2001年 第54回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
受賞の言葉
由緒のある賞を授かりまして、本当に光栄です。デビュー以来いつも、「これでいいんだろうか」という想い、そして「これでいいはずだ」という想いの間で揺れていたのですが、ちょっと一息つけそうな気分ではあります。しかし、やはりまだずっと迷っていくのだろう、と思います。
とにかく、書き続けるに当って不可欠な、ほんの少しの自信、のきっかけを頂きました。ありがとうございました。
- 作家略歴
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1956.4.12~
1956年4月12日札幌生まれ。アル中。ススキノでその日暮らしの一方、家庭教師、土木作業員、トラック助手、調査員、タウン雑誌広告取り、ポスター貼り、カラオケ外勤、タウン雑誌編集長、テレビ・コメンテイター、ラジオ・パーソナリティ、飲食店舗コンサルタント、観光雑誌編集長、システム・ディレクター、運送作業員など諸職を転々後、1992年、『探偵はバーにいる』(早川書房)でデビュー。札幌市立本郷小学校・札幌市立東白石中学校・北海道札幌東高卒、北海道大学文学部哲学科中退。家族は、母と息子3人、犬1匹、金魚6匹、グッピー10匹、カブトムシ1匹、コオロギ2匹。(2000年8月29日現在)2001年『残光』にて第五十四回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞。
著作リスト
『酒の呑み方』(1984年自費出版)
『探偵はバーにいる』(1992年早川書房 1995年早川ミステリ文庫)
『バーにかかってきた電話』(1993年早川書房 1996年早川ミステリ文庫)
『沈黙の橋』(1994年幻冬舎 2000年ハルキ文庫)
『消えた少年』(1994年早川書房 1997年早川ミステリ文庫)
『札幌刑務所4泊5日体験記』(1994年扶桑社文庫)
『フリージア』(1995年廣済堂出版 2000年ハルキ文庫)
『自衛隊 おとなの幼稚園』
(クレイジー・トミー、鷲田小彌太と共著 1996年三一書房)
『向こう端に坐った男』(1996年早川ミステリ文庫・短編集)
『渇き』(1996年勁文社 1999年ケイブンシャノベルズ 1999年ハルキ文庫)
『ソープ探偵 くるみ事件簿』(1997年廣済堂文庫・短編集)
『探偵はひとりぼっち』(1998年早川書房)
『流れる砂』(1999年角川春樹事務所)
『残光』(2000年角川春樹事務所)
受賞の言葉
まずは選考に携わってくださった方々にありったけの感謝の気持ちを。憧れの賞をいただけて夢のようです。
『永遠の森 博物館惑星』は、極力素直に「自分の好きなタイプの小説」を表現しようと試みた作品でした。ですから『SFが読みたい!』の投票で識者・読者ともに一位をいただいた時には、SF作家としてはもうこれ以上の幸せはない、と感じました。
けれどもその一方で、ではより広い「小説界」でも私の好みは通用するのだろうか、との欲深い不安を感じていたのも事実です。
そんな折り、エンターテインメント小説の理想とも言える「謎と論理とロマン」を認めていただき推理作家協会賞を受賞した――この喜びはあまりにも巨きく、いまだに感情のメーターが振り切れています。
これから私は喜びの対価を新作という形で支払っていかねばなりません。今後ともどうかご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。
- 作家略歴
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京都出身。私立大学中退。
八一年、短篇「ブルー・フライト」で高校生デビュー。音楽活動期間を経て、八九年に長篇「ゆらぎの森のシエラ」を刊行。
受賞歴・第二三回星雲賞日本長篇部門「メルサスの少年」(新潮文庫)。第二四回星雲賞日本短篇部門「そばかすのフィギュア」(ハヤカワ文庫「雨の檻」収録)。
ミステリ作品に「鬼女の都」(祥伝社)がある。日本SF作家クラブ所属。日舞名取。2001年『永遠の森』にて第五十四回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第五十四回日本推理作家協会賞の選考は、例年通り、昨年の十二月より予選が開始された。選考の対象作品は、二〇〇〇年一月一日より同年一二月三十一日までに刊行された長編小説、連作短編集、評論集などと、小説誌を初めとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説で、協会員や出版関係者のアンケートを参考に、長編338、連作短編集30、短編769、評論その他39をリストアップした。
これらの作品を、協会が委嘱した部門別予選委員が選考にあたり、長編および連作短編集25、短編37、評論その他16作品を第二次予選に残し、三月五日と八日に協会書記局にて開催された最終予選会で、既報の通り各候補作を決定した。
本選考委員会は、五月九日午後三時より、第一ホテル東京にて開催され、長編および連作短編集部門は、大沢在昌、笠井潔、高見浩、西木正明、東野圭吾(立会理事・斎藤純)、短編・評論その他の部門は、阿刀田高、北上次郎、小池真理子、佐野洋、辻真先(立会理事・真保裕一)の全選考委員が出席して各部門の選考がおこなわれた。選考の内容については、各委員の選評を参照していただきたい。
選考会後の記者会見には、菅浩江氏、井家上隆幸氏、都筑道夫氏の各受賞者が出席し、札幌在住の東直己氏からはFAXによるコメントが寄せられました。
協会賞の選考には、例年アンケートを実施しておりますが、特に短編部門の推薦作が少なくなっています。年鑑を編纂し、短編ミステリの顕彰に力を入れていきたいという協会の方針もあります。あくまで予選の参考とするためのアンケートですが、会員ならびに賛助会員である出版社の方々に、さらなるご協力をお願いいたしたいと思います。閉じる
選評
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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本年度はレベルの高い年だった。つき抜けた作品がなかったのも事実だが、一方でそれは候補すべてが高水準だったからとうけとめることができるように思う。以下、各作について述べる。
「少年計数機」
「今を描く、今を呼吸する」ことが望まれるハードボイルド小説としては一級品だろう。私はこの作品を「永遠の森」と並んで、受賞作に推した。情景描写のセンスは抜群であり、チャンドラーの匂いをほのかに嗅いだ。「水の中の目」だけがやや類型的で、その作品が最長であったために損をした。
「神様がくれた指」
読後感のよい小説である。惜しむらくは、主人公辻と、それにからむ竹内の造形が弱い。辻がなぜ"特別な"スリなのか、竹内がなぜ、どのようにしてその技術を身につけたのか、二人の対決が核となっているだけに、そのあたりをもっと読みたかった。ただ作者が、この小説をミステリとして書いているかどうかは疑問であり、その点では不公平な読まれ方をされたかもしれない。
「フォー・ユア・プレジャー」
柴田氏は良い意味で器用な作家だが、この作品ではそれがマイナスに働いてしまったように思う。犯人像の造形がいじりすぎで、やくざの幹部を殺す度胸があるとは思えず、また自殺というのも、こうしたタイプの男がとる解決手段にそぐわず、物語の流れを強引にした。
「残光」
全体を貫く、暗いエネルギーは独自の世界を作り、脇役の人物描写には抜きんでた力がある。ただ個人的に不満があったのは、主人公の行動原理とその強さの核にあるものが見えてこないことだった。東氏の作品に初めて触れたが、その筆力には脱帽した。
「永遠の森」
作者のたいへんな努力を感じる。精緻なガラス細工のように組みたてられた物語は、文字化するのが難しい芸術というテーマを、それぞれの素材と有機的に結びつけている。決して量産のきく作品集ではなく、そういう意味でも受賞は当然の結果であったと思う。閉じる
- 笠井潔[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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候補作五作を通読し、予備選考のあり方に疑問を感じた。一般論として、全体の水準が低いというのではない。二〇〇〇年度の日本ミステリ最高作を決定する場に、適切な候補作が選ばれているとは、どうしても思えないのである。今回の五作が、昨年度における日本ミステリのベストファイブであると断言できる予選委員は、おそらく一人もいないのではないか。どうして、そのような不本意な結果になってしまうのか。予備選考のあり方にも、協会としての再検討が必要だろう。
たとえば柴田よしき氏の『フォー・ユア・プレジャー』。肩の力をぬいて書かれたB級ハードボイルドで、最後まで楽しく読めたが、とうてい柴田氏の最高作、代表作とはいえない。どうしてこの作品が、協会賞候補作に推されたのか、理解に苦しむ。柴田氏は過去に、協会賞にふさわしい『少女達がいた街』という傑作をもつ実力作家である。いつ協会賞を受賞しても不思議ではないが、この作品でということにはならない。
昨年度の柴田作品なら、だれが考えても『象牙色の眠り』がAクラスだろう。この数年、柴田氏とならんで旺盛な執筆量を誇っている同時期デビューの女性ミステリ作家に、恩田陸氏がいる。恩田氏は昨年、『月の裏側』、『麦の海に沈む果実』という秀作を書いている。柴田氏のBクラス作品を候補作として上げ、恩田氏のAクラス作品を落とした理由がわからない。
おなじような不満は、東直己氏の『残光』をめぐっても指摘できるが、繰り返しになるのでやめよう。一九八〇年代に冒険小説・ハードボイルドをジャンル的に確立した先行作家のほとんどが、新しい異様な「いま」を真正面から捉えようと苦闘し、作風としても大きく変貌しはじめている。しかし後進作家の『残光』は、先行作家が完成し、いまや過去のものになろうとしている既成路線から少しも出ていない。『フォー・ユア・プレジャー』ではストーカー問題、『残光』では警察腐敗が描かれている。しかし目新しい現代的な素材さえ盛りこめば、それで「いま」のリアリティに肉薄できるわけではない。
「いま」への感受性としては、石田衣良氏の『少年計数機』が光っていた。新宿の次は渋谷、渋谷の次は池袋というフットワークのよさは、群を抜いている。『残光』に登場する子役は、なんだか鞍馬天狗の杉作のようで重たく古めかしいが、石田氏の描く少年には「いま」に固有の切実な軽さ、「傷だらけの軽さ」のようなものがあって印象的だった。いささか村上春樹調だが、石田作品には文体もある。問題は、短篇連作集という制約のせいかもしれないが、ミステリ作品としての骨格が弱いところだろう。村上春樹も三作目には『羊をめぐる冒険』を書いた。新人である石田氏には、評者をうならせるような骨太の長篇を次に期待したいと思う。
佐藤多佳子氏の『神様がくれた指』。五作のなかで、小説的な安定度という点では一番だった。読者が安心して最後まで読める、隅々まで気配りされた上質のエンターテインメントである。しかしミステリ度は、五作中で最も低い。簡単にいえば、ミステリ風味の中間小説か。小説作品の評価としては一面的であるしかない、ミステリ度が厳重に問われるような特殊な場所に引っ張りだされたこと自体、この作者には不本意だったのではないか。この点でも予選委員の見識が疑われる。
というようなわけで、わたしは菅浩江氏の『永遠の森』を推すことにした。この作品は、これまでのところ菅氏の最高作、代表作であり、一九六〇年代以来の日本SFの達成を示す記念的作品でもある。この持ち重りする手応えからして、すでに協会賞の受賞作にふさわしい。しかもSF的構想と、北村薫氏に代表される「日常の謎」的なプロットが繊細に溶けあい、ミステリ作品としての完成度もきわめて高度である。
美は計量可能なのかという主題面では、作者の芸術観の十九世紀性にやや抵抗を感じた。たとえば、作品の舞台である博物館惑星からダダイズムやポップアートのような二〇世紀芸術は、徹底的に排除されている。荒廃の度を深める「いま」の時代に、あえて北村流の性善説ミステリを書こうと志した作者の、それは意思的な選択の結果なのかもしれない。閉じる
- 高見浩選考経過を見る
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接戦だったと思う。候補作五編、持ち味はそれぞれに異なるものの、完成度のレヴェルはかなり接近していたからだ。なかで「残光」に最高点を投じたのは、読者を楽しませるエンタテインメント性において一頭地抜いていると見たからである。札幌のゼネコン本社をある男が訪れて部長を射殺する導入部からしてインパクトがあるし、その後の展開も二転三転して読めないサスペンスに満ちている。物語は、事件の重要な目撃者となった恵太少年と、彼を助ける謎めいた男の逃避行を軸に進むのだが、彼らにからむやくざや警官たちのキャラクター造形が尋常一様ではなく、独特のユーモアさえかもしだして、逃避行のスリルに興趣を添えている。唯一気になるのは、謎めいた男、榊原健三が強すぎるところだろうか。
「残光」とはおよそ対照的な作柄だが、一種透徹した、独特の魅力を備えた世界を構築しているのが「永遠の森」だ。主な舞台を“博物館惑星”とした設定の妙が、まず光っている。その上で、“美の本質とは何か”というテーマを追求する姿勢が意欲的。ともすれば抽象的に傾きがちな連作が楽しく読めるのは、文章にふくらみがあって、的確なイメージを伝えてくれるだろう。異星から飛来した植物が古いピアノにとりついて究極の音楽を奏でる“ラブ・ソング”など、圧巻だった。各短編の完成度にはバラツキがあるが、エンタテインメントの世界に新鮮な息吹を呼び込んだ功を買って同時受賞に賛成した。
“一人称私立探偵小説”の面白さ、難しさ、双方を体現しているのが「フォー・ユア・プレジャー」だろう。保育園の園長が本業の私立探偵という設定など新味があって面白いし、その本業を通して、現代日本の保育行政の貧困ぶりを浮き彫りにしている点など好感が持てた。が、謎解きのメイン・プロットになるとさほど新鮮味がなく、古い革袋に新しい酒を盛るところまでいってないのが惜しまれる。後半、事件の重要な鍵を、具体的な手がかりによらずに、主人公の直感に頼って解かざるを得ないあたり、このジャンルに個有の難しさだろうか。“フォー・ユア・プレジャー”という、事件とはあまり関係のありそうにないタイトルは、一考の余地があるのでは。
「神様がくれた指」のすべりだしは素晴らしいのだが、残念ながら尻すぼまりの観がある。主人公の復讐心の対象が、これという凄みもない少年スリ・グループであることが、作品のスケールを小さくしているようだ。スリと占い師の交情など、とても読ませる部分もあるのだが――。
現代の“ストリート風俗”を鮮烈に描いている点で「少年計数機」の感度はかなり鋭い。が、ミステリーとして読むと、ややご都合主義的な解決が目立つところが難か。老人のセリフなど、古い固定観念によりかかっている点もいささか気になった。閉じる
- 西木正明[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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小説などの賞選考にあたり、わたしは新人賞ならば最後まで熱気が持続し、新鮮で光り輝く表現があれば、多少の瑕疵や欠陥には目をつぶってもいいと思っている。しかしプロの書き手を対象とする賞の場合はちがう。かぎりなく完成度の高い作品であって欲しい。そしてこの推理作家協会賞は、まがうかたなきプロの賞だと認識している。同時にわれわれ同業者がぶっ飛んでしまうような斬新さも求めたいと思う。要はぜいたくかつわがままなのである。
何年か前、石田衣良さんがオール読物推理新人賞を取られた時の選考委員のひとりだったので、今回の候補作『少年計数機』も期待して読んだ。あの折の冴えた表現力、小気味良いストーリー展開などは、まさに新時代の到来を予感させるものだった。今回もそれは失われていない。しかし残念ながらそこまでだった。とりわけ最後の『水の中の目』は、石田さんらしからぬもたついた作品である。
柴田よしきさんも今が旬の書き手だ。『フォー・ユア・プレジャー』も才気あふれる作品である。地の文に頼らない会話による人物造形は見事。しかし後半になると、ところどころご都合主義的な展開が見られるようになり、全体の印象を損なってしまっている。
佐藤多佳子さんの『神様がくれた指』も、柴田さんと似た印象。リズムのある文章で読ませてくれて、おもしろさでは一番だと思ったが、後半になって息切れした。とりわけラスト近くになって、主人公の余計な動きがめだつ。もうすこし刈り込んで、明快な話にして欲しかった。
受賞した二作のうち、菅浩江さんの『永遠の森』は連作短編集である。短編の復権を願っている立場としては、短編連作で受賞作が出ればいいなと思っていたので、この結果はうれしい。いかにも現代のSFといったおもむきで楽しく読めた。着想も面白いが、読んでいてそこはかとないもどかしさを感じた。
その原因はおそらく、これは約束ごとだとして、書くべきことを書いていないからだと思う。たとえば、アフロディーテなる宇宙に浮かぶ博物館のアウトラインについて、ほとんど説明がない。前作を読んだ読者ならすでに知っていることなのだろうが、本書から読むわたしのような読者だって少なくないはず。あと少しサービス精神を発揮してくれても良かったのに、と思う。
もうひとつの受賞作、東直己さんの『残光』は、小気味いい作品である。人物や情景の描写は的確かつ緻密。今回の候補作の中では、頭ひとつ出ていた感じだった。しかし、問題もある。ややスーパーマン的な主人公の設定はまあいいとして、彼の行動の根拠とされる前妻を守る必然性が、あまり感じられないのだ。それと場面転換が激しすぎて、全体の印象がゴタついている。
以上、いささか意見を述べたが、今年も良質の受賞作を得たことを喜びたい。閉じる
- 東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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該当作品なし、というのが私の意見だった。
『フォー・ユア・プレジャー』 いくつかの小さなエピソードを重ねることで一つの世界を描こうとしたのだと思う。それならば思い切って多視点を使ったほうがよかったのではないか。一人称にしたことで、すべての話が主人公を軸に都合良く繋がっているという印象を受けた。メインとなるエピソードが薄味になってしまったのも残念だ。
『少年計数機』 シリーズものである。主人公はヤクザの親分と知り合いで、不良少年のボスと同級生、おまけに警察署長と幼なじみらしい。万能ハッカーの知り合いもいる。こういう何でもござれの人物を主人公に据える場合は、それらの武器を駆使しても解決できない「問題」を提示する必要があると思う。
『神様がくれた指』 スリと占い師の絡みをはじめ、人物の描き方に手堅さが感じられた。謎の少年スリ団を追うというテーマも面白かった。だが中盤の、重要な鍵を握る少女がたまたま占い師のところに来るという偶然は許容しづらい。また後半以降は、ストーリーのために人物が動かされているという印象を持った。
『永遠の森』 ミステリとして読もうと試みたが、何しろ未来の、しかも地球ではない特殊な場所での話なので、自分の知識や常識、価値観がまるで役に立たず、というよりそういうものを持ち出すこと自体無意味だと感じ、途中からは作者の繰り出してくる未知の世界をただ受け止めるのみ、という読み方になってしまった。その未知なる世界の見事な構築ぶりには感心したが、エンターテインメント性にはやや欠けるのではないか。
『残光』 欠点は最も少なかった。細かい内面描写などから、作者の意気込みは十分に伝わってくる。ただいくつか登場人物の心の動きに同調できない部分があった。まず事件の鍵を握る少年が、親に内緒で警察と接触しようとするところだ。子供の行動としては、やはり説得力に乏しいと思う。そもそも保育園立てこもり事件における悪徳刑事たちの対処に疑問がある。彼等は犯行を子供に目撃されたらどうするかを事前に考えておかなかったのか。口止めだけして家に帰すというやり方はあまりに危険ではないか。またこの作品の最大の興味は、主人公がいかにして敵の手を逃れるかという点にあると思うが、ラストの見せ場には首を傾けざるをえない。果たしてこのFM放送をどれだけの人間が聞いているだろうか。さらにこの放送でどれだけの人間を動かせるだろうか。動かせるということであれば、それほど影響力の大きい放送だということを予めもっとアピールしておくべきだったと思う。
他人様の作品についてあれこれいうのは気がひける。自分のことは棚に上げた上での発言だということを、候補者の皆さんには理解していただきたい。閉じる