2013年 第66回 日本推理作家協会賞 短編部門
受賞の言葉
子どもの頃からせっかちで、損ばかりしている。と、思ってきたけど、そうでもなかったということが、今回の短編賞受賞のおかげでわかりました。読むのも書くのも長いおはなしより短編が大好き。これってせっかちのせいですよね。
わたしの思い描く理想のミステリ短編には、三つの必須条件があります。五十枚から七十枚ほどの長さに最低でも二回のツイスト&ターン、読者にはそれと気づかれないけれども印象的な伏線、そして、世界がひっくり返るほどの強烈なフィニッシング・ストローク。ただし、この理想をすべて満たすミステリ短編は、まだ、受賞作を含めて、書けたためしがありません。
ですが、今回の受賞で、死ぬまでに、そんな理想のミステリ短編が書けるかもしれないよ、と背中を押されたような気がしています。
ありがとうございました。
- 作家略歴
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1963~
東京都生れ。立教大学卒。一九九一年、「ぼくのミステリな日常」を刊行。「心のなかの冷たい何か」「閉ざされた夏」「水上音楽堂の冒険」「火天風神」「海神の晩餐」といった多彩な長編のほか、短編集に「サンタクロースのせいにしよう」「製造迷夢」「プレゼント」「スクランブル」がある。共著の旅行記に「マレー半島すちゃらか紀行」。
2013年『暗い越流』にて第66回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 道尾秀介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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≪長編及び連作短編集部門≫ 真保裕一
例年どおり、受賞作にふさわしいと思われる候補作を最初に上げてもらい、その後に一作ずつ細部の検討へと移った。今回は積極的に推せる作品がなかったという選考委員もおり、長所や将来性を認められながらも欠点を指摘され、三作品が選外へと落ち着くことになった。
この協会賞では、当該作者の過去の業績を加味することを妨げない、という内規がある。ある作品については、その面からも慎重な論議がおこなわれたが、『百年法』を積極的に推す選考委員が多く、一作受賞に決定した。
≪短編部門・評論その他の部門≫ 道尾秀介
選考会は「短編部門」から開始され、最初の投票で「暗い越流」が最高得点を集め、「宗像くんと万年筆事件」が僅差で次点につけた。他の三作についてもそれぞれ議論が行われたが、強く推す選考委員がおらず、二作のうちどちらかを受賞作とする(あるいは同時受賞とする)という前提で以後の話し合いが行われた。「宗像くん…」の読後感の良さや解りやすさは全員の認めるところではあったが、そこが安直さに繋がっているとの指摘もあり、「暗い越流」が持つ現代性、安定感、タイトルの奥深さなどを推す声に負かされるかたちで、こちらが受賞作に決定した。
「評論その他の部門」については異種格闘技戦だったため受賞作の決定に時間を要したが、最初の投票で僅差の最高得点を集めた「『マルタの鷹』講義」について、(ミステリー的な)展開の上手さ、読み物としての面白さなどを推す選考委員が多く、また瑕疵の指摘も少なかったため、受賞作となった。閉じる
選評
- 赤川次郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門の候補の中で、一番気持ちよく読めたのは、中田さんの『宗像くんと万年筆事件』だった。小学校で「万年筆を盗んだ」という疑いをかけられた少女を、クラスでも一風変わった男の子が助ける。子供たちの世界も活き活きと描かれて、読後感も爽やかである。ただ、肝心の詰めのところで「犯人」が口をすべらすことで解決するのは必然性に欠けて残念。受賞作とするには大きな欠点だった。
若竹さんの『暗い越流』は、さすがベテランらしく、雰囲気も展開も隙なくできて、余韻の残る結末にもミステリらしい味わいがある。切れ味のいい短編というわけではないが受賞作とするのにふさわしい出来だと思った。
天祢さんの『父の葬式』は『葬式組曲』という作品集の一編ということだが、死んだ父の意志を息子である主人公があれこれと推察していく話で、家庭小説ではあるかもしれないが、ミステリと呼べるものなのだろうか? 兄弟の確執の方にドラマの重点があれば、もっと面白くなっただろう。
宮内さんの『青葉の盤』は「碁盤師」という特殊な仕事の世界の物語である。その特殊さを読み手に「面白い」と思わせないと蘊蓄を傾けて満足するだけに終わってしまう。もって回った表現が、話の筋を見えにくいものにしている。
岸田さんの『青い絹の人形』は、ミステリとしての仕掛以前に、小説としてバランスが悪い。曖昧な言い方だが、こればかりはミステリ以外の文学・演劇・映画など、いいものを沢山吸収して学んでいく以外はない。何より魅力ある登場人物を作り出す力を身につけてほしい。
評論その他の部門では、全くジャンルが違って比較のしようがない候補作が並んで困った。
『推理作家の家』は、海外ミステリ作家の姿や自宅を撮った写真集で、グレアム・グリーンやジョルジュ・シムノンまで収録されているのには驚いた。労作であり、貴重な記録だが、写真の価値に比べてインタビュー部分の内容が乏しく、残念だった。
最も「評論」と呼ぶにふさわしい『「マルタの鷹」講義』を受賞作にしたが、ここまで深読みすることにどんな意味があるのか、私にはよく分らなかった。
『ミステリ映画の大海の中で』も労作であり、クリスティの『そして誰もいなくなった』の映画化作をまとめて紹介したり、読物としての工夫も認められる。ただ文章で映画の魅力を伝えるのは本当に難しいので、かつての映画評論家、双葉十三郎や荻昌弘のような、独自の文体を生み出すところまで、ぜひ行ってほしいと思う。閉じる
- 恩田陸[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編というのは世界の断面である。特に、ミステリの短編の場合、私は幕切れと余韻の鮮明さを重視する。
今回、プロの短編ということで候補作を読ませてもらったが、どれもそれなりのレベルであり、方向性も異なるので「ここからひとつと言われてもなあ」とかなり悩んだ。
結局、いちばん私の抱いている「よいミステリ短編」にピタリと当てはまったのが「暗い越流」だった。短編には時代性も大事な要素だと思うが、都市のゲリラ豪雨、介護問題、無差別殺人、獄中結婚など、近年の出来事を連想させるキーワードがコンパクトに取り入れられ、安定感もバツグンだし、若竹さんの持ち味である「日常に忍び込む悪意」もちゃんと入っている。何より、読んだあとでタイトルの意味が二重の意味でじわりと沁みてくるところが、私の望むミステリ短編の条件をじゅうぶんに満足させてくれた。今更の受賞だとは思いますが、おめでとうございます。
さて、では評論のほうはどう評価すればよいのか。
それぞれがその分野の研究者であることを考えると、その内容が正しいかそうでないかというのは正確には判断できない。しかし、候補作を読んでいくうちに、これは私の考える本格ミステリと一緒だなと考えるようになった。私は、本格ミステリは説得と納得の文学だと思っている。つまり、きちんと世界観が提示され、その世界での理屈を説得してくれればよいのだ。こちらが「そういう考え方もあるね」と説明された内容に納得できればそれで成立するのである。そういう基準で読んでいくと、『推理作家の家』はちょっと考えてみてもこれだけのメンバーを揃えたのは大変な労作であるが、その大変さには感銘を受けたものの、それがすべてというところがあった。
『戦後SF事件史』も気取らず読めて「へえっ、そんな意外な繋がりが」と面白いものの、楽屋噺、思い出話の印象が強い。『江戸川乱歩作品論』は近代文学史の中に推理小説を位置づける、という点で奇しくも『マルタの鷹講義』と同じことをやろうとしていたのだが、結局これまであまり言及されてこなかった、乱歩の作品の中に引用されている文学作品を見つけただけで、それがどう展開されているのかというその先を読みたいのに、という不満は拭えなかった。
そこへいくと『ミステリ映画の大海の中で』は、やはり大変な労作なのだが(というか、同じことを出来る人はほとんどいないのではあるまいか)とても面白くて一気に読め、ハメットの映画と小説に対するスタンスなど大量に映画を観ているがゆえの視点も面白かったが、評論というよりはやはりガイドブックなのが惜しい。
ここで告白するけれど、ハードボイルドというのは私の苦手な分野であり、今回初めて『マルタの鷹』を読んだ。『マルタの鷹講義』を読むためである。そうしたら、超絶技巧を駆使した全く過不足のない傑作だったのに驚いた。この選考会がなければもしかすると一生読まなかったかもしれず、それだけでも『マルタの鷹講義』には感謝している。更に、文学作品と同じく詳細に読んでいくという講義全体がとてもスリリングで面白く、それこそ本格ミステリを読んでいるかのようにその説明に「説得」された。もちろんこれは著者の個人的な意見で異論も多々あるだろう。しかし、私は何より作品としても面白く、提示された内容が新鮮で興味深く、オリジナリティを強く感じたのでこの作品を強く推した。この方法でエラリー・クイーンあたりも読んでみたいので、ぜひまたの機会にお願いしたい。閉じる
- 北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回は両部門共、この一作と絞って推すことが出来なかった。
《短編部門》に関していうなら、まことに惜しかったのは『宗像くんと万年筆事件』。途中まで《今年は、これだ》という気にさせてくれるのに、肝心の決め手が相手の失言では、物語全体の運びが壊れてしまう。動かぬ論証が出ることを作品が求めている。そうはいっても、作品世界の持つ魅力という点では、これと『青葉の盤』の持つ個性が双璧だと思った。
これに続くのが二作。『暗い越流』は、五作中では最も読みやすかった。冒頭の異常な男の話から、それをチェスタトン的あるいは泡坂的に解決してくれるのかと期待したが、やや普通のところにいってしまった。中にある叙述トリックについては、わたしは意外というより、それが物語に何を与えるかについて釈然としないところがあった。『父の葬式』は、設定の妙は認めるが、この短編に関しては、それが生きているわけではない。また、真相にも無理がある。
『青い絹の人形』は、これら四作と比べ、一歩を譲るものと思えた。
投票の結果、『宗像くんと……』と『暗い越流』の二本に絞られた。『暗い越流』の叙述トリックについて、それが結末に繋がるという声も出て、納得し、また協会賞は従来の業績も評価に加味していいということから、若竹氏の受賞に賛成した。
例年、傾向の違う本が並ぶので、物差しの当て方に困る《評論その他の部門》だが、今年は特にそうなってしまった。それぞれに書き手の熱が伝わるだけに、まことに困った。
全てにわたって詳述する余裕はないが、わたしは『「マルタの鷹」講義』、『ミステリ映画の大海の中で』、『戦後SF事件史』にまで絞り、あとは他の委員の意見をうかがい、考えるつもりで選考会に臨んだ。
結果として『「マルタの鷹」講義』には反対票もなく、また強く推す声もあった。わたしも異存なく賛成した。
探偵の一人称の語りがハードボイルド的という通念が出来つつある中で、それと対置される(本来のともいうべき)ハードボイルド的文体で書かれた一方の極、『マルタの鷹』。対象がこの作であるから成立する仕事であり、最後に『ビロードの爪』との比較を出すところなど実に効果的だ。ただ、本格派の徒としては、百六十ページの《探偵がミスを犯してしまい、予期せぬ展開に狼狽するというのは、ホームズや二十世紀のいわゆる「名探偵」達にはほとんど見られない姿である》というくだりは見過ごせない。ハメットの理解者であるエラリー・クイーンが周知の通り、まさに《探偵がミスを犯してしまい、予期せぬ展開に狼狽する》問題を、後期の大きなテーマにしているからだ。無論、一般読者なら《ほとんど……ない》ですむだろう。しかし、エラリー・クイーンこそ本格派名探偵そのもの――と思っている者達の一人として気になる。この書の評価に影響を与えるものではないが、ひと言触れておきたい。閉じる
- 佐々木譲[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回はわたしが体験した中ではもっともすんなりと受賞作が決まった選考会だった。とくに短篇部門は、始まって三十五分たったときには、若竹七海さんの『暗い越流』の受賞が決定し、立ち会い人さんが連絡のために部屋を出ていった。
若竹七海さんがまだ推理作家協会賞を受賞していなかったことが、正直なところ驚きである。すぐれた作品を書き続けて、もうベテランの域に入っている作家さんである。とうぜん受賞されていると思っていた。
ともあれ、『暗い越流』は、魅力的な作品である。もしかすると「奇妙な味」に分類される短篇かもしれないが、謎が解決したあとにやってくるもうひとつの恐怖感。叙述トリックにしてやられる快感もある。候補作中、選考委員であることを忘れて楽しんでしまった。
わたしは中田永一さん『宗像くんと万年筆事件』も強く推した。子供の日常の中のささやかな事件が、小気味よく解決される作品で、読後感がじつに好ましい。宗像くんという少年のキャラクターも魅力的である。一点だけ、この解決法はテレビとか舞台の上だとより自然であろうと思えて、その部分だけが受賞作との比較でわずかな差となってしまった。
天祢涼さん『父の葬式』は、父親と息子の「対立と理解」というわたし好みのテーマであったのだが、「遺言」の手法にやや現実性と説得力が欠けたように思う。
岸田るり子さん『青い絹の人形』は、素材、主題に対してこのテキスト量が適切だったのかという印象である。短篇ではなく長編として書かれるべき作品だったのではないか。
宮内悠介さん『青葉の盤』については、お恥ずかしいが選考会でほかの委員に解説を求めてしまった。いまだに自分は本作を理解できていないと思う。
評論部門も、受賞が決まるのは早かった。諏訪部浩一さん『『マルタの鷹』講義』を、わたしもいちばんに推した。三人称客観視点で描かれた、ハードボイルドの「聖典」をここまで深く読み解いてゆくその手さばきは見事である。このテキストはそのように読むのかという、驚きと快感の連続する評論であった。
南川三治郎さん『推理作家の家』は、姉妹作『推理作家の発想工房』から数えても二十数年越しの仕事である。たいへんな労作であり、推理作家たちとそれだけの関係を作ったうえでのインタビューと撮影である。ぜひ二作同時受賞をと主張したが、ほかの委員のみなさんを説得しきれなかった。
宮本和歌子さん『江戸川乱歩作品論 一人二役の世界』は、受賞作と比較されて読まれたのが不運だったかもしれない。
長山靖生さん『日本SF事件史』については、ふだんオペラを観ていない人間がオペラ公演を評価するのは無理なのだと(予選委員に向けて)言うしかない。
小山正さん『ミステリー映画の大海の中で』は、なによりその情報量に圧倒されるが、受賞作の面白さに僅差で及ばなかった。閉じる
- 新保博久[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短篇部門の候補作はいずれもよく出来たお話(もちろん褒め言葉)で堪能したが、協会賞に推すにはさらにプラス・アルファが欲しい。
「暗い越流」は初歩的なギミックながら私は見事にひっかかって嘆声を洩らし、これこそ期待したプラス・アルファだと感じ入った。それが主題の事件と有機的に関連していないと難色を示す委員もあったが、このどんでん返しゆえに、結末で語り手が示す或る決意がリアリティをもつのではないか。恥ずかしながら「越流」という言葉は初耳だったのだが、一定の条件が揃ったとき殺意が堤防を越えて溢れ出す比喩だとすれば題名とするにふさわしい。遅すぎる贈賞とはいえ、獲って然るべきかたに差し上げられて嬉しく思う。
紙一重の差で落ちた中田永一氏をはじめ、なお前途洋々たる諸氏には、まだまだチャンスがありそうだ。あ、もちろん受賞者もさらにふた花三花咲かせてくれるはずだが。
評論その他の部門では、あいにく受賞作なしと個人的には決めていた。好意的に見れば候補作すべて労作で、それぞれの著者ならではの達成を示して受賞に価するものばかりだが、批判的に見れば一長一短と言わざるを得ない。そういう短所に目をつむってもらってこの賞をかつて頂戴した身としては申しにくいけれども、弱点のほうが目についた。
『『マルタの鷹』講義』では同じサム・スペードの活躍する三短篇をカネ目当てに書いたものだと一顧だにしていないあたりに、やや独善的な匂いを嗅いだ。『マルタの鷹』をハメットはカネのために書かなかったとでもいうのだろうか。
『戦後SF事件史』は、本賞の候補となり日本SF大賞を受賞した前著『日本SF精神史』が真摯な文献研究であったのに比べると、結局ゴシップ集にすぎない(それはそれで資料的価値があるとしても)ように見える。『推理作家の家』は写真の高いクオリティに対して、作家インタビュー部分に目新しさがないことに埋めがたい落差を感じた。『江戸川乱歩作品論』には、乱歩について少しは詳しいつもりの私も初めて教えられる点が一つ二つあって蒙を啓いてくれたものの、乱歩を日本文学史に位置づけるという遠大な構想の中間報告の域をまだ出ていない。
強いて受賞作を出すとすれば『ミステリ映画の大海の中で』と思ったが、後半の映像ソフト時評が興味深い情報満載なのに(というか満載過ぎて)時評という性質上、読む側の血肉にするには雑駁にすぎ、いっそ前半を占める原作者別に映像作品を博捜した各論だけに絞ってくれていれば積極的に支持できたものをと惜しまれた。しかし『『マルタの鷹』講義』を推す意見が強く、いわゆる評論研究という観点において候補作中随一なのは確かだから、あえて反対するまでもなかった。祝意を表するのにやぶさかではない。閉じる