2010年 第63回 日本推理作家協会賞 短編部門
受賞の言葉
推理作家協会から短編部門ノミネートの手紙が届いたとき、正直、なんなんだろう、と首を傾げてしまった。受賞はないと思っていた矢先のまさかの受賞。ただただ驚いている。
十五年前、ミステリー系新人賞をいただき処女作が世に出た。以来、好意的な版元と熱心な編集者のおかげで、ほぼ年一ペースで本を出してもらった。
三年前、警察小説の短編連作を書かないかというお誘いを受けた。ぼんやり頭に描いていた「管理部門に籍を置く警官の物語」をその場の勢いだけで書いてしまった。それからが大変だった。受賞作はその四作目です。
長編を書きながら、月に一度は短編を。夢のような理想を描きつつ、気がつけば、この三年間、短編ばかりを書いていた気がする。といってもわずか十編足らず。むずかしい。編集者に伴走してもらったおかげです。
熱気溢れる選考会を通して、理事長をはじめ先輩諸作家の皆様が、いかに賞の運営のため、心を砕いているかを目の当たりにしました。拙作を選んでいただきまして、心より御礼申し上げます。
- 作家略歴
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市役所にて、地方公務員を生業としています。デビュー作は、第七回日本推理サスペンス大賞優秀賞作「死が舞い降りた」です。
現在、二作目を執筆中です。取材のためにインターネットを導入しましたが、もっぱら、子どもたちが使っています。
2010年『随監』にて第63回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門からスタートした選考会では、五本の候補作中、三本が警察小説、二本が少年犯罪という”現代”のミステリの傾向が話題になった。
○X△形式の評点で議論がなされた結果、「雨が降る頃」、「ドロッピング・ゲーム」がまず外された。残る三作、「随監」、「ミスファイア」、「師匠」から受賞作を選ぶ過程で、「受賞作なし」を主張する選考委員もいたが、「だすべき」とする選考委員もいて、討議の結果、受賞作を選ぶという方向性で選考会を進めることになった。この中で浮上したのが「随監」である。詳しい選考過程については、各委員の選評を読んでいただきたい。
つづいておこなわれた評論その他の部門では、選考委員それぞれが「勉強になった」とする候補作を挙げ、意見がわかれた。が、「英文学の地下水脈 古典ミステリ研究」にある「文学的発見」を評価するという見地から、受賞作が決定した。閉じる
選評
- 逢坂剛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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【短編部門】
最初に通読したとき、どの候補作が受賞しても文句なしと思うくらい、楽しく読ませてもらった。
今回の候補作は、警察ものが三作、学校ものが二作である。わたしは、警察もののどれもが気に入り、選択に苦慮するほどだった。結果的に、安東能明さんの『随監』が選ばれたわけだが、わたしの中では『師匠』と『雨が降る頃』も、ほぼ同じ評価といってよい。小説の筋書きよりも、キャラクターの造型力を重視するわたしは、三作ともその課題をクリアしている、と思った。『随監』の広松、『師匠』の大木、そして『雨が降る頃』のクロハが、それである。いずれも力のある作家なので、今後のさらなる飛躍を期待したい。
わたしは同時に、学校を舞台にした『ミスファイア』を推したが、残念ながらほかの委員の点が集まらなかった。この作品が持つ若わかしさ、すがすがしさは昨今まことに貴重なもの、と思った。文章のうまさ、読みやすさは随一である。
ちなみに『ドロッピング・ゲーム』は、候補作中もっともミステリーらしい作品といえるが、背景の設定に説得力が足りない印象があり、推し切れなかった。わたしは、こういう一種の心理ミステリーが好きなので、いささか心残りだったことを付け加えておく。
【評論その他の部門】
評論の選考はむずかしい。
極端に言えば、書き手が取り上げた作品を全部読んでいないと、その評論の可否を論じられないのではないか。しかし、それは事実上不可能なことなので、取り上げられた作品が読みたくなるかどうか、という点を一つの判断基準にした。
その意味で、もっとも読みにくいとされた『戦前戦後異端文学論─奇想と反骨─』を、わたしはいちばんに推した。調べの行き届いた労作だが、それ以上に教えられるところが多く、必然的に評価が高くなった。作者の、資料の博捜ぶりは徹底したもので、今後の仕事への期待を抱かせる。受賞は逃したが、その努力を多としたい。
授賞作の『英文学の地下水脈 古典ミステリ研究』も、取り上げられた作品を読み返したくなる点で、やはり高く評価できる。事実わたしは、涙香と乱歩の『幽霊塔』やその原典、ウィリアムスンの『灰色の女』をネットで探し、手に入れようと試みたほどである。クレー、コンウェー、ブラッドンといった、ほとんど忘れられた作家に光を当てる情熱にも、感じるところがあった。ただし、クイーンやヴァン・ダイン等の章に精彩がなく、わたしの評価では次点になった。
また『日本SF精神史』『怪談文芸ハンドブック』は、入門書としてよくまとまっているが、それ以上のものではない。ことに後者は、〈ですます〉調で分かりやすく書かれながら、〈幻成〉などという辞書にない造語を遣う点に、違和感を覚えた。ただし、高く評価する選考委員もおり、好みの問題で割りを食ったとすれば、遺憾とせざるをえない。閉じる
- 小鷹信光[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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〈短篇部門〉
候補作五篇の題材が、警察の捜査活動と少年の犯罪とにかたよっていたので比較検討がしやすかった。「ミスファイア」はさわやかな後味が長所だが、”モンスター・ペアレント”に新味がなく、扱われる犯罪に現実性が乏しい。「ドロッピング・ゲーム」は舞台を仮想国にした趣向が生かされず中途半端な印象が残る。小6の犯罪というか教育の現場の問題とミステリーの要素がミスマッチの観があり、この二篇は選外とした。
残り三篇はいずれも警察ものだが、「雨が降る頃」には筋立てにとって肝腎要の車に関する知識に難点が散見された。話の運び方もうますぎて少し無理がある。「師匠」も父と子の人情ものがらみの達者な語り口で読ませ、ベテランと一見のろまな巨漢刑事のとり合わせが楽しめるが、ウラに隠されていたヤクザ世界の”新種”の犯罪に意外性がない。
「随監」(あまり馴染みのない随時監察という用語の略称だという)は、進行役の主人公よりも傍役の交番所長の持ち味が立っていておもしろかった(結びのセリフも深読みできる)。警察ものに少年(中学生)の犯罪をからめるオマケを評価して授賞作とした。
〈評論その他の部門〉
候補作四篇はいずれもそれぞれの専門領域の長い歴史を踏まえたテーマであり、それだけに判定が難しかった。私はおもに、私自身が自分の専門領域でやってきた評論・研究活動の方法に準じて、四篇それぞれの対象へのアプローチの方法を裁量する道を採った。
「日本SF精神史」および「怪談文芸ハンドブック」の二篇はどちらも入門書としてはよくまとまっていて、とくに後者は対象への関心を駆き立てる効能も備えているが、評論としてはものたりなかった。また、瑣末なことだが、前者では著名作家の姓のケアレスな誤記が、後者では哲学用語の安易な転用(方法論という用語)が気になった。
「戦前戦後異端文学論─奇想と反骨─」では書き下ろしと思われる小栗虫太郎論(著者全体の六分の一を占める)に新味と深味があり、山田風太郎論もよく、その他の作家論も充分に調べて書かれているが、総合的には「異端文学論」を構成するタテの糸が深く論じられていない。
一方の「英文学の地下水脈 古典ミステリ研究」は題名どおり、テーマはきわめて狭く専門的だが、黒岩涙香翻案作品の原典追跡をめぐる新発見が数多く盛りこまれ(「妾の罪」の叙述トリックの先駆性など)、たいへん興味深かった。その研究方法が私自身の方法とも通じていて共感を抱いたともいえる。初めに決めていたこの作品を最後まで粘り強く推して逆転判決をかちとったのが痛快だった。閉じる
- 真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編の候補作は、どれもが連作短編のうちの一本のようで、まとまってから読むべきなのか、と思わされた。人物の設定に頼って物語を一直線にすすめて解決へ導く嫌いがあり、ミステリ特有の妙味であるひねりがほとんど見られなかったからだ。また、連作の一本であるためなのか、人物を掘り下げようという意図より、キャラクターの描き分けにとどまっていたように感じられ、印象をさらに薄くしていた。独立した短編では単行本にした時、商売にならないとの理由があるのだろうが、過去の受賞作との差は大きく、個人的には受賞作なし、という結論に傾いていった。業界全体で考えていかなければならない問題も横たわっているのかもしれない。
評論その他の部門は、四候補作の目指す方向がまったく違い、かつ、比較検討の基準も各選考委員でそれぞれ違っていたため、論議が噛み合わなかった部分もあった。その中で、受賞作はまんべんなく支持を集めた。著者のこだわりと愛着が随所にあふれる労作だった。特に、翻訳と翻案の手法に関する記述は、書き手にとって物語を仕上げる技術論にも繋がる部分があり、大いなる刺激を受けた。文学史上の新たな発見も盛り込まれている。ただ、四章のコンウェーの作品をひもとく過程で、同じく涙香によって翻訳された「レ・ミゼラブル」が語られていないのは、英文学という限定からくる、見逃された部分なのだろうか。そう考えていくと、フランス文学やロシア文学に影響された英文学もありそうで、ますます原典研究の奥深さ感じられ、興味がそそられた。
『怪談文芸ハンドブック』は、軽い入門書という形式が損をしたのだろう。だが、例文の引き方が絶妙であり、まさしく恐怖の源泉と、その表し方のテクニックを教えてくれる。この著者の鑑識眼の高さは疑いない。また、平易に書くことの難しさを語りつつ、このハンドブック自体がその技術をクリアしていることも感心させられた。怪談に興味がない、という評者もいて、予想外に支持を得られなかったことが、何とも無念でならなかった。閉じる
- 菅浩江[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門は、「雨が降る頃」と「ドロッピング・ゲーム」がはじめに脱落しました。前者の弱点は、単純な位置関係なのに例えば「右・左」と書かれていないために理解が妨げられる、自動車に詳しくない人が書いているように思われてしまう、など説明の手際の悪さでした。シリーズものだということですが、思わせぶりな点が多々あって、独立して読むには厳しかったです。後者は、新鮮さがなかったように思います。受験戦争の絡んだ青春ものにしては魅力的なシーンがなく、ミステリ部分も動機・トリック・謎解きいずれもに、ああそうか、という感慨をいだけませんでした。
「師匠」は大木というサブキャラクターに魅力がありました。けれども、肝心の主人公の行動や考え方がどうにも師匠役に見えません。犯罪も判りやすい振り込め詐欺、身内のさばきかたで人間味を出そうとしているのもどこかしら既視感がある、といった具合でした。「ミスファイア」は、一読して達者な方だと感じました。青春小説としての小道具使いが手慣れていて、瑞々しさを醸し出すことに成功しています。タイトルとの絡ませ方も巧いと思いました。けれど、モンスター・ペアレンツ、ブログ、少年の思い、といった構成に関わる部分の扱いが記号的で、もう少し捻りがあれば、と惜しみました。
受賞作である「随監」は、タイトルがふさわしいとは思われず、最後の感嘆に代表される図式的なものの見方を感じます。しかし、少なくとも警察小説として私が知らない内部事情に知識欲を満たされ、広松というキャラが善人か悪人かという読者への揺さぶりもあって、楽しく読みました。
今回は、五篇ともが青春ものと警察もの、という狭いジャンルでの戦いでした。全般的に斬新さを感じなかったのが心配です。子供は自分独自の正義感で犯罪を起こす、警察官はスマートさはないけれど職務に誇りを持っている──これ以外の手技で勝負をかけていただけることを、今後の期待にしたいと思います。
評論部門は、SF作家として最初に「日本SF精神史」を除けなければならなかったのが、とても心苦しい作業でした。筆者の熱意が伝わる好著ではありましたが、社会科学も範疇に入れた懐の深さが「SF」の語句が持つ期待をはぐらかしてしまったようにも思います。作品紹介も、ここがすごく新しい思想だ、これが奇天烈なガジェットだ、という感心どころが伝わってこず、国家政策を変わった視点で捉えただけというような印象でした。現在に近いところを扱った続編が書かれるのを楽しみにしています。
残り三本は、例年のごとくとはいえ大変な紛糾ぶりでした。「戦前戦後異端文学論─奇想と反骨─」も、過去を異端文学という視点で振り返るという「日本SF精神史」に通じる趣向です。ただこちらのほうが作家の人となりが垣間見えて好感を持てました。中でも渡辺温と橘外男の段は魅力的です。原典を読み直したい気持ちにさせられるのは、評論評伝として力のある証左だと思います。同様に「怪談文芸ハンドブック」の原典紹介も素晴らしく、私は一位に推しました。なんといっても、古今東西縦横無尽に語られる怪談世界が絢爛豪華で、しかもちゃんと芯が通っています。ハンドブックと銘打ちながらも専門的な部分もきちんと押さえられており、ホラーに親和性の高いミステリファンであるならば、一読しておくべき本だと思いました。
実は受賞作の「英文学の地下水脈 古典ミステリ研究 ~黒岩涙香翻案原典からクイーンまで~」に、私は低い点数を付けていました。強引に思えるアリスの自分探しや、毛色の違うクイーン論はまたの機会にして、涙香とクリスティに絞るのが一冊の本としての纏まりというものでしょう。けれど、評論部門の選考にあたっては、専門家のご意見を尊重する、という姿勢を守っていますので、小鷹さんの「新発見がある」という熱弁に、ひたすら浅学を恥じることにしました。閉じる
- 福井晴敏[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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かつて、出張のお供は小説雑誌という時代がありました。新幹線に乗っている間の暇潰し、なんなら宿まで持っていって導眠剤に使うもよし。半分くらいは読み切りの短編だから、先が気になってつい夜更かししてしまうなんてこともない。
極論、おもしろくなくたっていいのです。基本は時間を潰すためのツールなのだから、読むに耐えるだけの活字が並んでいればそれでいい。逆に言えば、そんな中で無条件におもしろい!と思える作品と出会えた時の喜びは格別であったでしょう。特にどうということもない話が、旅先では妙に身に染みた、なんて経験をお持ちの方も少なくないかもしれません。
小説雑誌の黄金期──特に短編小説が多くの人に読まれ、需要と供給がうまく回っていた頃の話です。しかるに現在、小説雑誌はまったくと言っていいほど売れません。出張や通勤のお供は携帯電話に取って替わられ、旅先の宿でもメールやらネットやら、時間潰しの手段は百花撩乱という時代になりました。いや、むしろノートパソコンを持っているなら、出張先でも書類仕事に精を出せと迫られるのが現代のサラリーマン事情です。
そこに読み切りの短編小説が割って入れる余地はない。小説を読むということの敷居が高くなり、「暇潰しに短編小説を読む」という行為が人のライフスタイルから削除された結果、単行本においても短編集は敬遠されるようになったのです。かかる状況下に、旧来の価値観と評価軸で短編賞を選出したとしても、それは真実、内輪のセレモニーに終始してしまうのではないか。今一度、世間に「必要」とされる短編小説の在り方を模索できないものか。この二年、短編賞の選考に携わらせていただく中で、その思いが絶えず胸の底にわだかまっていたものです。
受賞作を始め、五つの候補作はどれも手硬い秀作です。が、警察物と学園物に二分されるジャンルへの集中が仄めかす通り、現在の市場動向に合わせて書いたお行儀のよさが拭えない。「小説ファン」という、今や限られた市場の外に向かって声を張り上げ、世間を振り向かせてやろうという傍若無人なエネルギーが感じられないのです。
市場が安定している時はそれでもかまいませんでしたが、これから出版界はいよいよ淘汰の時代に入ります。売り方まで含めて、この手があったかと唸らせられるような短編小説の在り方が示されんことを、今は切に願うばかりです。
他方、評論その他の部門は、もとより限定された客筋を唸らせてナンボの世界です。選には漏れましたが、『戦前戦後異端文学論』は門外漢の身にも楽しく読めたことをご報告しておきます。閉じる