2003年 第56回 日本推理作家協会賞 短編部門
2003年 第56回 日本推理作家協会賞
短編部門
該当作品無し
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 馳星周[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第五十六回日本推理作家協会賞の選考は、二〇〇二年一月一日より同年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集、及び評論書などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年の十二月よりそれぞれ予選を開始した。
協会員と出版関係者のアンケートを参考に、まず長編および連作短編集三六二、短編七六五、評論その他二七作品を、協会が委嘱した部門別の予選委員が選考にあたり、長編及び連作短編集五、短編五、評論その他五作各候補作品を決定した。
本選考会は、五月二十三日午後三時より、第一ホテル東京にて開催された。長編及び連作短編集部門は、井上ひさし、京極夏彦、桐野夏生、藤田宜永、宮部みゆき(立合理事・馳星周)、短編部門・評論その他の部門は、大沢在昌、笠井潔、高見浩、西木正明、東野圭吾(立合理事・真保裕一)の全選考委員が出席して各部門ごとに選考が行なわれた。選考内容については、各委員の選評を参照していただきたい。
選考後の記者会見には、浅暮三文氏と新保博久氏、山前譲氏が出席し、有栖川有栖氏からはファックスにて受賞コメントが寄せられた。
なお、本年度は江戸川乱歩賞の選考会も同日に開催され、協会賞の記者会見場にて同時発表がおこなわれた。両賞の注目度をさらに高めていくための試みであり、今後も会員ならびに関係者各位のご協力をお願いいたします。閉じる
選評
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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○短編部門
明らかに新しい才能と感じさせる候補作が揃っていた。が一方で、ミステリとしては見過せない欠点が露わになってしまってもいた。受賞作なしとなったのはやむをえない結果だと考えている。今回の候補者の多くが、本賞の受賞者に名を連ねるのはそう遠くない将来だろう。
「チルドレン」
語り口に独特の爽やかさがある。いやみのない、心地よい人物描写である。だが、逃走中の強盗犯が“人質”につきそって家裁に出頭するというのはいくらなんでもリアリティがない。顔見知りの警官と出くわす可能性もあるのだ。
「犬」
評価の難しい作品だった。作者のもつ力量に疑いはないが、「GOTH」の全作品を、ミステリとして読むことに私は首を傾げる。もしそう読むなら、“私”が犬を噛み殺すことのリアリティの壁が厚すぎた。
「犬も歩けば」
さびれた商店街のパン屋は午後十時になっても店を開けているだろうか。娘を殺された父親が、告訴もせず犯人を強請りつづける行為にも納得できない。そんな男なら、妻との夫婦関係もとうに壊れてしまっているだろうと思うのだが。
「WISH」
よい話だし、文体には魅力がある。おそらく多くのファンを惹きつけるだろう。だが病院を舞台にし、死期間近の患者の願いを聞く、という設定そのものが感動の発生装置としてやや安易ではないだろうか。キスだけで自殺してしまう少女と、キスだけしかしない若者の中途半端なプレイボーイぶり、さらにはそんな若者が果して京都をひとり旅するものだろうかという違和感が、最後まで残った。
「ピコーン!」
このドライブ感はただものではない。地方都市の閉塞した若いカップルの存在感も胸に迫る。だがヒロインの行動が“犯人捜し”に移るや、物語の腰が砕けてしまうのは何とも惜しい。失速を通りこして、急速に失望が広がってしまった。この作品に限らず、今回の候補作は全般に、作者が主人公に対してやさしすぎたような気がする。
○評論その他の部門
日本推理小説の始祖、協会の生みの親である江戸川乱歩の蔵書分類という作業を、十一年の長きにわたり、プロの評論家である両著者はおこなった。そこには何の“見返り”が約束されていたわけでなく、あったのは使命感だけだったにちがいない。その努力には本当に頭がさがる。推理作家協会賞が顕彰せずして、他のいったいどんな文学賞が、「幻影の蔵」を顕彰するのか。受賞は当然であった。閉じる
- 笠井潔[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回の選考は「評論その他の部門」から行われた。
小倉孝誠『推理小説の源流』は、ミステリ文学史の空白であるエミール・ガボリオの、復権と再評価を追求するものとして貴重な試みだろう。しかし、十九世紀フランスの小説や出版をめぐる社会史的記述は、いささか教科書的にすぎる。また、ミステリ文学史からガボリオが消えたという謎も、説得的な形で解明されているとはいえない。
長谷川元吉『父・長谷川四郎の謎』は、エッセイとして楽しく読めた。長谷川家をめぐる人脈図などには、いろいろ教えられるところもある。残念なのは、長谷川四郎の実像をめぐる作者の推理が、根拠の希薄な当て推量の積み重ねにすぎない点である。
東雅夫『ホラー小説時評』は、十年におよぶホラージャンルの成長、展開過程を証言するものとして興味深い。この著者には、本格的な日本ホラー論を期待したい。
高山宏『殺す、集める、読む』は、個性的な英文学者によるミステリ論集で、論点の独創性、多方面にわたる博識には圧倒される。わたしは本作を推したのだが、「難解すぎる」という他委員の評価を覆すには到らなかった。
新保博久・山前譲『幻影の蔵』は、基礎資料の作成が推理作家協会賞の対象となるのかどうか、という点がまず集中的に討議され、「その他」に含まれうるとの結論に達した。以上を前提に、全員一致で『幻影の蔵』の授賞が決定された。
短編部門の候補作では、伊坂幸太郎「チルドレン」、本多孝好「WISH」の両作に似たような雰囲気が感じられる、両作とも、自我の輪郭が希薄で心優しい性格の青年と、子どもとの精神的交流が描かれている。このあたりに、両作の現代性があるのだろう。評価できない点だが、登場人物の性格設定とプロットに、リアリズム小説としては無視できない不自然性が見られるところも共通していた。
笹本稜平「犬も歩けば」でも、類型的なキャラクターと御都合主義的なプロットが目についた。
乙一「犬」は、そもそも短編連作集『GOTH』の一編として書かれた作品である。単独の短編として見ると、どうしても説得力が低下する。連作集を通して見れば、作者の気迫に押されて読み流してしまうところだろうが、この種のトリックでは認められないアンフェアな記述が散見され、「犬」一篇だけ読む読者には気になる。
最大の議論になったのは、舞城王太郎「ピコーン!」である。力感に溢れる文章、ぶっとんでいるようでいて妙なリアリティがある人物像などは、委員全員から支持を集めた。マイナス点とされたのは、トリックの不自然性である。ミステリとしての歪みや撞着にかんして作者は確信犯であり、それこそが躍動する文体や現代的な人物像を可能にしているという主張は、多数を占める結果とならなかった。この作品は、わたしを含めて二名の委員から押されたのだが、短編部門は受賞作なしという多数意見が、残念ながら選考会の結論となった。閉じる
- 高見浩選考経過を見る
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小説としての意匠の新しさに比べ、肝心のミステリーとしてのプロットに手抜きが目立つ――今回の短編部門は全体にそういう印象だった。たとえば「チルドレン」という作品。主人公を家裁の調査官に設定したところはとても新鮮だし、その主人公と志朗という少年との交流にも“現代”が透けていて面白いのだが、主人公と志朗との最初の面接から半年後に起きた“誘拐事件”の内実がおざなりにされている。その半年間に、志朗と志朗宅への侵入者はどういう関係を保っていたのか。その辺がまったく触れられていないので、この“誘拐事件”にリアリティがほとんど感じられず、結果的に作品の完成度を薄めている観がある。
そういう不満は、今回、最後まで競り合った「犬」と「ピコーン!」にも感じられた。この二作、それぞれに独特の語り口で読者を作品世界に誘い込む手並みが秀逸で、その意味では候補作中でも群を抜いていたと言っていい。「犬」のほうは、以前「GOTH」中の一編として読んだときには、鮮やかなどんでん返しに感心した覚えがある。が、今回、この作品を一個の独立した短編として精読してみると、ミステリーとしてはアンフェアと言わざるを得ない記述が少なからず目についたのである。この手の作品の場合、犬と少女を置き換えて最初から読み直してみても、不自然な箇所がどこにもない。というのがあるべき姿なのではあるまいか。そうであって初めて読者は、見事に騙されたという爽快な満足感にひたれるのだろうから。
「ピコーン!」の魅力は一にも二にも、そのユニークな饒舌体の語り口にある。そこからは主人公である語り手の肉厚な存在感がヴィヴィッドに伝わってきて、ここにも時代の新しい風がたしかに吹いている、と感じさせられる。だが、ミステリーとしての完成度は? となると、やはり、いくつか疑問符をつけざるを得ない。たとえば、道路から土手の下を見下ろして、血の付着した小石をすぐに識別できるだろうか、とか。車にはねられた人体が、電線を切断することは本当に可能だろうか、とか――。
この二作の書き手の実力は十分認めつつ、さらなる充実を将来に期待することにした決定は妥当なところだろう。
評論その他の部門は、「父・長谷川四郎の謎」にも捨てがたい味があったが、“謎”の解き方が恣意的にすぎる点に難があった。受賞に決まった「幻影の蔵」は、文字通りの労作。蔵書目録中の外国人作家のセレクションなど、日本における海外ミステリーの翻訳史としてみても興味が尽きない。その意味でも貴重な資料だと思う。閉じる
- 西木正明[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年の短編部門は、まことに激戦であったと思う。高水準の作品がいくつもあり、どれにするかで選考委員の意見が割れた。
こういう時は、なんとかして複数授賞という形に持ち込めればいいのだが、悪いことに今回は、拮抗する出来ばえの作品が三作あって、意見がまとまらなかった。
乙一さんの『犬』と、本多孝好さんの『WISH』、舞城王太郎さんの『ピコーン!』が三つ巴となり、一作ないし二作に絞り込めなかった。いずれも優れた作品であるが、子細に検討するにつれて問題点もみつかり、どうにもならなかった。
この三作中わたし自身は、本多さんの『WISH』を押した。プロットが秀逸な上、薄幸の少女と「僕」の間の心の通い合いが、上質な哀感をかもしだして、読後感が実に良かったからである。
しかし、若干の欠点も指摘され、引き下がらざるを得なかった。
というわけで、新人賞であれば、今後の活躍を期待して少々のことには目をつぶろうということになったかも知れないが、推理作家協会賞はまぎれもなくプロ作家の賞である。
そういう認識が選考の行方を決めたのかも知れない。結果として受賞作なしということになってしまい、選考委員のひとりとして申し訳なく思っている。
いずれにしても、前述のごとく今回の候補作はいずれもハイレベルで、例年であれば異なる結果となった可能性がある。故に今回は、候補になったこと自体、力を認められたというふうにお考えいただき、ますますの健筆を期待したい。
いっぽう、評論その他の部門は、ほぼ全員一致で新保博久・山前譲両氏の労作『幻影の蔵』に、すんなりと決まった。長い時間をかけてのていねいな作業に敬意を表する。
江戸川乱歩というミステリーの草分けについては、これまでも多くの事が語られ、書かれてきた。しかし本書ほど真っ正面から取り組んだ物はなかった。資料価値も高く、今後のミステリー研究に大きく役立つだろう。
高山宏さんの『殺す・集める・読む』にも票が入ったが、その博識には感服しつつ、文章と組みの双方が原因で読みにくく、授賞には至らなかった。
評論などの分野では、ただでさえ文章が学術的で硬くなりがちだ。したがって筆者のみならず、編集・出版に関わる方の、その辺にさらに心を砕いて下さるよう、お願いしておく。閉じる
- 東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編が商売になりにくい時代だ。商業誌が依頼する作家の顔ぶれも限定されているそうである。そんな流れを反映してか、今回の候補作には、新人とさえいえる若手の作品が揃った。
『犬も歩けば』
商業誌に掲載されるに足る作品である。プロ作家ならば、この程度の水準は求められるだろう。逆にいうと、そのレベルに留まっている。
『チルドレン』
選考委員のほぼ全員が同じところを欠点として指摘した。つまり多くの読者がその部分でひっかかるということであり、ミステリとしては失敗だろう。しかし文章はうまく、飽きさせずに読ませる力を持っている。
『WISH』
全作品を読み終えた後、もしどうしても受賞作を出さねばならないならこれかなと思った。しかしそれは、致命的な欠点が最も少なかったから、という消極的な理由からである。不治の病はかわいそう、というのがテーマでは、芸がなさすぎなのではないか。
『ピコーン!』
唯一、強く推す委員がいた作品である。しかし私は反対した。物理的にどうしても承伏できない現象が出てくるからである。少し理科が得意なら、小学生でも変だと思うだろう。ミステリを破壊しようという意図は感じるが、苦手な部分をごまかすためにそうした手法をとっている、と、いじわるな見方もできる。ただし主人公の女の子はよく描けている。今回の全候補作中、最もリアルな存在だった。それだけに探偵まがいの活躍をする場面は残念だ。物語のための登場人物に成り下がっている。文体についても、村上龍氏らの先行作品があるため、特に新しいとは思わなかった。
『犬』
じつは読んでいる途中で、これを推そうと一旦は決心した。小説を包んでいる世界観に強く引かれたからだ。非常に難しい場面を描く時にも、ぴんと張りつめた緊張感が緩む気配もなく、このまま最後まで手堅くまとめてくれれば、多少の瑕瑾には目をつむろうと思っていた。ところが最後に出てくるどんでん返しによって、その決意は崩れた。たしかにそのどんでん返しによって、それまで瑕瑾だと思っていた部分はそうではなくなる。しかしそのかわりに、もっと大きな傷が生じることになった。早い話が、リアリティがなくなってしまったのだ。これだけ筆力のある作家が、なぜまたこんなありきたりのトリックを使いたくなったのか。これが自分のやり方だといわれればそれまでだが。
評論その他の部門では、『幻影の蔵』を推した。膨大な手作業の集積であり、形になるまでの苦労を想像すると気が遠くなる。お二人の努力に対して何らかのお礼を、という意味があった。閉じる