1972年 第25回 日本推理作家協会賞
1972年 第25回 日本推理作家協会賞
該当作品無し
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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第二十五回日本推理作家協会賞の選考委員会は、去る二月二十八日午後六時より、虎ノ門晩翠軒において行われた。
島田一男、土屋隆夫、結城昌治、陳舜臣、佐野洋ら選考委員の手で、さきに予選委員会で選出した左の候補作
斎藤 栄 「香港殺人事件」
森村 誠一 「密閉山脈」
藤村 正太 「コンピューター殺人事件」
仁木 悦子 「冷えきった街」
草野 唯雄 「影の斜坑」
高橋 泰邦 「軍艦泥棒」
の六篇について慎重な審議を行なった結果、本年度の協会賞は昨年度に引き続き授賞作なしと決定した。閉じる
選評
- 佐野洋[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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ことしの協会賞選考において、私の立場は奇妙なものであった。下選考の委員として、候補作をしぼる作業を終えた段階で、私は、他の下選考委員と、『ことしは、授賞作が出るだろう』と話し合っている。つまり、そのときには、候補六篇のうちなら、何が受賞しても不思議はないと考えていたわけだが、それは私の中に、選考委員に下駄を預けるという多少、無責任な気持があったからであろう。
ところが、有馬頼義氏のご病気のため、選考委員のお鉢が、こちらに回って来た。私はもう一度、全候補作を読み直さなければならなかった。
一般に推理小説は、二度目に読んだときに、優れた点も欠点も明らかになるものだ。作者の苦心の伏線も、優れていればいるほど、一度目には何気なく読み過され、二度目のときに、あっと思うのだし、逆に、結果を知ったあとで読むと、どうしても、この人物のこの行動は不自然だと考える場合もある。
残念ながら、今回の候補作を読み直すと、優れた点以上に、欠点が目立ってしまったのである。私は、積極的に推す作品を決めかね、選考委員会の大勢に従うつもりで出席したのだった。
ところが、他の委員諸氏も、私と同様、積極的に推す作品をお持ちでなかった。その結果、授賞作なしということになってしまった。
候補作の多くが、いわゆる、本格的であったことも、不幸な結果の一回かもしれない。本格以外のものであれば、目をつぶれるミスも、本格ものであるが故に許容できない場合もある。
と同時に、敢て言わせていただけば、パターンに斬新さのないことも、私には不満であった。本格だからと言って、従来からの本格の形式を踏襲する必要は少しもないわけで、新しい、本格のパターンを創造することは、トリックの案出以上に重要なことではないだろうか。
授賞作なしと決ったことに対し、いろいろな批判も耳にした。例えば奨励賞的な意味で出してもよかったのではないかという意見もあった。しかし、この意見には組し得ない。
奨励賞というものが、もしあるとすれば、それは選考委員が、一段上に立ってものを見ている場合に、初めて可能なのであり、私をも含めて、選考委員にそのような意識はなかったのだ。協会賞は、本来、推理小説を書いている作家たちの、同業作家の業績に対する賞讃、拍手であり、選考委員のお情けで賞にあずかるような性質のものではない。
従って、本格作品が受賞するには、鮎川哲也『黒い白鳥』、笹沢左保『人喰い』、土屋隆夫『影の告発』等の諸作品と比肩し得る完成度が必要だと、私は信じている。閉じる
- 島田一男[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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残念ながら、昨年に引き続き本年も協会賞なしと決定した。予選作品三十余篇の中から選ばれた六篇だけに、何れも一応の作品であったことも認める。しかし、昨年も委員をつとめたわたしとしても、本年度の候補作が昨年度の候補作――やはり六篇であったが・・・より優れているかどうか、そこに問題があった。
作品一つ一つについての感想は別の機会に述べることとして、昨年と今年と、二年続けて候補となった森村・草野・高橋の三氏について述べてみたい。
まず、高橋氏の場合、昨年は重量感のある力作、本年は一転して軽妙な娯楽読み物であったが、共に、これを推理小説と呼ばれることは、高橋氏自身とまどいを感じるのではなかろうか・・・と思われる作品であり、大変面白いものではあったが、わたしは最初から除外してしまった。
森村氏における昨年の「新幹線殺人事件」と本年の「密閉山脈」。草野氏に於ける昨年の「北の廃坑」と本年の「影の斜坑」。共に昨年度の作品の方が優れていると云わざるを得ない。
ところで、本年新登場の仁木・藤村・斎藤三氏の作品だが、わたしの採点では、「密閉山脈」とほぼ同点である。逆に云へば、本年度は昨年度の候補作品と比べて、これこそはと云うものが無かった。とすれば、本年度も授賞作品はない・・・と云うことにならざるを得ない。
本来、協会賞は、年度内の最優秀作品に与えられるのが建前である。従って、候補作品が前年度の候補作品に比べて優れていようが劣っていようが、本年度は本年度で、一番よいものに授賞すべきだとの意見も成り立たなくはない。しかし、そこには授賞の目安があり、ボーダーラインを考えなくてはならない。そのことは、過去十数回の授賞作品が明白に示している。
わたし個人としては、二年間連続の協会賞なしは甚だ残念である。協会の行事としても授賞式があった方が楽しい。だが、それを敢て授賞作なしに賛成したのは、わたしなりに、協会賞の権威を考え、昨年度、本年度の線以上の作品を、来年度に期待したからである。閉じる
- 陳舜臣[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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推理小説という名称を、できるだけひろげて解釈することに、私はむしろ積極的に賛成してきた。しかし、今回の高橋さんの作品を『推理作家協会賞』と候補作とすることには、いささか抵抗をかんじざるをえなかった。選考の席上でも、作品の優劣ということは別として、これを選考の対象からはずすことにきまった。候補にあげておきながら、選考からはずすなど、作者には大そう失礼なことで、帰りの新幹線のなかでも、まだ後味のわるさをかみしめていた。
最後に残ったのは、仁木・藤村・森村の三氏の作品で、仁木さんのは人間描写に最もすぐれ、藤村さんの推理小説らしい克明さ、森村さんのストーリー・テーラーとしての手腕、それぞれすてがたいものがあった。
これまで二人受賞の例はあったが、協会の規則で三人受賞は可能なのかどうか、事務局に問い合わせたところ、それを妨げる規定はないということだった。それならば三人受賞では、と、おずおずと提案したが、これは同調者がなく、軽く一蹴された。この提案を、おずおずとしかできなかったことが残念である。反対を押し切ってまで強く推したくなるキメテを、三作とも欠いていたようである。
結果として、二年連続授賞作なしという、きわめて不本意なことになって、土屋さんや私などの遠来組は、とくに滅入って旅の疲れがドッと出てきた。
それでも、仁木さんの緻密な作風や、藤村さんの精進の軌跡に接して、心強かった。また、たとえば死体焼却のシーンにみせた、森村さんの描写力には、心おどる思いがした。これまでとかく描写のあらさを、ウィーク・ポイントとしてあげつらわれてきたが、この作家はそれを克服しつつあるように思う。さらに、便利にみえるアフォリズムを慎しめば、苦しいけれど文章に奥行ができるのではあるまいか。
来年こそ、ウムをいわさぬ作品を期待したい。閉じる
- 土屋隆夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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協会賞は、本年もまた授賞作なしということになった。わたしの選考委員としての任期はこれで終る。つまり二年連続、授賞者のない審査会に出席したことになる。わたしは不幸な委員であった。
審査は二時間半に及んだ。なんとか授賞者を出したいという気持は、すべての委員にあった。が、結果はごらんの通りである。
最終的には、藤村・森村両氏の作品にしぼられたようだ。わたしは出席の当初から、この両作のいずれでもよいと考えていた。二作授賞という意見があれば、それに賛成するつもりであった。が、作品の鑑賞や理解ということになると、絶対的な一致はあり得ない。これが小説というものの宿命であり、文学賞につきまとう運、不運にもつながってくる。まことに残念な結果であった。
なお候補作品全般についていえば、中心となる大きな謎の魅力がなく、小細工が多すぎるような気がした。そのために作品の濃度がうすくなり、読後の陶酔を誘わない。累計的なパターン、心理を無視した人間関係、百科全書的な知識の雑然たる羅列が目立ち、中には、冒頭の謎が尻切れトンボに終っているような作品もあった。
今年は、昨年におとらず書下ろし作品が続出するそうだが、皮肉な言い方をすれば、推理小説の荒癈期に入った、と考えられないこともない。作家としては、もっとも戒心すべきときであろう。
ひとり推理小説にかぎらず、わたしは、一年に三作も四作もの長篇を書きとばす作者は、頭から信用しないことにしている。閉じる
- 結城昌治[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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推奨したい作品を一篇に絞れないまま選考会に臨んだが、選考は二時間半にわたって難航した。そして最終的には、昨年度の候補作六篇との比較が問題になり、例えば森村氏の「密閉山脈」は昨年度の「新幹線殺人事件」の方が優れているという意見が強く(私は「新幹線殺人事件」を読んでいないので比較できなかった。)また、藤村氏の「コンピューター殺人事件」の弱点に眼をつむるなら、「密閉山脈」や仁木氏の「冷えきった街」の弱点にも眼をつむれるはずで、つまり以上の三作に私は甲乙をつけ難く、といって三作授賞、あるいは二作授賞という案も、それらが昨年度の水準を凌ぐものであればともかく、そうでなければ強いて授賞作を出す理由がないという意見が大勢を占め、私も同じ意見であった。昨年につづいて授賞作なしというのは寂しいが、已むを得ない結果であったと思う。
なお、「密閉山脈」は遭難信号のトリックと荼毘の即物的描写、「コンピューター殺人事件」は直江津で同じ列車の上り下りが逆になるというアリバイ崩しの端緒、「冷えきった街」は人間関係の構成と犯行の動機づけ、「影の斜坑」はガス洩れのトリックに、それぞれ感心した。
高橋氏の「軍艦泥棒」は異色の冒険小説として自立しており、本賞の対象にされたことが妥当であったかどうか疑問である。閉じる