2004年 第57回 日本推理作家協会賞 短編部門
受賞の言葉
謙遜するわけでも、恰好つけるわけでもないのですが、受賞できると思っていなかったため、非常にびっくりしています。
短編ミステリーの書き方は、長編以上に分からず、いつも試行錯誤しながら書いていますので、その短編で評価していただけたというのは、本当に励みになります。
急に特別なことができるわけでもないのですが、それでも、もう少し小説を書いてみよう、とそういう気持ちになれました。
- 作家略歴
-
2008年『ゴールデン・スランバー』にて第21回山本周五郎賞を受賞
2020年『逆ソクラテス』にて第33回柴田錬三郎賞を受賞
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
第五十七回日本推理作家協会賞の選考は、二〇〇三年一月一日より同年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集、及び評論書などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年の十二月よりそれぞれ予選を開始した。
協会員と出版関係者のアンケート回答を参考に、まず長編および連作短編集三七三、短編六六二、評論その他二七作品をリストアップした。協会が委嘱した部門別の予選委員が、これらの選考にあたり、長編および連作短編集五、短編五、評論その他四作の、各候補作品を決定した。
本選考会は、五月十九日午後三時より、第一ホテル東京にて開催された。長編および連作短編集部門は、黒川博行、直井明、法月綸太郎、藤田宜永、宮部みゆき(立合理事・馳星周)、短編部門・評論その他の部門は、井上ひさし、笠井潔、京極夏彦、桐野夏生、東野圭吾(立合理事・北村薫)の全選考委員が出席して各部門ごとに選考が行われた。
今回は、各部門とも選考開始時から委員の支持が受賞作に集まり、すんなりと結論が出た。結果として、他の賞とのダブル、あるいはトリプル受賞となる作が過半を占めた。詳しい選考内容については、各選考委員の選評を参照していただきたい。
選考後の記者会見には、歌野晶午氏と垣根涼介氏、千街晶之氏が出席し、受賞の喜び、今後の抱負など語った。伊坂幸太郎氏、多田茂治氏からはファックスにて受賞コメントが寄せられた。閉じる
選評
- 桐野夏生[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
短編部門 私は、伊坂幸太郎氏の『死神の精度』を推した。伊坂氏の作品は、類型に嵌らないブレがあって、それが作品に生気とリアリティを与えている。主人公はただの死神ではなく、死を統べる者たちが遣わした調査員であること、彼らは人間の死に興味はないが、音楽が好きでCDショップに溜まっている、などという魅力的なディテールである。あるがままの姿をさりげなく書いているように見えるが、物語の蔓がどこまでも希望に向かっていく伸びやかさが感じられた。
『胡鬼板心中』は、時代設定や押絵作家の登場などから、乱歩や久作の世界へのオマージュとして読んだ。それはそれで構わないのだが、押絵の製作法や、弟が感銘を受けるほどの兄の絵とはどんなものか、を言葉で説明してくれなければ、弟の心情は伝わってこない。既存のイメージに寄りかかり過ぎではないか。
『とむらい鉄道』は、「論理パズル」と言う選考委員もおられたが、読んでいて何度も首を捻った。むしろ、反論の方が合理的だからである。しかし、反論がいくらでも用意できるミステリというのは、滅茶苦茶で面白くもある。私は嫌いではない。
『死者恋』は、五十歳女性の独白への違和感が、物語に有機的に絡んでいかない憾みがある。だから、主人公と画商の関係が今ひとつわからなかった。異常な嗜好を持つ人物を、異常に書くのは難しい。
『走る目覚し時計の問題』は、好感は持てるのだが、やや物足りない。お婆さんの幽霊は、不幸な人にだけ見えるらしいが、女主人公がちっとも不幸に思えないのはなぜか。そこが面白くもある。謎解きは、門外漢の私が読んでも少々無理がある。
評論その他の部門 私は、千街晶之氏の『水面の星座 水底の宝石』と、多田茂治氏の『夢野久作読本』を推した。『水面の…』は、対象作品の偏向と切り口、『夢野久作読本』は、対象に注ぐ偏愛、が面白かった、というのが理由である。その意味では、両作品とも愛情が勝るが故の温かさも感じないではない。しかし、対象に注ぐ愛情に打たれて読むという読書体験もある。
『北海道警察の冷たい夏』は、事件そのものが興味深いし、何よりも取材した曽我部氏の勇気に感動した。だが、率直に言えば、後半の感傷と尻すぼみ感に失望した。私は、五十号事件の経緯と分析をもっと読みたかった。
『20世紀日本怪異文学誌』は労作である。知らない小説があまた存在することに、素直に驚いた。書誌録として大きな価値があると思うのだが、最初の「ドッペルゲンガー」に対する定義がよくわからない。「分身」の中に離魂や多重人格を入れていいものかどうか、その疑問が最後まで残った。閉じる
- 東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
今回一番最初に読んだのが『死神の精度』だ。読み終えた時点で安堵した。今回は昨年のように受賞作なしということにならないなと確信したからだ。じつによく計算されたストーリーだと思う。死神という非科学的な存在を抵抗なく受け入れられたのは、その個性に一工夫も二工夫も凝らしてあるからだ。その個性を含め、何気なくちりばめられた伏線が最後まで見事に意味を持つという構成にも感心した。ただ一つ注文をつけるとすればタイトルで、死神という言葉を使わないほうがいいと思うが、それは好みの問題かもしれない。
『胡鬼板心中』も私が推した作品だ。その表現力に圧倒されたからである。ストーリーには難点があるかもしれない。未解決な部分が多いし、ラストの落ちも、今ひとつ意味がわからなかった。しかし、どす黒く、粘っこい空気が漂う世界を大いに楽しめた。
それと類似の世界を描いているような『死者恋』では、心理や話し方等、主人公の女性の描き方に大きな引っかかりを覚えた。女性作家の作品なら、首を傾げながらも、「こんな女性もいるのかな」と許容できるかもしれないが、男性作家が書いたとなれば、ちょっと受け入れづらい。最後のどんでん返しについては、話しかけ風の文体で書かれたミステリではよくある手法、といっておく。
『とむらい鉄道』は、探偵役が論理論理といいながら、主人公の女性から発せられる合理的な疑問に対する回答が、常に感覚的なものである点が不満だった。シリーズものの一つかもしれないが、探偵がじつは女性という点も、本作品については無意味だと思う。
『走る目覚し時計の問題』は、日常の謎を本格ミステリとして描いた、私好みの作品だった。しかし私は読みながら、なぜこれが密室なのか全くわからなかった。ある特定の人間には出入り可能なのだから、その人物に命じて、ドアの鍵を外してもらえばいいだけのことではないのか。また、時計職人の息子である私は、幼稚園時代から目覚し時計を分解したり組み立てたりして遊んでいたが、そんな特殊な幼児だとしても、この小説中の工作は不可能だと断言しておく。
評論その他の部門では、『北海道警察の冷たい夏 稲葉事件の深層』を推した。事実は小説より奇なりといわれるが、現実にはあまりそのようなことはない。しかしこの作品は、事実が既存の犯罪小説と同程度に奇であることを訴えている。その部分を評価したいと思った。だがノンフィクションとはいえ小説であるからには、小説としてどうかという見方もされるわけで、ほかの委員の同意を得られなかったのも仕方がないと思う。
受賞した『水面の星座 水底の宝石』には辛い点をつけた。理由はひとつで、取り上げている日本の作品に偏りがありすぎる、ということだ。自分の論を展開するために都合のいい作品を持ってくるのは評論の常套だ、という意見に最終的には折れたが、たとえば七〇年代や八〇年代のミステリ市場を支えた作家の作品をろくに取り上げず、「ミステリの変容」という表現を使うのはおかしいのではないか。
『夢野久作読本』は、巨人や天才と表現されるだけだった作家を、人間関係に苦しみ、社会に揉まれ、将来に絶望するという、ごくふつうの人間として描いた点が興味深かった。『ドグラ・マグラ』に寄りかからない姿勢(というより、そんな必要はなかったのだろうが)も好感が持てた。
『20世紀日本怪異文学誌』は、労作だと思うがメッセージ性はどうか。ドッペルゲンガーに拘ったのは面白いが、同時にこじつけの感も強かった。閉じる
- 笠井潔[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
今回の選考は短編部門から行われた、伊坂幸太郎『死神の精度』は、伏線と意外な結末のバランスがよい。ミュージックファンの死神という設定も効果的だ。この作者の持ち味である魅力的な軽妙さ、常識を裏切る結末の肯定性という点で本作は、長編部門候補作『重力ピエロ』とも共通する。ただし暗くて重い主題を軽く、しかも肯定的に描いてしまう力業という点で『死神の精度』は『重力ピエロ』に及ばない印象もある。これは本作の欠点というよりも、短編と長編の条件的な相違によるのかもしれない。小川勝己『胡鬼板心中』は、江戸川乱歩や横溝正史や夢野久作などの戦前探偵小説の雰囲気を巧みに再現している。作者は乱歩『押絵と旅する男』、夢野久作『押絵の奇蹟』などを参照して、胡鬼板職人の物語を構想したに違いない。もう一点、自作の少女を愛してしまう天才絵師の物語は、戦前変格的な因縁話の枠組みを与えられているが、実は2D美少女に萌えるオタクたちに通じる点で、主題的には現代的である。小貫風樹『とむらい鉄道』は、本格ミステリ短編の精髄を掴んだ、巧緻な論理パズルだ。探偵役やワトスン役をはじめとする登場人物も、鉄道路線や現場の地理などの背景も、すべてはパズルを成立させるための項にすぎない。しかし、全編に漂う奇妙に幻想的な雰囲気からもわかるように、無味乾燥なパズル小説ではない。朱川湊人『死者恋』は、一人称の話体の語りという点で『胡鬼板心中』と共通する。ただし、語りの効果という点で小川作品に及ばない印象がある。登場人物の性格設定に不自然感が否めず、主人公の造型もいささか安直。作者は物語を、六〇年代史と重ねあわせながら進めていくが、このような構成は作者が期待したほどの効果をあげていない。怪談的な結末にも唐突なものを感じた。松尾由美『走る目覚し時計の問題』は、日常の謎ミステリに新機軸を打ちだそうとした作品だ。しかし、作者の意図は空転している印象がある。「隅の老人」に「幽霊探偵」のパターンをプラスした探偵役は、気のきいたアイディアという水準を越えていない。この設定なら、探偵役が老女の幽霊でなければ解けない謎を、作者は提出する必要があるだろう。討議の結果、満場一致で『死神の精度』の授賞が決定された。
評論その他の部門では、千街晶之『水面の星座 水底の宝石』はトリック分類の水準から抜け出し、本格ミステリの形式的な構成要素(トリック、パターン、キャラクター、ガジェットやギミック)の意味を問う姿勢が斬新だった。曽我部司『北海道警察の冷たい夏』は、警察の暗部を暴くという社会的な意義は認められるにしても、作中で描かれる人物に人間的な興味が薄い。多田茂治『夢野久作読本』は堅実な評伝である。これまでも部分的に語られてきた父親との関係などが、詳細に述べられていて興味深い。ただし、作家夢野の創造性の秘密を充分に抉りだしているとはいえない。山下武『20世紀日本怪異文学誌』は、日本のドッペルゲンガー小説を論じた労作だが、粗筋プラス感想という読者案内の域を出ていない。「20世紀」をタイトルに冠しているのだから、二重人格から多重人格へという八〇年代以降の新事態も扱うべきだろう。討議は、『水面の星座 水底の宝石』と『夢野久作読本』の同時授賞という結論になった。閉じる
- 京極夏彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
小説は結局語句/文字の連なりに過ぎない。他の構成要素は廃されているわけだから、文字=記号の選択・配列・組み合わせこそが小説そのものなのである。しかしながら、それら選択された個々の語句や文字が小説全体に揺るぎない影響力を持つのかといえば、そんなこともない。あるいはその配列や組み合わせこそが唯一のテクニック足り得るのかといえば、当然答えは否である。
結局小説は語句/文字の集積――全体として機能するものである。羅列された記号から意味を汲み取るのは読者であり、読者の数が無限である以上(ある程度のパターンはあるにしろ)、正解は無限に存在する。選択された語句/文字が適正なものであるか否か、その配列が的確なものであるか否か、そうした判断基準は画一的なものとはなり得ない。明らかな誤認や誤記、誤用、果ては誤字ですら、プラスに転化されてしまう場合さえあり得る。瑕疵こそが魅力となるケースもあるということである。
本来的には、そこまで計算に入れて全体を設計するのがそれを生業とする者の務めであろうとは思う。しかし小説の場合は他の表現形式と比較してテクストの全体量が多いため、中々設計者の思い通りにはならない。加えて細部への配慮がそのまま小説全体に貢献するとは言い切れない。前述の通り読者の反応は多種多様であるし、使用する記号自体多義的な曖昧さを持っているから、そのすべてを予め想定して設計する――作者が読者を完全にコントロールする――ことは不可能なのである。
但し、長編小説の場合はおおよそ十万字以上の記号=文字が用いられる訳だが、短編小説の場合は一万字程度である。作品中、一文字、一語句、一文の占める割合は、長編に比べて遥かに大きい。つまり細部の瑕疵/魅力が全体に与える影響は、長編に比べてずっと大きい、ということになるだろう。
例えば、候補作の中にも「設定された時代にない語句が使われている」と指摘された作品があった。もちろん意図的に採用された語句である可能性もあるから、一概に瑕疵とは言い切れないのだが、そのたった一語がもたらす違和感が(読者によっては)作品全体をひずませてしまうケースも想定できる。その場合、それは(意図的な選択であったとしても)瑕疵として判断されることになるだろう(当然そうでないケースもあるわけだが)。そうした瑕疵とも魅力ともなり得るパーツの用い方は、短編小説の場合、よりデリケートな作業となるということである。
受賞作となった『死神の精度』は、そういう意味で隙がなかった。もちろん他の候補作も十二分に魅力的ではあったのだが、意図的であるにしろそうでないにしろ、プロットやストーリーにディテールが貢献し切れていないと思われる箇所が少なからず指摘されたことは事実である。短編部門において、今回は伊坂氏の「精度」が高かったということになるだろうか。
評論その他の部門は本来比較の対象にならない作品が選考対象となる。いずれも読みごたえのある労作揃いであったため、難航が予想された。社会的意義、高邁な志、画期的な技法、資料性の高さ、評論対象への愛着、斬新な視点――そうした様々なファクターと「書物としての完成度」は必ずしも並び立つものではないし、意義や動機や技法や価値を比較して優劣をつけるような尺度を私たちは持たないだろう。
受賞作『夢野久作読本』はどこかが突出していたというわけではなく、バランスの良さが票を集める結果となった。評論対象に対する著者の丁寧な手つき/個性的な視点が、そのまま読み物としての面白さにも直結しており、かつ一定の資料的価値も、社会的意義も有している。
同時受賞となった『水面の星座 水底の宝石』は、一転してその技法のユニークさに対して高い評価がなされたといえるだろう。文芸評論の新しい地平を拓かんとする「志」が著者にあるのか否かは未知なのであるが、展開されている技法自体は十二分にその可能性を含んでいる。若い著者の今後に期待したい。閉じる
- 井上ひさし[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
これからお読みになる方たちの楽しみを奪うことになるから、『死神の精度』(伊坂幸太郎)の内容にふれるのは努めて避けなければならないが、これはすばらしい小説だ。設定は奇抜、しかし洒落ている。死神の部下らしい調査員が一人の冴えない娘の運命をきびきびと語るのだが、その一人称の語りに巧妙な仕掛けがほどこされている。この話なら他の人称は使えないと見切ったところに、書き手の力があらわれた。しかも語られているのは、わたしたちが興味を持たざるをえない「命の長さ」についてであるから、だれもが夢中になって読んでしまうにちがいない。「天使は図書館に集まるが、死神の調査員たちはCDショップにたむろする」という例を一つとってみてもわかるように、表現も文体も、そして話そのものも、モダンで知的であり、全編が品のいい高級なユーモアでみちている。それに、冒頭から結末まで徹頭徹尾、死を扱っているのに、読後の感想は爽快であり、それどころか読み手をまちがいなく幸福にしてしまうからふしぎだ。
また、この作品の小説の結構が会社の人事部と社員、参謀本部と前線の兵士、他人の運命を握る者と彼らに運命を握られた者といった現実の切ない関係と重ねて読むこともできて、まるでよくできた寓話のような深みがあった。
『水面の星座 水底の宝石』(千街晶之)は、じつに役に立つ書物である。たとえば、「探偵とは、解決を遅延させる装置である」、「読者が推理小説を読むのは、意外な結末によって、目から鱗が落ちるという体験をしてみたいからだ」、「本格ミステリとは、秩序回復の物語である」、「ミステリという文芸ジャンルに潜在しているのは、絶えず正統性から逸脱しようとする歪みである」などなど、この書物は、いたるところで胸の空くような定義をしてくれる。その定義にしても、いちいちミステリの名作や傑作を読み解きながらなされるので、無類の説得力がある。そして読み終えたときに、これはじつはこれまでのミステリの財産目録であったことがわかる。つまりわたしたちミステリファンは、いま望みうる最良の手引書を手に入れたのである。
夢野久作は、どこが果てだか解らぬような文学的巨人である。『夢野久作読本』(多田茂治)は、ふんだんにエピソードをちりばめながら、この巨人の精神の深部に迫って行く。久作を敬愛しつつ、批判すべきところはきちんと批判する(たとえば、関東大震災のときの朝鮮人虐殺について、久作はその筆にブレーキをかけたふしがある)。この公正な、しかし常に温かさを失わない筆でゆっくりと現われてくるのは、国粋主義者にして国際主義者、天皇主義者にして反近代天皇制論者、そしてロマンチストにしてリアリストの久作像である。これらを統一するには彼の生命が短すぎた。作者の惜愛の情がひしひしと伝わってくるような第一級の評伝。とにかくおもしろい。閉じる