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2012年 第65回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門

2012年 第65回 日本推理作家協会賞
長編及び連作短編集部門受賞作

じぇのさいど

ジェノサイド

受賞者:高野和明(たかのかずあき)

受賞の言葉

 日本推理作家協会賞の歴史を辿ってみると、実に感慨深いものがあります。
 かつて探偵小説が発禁処分とされていた暗黒の時代、雌伏を余儀なくされていた横溝正史先生は戦争の終結を知るや心の中で叫んだそうです。「さあ、これからだ!」
 そうして書かれた『本陣殺人事件』が第一回の受賞作となり、探偵作家クラブ賞、現在の日本推理作家協会賞の歴史は幕を開けました。以来、数多の怪事件が解決され、世界のあちこちで大冒険が繰り広げられ、勢い余って日本列島が丸ごと沈没してしまったりもしましたが、そうした本が発禁処分にされることは二度とありませでした。「さあ、これからだ!」という歓喜の叫びは、今も木霊しています。
 世の平和を裏打ちするかのように続いてきたこの賞の、末長い繁栄を祈念して、受賞の言葉とさせていただきます。

作家略歴
1964.10.26~
ロサンゼルス・シティ・カレッジ映画科中退
映像業界の現場スタッフとして働いた後、脚本家となる。
代表作:13階段
趣味:読書と映画。
特技:特技は自主映画製作。脚本、演出、撮影、照明、編集とメインパートはほとんど一人でこなせる。
2011年『ジェノサイド』にて第2回山田風太郎賞を受賞。
2012年同作にて第65回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
≪長編及び連作短編集部門≫ 真保裕一

 受賞作にふさわしいと考える作品に○をつけてもらい、各選考委員にそれぞれの評価を聞いていったところ、候補の五作品すべてに誰かが○をつけるという激戦でした。それだけ本年度は候補作が充実していた証と言えるでしょう。
 その中で、最も票を集めた『ジェノサイド』が、多少の瑕瑾は指摘されながらも、何より一気に読ませる圧倒的な筆力と緻密な構成力が高く評価され、まず受賞作に決定しました。
 その後、二作受賞も視野に入れての討議になったのですが、残る四作品を推す委員がそれぞれ違うという状況のため、意見の集約はできず、一作受賞という結論に達しました。

≪短編部門・評論その他の部門≫ 道尾秀介

 選考会は「評論その他の部門」から開始され、最初の投票で「近代日本奇想小説史 明治編」が最高得点を集め、他二作はまったくの同点となった。この時点で点数の差がある程度生じていたため、その後における各作品についての話し合いの中でも評価が逆転することはなく、右記作品が受賞作となった。
 「短編部門」においても最初の投票で「望郷、海の星」が最高得点を集め、他作品との差がある程度生じたが、「三階に止まる」と「足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)」を強く推す選考委員もそれぞれおり、三作品から受賞作を選ぶための話し合いが行われた。各作品について、評価すべき点と瑕疵の指摘がそれぞれあったが、やはり「望郷、海の星」については評価すべき点が多く、また瑕疵の指摘も少なかったため、受賞作とすることに決定した。
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選評

恩田睦選考経過を見る
 『地の底のヤマ』を推すつもりで選考会に臨んだ。当初は『ジェノサイド』と二作推すかで迷ったのだが、結局この一作に絞った。きっとこの二作に決まりだろうと思っていたら、選考委員が一位に推すのが見事にバラバラに分かれたので、驚くのと同時にそれぞれが推す作品とその理由が納得できて非常に興味深かった。
 『刑事さん、さようなら』はベテランの樋口氏の作品で、うまさと安定感は抜群である。こういう平均点の高い、息の長いベテランに差し上げたいという気持ちは他の選考委員のあいだでも強かったと思うが、氏の他の作品に比べて格別よいとは思えず、タイトルの意味が分かったところで「なるほど」で終わってしまうのが残念だった。
 『放課後はミステリーとともに』、東川さんの本格ミステリとしてのレベルの高さはデビュー時から注目していたし、この短編集も本格としては粒ぞろい。しかし、これまた過去の作品より抜きんでているかというと疑問なのと、今回重量級が揃った候補作の中ではどうしても弱く見え、不利になってしまった。これが去年だったらどうだったかな、などと考えてしまうのが申し訳ないが、候補作どうしのめぐり合わせは避けられない。
 『ユリゴコロ』はやはりデビュー作から独特の雰囲気の作品を書き続けてこられた沼田氏の作品で、既にあちこちで言われているように手記の気持ち悪さは出色である。たいへん面白い作品なのだけれど、過去の似たような作品、似たような設定の作品がいくつも頭に浮かんでしまって、私には新しいところが全く見つけられなかった。
 さて、私の選考の焦点となったのは残り二作である。『ジェノサイド』は内容も盛りだくさんで読後感も素晴らしく、エンターテイメントとして一級品だと思う。山田風太郎賞を獲られているというもの納得で、まさに「伝奇小説」である。なのになぜか、去年、刊行直後に読んで感心したことは覚えていたのだが、今回改めて読んだらすっかり中身を忘れていた。エンタメ作家の中には、本当は映像方面に行きたかったのだけれど、費用技術その他で実現が困難なために小説家になったという人が結構いるが、しばしば「この人にとっては小説が代替品なんだなあ」と感じられてしまう瞬間があるのだ。この作品もそういう瞬間があって、そこに引っかかってしまい、結局積極的には推さなかった。
 『地の底のヤマ』、普通のミステリのたっぷり四作分、超大作である。長いし表現の重複が多いというのは確かだが、正直、他の方が推さないのに驚いた。「ミステリとして弱い」という意見も多く、その理屈も分かるのだが、私はそれぞれの時代を感じさせる殺人事件を解決していくというパターンにミステリとしての面白さを感じたし、何より大勢登場するどの登場人物も顔が浮かび、小説としての読み応えが素晴らしかったので、これを推すことにした。この小説を読んだという体験は、この先もずっと私の中に残っていると思う。
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香納諒一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 同業者の作品に優劣をつけることは難しい。しかも、賞の候補となる作品はどれも、きらりと光る美点を持ち合わせているものだ。そういった作品を拝読した時、目についてくるのは優劣ではなく、作品ごとの特色だ。では、それをどう比べればいいのか。私は今回、ひとつの覚悟を持って選考会に臨んだ。その覚悟とは、自分が抱く小説観――それは小は非常にテクニカルな問題から、大は「小説とは何か」といった大命題に至る――に照らし、どの作品の「特色」が、私という物書きにとって最も深く頷けるかを問うことだった。
 『刑事さん、さようなら』の文章に、私は惹かれた。小説の文章とは、決して肩肘張って構えたものではなく、水の如く自然に流れる文体が理想だと私は思っている。その意味で、近年の樋口さんは、非常に私好みの文体を持っておいでの方だ。的確で、美しい。しかし、この作品の場合、最後に解き明かされる謎が、そこに至るまでの展開と絡まる度合いが弱い気がした。そのことが、この作品を強くは推せない理由となった。
 『ユリゴコロ』は、導入部の「何だろう」という感じは魅力的だが、その謎が解き明かされていく後半部に至り、いわゆるリアリティが作品に介在してくる段階になると、ストーリー展開、キャラクター、そして文章の三点がそろって脆く崩れてしまっている。前半部の雰囲気と文体を、最後まで貫くことができていないことが致命的に思えた。
 私はユーモアミステリーとかコージーミステリーのファンだ。しかし、『放課後はミステリーとともに』は大変に面白く読みつつも、ある種の違和感がずっと消せなかった。それはこの作品の何カ所かは、果たしてユーモアを取り除いてしまっても、小説的な説得力を持った展開として成り立つのだろうか、という疑問につきまとわれたためだった。私が思う「小説的説得力」とは、何もがちがちのリアリティのことを差してはいない。私自身、小説的にはこうだろうと思った場合には、いわば確信犯的に堂々とでたらめを書くタイプだ。しかし、そのでたらめは、作品世界を生きる人間たちにとっては、ごく自然な成り行きでなくてはならないと思っている。この『放課後――』には、ユーモラスに描くことで小説的なリアリティから逃げていると感じられた箇所が見受けられたことが、最後まで違和感として消えなかった。
 『地の底のヤマ』の文章を、私は最初読みにくいと感じたが、読み進めるうちにその独自のリズムがくせになり、最後は心地よいまでになった。そういう文章というのは、個性的な魅力に溢れているのだと思う。血が通うと感じるキャラクターが数々配されていることも魅力だった。だが、それでは作品の核は何かと問うと、焦点の結びきれない凸レンズで世界を見せられているようなまどろこしさがあった。それを「ミステリー的な核が弱い」と表現した選考委員もおられたが、私はむしろすべての小説作品が力強く持つべき核であると思う。
 『ジェノサイド』は傑作だった。この作品の評価は、この一言で足りる。小説を読む醍醐味とは、ハラハラドキドキし、笑い、涙し、ああ面白かったという一言とともに本を閉じることだろう。まさにこの一作がそうだった。立場上、ふと立ち止まって「むむ、これは作品的な傷では」と思う箇所があっても、その後、なるほどこの狙いでこう書いたか、と膝を打ち、「あっぱれ」という清々しい気分になった。今年、こういった素晴らしい作品に巡り会えたことを、一読者として心から喜びたい。
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貴志祐介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 毎回、力作・傑作が集まる推協賞だが、今回、三篇はすでに別の文学賞を受賞している。デッドヒートが予想されたが、蓋を開ければすんなりと落ち着いた。
 『ジェノサイド』に、私は○を付けた。エンターテインメントの王道を行く作品だろう。ミステリー、SF、国際謀略小説など、多くの要素が渾然一体となり、ページを繰る手を倦ませない。これを書くにはどのくらいの取材が必要だったかと思うと敬服する。
 ただ、気になった点も述べると、SFとしては作者の進化観(人類の進化が止まっていない理由)も知りたかった。また、超大国アメリカの大統領なら、人類全体のことより、アメリカの覇権を第一に考え、新人類を捕獲しようとするのではないかという気がする。
 しかし、これらはいずれも瑕瑾であり、本作は選考委員全員が○か△を付け、文句なく受賞作に決まったことを祝いたい。
 『地の底のヤマ』は、質・量ともにたいへんな力作だった。候補作を読む時間の半分は、この作品を読んでいたような気がする。方言など作者の得意技を活かして、大牟田という土地柄を描ききっているし、主人公が、些細な理由で警察署内のいじめに遭うというディテールがすばらしい。
 しかし、同じようなエピソードの繰り返しが多かったことと、肝心の主人公の父親殺しの犯人が早めに見当が付いてしまうことなど、ミステリーとしては詰めが甘いように感じられた。また、個人的には、少年犯罪に対する作者の倫理観にはついて行けず、興をそぐ結果になったのが残念だった。
 『ユリゴコロ』にも、私は○を付けた。特に誰もが認める手記の部分には脱帽である。言葉にならないものを言葉にするのが小説の目的(?)であるなら、これは大きな達成であり、タイトルの意味がわかった部分にはぞくりとした。だが、ラストは予定調和にすぎるのではないか。恐怖の存在が一転して正義の味方になってしまうのは、レクター博士のシリーズと同じ罠に落ちているような気がする。
 『放課後はミステリーとともに』は端正に作られた本格もので、ユーモア・ミステリーだが、ロジックはしっかりしている。この中に一篇、多少笑いを犠牲にしても渾身の作品があれば、受賞に届いたと思うのだが。
 『刑事さん、さうようなら』は、名手の作品だった。町の描写でも必ず人物の点描があり、それが小説としての読み心地をぐんとアップさせている。著者には珍しいダークな展開も読み応えがあった。不運だったのは、警察小説としては『地の底のヤマ』との比較になり、ダークな部分は『ユリゴコロ』と比べられてしまったことである。また、事件自体、警察が隠蔽しなくてはならないほどのものなのか疑問が残った。
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新保博久[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 高野和明氏の『ジェノサイド』は昨春、刊行された当時に読んで面白さに圧倒されたものだ。選考に際して再読するに当って、あえて意地悪く批判的に臨むことにした。これだけ大きな風呂敷を広げる以上、いくつか綻びはあって当然だが、この長篇は畢竟、万能に近い強者が“弱小国”アメリカを翻弄する物語ではないかという点に最もひっかかった。すべて釈迦の掌の上だったわけで、徒手空拳の主人公が強敵と闘って勝利を収めてゆく、という冒険小説の本道とはベクトルが正反対のような気がしたのだ。とはいえ、初読時にはそれと気づかせなかった素晴らしい疾走感、そのペースを全篇に維持した膂力には、依然脱帽するにやぶさかではない。
 だがそういうわけで『ジェノサイド』は二番手とし、樋口有介氏の『刑事さん、さようなら』を第一に推した。西村健氏が『地の底のヤマ』で厖大な紙数を費やして描いている警察組織の不条理(それだけが描かれているわけではないが)を、こんなにコンパクトに提示した樋口氏の手際に拍手したい。『地の底のヤマ』の登場人物ほぼ全員が駆使する大牟田弁を読み解くのに苦労させられたのに対し、入り乱れての会話をト書きなしに誰のセリフか分からせるうまさにも舌を巻いた。『地の底のヤマ』も立派な作品で貶められるものでは到底ないが、外見的にも力作・労作然としていて高く評価されやすいと思われるだけに、手練れがさりげなく仕上げたような樋口作品のほうに光が当ってもらいたかった。力及ばす面目ない。
 今回の候補には、話題作、各賞受賞作などひきしめ合って、かつ江戸川乱歩賞で戸川昌子・佐賀潜受賞時、塔晶夫(中井英夫)・天藤真の諸氏にそれぞれ支持が分かれて四つ巴の争いになった時もかくやと想像された。まさにそのように、全候補作に推薦が散ったのだが、そんななか唯一、満遍なく票を集めた『ジェノサイド』が他を制したのは順当な結果だろう。高野さん、おめでとうございます。
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貫井徳郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 人の作品を斬ることは、自分が斬られることでもある。その覚悟をもって、選考会に臨みました。
 私が○をつけたのは、『放課後はミステリーとともに』でした。事前に全候補作の長所と欠点を書き出していたのですが『放課後』だけは欠点が見当たりませんでした。質の高いトリック、それを小説に仕上げる手腕、ほどよいユーモア、キャラクターの魅力、いずれも間然するところがありません。当然これが受賞すると思っていたので、他の選考委員の支持が得られなかったのは本当に意外でした。この種の小説の面白さを理解してもらうことの難しさを痛感しました。
 受賞作となった『ジェノサイド』は、加点法で読むか減点法で読むかで大きく評価が変わる作品だと思いました。ある意味突っ込みどころ満載で、いちいち減点していたらかなり評価が低くなってしまいます。しかしそれを補って余りある魅力に溢れていて、全選考委員がその点を認めました。結果、減点法で読まれることなくすんなり受賞が決まったのは、選考委員のひとりとして嬉しいことでした。
 他の三作品の中で最も楽しく読めたのは、『ユリゴコロ』でした。私はこの作品を候補作が決まる前に読んでいたのですが、まったくミステリーとは思いませんでした。だから候補に残ったこと自体が驚きでした。面白いと感じたのは「不気味な小説」としてであって、ミステリーとして読むには足りないところがあります。あのような異様な手記を発見した場合、まず疑ってかかるのがミステリーの登場人物ではないでしょうか。無条件で内容を信じてしまい、しかもそれが事実とあっさり確定するのは、ミステリーの手筋ではありません。加えて、終盤のどんでん返しになんの伏線もないのも、やはりこの作品がミステリーではないからでしょう。作品としては評価しますが、ミステリーの賞には値しないと判断しました。
 『地の底のヤマ』も、同じような理由で落選しました。炭鉱町の数十年を描くという力業は、小説としては魅力があるでしょうが、ミステリーとして読むと物足りない面がありました。真相がわかる過程になんの工夫もなく、主人公の努力と無関係に事実が明らかになるのは、これだけの大部を読んだ読者としては残念でした。
 残念と言えば、『刑事さん、さようなら』も別の意味で残念でした。というのも、これは個人的思いですが、候補になるなら樋口節全開の作品で候補になって欲しかったからです。平凡な事件を平凡な主人公が捜査する、という作品に魅力は感じられませんでした。樋口さんはまさに樋口さんにしか書けない非凡な小説の書き手であるだけに、この作品では受賞に推せませんでした。警察の描写の不備も気にかかりました。
 以上、素晴らしい受賞作を出せたことに、安堵しております。
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立会理事

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第65回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『地の底のヤマ』 西村健
[ 候補 ]第65回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『ユリゴコロ』 沼田まほかる
[ 候補 ]第65回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『放課後はミステリーとともに』 東川篤哉
[ 候補 ]第65回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門  
『刑事さん、さようなら』 樋口有介