2012年 第65回 日本推理作家協会賞 短編部門
受賞の言葉
毎日のように新しい物語が世に発表されていく中で、自分が物語りを書く意味がわからなくなった時期がありました。栄養ドリンクを飲み、睡眠時間を削り、家の中はちらかり放題。そうやってがんばって書いても、気持ちがマイナスに向いているときは批判の声しか耳に届きません。わたしが書いたものなど読まなくてもいいじゃないか! と叫びだしたくなり、ふと、思いました。代わりになるものがあると自覚しているからそんなふうに思うのだ、と。ならば、自分にしか書けない物語を作ればいいのではないか。現在39歳。因島で18年、トンガ王国で2年(淡路島くらいの面積です)、淡路島で13年、島での生活が人生の大半を占めているわたしだからこそ表現できる世界があるのではないか。
その思いで書いた物語を高く評価していただけたことに、心より感謝いたしております。選考委員の先生がた、関係者の皆さま、本当にありがとうございました。
- 作家略歴
- 2016年『ユートピア』にて第29回山本周五郎賞を受賞
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 道尾秀介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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≪長編及び連作短編集部門≫ 真保裕一
受賞作にふさわしいと考える作品に○をつけてもらい、各選考委員にそれぞれの評価を聞いていったところ、候補の五作品すべてに誰かが○をつけるという激戦でした。それだけ本年度は候補作が充実していた証と言えるでしょう。
その中で、最も票を集めた『ジェノサイド』が、多少の瑕瑾は指摘されながらも、何より一気に読ませる圧倒的な筆力と緻密な構成力が高く評価され、まず受賞作に決定しました。
その後、二作受賞も視野に入れての討議になったのですが、残る四作品を推す委員がそれぞれ違うという状況のため、意見の集約はできず、一作受賞という結論に達しました。
≪短編部門・評論その他の部門≫ 道尾秀介
選考会は「評論その他の部門」から開始され、最初の投票で「近代日本奇想小説史 明治編」が最高得点を集め、他二作はまったくの同点となった。この時点で点数の差がある程度生じていたため、その後における各作品についての話し合いの中でも評価が逆転することはなく、右記作品が受賞作となった。
「短編部門」においても最初の投票で「望郷、海の星」が最高得点を集め、他作品との差がある程度生じたが、「三階に止まる」と「足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)」を強く推す選考委員もそれぞれおり、三作品から受賞作を選ぶための話し合いが行われた。各作品について、評価すべき点と瑕疵の指摘がそれぞれあったが、やはり「望郷、海の星」については評価すべき点が多く、また瑕疵の指摘も少なかったため、受賞作とすることに決定した。閉じる
選評
- 赤川次郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門の候補作では、湊かなえさんの「望郷、海の星」が、さすがに情緒、人物の心の動き、いずれもみごとで抜きん出ていた。本来なら長編で受賞する人かもしれないが、作品の出来で言えばこれを推すしかない。展開にちょっと納得しかねる点があったのと、タイトルになった「海の星」のイメージが今ひとつはっきりしないが、作品のレベルの高さは疑いない。それに、この作者としては珍しい(?)後味の良さ。
石持さんの「三階に止まる」は、ラストでホラーになるのが唐突で、素直に読めない。エレベーターの不具合は珍しいことではなく、そこに「悪意が集まっている」という推理には無理がある。ホラーにはそれなりの文体やテクニックが必要だ。
大門さんの「言うな地蔵」は、冒頭で叙述を省いて、主人公が殺人を犯したかのように思わせるが、実は子供が銃を爆発させての事故だったという結末。事故なら主人公が政治家としての生命をかけてまで秘密を守る必然性がない。それにラストで突然元刑事が現れたりするのも不自然である。
三上さんの「足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)」は、本来連作短編であり、長編部門に回るべきではなかったか。特に、他の短編と関連した部分もあり、これ単独では評価しにくい。古書に関心のある人とそうでない人で、採点は分かれそうだ。
両角さんの「この手500万」は、ギャンブル小説とでも言うのか、荒っぽい世界の話だが、小説としてまで荒っぽくなっているのは困る。ことに偽札を政治家に献金して、陥れようとする設定は、いかに小説とはいえリアリティに欠ける。
短編ミステリーは、余分な寄り道ができないだけ、切れ味が勝負である。その意味では、「一本取られた!」と膝を打つ出来の作品に出会えなかったのは残念。
評論その他の部門では、何と言っても横田順彌さんの巨大な「近代日本奇想小説史 明治篇」が他を圧倒した。この人でなければ絶対に書けない一冊である。その情熱と愛情には脱帽の他はない。「大正・昭和」と書き継いでいただきたいが、その一方で愉しい創作も読ませてほしいものだ。
佳多山さんの「謎解き名作ミステリ講座」は、既読、未読の読者双方への気配りが必要な分だけ、物足りなくなる。しかし、色々と教えられることは多かった。
六草さんの「鴎外の恋 舞姫エリスの真実」は、昔教科書で読んだ「舞姫」のモデルの実像を探すドキュメント。正攻法の姿勢で、ノンフィクションに時々見られる「先にストーリーを作っておいて、都合のいい資料を捜す」という一人よがりがないところは評価できる。ただ、エリスの実像に迫る手前で終わってしまった印象なのが残念だった。閉じる
- 伊坂幸太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門で、最も賞に相応しいと感じたものは、『三階に止まる』でした。「なぜかいつも三階に止まるエレベーター」というシンプルな謎に対し、推理と検証を重ね、最終的には突拍子もない真相に辿り着きます。オカルト的な展開は、時に読者を白けさせてしまうものですが、この作品の場合は白けるどころか、心地良く、感動できました。オカルトならではの伏線と意外性があったからです。「これ以外に受賞はありえない」という気持ちでしたが、他の選考委員を納得させることはまったくできませんでした。自分の力不足にがっかりです。受賞作となった、『望郷、海の星』は人間ドラマが丁寧に描かれ、小アジを釣ってくる少年とそれを喜ぶ母親、といった図はとても美しいですし、謎の「おっさん」が抱えていた秘密についても意外性があり、感心しました。ただ、感心はしたものの、「この作品のことは絶対に忘れないだろう」と思えるような興奮は得られず、そのために積極的に推す立場は取れませんでした。とはいえ、受賞作となることに異論はありません。
『言うな地蔵』と『この手500万』はどちらも、ラストに、「なるほど、こう来るのか」という反転が用意されており、その構図はとても僕好みだったのですが、どんでん返しのために逆算で設定が作られた不自然さが、いくつもあるように感じました。とはいえ、どちらの作品も「驚きを生み出そう」という姿勢があり、その点が非常に頼もしかったです。『足塚不二雄~』については、客の家を探すためのホームズ的な推理が楽しかったものの、それ以外の、「万引き」や「善意の第三者」を用いた部分については驚きを感じられず、なによりも、「なぜ、『UTOPIA』という漫画を題材にしたのか」という点が引っかかってしまいました。ラストに、「UTOPIA」のあらすじが絡めてはありますが、そのあらすじは、引用するほど特別なものととは思えませんし、それならば、もっと別の、このマンガについて有名な薀蓄(マンガの最後のコマのことやタイトルのことなど)をプロットに絡めるほうが必然性があったようにも感じました。たとえば、同じように、「UTOPIA」を題材とした古書店の話、マンガ「金魚屋古書店」では、「UTOPIA」が古い本でぼろぼろである、という点を生かし、プロットを有機的に絡めてあったかと思います。
評論部門については、『近代日本史奇想小説史』の面白さが突出していました。明治時代の奇妙な小説たちを紹介していますが、では、ただ、紹介しているだけなのか、と言えば決してそうではなく、独自の分析や掘り下げが行われ、しかも、自虐的なユーモアや謙虚さを交えて紹介していく語り口には芸があり、痛快さを覚えました。並べられた「奇想小説」群を眺めていると、ミステリーの持つ魅力や可能性について考えずにはいられず、非常に刺激的な本だと思います。『謎解き名作ミステリ講座』については、「オリエント急行の殺人」と国連を結びつけた推察や、「火車」に「プロバビリティの犯罪」といった物差しを当てる部分など、興味深い指摘がいくつもありました。ただ、「目から鱗」の解釈が並べられる一方で、少し強引なこじつけと感じられる部分もあり、それらが並んでいるため、評論なのか豊かな雑談なのか、読む側に戸惑いを与えているようにも思います。『鴎外の恋』も非常に面白い作品でした。冒頭から、その調査の行方を、まさに推理小説の主人公を追うような気持ちで読みました。ただ、教会の洗礼記録を当たりはじめた部分から、だんだんと、「エリスの記録(戸籍)探し」の色合いが強くなり、それに従い、面白さが減っていってしまいました。終盤、「実は、鴎外は、ドイツに戻ってエリスと結婚するつもりではなかったのか」という非常に魅力的な推理が飛び出すのですが、全体の構成からすると、そこの話は最後の付け足しのようでしかなく、もったいなかったようにも思います。閉じる
- 歌野晶午選考経過を見る
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〈短編部門〉
『望郷、海の星』は、技巧を凝らしたプロットが特長のこの著者にしてはシンプルな作品である。しかしそれはミステリー的に薄いということではない。シンプルゆえ、素直に小説の世界に入っていけ、主人公と同化して読み進むことで、意外な真相が深く心に刻まれる。これもミステリーのアイディアを活かすための技巧である。父親の服装等、伏線にも細かな配慮が見られ、安定感のある作品だった。
『三階に止まる』は、論理の積み重ねで真相を絞り込んでいく種類の小説である。にもかかわらず、絞り込みの過程の緩さが気になった。超常現象を扱っているだけに、ここを徹底させないと「何でもあり」で推理小説として成立しなくなってしまう。また、住人が削り取られたのは「悪意」ではなく、「義憤」または「怒り」なのではないかという違和感があった。
『言うな地蔵』の真相には虚を衝かれた。これで、主人公の子供を思う気持ちや葛藤が全編を通じて描かれていれば傑作になったのではないか。『この手500万』は、五百万の処分法にしても賭けポーカーの場面にしても説得力が感じられなかった。娯楽小説であっても、リアリティは必要である。
個人的には『足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)』を最も高く評価した。ストーリーと一体化した真相が、何より美しい。人物や情景の描写も、映像的に頭の中に届いてくる。住まいを突き止める推理にもう少し切れ味がほしかったが、それを差し引いても十分受賞レベルにあると思っただけに残念な結果となった。
〈評論その他の部門〉
『近代日本奇想小説史 明治篇』は文句なしの受賞だった。「奇想小説」とあるが、扱われている作品のほとんどは、今日の解釈ではミステリーである。そして、歴史に埋もれてしまっていた作品群でもある。それらを掘り起こし、的確な引用、巧みな紹介で光を当てる。この著者だからこそなしえた偉業である。今後年月を経るほどに本書の価値は高まることだろう。
『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』は、読み応えという点では、候補作中一番だった。細かな気がかりを丹念に洗っていく過程は警察の捜査のようであり、そして文学史上の大きな発見に到達する。これも偉業である。しかし、森鴎外が推理作家ではなく、『舞姫』が推理小説でないことをふまえると、評価される舞台は本賞ではないと思った。
『謎解き名作ミステリ講座』は、たんなるガイドブックにとどまらず、ごく限られた枚数の中で独自性のある評論を加えているところに著者の才能を感じた。しかし、ミステリーとは無関係の話題が多くを占めており、ここは評価の対象外にせざるをえず、すると評論としての物足りなさは否めなかった。閉じる
- 北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門
『望郷、海の星』が群を抜いていた。父は生きているのか死んでいるのか、真野の行為の意味。こういったことが全て最後に解かれる。そこから、人々の姿が納得の行く形で浮かび上がって来る。鮮やかな逆転がありながら、小説の効果のための意外性のため無理に組み立てられた物語ではない。これは、非常に難しいことだ。筋の運びを支える魚料理などの扱いもいい。
怪しい電話や、父の派手な服装、クッキー――などといったところまでが、周到な伏線になっている。真野が以前、あることのため、妻の死に目に会えなかった――などと一言触れるあたりも巧みだ。ほとんど名人の技である。
『足塚不二雄「UTOPIA 最後の世界大戦」(鶴書房)』で扱われるのは、《裏金をいかに表に出すか》という命題と似ている。盗品の本を、古書店を通した形で、表に出す――というのは、なるほどと思う。『三階に止まる』は、不可思議な現象を理詰めに検証し始める。純粋推理の小説かと思うと、論理の飛躍から、現代の怪談に変じる。エレベーターが《人の乗り降りのない階で開く》という、誰にも経験のあることを物語に取り入れたところが巧い。
この二作を、二位と思ったが『望郷、海の星』の完成度には及ばなかった。『この手500万』『言うな地蔵』は、途中までは引き付けられるが、無理な結末が効果的とはいえなかった。
評論その他の部門
『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』は、ドイツ在住という利点を生かし、読ませる。また、『謎解き名作ミステリ講座』も、ミステリ評論・案内であるに止まらず、《大学のミステリ購読の授業》のドキュメントとして現代の視点を持つことに意味がある。これら二作、それぞれの良さはあったが、今回は『近代日本奇想小説史 明治篇』に圧倒された。
ただ、ここに取り上げられた《奇想小説》の幅は、SFや幻想小説のさらに外まで広がっている。推理作家協会賞の対象としてどうか――ということのみが、検討すべき問題と思われる。しかし、これらの《奇想小説》が、やがて日本ミステリの根や養分となって行くことは疑いなかろう。若き日の著者は『日本SF古典集成』の解説で、《編者はそんな裏街道にひっそりと咲いた花々を集めた小さな花びんのつもりで編集した》と書いている。その志が変わることなく続き、今回、この大著に至ったことへの畏敬の念をこめ、推薦したい。閉じる
- 佐々木譲[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門は、湊かなえさんの『望郷、海の星』と決まった。湊さんは二年前にも『贖罪』という長編で推理作家協会賞の候補になっている。このときは選考会が激論となった。結果、惜しくも受賞ならずだったのはご承知のとおり。
今回は、すんなり、と言ってよいほどに湊さんで決まりだった。選考委員をつとめるのはこれで五回目だが、これほど異論なく受賞作が決まった選考会は始めてである。それほどに湊さんの作品は、ずば抜けていた。
『望郷、海の星』は、古い記憶が解釈し直されて、主人公の人生の意味がポジティブに一変するという作品。ストーリーテリングが巧みで、読後感も候補作中もっともよかった。選考結果発表後の後の記者会見で湊さんは、自分が瀬戸内海の島の生まれであり、いまも瀬戸内海の島に住むと自己紹介されていた。それを聞いて、この作品の登場人物たちへの愛、島の生活や習俗への共感に納得した。無理にセンセーショナルな題材を探すのではなく、自分の人生の周囲に題材を発見したことで、湊さんの筆力がみごとによいほうに生かされたのだろう。
石持浅海さん『三階に止まる』は、論理ゲームかと見えて最後はオカルト方向の決着であったことが残念であった。大門剛明さん『言うな地蔵』は、発端の事件の設定に無理があったことが減点部分。ただわたしは、封じこめられた記憶を素材にしたこの作品の雰囲気は嫌いではない。
三上延さん『足塚不二雄「UTOPIA 最後の世界大戦」(鶴書房)』は、取り上げられたマニアックな世界について、すんなり入り込めなかった。他の選考委員に説明してもらったけれど、読者を選ぶ作品であった。
両角長彦さん『この手500万』は、西部劇好きならすぐに『テキサスの五人の仲間』を連想する設定。一見リアリティを保証するかのような別要素を入れたことが、この短編が本来持つはずの小気味よさを奪っているのではないか。
評論その他の部門では、ほぼ満場一致で、横田順彌氏『近代日本奇想小説史 明治篇』と決まった。氏の専門からSFが中心かと思ってしまうが、取り上げられた作品の幅は実に広い。冒険小説から武侠小説、恐怖小説はもちろん、氏の序文によれば「ジャンル分けできないナンジャモンジャ小説」まで、氏のアンテナに引っかかった、明治期までのすべての奇想小説を紹介した文学史。総ページ数一二一八、厚さ六センチという大作だ。他を圧するその「労作感」の前に、ほかの二候補作がややかすんでしまった。
佳多山大地さん『謎解き名作ミステリ講座』は、大学での講義録をベースにした評論集。取り上げられている作品は定番的なものばかりだが、意識的な深読み部分など類書にない面白さがあった。
六草いちかさん『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』は、長いベルリン在住歴を生かしての、公的記録発掘の部分がじつに緻密。ただ、エリスの実像がそのようなものであったとしたら、鴎外との関係がどう解釈し直せるのか、そのあたりをもっと読みたかった。閉じる