2002年 第55回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
受賞の言葉
思いがけないことに推理作家協会賞をいただいた。ありがたいことである。
走り出したのこそ早かったが、才に乏しいのか、覚えが悪いのか、次からつぎに追い抜かれ、さて、何周遅れのランナーになるのか、自分でも数えもつかない。とうに日も暮れ、やれやれ、ついにリタイヤすることになるのか、となかば諦めかけたとき、そこに友人たちが待っていてくれた。体にタオルをかけ、水を飲ませてくれて、さあ、一息ついたらもう一度走りなよ、とポンと肩を叩いてくれる。見れば、小説のトラックは遥か彼方まで延びていて、リタイヤするどころか、まだまだ走り、走って、走りつづけなければならない。多分、バタリと前のめりに倒れるまで。
推理作家協会賞をいただいたことで再びスタートラインにつけた気がします。フォームはどうか、タイムはどうか、もう一度、皆様と一緒に走らせていただきます。
ありがとうございました。
- 作家略歴
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1950~
名古屋生。昭和四八年・明治大学経済学部卒。四九年SFマガジン「神狩り」でデビュー。ミステリー・SF作家。著書に「宝石泥棒」、「謀殺のチェスゲーム」、「女囮捜査官」シリーズ、「妖鳥」、「螺旋」、「阿弥陀」などがある。
2002年『ミステリ・オペラ』にて第2回本格ミステリ大賞と第55回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞
受賞の言葉
選考会の当日は午後三時から担当編集者と飲み出し、受賞決定の報をいただいて記者会見等を経てからは緊張の度合いがむしろ増して、それを消すかのように二次会(というのでしょうか)会場でも飲みつづけ、推協賞をいただいたのか酔狂賞をいただいたのかわからないような状態で失礼いたしました。夜が更けきっても帰らず飲みつづけ、午前二時頃でしたか、選考委員のお一人でいらっしゃる東野圭吾さんとほぼ対座状態で作品についてのサジェスチョンを頂戴しまして、その場で「いかに『アラビア』はミステリーであったか」をすらりっと説かれ、これがまた確かにミステリーであると瞬時に作者(は多分僕ですが)が合点してしまう意見でありまして、おお、何たる推理力! と唸り、ようよう三時過ぎに帰路に就きました。このような数多の炯眼なり、千里眼なりに恵まれて、作品に新たな生命を吹き込む素晴らしい賞をいただけました。本当に光栄です。ありがとうございます。
- 作家略歴
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1966.7.11~
略歴:早稲田大学第一文学部中退。編集プロダクション勤務、フリーランスの無記名ライター稼業などを経て、1998年に「13」でデビュー。
2002年『アラビアの夜の種族』にて第23回日本SF大賞と第55回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。
2006年『LOVE』にて第19回三島由紀夫賞を受賞。
著作に「沈黙」「アビシニアン」。
趣味:ネバーエンディングな散歩、向上心あふれる一皿を求めての外食、動物との第六感も含めての全人格的交流
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第五十五回日本推理作家協会賞の選考は、二〇〇一年一月一日より同年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集、及び評論書などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年の十二月よりそれぞれ予選を開始した。
協会員と出版関係者のアンケートを参考に、まず長編および連作短編集四〇七、短編八四八、評論その他十四作品をリストアップした。これらの作品を、協会が委嘱した部門別の予選委員が選考にあたり、長編及び連作短編集二十七、短編四十四、評論その他九作品を第二次予選に残し、三月五日と十四日に協会書記局にて開催された最終予選会で、各候補作品を決定した。
本選考会は、五月二十二日午後三時より、第一ホテル東京にて開催された。長編及び連作短編集部門は、井上ひさし、笠井潔、京極夏彦、桐野夏生、東野圭吾(立合理事・馳星周)、短編・評論その他の部門は、大沢在昌、北上次郎、高見浩、辻真先、西木正明(立合理事・真保裕一)の全選考委員が出席して各部門ごとに選考が行なわれた。選考内容については、各委員の選評を参照していただきたい。
選考後の記者会見には、山田正紀氏と古川日出男氏が出席し、法月綸太郎氏と光原百合氏からはファックスにて受賞コメントが寄せられた。
なお、本年度は江戸川乱歩賞の選考会も同日に開催され、協会賞の記者会見場にて同時発表がおこなわれた。両賞の注目度をさらに高めていくための試みであり、今後も会員ならびに関係者各位のご協力をお願いいたします。
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選評
- 井上ひさし[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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山田正紀氏の『ミステリ・オペラ』は、途方もなく壮大な試みである。作者の投げた網は、日米戦争の前駆となる満州建国と日中戦争の初期を重ね合わせて捕らえ、その上、戦後の政治裏面史をも捕獲しようとする。いってみれば一冊の中に昭和史をまるごと包み込もうというのだから、壮大な試みというほかに表現のしようがない。しかもその手法もまた多彩で、これまでに人間が発明したありとあらゆる物語作法を援用する。また、作者の語る大物語のなかに、登場人物たちがある出来事をそれぞれの立場から書き継ぎ書き加えしながら永久に旋回しつづけるという中物語を埋め込み、さらにその中物語のなかに無数の小物語を仕掛けるという入れ籠式の仕立ても目覚ましい工夫だった。これだけでも壮絶な文学的実験であって、評者もそのことに深い敬意を抱く者の一人だが、しかしこの作品が小説として成功していたかとなると、残念ながら微かな疑問を持たざるを得ない。始めに大きな謎の提示があり、その謎の途轍のなさが、じつは本作の魅力だが、その解明となるとまことにあっけない。つまり謎と解明の不釣合いの連続とユーモア感覚の欠如が、読む者の気力を奪う。
古川日出男氏の『アラビアの夜の種族』もまた然り。物語のなかに物語を埋め込む仕立ては巧緻を極めていて、その物語の枠は三重・四重にも及び、作品の成り立ちそのものまでも物語化してしまうところに作者の膂力の逞しさを窺わせるが、もっとも重要な枠――カイロに攻め寄せるナポレオンの艦隊を無力同然にするはずの『災厄の書』を大急ぎでっち上げるという枠はじつに傑作なのだが、しかしその枠の前段は、途中からなおざりにされる。その『災厄の書』でナポレオン艦隊がいったいどうなったのか、評者の読み方にもよるかもしれないが、ずいぶん不明瞭なのだ。ここでも謎と解明が釣り合っていない。もっとも文章は滋味に富み、それだけでも楽しむことはできるのだが。
若竹七海氏の『悪いうさぎ』の文章もいい。物語は、フリーの女性調査員の一人称によって語られる。この語りには終始、自己批評の鋭い針が含まれていて、そのことが乾いた諧謔味を生み出す。この快調な語りに導かれて読者はやがて事件の真相に立ち合うことになるが、その真相の荒唐無稽なことは目を疑うほどだ。ここでもやはり謎と解明とが釣り合っていない。しかしくどいようだが、そこにいたるまでの文章は才華に溢れている。
五編のうちで、大きな謎を売りすぎて後で困ったりしなかったもの、つまり小説を読むよろこびを堪能させてくれたものは、戸梶圭太氏の『なぎら☆ツイスター』と、奥泉光氏の『鳥類学者のファンタジア』の二編だった。前者は全編に笑いの爆弾を詰め込んだ快作であり、後者は結尾のミントンズ・プレイハウスのジャズ・セッションに作者の夢と祈りが結実していて美しい。しかしこの二編を同時に推したのは評者一人だけだった。お二人に評者の非力を詫びるしかない。閉じる
- 笠井潔[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考会では候補作五作のうち、奥泉光氏の『鳥類学者のファンタジア』、山田正紀氏の『ミステリ・オペラ』、古川日出男氏の『アラビアの夜の種族』の三作に論議が集中した。
重厚な大作という点で共通する三作だが、他にも興味深い照応関係が認められる。たとえば『鳥類学者のファンタジア』と『ミステリ・オペラ』は、「平和な現在」を「戦争の過去」に重ね合わせるという主題を共有し、さらに「戦争の過去」には、倒錯的なオカルティズムが陰鬱な陰を落としている。いずれも、そのための物語装置としてタイムスリップというSF的アイディアが導入され、作中では音楽が大きな役割を果たす。しかもタイムスリップする『鳥類学者のファンタジア』のヒロインは希梨子、『ミステリ・オペラ』の場合は桐子と命名されている事実は、両作の刊行が同年同月であることを考慮すると、あたかもシンクロニシティの実例のようにさえ思われてくる。
『ミステリ・オペラ』によれば、唯一の歴史、真実の歴史は存在しない、歴史とは解釈と解釈、「読み」と「読み」の闘争である。モーツァルトの「魔笛」、あるいは巨大人骨と中国神話や日本神話を焦点として繰り広げられる、帝国主義日本と中国民衆の熾烈きわまりない解釈の闘争、意味の争奪戦。
以上のような『ミステリ・オペラ』の歴史観、物語観は、『アラビアの夜の種族』と微妙に共鳴し、また微妙にすれ違う。この物語が暗示するところでは、支配の本質は対象を「読む」ところにある。日本が支配者として中国を「読んだ」ように、ナポレオンもまたエジプトを「読もう」と企てる。しかし主人公アイユーブは、征服者の「読み」に、エジプト側の「読み」を対置しようとはしない。「読み」と「読み」の闘争、解釈と解釈の闘争ではなく、アイユーブは「読まれる」ことを承認し、進んで「読まれて」しまおうとさえするのだ。読者を破滅に追いやる「災厄の書」を、征服者に献上して「読ませる」ことが、アイユーブの奇妙な対ナポレオン作戦となる。
小説作品としては三作とも、顕彰されるべき水準に達している。結果として議論は、この賞の眼目である「推理」要素の有無、あるいは軽重の評価に絞られた。「読み」をめぐる闘争とは、まさに探偵小説の基本構造だろう。探偵小説では、犯人が提出した事件の解釈を、探偵役が捜査や推理によって転倒し、異なる解釈を樹立することで物語が終わる。歴史をめぐる解釈と解釈の闘争という『ミステリ・オペラ』の主題性は、探偵小説形式を必然的に要求したといえるだろう。ミステリ度という点で、他の二作は残念ながら『ミステリ・オペラ』に及んでない。わたしは『ミステリ・オペラ』を受賞作として推すことにした閉じる
- 京極夏彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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初めにお断りしておく。
選評の場では、テキストの瑕疵を論い欠陥を指摘するだけの不毛な議論が戦わされることが多い。欠点の量で作品をランク付けするが如き作業は、決して好ましいことではないと考える。どれ程完成度の高い作品であろうとも具に検証していくなら不備のひとつやふたつは必ずある筈だし、たとえ構造的な欠陥を抱えた作品であっても小説的感興を強く引き起こすような場合も数多くある。本来小説の価値というものは、読書という儀礼を通じて個人の中に形成される個的なものなのであろうし、それは単純に数値化しうるものでないことは明確である。選考委員と雖もテキストに対する際は一読者に過ぎぬ訳だから、誤読もあれば深読みもある。偏った専門知識に依って発見される細々とした誤謬などは、縦しんばそれが致命的なものであったとしても、この場合テキストの価値を絶対的に貶めるものにはなり得ないだろう。選考会は個人が感想を発表する場でもないし作者にアドヴァイスを施す場でもないのだから、選考に於ける明確な基準が設けられている賞の場合は別にして、徒に欠点を並べ立てるような議論は建設的ではない。況や、新人の応募原稿ではなく、大量に読者を獲得している作品が対象になる場合は、瑕疵を以て減点とするが如き作業を行うことは甚だ無意味と言わざるを得ない。
この度の選考会に於ては、そうした減点法的な批評は殆ど行われなかった。寧ろ『推理作家協会賞』なる文学賞の性格や位置づけに就いて、選考委員のひとりひとりが問い直さざるを得なくなるような、ある意味貴重な議論が行われたといってもいいだろう。この状況下でそうした場が持たれたことは幸いであった。
これは偏にエンタテインメント小説界の現状を強く意識した結果でもあったろうし、また俎上に上がった五作品の性質や傾向が、バランスよくその現状を反映していたことにも依るだろう。挙げられた五つの作品は、それぞれがある意味での到達点であり、且つ出発点ともなり得る作品であった。それを併読し比較検討するという作業は、そのまま現在のエンタテインメント小説の現状と今後あるべき方向性・可能性を剔出する作業に等しくなるからである。
但し、それだけに全体の意見が纏まらなかったことも事実である。この五作品を以て現状のエンタテインメント小説を象徴する作品とするというならば、概ね意見は一致していたのであろうが、それを更に絞り込むことは難儀な作業であった。
結果、受賞作となった二作品は、乱暴に言うならばその志こそを買う、という評価であっただろう。『ミステリ・オペラ』は、本格ミステリ小説という特異なジャンルが歴史的に培って来た数多のガジェットを網羅的に回収し、更にその構造が表現し得るだろう、現状に於いては最大ともいえるテーマを敢えて選び取ったという、まさに集大成的な作品として捉えることが出来る。一方、『アラビアの夜の種族』は書物という装置の魔力を最大限に利用した構築性の高い虚構を目指した、実に意欲的な作品である。いずれも余人にはまず書き得ない、現代小説の貴重な成果といえるだろう。
但し、どちらも難点が全くない、という訳ではない。選考会に於いてもいくつかの指摘がなされたし、なされた指摘は逐一納得出来るもの――明確な誤謬や難点――であったことも事実である。しかし初めに述べた通り、それに依って減点とするようなスタイルを今回は選択しなかった。というより出来なかったのである。
惜しくも選考に漏れた三作品も、だから決して瑕疵が多かったという訳ではないし、まして作品として劣っていたという訳でもない。いずれが受賞してもおかしくない程の高い評価がなされたということをつけ加えておく。
例えば『鳥類学者のファンタジア』は技巧的な面では突出した評価を得た。選に漏れたのは「推理作家協会賞」という賞の性質に合致する作品か否かという点で、躊躇が残ったというだけである。『悪いうさぎ』はキャラクター造形や設定に於けるリアリズムの確かさと小説内の真相を支えるリアリティーの希薄さのギャップが指摘されたものの、巧みな表現力とリーダビリティーの良さに賞賛が贈られた。『なぎら☆ツイスター』はドライブ感のある筆致と作品のスタンスとの距離感が心地よく、カリカチュアライズされた今日的な構成も好感を集めたのだが、このスタイルが今後どのように展開するものなのか、期待を籠めての見送りということになった。
選考委員と雖も、優れた作品と出会った際の悦びは望外のものである。改めて受賞作二作と、選に漏れた三作品に対し、この場を借りて賛辞を贈りたい。閉じる
- 桐野夏生[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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優れた小説とは、実は鈍重で愚直なものだ。読了するのに時間はかかるし、主義主張が明確に書かれている訳ではないから、早く正確を知りたい者には苛立ちの種、あるいは不満を感じさせるものであろう。だが、小説という表現でしか探り当てることのできない真実もまた存在する。そのことを肝に銘じて仕事をしていこうとつくづく思い知らされた実りある選考会だった。まずは候補作を書かれた五氏に、謝辞とリスペクトを表明したい。
『アラビアの夜の種族』 読み進むうちに扉が次々と開いて異世界に誘われる感があり、久しぶりに読書を楽しんだ。古川氏の魅力は、氏のフェティッシュとも言える言葉への愛情が小説全体に満ちていて、記者会見での氏の「小説はテロルである」という厳しい発言とは逆に、読者を酔わせるところにある。しかしながら、言葉の奔流だけでは、物語世界は構築できまい。本作が、壮大な伽藍に圧倒されて中に入ったのに、部屋がどんどん小さくなるような失望感をも感じさせてしまうのは、物語が内側から食い破って現れ出て来ないせいであろう。古川氏の視点は、常に外部から物語の入った箱を眺め、言葉を愛でているようにも思われる。それはそれでもいいのかもしれない。が、物語によって刺されるのは、読者ばかりではない。小説家もまた自分の物語によって変質したり、危険を冒したりするものだ。その時、古川氏の言葉がどのように変貌するかを見届けたい。
『ミステリ・オペラ』 「この世にはアブノーマルでグロテスクなものでしか表現できないものがある」。小説の本質を言い当てたこの魅力的な言葉は、本作の中で繰り返し語られる主題である。残念ながら、歴史という巨大な闇に罠を仕掛けようとする作者の意図は、成功したとはいえない。罠そのものが主題どおりの「アブノーマルでグロテスク」な物語であったならば、思いがけない獲物がかかったのではないだろうか。とはいえ、闇に溶け込む悪意の総体を見ようとする作者の姿勢には深く共感した。
『鳥類学者のファンタジア』 音楽に対するイノセントな信頼感が何ともいえない愉楽をもたらす。主人公がベルリンに旅してからは、「一人称幽体離脱視点」とでも言うような変わった試みをしているところも、同じ小説家として興味深かった。文句の付けようもない巧者の作品であるが、巧者であるがゆえの窮屈さも感じられなくはなかった。すなわち、誤読を一切許さない点である。揺るがない文体に乗せられ、読者は作者の計算通りに運ばれる。安定と表裏一体の強引さ。誤読を許さないということは、ファンタジーの放つそこはかとない薄気味悪さを殺いでいることにならないだろうか。
『なぎら☆ツイスター』 登場人物たちの欲望がくっきりと存在し、かつ他人を押しのけるほど強く下世話なのが爽快この上ない。マンガや映画を小説にしたらこんな感じ、とはよく聞く戸梶評だが、言葉化し、小説に作るのは「作家の意思」という優れた能力を必要とする。マンガや映画のように「一見」することはできないが、「よくわかってしまう」感じが堪らなく良かった。が、上記三作品の迫力に譲らざるを得なかった。
『悪いうさぎ』 主人公の女友達の話が面白かったが、作者はメインプロットのそつない運びに力点を置いている。その意味で喉越しの良い小説だ。が、私の好みは、喉に突き刺さる小骨が沢山ある物語の方らしい。閉じる
- 東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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ジャンルという点では全く違った五作品が候補となっていた。比較は非常に難しいと思われたが、ミステリとして読んだ場合にどうか、という点に絞って評価することにした。
『悪いうさぎ』
候補作中、唯一の現代ミステリだった。読む前は、この作品に受賞してほしかった。他の作品があまりに長大で、分厚い本でないと高く評価してもらえない、という風潮に拍車がかかっているように感じられたからだ。しかし主人公の個性という面でまず不満がある。女性探偵という言葉から連想されるキャラクターそのものだったからだ。真相部分についても説得力が乏しかったと思う。いずれは受賞する方だと思うが、本作で候補になったことには首を傾けざるをえない。
『なぎら☆ツイスター』
今回一番楽しめた作品である。しかしそれは、ギャグ小説だからと大目に見たからだ。ミステリとして読めば、御都合主義やアンフェアな部分が多々ある。たとえば重傷を負った少年がさほど親しくもない友人の家を訪ねていくシーンがあるが、ギャグと割り切らなければ白けてしまうだろう。また、この作品の文体を斬新だとも感じない。酷似した文体、世界観を持った既存の有名作品がすでにある。ただし、本作品はこれでいいと思う。エンタテインメントとしては一級品だろう。本賞にはふさわしくないというだけのことである。
『鳥類学者のファンタジア』
文章はさすがにうまい。気持ちよく読み進められるテクニックをお持ちだ。しかしこの作品もミステリとして読んだ場合には不満が残る。というより、ミステリとして読むことは殆ど不可能である。超現実的な出来事が予告なく、何の法則性もなく起きるのでは、謎の解明について読者が楽しむことはできない。ファンタジーやSFの要素があってもいいが、その世界なりの法則が読者に明確になっていなければミステリとは呼べないと思う。
『アラビアの夜の種族』
読み終えた時、面白いものを読んだ、という充実感があった。ただしそれは作中作の魔法や怪物が出てくるファンタジー物語によるところが大きい。そしてその部分は、到底ミステリとはいえないだろう。そのファンタジー物語を短編ミステリでサンドウィッチにしたというのが、本作品の構造である。非常に悩んだが、ミステリとしてぎりぎり認められるのではないか、というのが私の最終判断である。作者不詳の作品の翻訳化のはったりも、読者を騙したいという作者の姿勢の現れだと評価した。ただし不満もある。作中作に、つまりサンドウィッチの具に、これでなくてはならないという必然性が乏しかったことだ。結末付近になって、翻訳もののはずなのに日本人作家の気配が出てしまっている点も、改善の余地があったのではないか。
『ミステリ・オペラ』
大先輩の作品についてあれこれいうのは気がひける。それでも選考会において、私はこの作品を酷評した。労作であることはたしかだと思うが、ちりばめられた謎のすべてに合点がいかなかったからである。物理的トリックなどは取っ払ってしまったほうが、はるかに完成された、それでいて立派な本格ミステリになったのではないかと思う。しかし昭和史を探偵小説の存在価値という側面から掘り下げようとした姿勢には頭が下がる。閉じる
立会理事
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第55回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
- 『鳥類学者のファンタジア』 奥泉光
- [ 候補 ]第55回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
- 『なぎら☆ツイスター』 戸梶圭太
- [ 候補 ]第55回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
- 『悪いうさぎ』 若竹七海