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2003年 第56回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門

2003年 第56回 日本推理作家協会賞
長編及び連作短編集部門受賞作

いしのなかのくも

石の中の蜘蛛

受賞者:浅暮三文(あさぐれみつふみ)

受賞の言葉

 今年の阪神、すごいですね。僕は西宮市に二十四歳まで暮らしていたために、遺伝子が縦縞です。前回の優勝は、確か僕が東京でコピーライターを始めたばかりの頃で、初めて広告賞をもらった覚えがあります。
 滅多にないことが起こる年ならではの今回の栄冠には、ああ、タイガースファンでよかったとつくづく実感しています。
 人前に出るのは慎んだ方が無難といえる人間ですが、なんとしても返却したくない賞ですので「品性をかんがみ、無効」は堪忍してください。
 実は発表の前々日に近所のお稲荷さんに、こっそり願掛けにいきました。デビューのときも、お世話になったんです。相変わらず、お稲荷さんは高打率です。約束の油揚げをお供えしないといけません。
 出版で、また審査でお世話になった皆様、ありがとうございました。今年はタイガースが優勝しなくてもいいや。

作家略歴
1959~
1959年兵庫県西宮市に生まれる。広告代理店勤務を経て、98年に第八回メフィスト賞を受賞し、デビュー。著作に『ダブ(エ)ストン街道』(講談社メフィストクラブ)。『カニスの血を嗣ぐ』(講談社ノベルス)がある。趣味はブルーグラス音楽演奏(フラットマンドリン、フィドル)とフライフィッシング。
2003年『石の中の蜘蛛』にて第56回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞

2003年 第56回 日本推理作家協会賞
長編及び連作短編集部門受賞作

まれーてつどうのなぞ

マレー鉄道の謎

受賞者:有栖川有栖(ありすがわありす)

受賞の言葉

 自宅で受賞の報せを聞いた。記者会見で発表するためのコメントを求められて、慌てて綴ったのが次のような文章である。
 「栄えある賞を受け、うれしく思います。/大きな賞をいただいたからといって、明日からミステリがうまくなるわけでもありません。/これを励みに、よい作品が書けるようさらに精進してまいる所存です」
 なんだか不精をするようだが、嘘も飾りもない気持ちなので、ここでも同じ言葉を繰り返したい。
 受賞が決まった夜、下戸の私は祝杯を傾けるでもなく、阪神タイガースの試合もなかったので、ぽつりぽつりと仕事をした。「やっぱり、うまくなってはいない」と苦笑しながら。
 これまで応援してくださったすべての方に深く感謝しつつ、高いところを目指していきます。
 ありがとうございました。

作家略歴
1959~
出身地 大阪府大阪市
学歴 同志社大学法学部法律学科卒業
デビュー作 「月光ゲーム」(東京創元社)
代表作 「双頭の悪魔」(東京創元社) 他に 「朱色の研究」「幻想運河」「英国庭園の謎」等。
2003年『マレー鉄道の謎』にて第56回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞
2018年「火村英生」シリーズにて第3回吉川英治文庫賞を受賞
趣味 旅行・音楽鑑賞

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

馳星周[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 第五十六回日本推理作家協会賞の選考は、二〇〇二年一月一日より同年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集、及び評論書などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年の十二月よりそれぞれ予選を開始した。
 協会員と出版関係者のアンケートを参考に、まず長編および連作短編集三六二、短編七六五、評論その他二七作品を、協会が委嘱した部門別の予選委員が選考にあたり、長編及び連作短編集五、短編五、評論その他五作各候補作品を決定した。
 本選考会は、五月二十三日午後三時より、第一ホテル東京にて開催された。長編及び連作短編集部門は、井上ひさし、京極夏彦、桐野夏生、藤田宜永、宮部みゆき(立合理事・馳星周)、短編部門・評論その他の部門は、大沢在昌、笠井潔、高見浩、西木正明、東野圭吾(立合理事・真保裕一)の全選考委員が出席して各部門ごとに選考が行なわれた。選考内容については、各委員の選評を参照していただきたい。
 選考後の記者会見には、浅暮三文氏と新保博久氏、山前譲氏が出席し、有栖川有栖氏からはファックスにて受賞コメントが寄せられた。
 なお、本年度は江戸川乱歩賞の選考会も同日に開催され、協会賞の記者会見場にて同時発表がおこなわれた。両賞の注目度をさらに高めていくための試みであり、今後も会員ならびに関係者各位のご協力をお願いいたします。
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選評

井上ひさし[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 小説を読んでお金が儲かるなら経営難の銀行や会社の役員はみな勤勉な読書家になっている。小説が健康にいいなら病院も医院もとっくに本屋や貸本屋に転業している。小説で品性がよくなるなら議員諸公は選挙のときに自分の蔵書を得意そうに連呼するはずだ。そうなっていないのは、小説を読んでもお金にはならず、健康のためにも役に立たず、品性向上にも効果がないからである。では何のためにわたしたちは小説を読むのだろうか。暇潰しのために読むのだ。
 だが良い小説は、わたしたちのその暇を、生涯にそう何度もないような、宝石よりも光り輝く「時間」に変えてしまう。しなやかで的確な文章の列が、おもしろい表現や挿話の数数が、巧みに設えられた物語の起伏が、そしてそれを書いている作者の精神の躍動が、わたしたちの平凡な暇を貴い時間に変えてくれるのである。たとえば『撓田村事件』(小川勝己)は、時間の積み重ね方やその時間の解き方にみごとな才能を見せてくださっているが、しかし事件の立ち上がり方があんまりのろのろしすぎて読者を待たせすぎた。つまり読者の暇を掴み損ねた。作者のこの才能に行きつく前に読者を飽きさせてしまった。
 近未来日本の、日本海側に「海市」と言う国際難民都市を創造した『ハルビン・カフェ』(打海文三)の着想はじつにおもしろい。その人口四〇万(しかし実質八〇万)の都市に、下級警官たちによる「P」という変幻自在な秘密組織があり、頻発する警官殺しに対抗している。ますますおもしろい。日本人論があり都市論があり組織論があって、作品世界の広さと深さは相当なものだ。しかし時間と人物を意図的に錯綜させる語り方が読者に苛酷な負担を強いている。作品の真の凄味に行き当たる前に読者が去ってしまいかねない。わたしはこの作品を受賞作の一つに推したが、この一点で、最後まで推し切れなかった。
 『少年トレチア』(津原泰水)は、巨大団地の終末とその団地を徘徊する奇怪な噂を描いて迫力がある。その力業に充分な敬意をはらいながら言うが、語り方に作家的野心が生のまま露出しているところがある上に、登場する人物たちに、温かさや愚かさといった読者の暇潰し気分になじむものが少なかった。作家的野心の見える文章と冷凍人間たちだけで、暇を「時間」と磨き上げるような物語を編み出すことができるだろうか。
 『マレー鉄道の謎』(有栖川有栖)は、よく知られた定型(はたん)をいくつも重ねて読者の暇をガシッと啣え込む。では読者の暇は「時間」へと昇華したか。一例だけあげれば、探偵役の臨床犯罪者の周囲をドタバタ騒ぎ回わる助手役の推理作家が外国語と対したときの記述法に、とても愉快な新機軸がある。この工夫で、この作品はわたしには生涯忘れられないものになった。つまりわたしの暇は輝く「時間」へと昇華したのだ。
 車に跳ねられたことで聴覚が異常に鋭敏になった楽器修理工の驚嘆すべき推理と、彼のふしぎな恋の顛末を巧みに語ったのが、『石の中の蜘蛛』(浅暮三文)である。だれもが持つ聴覚を主人公にしたことで、読者は他愛もなく自分の暇をこの作品に捧げてみようと思い立つ。じつに巧みな罠だ。楽器修理工はあるときわけがあって引っ越しをするが、彼の異常に肥大した聴覚は、その部屋の前の住人である女性が残していった音の癖を聞き出し聞き分け、ついに彼女の身長や体重や歩幅まで突き止めてしまう。このあたりの展開はみごとで、読者は楽器修理工と共に、この幻の女に恋に落ちる。このあとの展開はやや月並みになるが、しかし「世界は音によって構成されてもいるのだ」という作者の発見は、読者の発見にもなって、やはりこの作品を終生、忘れられぬものになるだろう。ここでも読者の平凡な暇が輝くような「時間」に昇格するという奇蹟が行われたのである。なお、この作品の結末は悲しみが究まって甘美ですらあり、文句なしの傑作。
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京極夏彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 まず、今回の選考会が選考委員である私にとって大変有意義な時間であったことを報告しておきたい。
 本質とは関わらぬ瑕疵を論い、強引な数値化をして無根拠な順位を定め、当然偏っているであろう私的小説観を披瀝しあう――といった、およそ無意味で後ろ向きな議論は一切なかった。もちろんどんな小説にも欠点はある訳で、選考会という場の性質上、そうした部分に就いても当然言及された訳だけれども、たとえ構造上の欠陥が指摘されたとしても、それ自体がマイナス要因としてカウントされるような非建設的な選考会でなかったことは確かである。非常にポジティブに作品に向き合い、論じ合うことが出来たと思う。これは、偏に魅力的且つ個性的な候補作が揃ったという点に負うところが大きいだろう。ただ、例えば今回の場合、粒ぞろいという表現はおそらく当てはまらない。粒の大きさはまちまであった。色も形も味わいも全く異なっていた。同じ傾向、同じ戦略、同じ文法で紡がれた作品であるならば、それなりに優劣をつけることも可能なのだろうが、それが異なっている場合は比較すること自体意味を失う。流儀も違えば階級も違う競技者を同じ土俵に載せることは出来ないだろう。結果的に比べることも優劣をつけることも出来ず、そういう意味では選考自体は難航したともいえる。
 例えば「難易度の高い技法を選択したが故に着地に失敗してしまった」例と、「平易ではあるが確実な路線を選択したが故に高い完成度を達成した」例とがあった場合、二者を安易に比較することは出来ないだろう。「敢えて難易度の高い道を選択した志の高きを買う」という判断と「それでも失敗している以上は買えない」という判断は永久に交わることはない。「手堅く纏めているが新しい試みが見受けられない」という意見と「小振りな作品ではあるが完成度は高い」という意見も同様である。そうした不毛なやり取りを避ける形でさまざまな議論が行われた訳だが、主な論点は「作者の意図が構造や技法として作品に結実しているか」「その作品の構造や技法が読者の感興に直結しているか」という二点に絞り込めるかと思う。作者と作品の関係性、読者と作品の関係性を軸にして選考が行われたと要約しても良いだろう。作者の企みがある程度成功していたとしても、それが読者にとって良い結果となるかどうかは未知数である。反対に作者の目論見は達成出来ていなかったとしても、読者に作者の苦闘なり作品の品性なりが伝わり、結果的に「面白さ」として顕現するケースもあり得るのである。
 結果的に受賞作となった『石の中の蜘蛛』は、バランスの良さが際立っていた。
 異常聴覚の言語化という未踏の試みは、プロット上完全に生かしきれなかったという悔いは残るものの技巧としては大いに成功している。著者の手になる他の作品と比べる限りスケールダウンした感は否めないものの、作者の意図がダイレクトに作品に生かされ、それが読者にもストレートに伝わるという、極めて完成度の高い仕上りが評価されたものである。
 同時受賞となった『マレー鉄道の謎』は、著者の作品群の中に於て必ずしもベストとはいい難い作品ではあるのだろう。しかし時に創作の足枷ともなり得るだろうシリーズ連作の特性を十二分に生かした作風は他の追随を許さない。純粋なミステリーの体裁を保ちつつ、キャラクター小説として、あるいは旅情小説としても成功しているという点も特筆すべきだろう。敢えて「本格ミステリー」というジャンルに固執しながらも大衆性を獲得し得る優れた作品を発表し続けている著者の姿勢も評価の対象となった。
 惜しくも選に漏れた三作品に就いても、それぞれに特異な場所、特異な時間を読者に提供してくれる秀作であった。受賞枠を増やせないものかという声が上がった程の激戦だったことを付け加えておく。
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桐野夏生[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 「キジツダ」。津原泰水氏の『少年トレチア』に出てくる台詞である。人生の期日がいずれ必ずやってくるように、小説世界にも期日がある。終わり方をどうするのか。世界を閉じるのか、開くのか、続けるのか。今回ほど、小説の終わり方というものを意識して読んだことはなかった。が、いずれの作品もプロの仕事である。私という小説家が、ささやかな異議を唱えたところで、その作品世界が揺らぐものではない。
 『少年トレチア』津原氏の文章は品が良く、痛々しさを伴っている。登場人物たちの結び付きが、一切の熱を帯びていないせいであろう。つまり、登場人物がそれぞれの魅力的な物語を背負っているにも拘わらず、ばらけた自我のひとつに思えるのである。では、ばらけた自我を束ねたら何が現れるのか。おそらく作者の孤絶感であろう。しかし、小説の期日は、天変地異という形で突然収束してしまう。言葉にならないものを積み重ねてきた精緻な世界が、一気に崩壊する様に唖然とした。逆に、それが収束ではなく、津原氏が束ねられようとする自我を爆発させて雲散霧消したのだとしたら、この結末しかあり得ないのかもしれない。受賞を逸されたことは残念である。
 『撓田村事件』再読である。以前は、殺人者の生殖に関してのこだわりに反感を覚えたのだが、今回はそのことが逆に面白かった。田舎の中学生の生活が、やや冗漫ともいえる筆致で執拗に描かれる一方、見立て殺人と思しき事件が相次いで起き、横溝的おどろおどろしい世界に陥るかと思いきや、案外、筆致は淡々として醒めている。女性の生殖器に関わる殺人も、女子中学生のませ方も、実は男の側からの女性性に対する「畏怖」という切実なリアリティに思えた。ただし、探偵の寺沢響の魅力は今ひとつわからなかった。
 『ハルビン・カフェ』怨恨と復讐の快楽。日本海に面した架空の町の雑駁。アジアのどこかに存在していそうなリアリティ。読み進みながら、暗い情動のようなものに絡め取られる快感があった。だが、物語の後半、登場人物による語りが主人公の謎を明かしていく手法に、読者として違和感がある。説明的というよりは、語り手を物語に都合良くはめ込み過ぎているのではないだろうか。
 『石の中の蜘蛛』浅暮氏は、誰にも真似できない発想をする人である。「音とは発信源の運動の結果」という卓抜な着眼により、この小説は圧倒的な離陸を始めようとしているかに見えた。が、物語の方向を間違えたのでは、と思えてならないのは、主人公が失踪した女性を現実的に捜し始める点である。だから、音の描写を重ねざるを得なかったのであろう。私は、原一恵との挿話や隣人との関係など、主人公が常軌をやや逸しているところに魅力を感じたので、妄想と現実のあわいに漂う物語であった方が良い。つまり、小説の期日が発想を生かす方向には向かわなかったのではないか、という感想を持ったのである。とはいえ、浅暮氏が優れた才能の持ち主であることは間違いない。心からご受賞を喜びたい。
 『マレー鉄道』火村と有栖川とのコンビは、こなれていて安定感がある。会話にユーモアがあり、読者を楽しませる術に長けている。このジャンルにおける小説の期日は、あらかじめ予定されたものであり、そこに向けての技術は揺るぎない。実力と実績を高く評価されてのご受賞には、何の異議もない。心からご受賞を喜びたい。
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藤田宜永[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 選考会は長時間におよんだが紛糾したわけではない。肉料理と魚料理の味を比べて、結論を出さなければならなくなった結果、長引いたようなものである。
 まずは『マレー鉄道の謎』。本格物の秀作を書き続けるのは大変なことである。エラリー・クイーンにしろS・S・ヴァン・ダインにしろ、すべての作品で大向こうを唸らせてきたわけではない。そのことを痛いほど分かっているつもりなのだが、本書の伏線の張り方や、真実が暴かれた際の犯人の行動等々に不満が残った。作者の最高の作品ではないのだろうが、この分野で“孤軍奮闘”してきた作者の“過去の業績を含めての受賞”(推理作家協会賞の規定にある)ということに対して異議を唱えるつもりは毛頭ない。
 『撓田村事件』は横溝作品風の見立て殺人等々、魅力ある事件やエピソードがふんだんに鏤められているが、いかんせん未消化な感じが否めない。だが異様な雰囲気は作者独特のものらしく、そこには惹かれた。違った形の作品で出合いたいというのが本音である。
 『石の中の蜘蛛』は終始推した作品である。消去法で見れば、あまりにも決まりすぎという難点が浮かんでくるが、本来短編向きの素材を丁寧に書き込む筆力。音を通して知った女の生活を、主人公の孤独さと重ね合わせながらミステリに仕上げた力を高く評価した。受賞は当然と言えよう。
 『少年トレチア』も終始一貫して推した作品だった。批評の隙間をするりと抜けてしまう、けれんみたっぷりの作品だが、そのけれんみが、作者の自己満足のニオイを立ちのぼらせているように思える箇所もある。しかし、異界ともいえる団地(現代都市)に“棲息”する内面が希薄で、生々しさから遠いフラットな若者たちの愛と悪が巧みに描かれている。本物のカレーライスよりもサンプルの方がうまい。と説得するのが難しいように、この手の世界を作品化するのは容易なことではない。難易度の高い技に挑戦した作品ゆえに私は推した。余談だが、フランス語でミステリのことを“ポラール”とも言う。七〇年代後半、“ポラールは現代を写すポラロイド”というキャッチコピーがあった。この作品を読みつつ、この言葉を思い出した。
 『ハルビン・カフェ』は読み応えのある作品だった。人物や風景描写が鮮やかにもかかわらず、作者が試みた形式のためか、正直言って読みづらかった。この作品のテーマは大きい。戦前の非合法運動からポルポトまでが視野に入っていて、組織における理想と現実、善と悪に対する作者の構えが描き込まれている、と解釈するのは深読みしすぎだろうか。サルトルなどが作品の中で解き明かそうとした問題にも触れた箇所があるので、そう考えてしまった。しかし、描き出された悪が、今の社会に存在しているとしても、既知の悪という感じがした。“アナログの悪”を扱うのなら、作者の本意ではないにしろ、もっと壮絶な悪に関するバトルが繰り広げられてもよかったのではないか、と残念な思いにかられた。
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宮部みゆき[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 プロ作家の作品が対象となる賞の選考をするのは初めてで、大変緊張しました。「選考会で問われるのは候補作の当落ではなく、選考委員の小説観だ」というのは、まさしく真実だと思います。
 浅暮三文さんの『石の中の蜘蛛』は、最初の投票でトップの点数を集め、白熱した議論のあいだも、安定した評価を維持していました。わたしも強く推した一人です。「音が目に見えてしまう」というファンタジックな設定を、何とかして読者にありありと伝えようとする作者の情熱が、どのページからも伝わってきました。特に惚れたのはラストの一文です。いっそ妬ましくなるほどのきれいな着地でした。
 有栖川有栖さんの『マレー鉄道の謎』は、シリーズものの一冊であり、作品単体として切り離した際には、他の候補作と比べて弱い部分がいくつかありました。有栖川さんご自身にとっても、必ずしもベストの作品ではないかもしれないという心配もありました。
 それでも、わたしは終始有栖川さんを支持しました。その理由は二つあります。ひとつは、火村シリーズ全体が成熟しつつ、見事に保ち続けている“謎解き小説”としての心地よさに対する賞賛です。もうひとつは、複雑化する現代社会を背景にしながら、あくまでもストレートな本格推理小説を書き続ける有栖川さんの姿勢に、常々深く敬意を覚えていたからです。わたしはあちこちで公言しておりますので、ご存知の方も多いと思いますが、火村シリーズの大ファンです。でも今回は、ファンとしての心情からではなく、とことん一人の同業者として支持しました。その結果、思わず熱弁をふるうことになりましたが、最終的に他の四選考委員にご賛同をいただけましたことに、深く感謝申し上げます。
 津原泰水さんの『少年トレチア』は、凄い小説だと思いました。ひとつひとつの文章表現を取り出してみても、自分にはとてもこういうものは書けないと、脱帽の思いでした。それだけに、読後、最後に起こるカタストロフィが、本当にこの作品世界を閉じる方法としてふさわしかったのかなという疑問が漂ってしまうことを、とても残念に思いました。他の選考委員からも同様の意見がありましたが、しかし、本音を言えばこの作品も受賞作にしたかった。たいへん申し訳ないです。
 『ハルビン・カフェ』は、『少年トレチア』という強い輝きと並んだことで、少々損をしたのではないかと思います。近未来の設定とはいえ、夢想の一端も入り込む余地がない現実的な犯罪小説であるはずのこの作品が、現代社会を生きる人間の冷ややかで平坦なリアルさを描ききった『少年トレチア』の前では、ダークファンタジーのように見えてしまいました。またこの作品には、「事後報告」的な構成になっているにもかかわらず、非常に物語が見えにくく、わかりにくいという難点があります。回想形式や疑似ノンフィクションを含めて、こうした事後報告手法の作品というのは、実は作者にとっては構成のし易いものです。誤解のないよう申し添えますが、これは、けっして“簡単に書ける”という意味ではありません。特殊な手法ですから、引き換えに背負うリスクもまた大きい。ただ、登場人物たちを縛る物語内時間からまったく自由になれるという点では、作者に利があると思うのです。『ハルビン・カフェ』では、せっかくのこの利点を、活かしきれていないのではないかと感じました。
 『撓田村事件』は、ミステリ好きなら誰でも持っている「横溝ゴコロ」をくすぐる好作でした。楽しく読めましたが、小川勝己さんの本領発揮はこれからでしょう。大いに期待しております。
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立会理事

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第56回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『ハルビン・カフェ』 打海文三
[ 候補 ]第56回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『撓田村事件』 小川勝己
[ 候補 ]第56回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『少年トレチア』 津原泰水