1994年 第47回 日本推理作家協会賞 短編および連作短編集部門
受賞の言葉
受賞作は小説推理の山本さんから、あなたが書きたいものを書きたいように書きなさい、と尻を叩かれて書いた小説です。九十枚ほどになりますから、短編と呼ぶにはぎりぎりの枚数かと思います。でも、これを書くのに、およそ三か月を要しました。たいていの作家なら、ゆうに長編を書き上げています。
一日に三枚から五枚。まるで戦前の純文学作家並みのペースで、編集者に迷惑をかけています。それに、これでは食べてゆけません。かみさんに苦労かけています。
こんなペースでやってきたことが、思いがけない形で認めていただくことになり、心から感謝しています。
ぼくのような立場では、書きたい小説を書きたいように書く、という機会がなかなか与えられません。そういう意味でも『ル・ジタン』での受賞は嬉しく、また、誇りに思います。賞の名を汚さないよう精進するつもりです。よろしくお願いします。
- 作家略歴
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1957~
岩手県盛岡市出身。立正大学文学部哲学科卒。一九八八年、FM岩手在職中に「テニス、そして殺人者のタンゴ」(講談社)でデビュー。九四年、「ル・ジタン」(双葉社)で第四七回日本推理作家協会賞短編部門受賞。
「暁のキックスタート」(廣済堂)、「夜の森番たち」(双葉社)、「雨の日の来訪者」(集英社)、「凍樹」(講談社)など。
受賞の言葉
協会賞は欲しくてたまらぬ賞でありました。この賞の重みは承知しているつもりです。賞の重みを維持し、発展させるのが受賞者のつとめであるということも。
デビューする直前、某新人賞に三度目に最終候補に残って落ちたとき、推していただいた選考委員に選評で言われました。
「この人はいつか凄い作品をひっさげてくる」
この言葉はいつも頭のなかにありました。ときに励ましとして、ときに叱責として。
今回の受賞作を「凄い作品か?」と自問するのは、選んでいただいた方々に対して失礼というものでしょう。
しかし宣言もしましょう。これよりも、はるかに凄い作品が、自分のなかの何処かにあるはずです。それを見つけるために、どこまでも、いつまでも、探して探して探して探して、そして胸を張って「これこそが凄い作品」と言える作品を書いてみせる、と。
- 作家略歴
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1960~
岐阜県生まれ。日本大学経済学部卒業後(株)タイトーに入社、TVゲーム・ビリヤード等の企画・営業を経たのち(株)鈴木コテ製作所に入社。左官工具の製造・販売に従事。 平成三年『情断!』(講談社)でデビュー。平成六年『めんどうみてあげるね』で第四七回日本推理作家協会賞受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第四十七回日本推理作家協会賞の選考は、一九九三年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長編と、各小説雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短編、連作短編集を対象に、例年通り昨年十二月より開始された。
協会員、出版関係者のアンケートを参考に、長編三三〇篇、短編六〇五篇、連作短編集二一篇、評論その他の部門二七篇をリストアップした。
これらの諸作品を協会より委嘱した部門別予選委員が選考にあたり、長編十六、短編四一、連作短編三、評論その他が二三、の各篇を第二次予選に残した。最終予選会は、三月一日、二日の両日、協会書記局で開催され、候補作を決定した。
候補作は既報の通り、長編五篇、短編五篇、連作短編が一篇、評論その他が五篇、という内容で、理事会の承認を得た後、本選考委員会に回付した。
本選考委員会は五月十七日、午後六時より第一ホテルアネックス「藤の間」にて開催された。逢坂剛、日下圭介、小杉健治、直井明、の四選考委員が出席、清水一行選考委員の書面回答を得て、大沢在昌が立合理事として選考をおこなった。各部門別の候補作について慎重かつ活発な意見交換が行なわれた結果、本年度は長編部門が一篇、短編部門が二篇、評論その他の部門が一篇の受賞作が決定した。
選考内容については、各選考委員の選評を参照していただきたい。
また本年度より、選考会後、受賞者による記者会見を実施することになり、当日は、斎藤純、北上次郎の二受賞者と阿刀田高理事長が会見に臨んだ。初めての試みであったが、会見場には二十名近い取材関係者が出席し、協会賞に対する注目がうかがわれた。閉じる
選評
- 逢坂剛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門は文句なしに『ガダラの豚』に決まった。
トリックを成立するための論理的整合性を優先させるか、それとも人間の心理を根底においたリアリズムを優先させるかは、書き手あるいは読み手のよって立つミステリ観、小説観に関わるものであるから、その是非を論じても平行線をたどる結果に終わる。そこでその問題をしばらく措いて、「おもしろい小説かどうか」という素朴な観点から判断すると、これはもう『ガダラの豚』に票を投じる以外にない。小説のおもしろさは、やはりジグゾー・パズルやテレビゲーム、SFXのそれとは別ものであり、活字で勝負する以上文章のもつ力を無視するわけにはいかない。同じ作り話でも、この作品は生なましい現実感にあふれており、つぎからつぎへとページをめくらせる馬力、予断を許さぬストーリーの展開、魅力に満ちた人物の創出といった点で、他の候補作を圧していた。これを前にしては、いかなるカルト的作品といえども、太刀打ちできなかった。いわば場外から乱入してきた快作に、推協賞をもぎ取られるかたちになったが、力の差があったのだからしかたがない。いわゆる謎解き小説ではないが、ミステリの幅を広げるという意味においても、『ガダラの豚』の受賞は大いに歓迎すべきである。
短編部門は、『ル・ジタン』が限られたスペースの中で、冒険小説的な味わいをうまく出しており、おもしろかった。『めんどうみてあげるね』の、暗いテーマをあっけらかんと描いた奇妙な味も捨てがたく、結局二作受賞ということに落ち着いた。
評論その他の部門では、やはり『冒険小説論』が圧倒的な情報量と分析力で、文句なしの評価を得た。北上さんの仕事が、ミステリの分野に与えた刺激と影響はきわめて大きなものがあり、むしろ受賞が遅すぎたほどだろう。この作品に関しても、資料的な価値はもちろんだが、≪どこから読んでもおもしろくてためになる本≫の好例というべく、推協賞にとってもありがたい収穫といえよう。閉じる
- 日下圭介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門 中島らも氏「ガダラの豚」。面白さでは抜群だ。この面白さは、ほら話の乗りである。巻末に挙げられた参考文献の量から取材は徹底されたのだろうが、読み手に"理屈"を忘れさせる従来の推理小説の枠をはみ出した作品だが、だからこそ受賞の意味もあろうと思い、選考会に臨んだ。選考会では、ほかに小声で真保裕一氏の「震源」を推してみた。地震予知などテーマに引かれたし、気象台の職員を主人公にしたのも新鮮に映った。だが後半で混乱があり、未整理な部分が多いと、他の委員から批判が出た。私自身感じていたことでもあり、強く推すことができなかった。気象という身近にあって知られない材料を取り挙げたのだから、国際謀略まで間口を広げることはなかったのではないか。次作期待。
短編部門 斎藤純氏の「ル・ジタン」、鈴木輝一郎氏の「めんどうみてあげるね」。この二篇も私が二重丸を付けていた作品である。斎藤氏の作は、パリを舞台に日本人カメラマン、歌手、ジプシーの盲目ジャズギタリストと構えは行き届いているが、世話物だな、人情話だなというのが私の読後感だ。そこが嬉しい。一方鈴木氏の作はオーソドックスな謎解きである。託老所という舞台設定も興味をそそられたし、人物も活きている。ただ結末が暗過ぎるという思いもあったが、もう一篇、今邑彩氏の「盗まれて」を推してみた。これも小声で。ほとんど女性同士の電話による会話という工夫を買ったのだが、結末が強引な割りに意外感が大きな声で推し切れなかった。
評論その他の部門 溝口敦氏の「消えた名画」が私には面白かった。ただ、取材の苦労話に重点が掛かり過ぎ、読後の印象が希薄になった。一応推してみたが、案の定、他の委員からはほとんど問題にされなかった。閉じる
- 小杉健治[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回、僭越ながら選考委員になったが、力作揃いの候補作を読む機会に恵まれ、また練達の読み手でもある他の選考委員の方の意見を拝聴することが出来て、とても勉強になった。「ガダラの豚」や「冒険小説論」は一頭地を抜いての受賞であり、短編でも「ル・ジタン」と「めんどうみてあげるね」の二作品にすんなりと決まったので、他の作品について感想を述べる。<連作部門>の「キッズ・ピストルズの妄想」は偏執狂的な思考の持主を巡る事件の連作集であり、その狂気の論理の展開がこの作品の魅力なのだが、謎の解明になると、その論理が常識的になっている点が気になった。しかし、魅力的な作品であった。<長編>の「震源」は地震を扱ったテーマは新鮮であり、謎の追及も面白かった。だが、次第に事件の核心が地震から別の方向に向かってしまったのは残念である。せっかくの題材、最後まで地震に的をしぼってストーリーを展開させて欲しかった。荒っぽさがあるが、筆力は十分で私は惜しい作品だったと思う。「異人たちの館」はさすがにミステリー巧者だけあって、記述のトリックを駆使し、見事な構成と謎にぐいぐい引きずり込まれたが、最後にきて登場人物の設定がそのための辻褄合わせになっているような印象がしてならなかった。「聖アウスラ修道院の惨劇」は古いスタイルの本格物を現在に蘇らそうという意欲に満ちた作品であるが、そこに従来にない何かを案出して欲しかった。しかし、本格物の雰囲気に十分浸ることが出来た。「二重螺旋の悪魔」は遺伝子操作の問題を扱って、アクション場面の連続。不気味さもあり、だんだんエスカレートしていくパワーに圧倒されたが、この面白さは小説のものではないように思う。もっと小説的部分に精力を注がれたら新しいタイプの小説の誕生ということが期待されるのではないか。このことは、本格物の候補作についても言えることで、主人公の魅力のなさや登場人物の不自然な心理などが選考会でも指摘されたが、本格物のファン以外の読者にも受け入れられるかどうかは、その点にかかっていると思う。<評論その他の部門>の「逆説の日本史」は独自の視点からの論調に興奮した。権威に挑戦し、また大きな問題にも果敢に切り込んで行く姿勢は、ある意味で痛快であった。高圧的な物言いに感じとれるところが気になったが、かつて読んだどの古代史関係の本より、私には面白く刺劇的だった。閉じる
- 清水一行[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門と短編の小説について、今回は積極的に推したい作品がないというのが、わたしの判断です。
長編については、候補五作とも一応は力作といえるのでしょうが、それは平均的な水準に達しているということで、一歩抜け出すなにかに欠けている。
受賞作の「ガダラの豚」は、構成を工夫し整理すべきだと思いました。中島らも氏は既成作家にはない不思議な感性の持主で、その点には興味を覚えました。
短編部門にも、いずれも小さくまとまってはいるが、心に響くなにかがない。読む側に訴えてくるものが感じられなかったため、長編部門同様に受賞に価するとわたしが判断できた作品は、ありませんでした。
しかし選考委では「ル・ジタン」(斎藤純氏)と「めんどうみてあげるね」(鈴木輝一郎)の二作受賞と決まったわけですが、さすが協会賞受賞作品だと思わせる重みが欲しかったというのが、率直な気持です。
これが評論部門になると、ノミネートされた作品のどれが受賞してもおかしくない、力作ぞろいでした。そのなかでわたしは北上次郎氏の「冒険小説論」を推したのですが、近代冒険小説の系譜を明らかにしたこの作品は、一貫して冒険小説にこだわってきた作者の、一つの集大成、到達点を示すものだと思ったからです。
結局「冒険小説論」の受賞が決まったわけですが、溝口敦氏の「消えた名画」について一言、ルポルタージュも本来、謎を追及し真相を明らかにしていくものではあっても、そこまでを協会賞の対象に取りこむと、他の賞との競合が問題になると思いました。
井沢氏の二作も立派な仕事だと言えます。閉じる
- 直井明[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門は謀略小説、本格物、SF、その他の多様な作品が並び、その他の「ガダラの豚」を推した。途中で飽きた作品もあったが、「ガダラ・・・」はほとんど異論なしに意見が一致したほど、おかしな魅力のある小説で、著者の発想が柔軟にして自由奔放、アフリカ見聞録になったり、ホラー調になってやたらに死人が出たりで、予想もつかぬ方向に進展して行き、楽しめた。
これに比べると、旧来の推理小説、特に本格物は何とも窮屈そうだ。「聖アウスラ修道院の惨劇」は密室や暗号、首なしの逆さ吊り、洞窟の文書庫等々盛り沢山で、クィーンやカーへのオマージュとしての古典回帰に徹しているのはみごとだと思ったが、目新しいものなしとの意見で、落ちた。海外読者だったら、この種の作品をどう評価するのだろう。
「震源」は優れた着眼で、取材にも力を入れているのに、せっかくの伏線が尻切れとんぼに終って、未整理の印象を受けた。
短編では「めんどうみてあげるね」を挙げた。暗いとの感想もあり、確かに暗いが、高齢化をむかえる社会へのメッセージが感じられ、不気味な後味が残る。「他殺の効用」は、企業の安全保障として役員八人が相互に保険をかける設定だが、これだと保険契約は56件、しかも一人が死んでもその保険金は役員個人の一時所得になり、会社の収益にはならないから取材不足だ。「ル・ジタン」は雰囲気を買う。
「キッズ・ピストルズ」はパラレル・ワールドを作る著者の独創と粘りに敬服して一票を投じたが、賛同者なし。
評論部門では多少意見がわれたが「冒険小説論」に決る。これも熱気とエネルギーがみなぎっている。こういう資料的価値のある作品はいい。早速、古本屋に探しに行かねばならぬ本が出てきた。あえて言うなら、百年前のヒーロー像をふり返ってみるとこうなるという、取りまとめの一章を最後に書いてほしかった。閉じる