというような点から説明づけていて、彼が陥らざるを得なかったぬきさしならぬヒューマン・リレーションという視点を、ほとんど全く採用していないことだろう。大体すべての人間関係が、恋愛関係もふくめて、一応文学的にできあがっているみたいで、実はみな曖昧であり、底が浅い。最後の解決もテレビ・ドラマみたいだと誰かが批評していたが、事実、安っぽいという印象をまぬかれていない。異国のスパイ事件という困難な題材を一応破綻なくこなしている作家的努力は、私も認めるのにヤブサカではないが、この作者の力量からいえば、もっとすぐれた作が期待されるのではないか。「方壺園」は文章からみても、当今の推理作家のなかでは文学的に高い位置を占めるものであり、この短篇集を推した松本さんの気持もよくわかるが、横溝さんのいわれた「あざとい」という批評も当っていないわけではない。諸家の批評をきいているうちに、私の気持がぐらついてきたが、最後に、多年本格的な推理小説のために精進してきた土屋さんの努力に報いることが、推理作家協会ハツの授賞としてふさわしいのではないか、という松本さんの発言に全員異議なく賛成して、「影の告発」にきまったような次第である。それにしても、評価というものは各人各説で、むずかしいものだ。最近もクロフツの「フレンチ警視最初の事件」を絶讃した宗左近さんの批評をよんだが、私はあの作はクロフツのものとしては失敗作のように思っている。すくなくとも「二つの密宝」などとともに、人間性の洞察という点ではリアリスティックでないように思えた。「影の告発」もまたそういう欠点からまぬかれているわけではない。閉じる
- 横溝正史[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今度予選の篩にのこった五篇のうち、わたしはどれを採ってもよいと思った。わりに早く脱落した都筑道夫氏の「誘拐作戦」にしてからが、わたしには面白く思えた。しかし、なんといってもさいごまでわたしの心を惹きつけたのは土屋氏隆夫氏の「影の告発」と陳舜臣氏の「方壺園」である。ことに陳氏の香気ゆたかな名文には以前から強く心を惹かれているわたしである。しかし、「方壺園」の場合それが短篇集であるということが難点なのではなく、密室の殺人を短篇で扱うところに無理があると思う。せっかくよく出来ている小説を、なにもこうトリッキーにしなくてもよいではないかという気が、「方壺園」の場合も、また、この集に収められているほかの短篇でもせざるをえなかった。こんなことをいうと本格派をもって任じているわたしらしくもないと叱られるかもしれないけれど。密室の殺人を短篇で扱うと、どうしてもアザとらしさが目についていけないように思う。
土屋氏の「影の告発」にもいろいろ無理はあるだろう。しかし、由来推理小説に若干の無理はまぬがれない。土屋氏のどの小説-長篇の場合だが-も、真シな態度で書かれているのが好ましい。こんどの場合でも始終呼吸がととのっており、テンポに乱れがないのに好感がもたれた。
その点結城昌治氏の「ゴメスの名はゴメス」は終りへいって外国のTV映画を見ているような気持にさされたのは惜しかった。わたしはあまりスパイ小説は好まないのだが、これはよく出来ており、またよく調べてあるのにも感心した。しかし結城氏の本領はもっと別のところにあるのではないかと思う。
長沼さんの「シャーロック・ホームズの世界」は序文にある「もう少し手の込んだ脂っこい料理」がお出来になってから採りあげてもおそくないのではないか。閉じる
- 松本清張選考経過を見る
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陳舜臣氏の「方壺園」私は推したが、陳氏には長篇を期待しようという委員諸氏の意見で私の主張は破れた。この短篇集のものは、恰度、芥川の中国ものを読んでいるような文章の巧さを感じる。何よりも筆が抑制されていて、用語が適切である。雰囲気描写も巧い。五つの短篇にはそれぞれ本格的な味つけがあるが、むしろ、この作家は、今後、久生十蘭のような道を歩いたほうが特徴が出るのではないかと思った。陳氏は寡作で、しかも、これからいいものが期待されるので、あえて諸氏の意見に屈した。
残ったのは結城昌治氏の「ゴメスの名はゴメス」と土屋隆夫氏の「影の告発」である。「ゴメス」は、直木賞候補作で私は詮衡委員として読んだが、何といっても後半三分の二あたりからの乱れが心にひっかかる。
一方、「影の告発」は、フィルムのトリックが私の「時間の習俗」と偶然一致したので批評しにくいが、この部分を除いても、これには致命的な瑕がある。それは写真の石碑に影が映っていることで犯人のトリックが見破られるところだが、捜査陣が写真を見て、面面の影から、天候や時間などを推定するのは捜査の初歩の段階になされねばならない鑑識である。ところが、それが最後になって犯人の割出しの重要なポイントとなるのだから、これは重大なミスと云いたい。
次には、これほど注目されている犯人なら犯行当日を中心に前日の行動も当然捜査側は洗わなければならないのに、そのことが全くなされていない。前日の行動を調べれば、犯人の完全犯罪は忽ち崩れるのだから、大きな弱さである。ここは犯人が警察の追及を予想して前日にもアリバイ工作をしておくべきだ。
余計なことになるかもしれないが、この小説では検事が捜査本部を直接指揮している。戦後の機構改革でこういうかたちの捜査指揮は、いまではあまりやっていないから、これは本筋には関係ないが、リアリティを欠くものとして一考を要する。
但し、電話のトリックは巧いし、また、五枚の名刺によって決定的な容疑者を絞るところは説得性がある。
委員会では「ゴメス」にしてもいいし、「影の告発」にしてもいいという意見であったが、最近、推理小説の名で推理小説らしからぬ小説が横行しているので、推理作家協会賞としてはやはり、いろいろ欠点はあるが、力作として本格もの「影の告発」に受賞させたほうがいい、という意見を私は提出した。幸い委員諸氏の賛成を得て、これに落着いたのである。土屋氏の今後の発展を祈ってやまない。閉じる
- 中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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創立匇々の協会にとっては、小説とそれ以外のものとの二本建て授賞が無理だと分ったので、長沼氏のユニークなホームズ研究を割愛せざるを得なかった。都筑氏は珍重に値するが、やはり正道のものと比べると損である。
結城氏、土屋氏、陳氏の三冊は、それぞれ分野が異なるので、どれをはずすかで苦労した。陳さんのは珠玉の短篇というべきであったが、長篇で授賞されるほうがよかろうと、次の機会を待って貰うことにした。
「ゴメス」ははじめてわが国にスパイ小説を定着させた功労賞、「影の告発」は昨年の「危険な童話」にひき続いて、本格物のクリーン・ヒットで、論議沸騰した。私は開拓者の功績を表彰するほうに傾いたが、土屋氏にきまった。もちろん大賛成である。
正直なところ去年の「危険な童話」こそふさわしかったと思うが、力量を落さずまた「影の告発」を発表されたのは嬉しい。
遠く隔っているが、十数年に至る土屋さんの孜々とした精進には敬服している。遅い授賞は土屋さんにとっては遺憾であったかもしれぬが、地方在住で書き続けている方々を励ます力があるかと思うと、見事にその先例を開かれた土屋氏に、改めてお礼を申し上げたい。閉じる