2015年 第68回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門
受賞の言葉
受賞当日、記者会見の席上にて、推協賞史上に残る激論の末に今回の授賞が決定したと伺いました。
私は、大きな賞を頂くということは、それが終わりではない、始まりなのだと考えます。
つまり、受賞者には大きな責任が伴うということです。
その責任を常に意識しつつ、精進を重ね、よりよい作品を書くことによって、贈賞して下さった皆様、読者の皆様の期待に応え、ひいては小説という文化全体に恩返しをせねばならない。そして少しでもこの素晴らしい世界に貢献し、より豊かなものとし、次代へと渡さねばならない。
それができて、初めて受賞の意味が生まれるでしょう。
「月村了衛に賞を与えて良かった」――皆様にそう言ってもらえる日を目指し、この重大な責任を背負い続ける覚悟です。
御指導のほど、伏してお願い申し上げます。
- 作家略歴
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1963.3.18~
略歴
早稲田大学第一文学部文芸学科卒。
1988年より脚本家として活動。
2010年『機龍警察』で小説家デビュー。以後小説に専念。
2012年『機龍警察 自爆条項』で第三十三回日本SF大賞受賞。
2013年『機龍警察 暗黒市場』で第三十四回吉川英治文学新人賞受賞。
2015年『コルトM1851残月』にて第17回大藪春彦賞を受賞。
『土漠の花』にて第68回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞。
2019年『欺す衆生』にて第10回山田風太郎賞を受賞
代表作
『機龍警察 未亡旅団』(早川書房)
『コルトM1851残月』(講談社)
趣味・特技等
登山、映画鑑賞
2015年 第68回 日本推理作家協会賞
長編及び連作短編集部門受賞作
いのせんとでいず
イノセント・デイズ
受賞者:早見和真(はやみかずまさ)
受賞の言葉
「ミステリー」には常に畏怖の念がありました。図書館の『少年探偵団』を皮切りに、学生時代も、小説を書き始めてからも夢中で読んでいたはずのものを、いつも「自分には書けないもの」と切り離していた気がします。
『イノセント・デイズ』は、はじめて“おそれ”を背負おうとした作品です。実際に起きたある事件に疑問を感じ、その違和感を書きたいと思ったとき、挑もうとするのは自然な流れでした。世界がひっくり返るような物語の見せ方と、鮮やかな決着のつけ方。それらができたかどうかはべつにして、自分の思う「ミステリー」に忠実であろうとしたのは間違いありません。
そうして書き上げたものが評価されたことを嬉しく思う一方で、今なお“おそれ”は消えていません。今後も「推理作家」を名乗ることはないはずです。しかし書こうとする物語にとって必然性があるのならば、いつでも立ち向かう心づもりはできました。
その覚悟を与えてくれた予備委員と選考委員の皆さまに、深く感謝いたします。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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第六十八回日本推理作家協会賞(ミステリーグランプリ)の選考は、二〇一四年一月一日より二〇一四年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集および評論集などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年十二月よりそれぞれ予選を開始した。
長編および連作短編集部門と短編部門では、例年通り各出版社から候補作推薦制度を適用した。なお推薦枠を持たない出版社からの作品については、従来通り予選委員の推薦によって選考の対象とした。
長編および連作短編集部門では出版社推薦と予選委員の推薦による一一五作品、短編部門では出版社推薦と予選委員推薦による三九四作品、評論その他の部門では四八作品をリストアップし、協会が委嘱した部門別の予選委員がこれらの推薦にあたり、各部門の候補作を決定した。
本選考会は四月二十一日(火)午後三時より、新橋第一ホテル東京にて開催された。長編および連作短編集部門は、大沢在昌、北方謙三、真保裕一、田中芳樹、道尾秀介(立会理事・千街晶之)、短編部門・評論その他の部門は、井上夢人、香納諒一、貴志祐介、貫井徳郎、山前譲(立会理事・新保博久)の全選考委員が出席して、各部門ごとに選考が行われた。
受賞作決定後、午後六時より新保博久理事の司会進行により、長編及び連作短編部門受賞者の月村了衛氏、早見和真氏、評論その他の部門受賞者の喜国雅彦氏を迎え記者会見が行われ、大沢在昌氏と貫井徳郎氏からそれぞれの部門の選考経過の報告があった。その後、月村氏、早見氏、喜国氏が受賞の喜びを語った。また司会の新保理事より、霜月蒼氏からの喜びのメッセージが読み上げられた。
詳細な選考過程は以下の通り。閉じる
- 千街晶之[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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まず投票を行い、合計点が少なかった『絶叫』と『黒龍荘の惨劇』から議論されたが、強く推す意見は出なかった。
『シャーロック・ホームズの蒐集』はパスティーシュとしての完成度の高さで好意的な評価を満遍なく集めたが、ミステリとしての出来自体もコナン・ドイルの時代の水準であり、現代ミステリとして評価の対象たり得るかに疑問が呈された。『イノセント・デイズ』はミステリとしての問題点を指摘する意見と、そもそもミステリとして書かれていないという意見があった。『土漠の花』は技術的な高さとともに、小説としてのステレオタイプさなどの弱点も指摘された。再投票で『イノセント・デイズ』『土漠の花』が同点上位となるも、この賞の水準に達しているかについては厳しい意見が相次ぎ、一度は受賞作なしに決まりかけた。その後、両作受賞を主張する委員、受賞作なしを主張する委員、一作のみを推す委員がそれぞれの立場で議論を尽くし、最終的に挙手によって『イノセント・デイズ』『土漠の花』の受賞が決定した。閉じる
選評
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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受賞作をだすべきかどうか、ぎりぎりまで議論を重ねる選考会となった。受賞作なしとするのもひとつの見識ではあるが、候補者をおきざりにしてしまうような結論には抵抗があった。
「黒龍荘の惨劇」は読みやすい文章でつづられているが物語が平板で、犯人の殺人計画が終了するまで探偵が何ひとつ行動を起こせないという、クラシカルすぎる筋立てに失望した。「乗っとり」のトリックもいささか無理があるし、無能に見えた警察が探偵と同時に真相にたどりつけた理由も不明である。
「絶叫」は現代社会のさまざまな歪みを材料に新人らしからぬ構成力でまとめた作品だった。が、ヒロインのカリスマ化が唐突で、二人称のくだりにも違和感が残った。
枠組みは考え抜いたのだろうが、読者を驚かそうという意図が透けていた。そこにおちいると、本来あるべき作家の核のようなものを見出せないままの創作がつづくのではないかと危惧している。
「シャーロック・ホームズの蒐集」は、ホームズのパスティーシュとしては非常にすぐれている。よい翻訳者を得れば海外でも高く評価されるだろう。
問題は現代のミステリとしてこの作品集をはからねばならなかったことだ。ホームズの推理は神の如く、まさに原典のままで、即ちアンフェアである。こうあげつらうのが不粋にすら思える。評価の場が異なっている、と私は感じた。
北原さんには申しわけなく思う。
「イノセント・デイズ」は、その救いのなさ、物語の暗さに辟易しながら読んだ。
エンターテインメントとして私は結末に決して承服できない。嫌いな小説だと断言できる。
それでも授賞を主張したのは、人物の描写力にある。この描写力をもってすれば、視点人物の多さに頼らずとも骨太の物語を作れる筈だ。よもや早見さんが、「暗い」物語は「文学的」だなどと信じていないことを願っている。
「土漠の花」は、今最も勢いを感じる作家の作品で、話題作であっただけに期待して読み、そして失望した。確信犯ではあろうが、延々とつづく戦闘シーンは、空疎になっていく。推力となるべき謎を仕込む力量をもちながら、作者はあえてそれをしない。そこに不満を感じた。
こうして書くと、なぜこの二作品の受賞をお前は主張したのだ、と思われる方も多いだろう。
それは作者の力と作品に対する好悪を分けて判断したからだ。受賞作となった二作品を、私は好きではない。が、お二人の作者の力に疑問の余地はない。苦言とも読めるこの選評が、お二人にとってさらなる高みに挑むバネとなることを願ってやまない。閉じる
- 北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
選考委員を引き受けた以上、自分の小説観にしたがって選考するしかない。私の小説観に合わず、点を入れられなかった作品が、ほかの選考委員であったら、点が入ったかもしれないことは、充分に考えられる。そうなると、縁という言葉が、どうしても浮かんでしまう。選考の苦しさと、委員であることの難しさは、常に感じていることである。
『絶叫』は、陰惨な情景が、たえず私の視界を遮った。描写のくり返しは、その場で足踏みしているような気分にさえなった。小説全体が、ある仕掛けにむかって走っているようで、その間に立ちあがってくる人間の存在感が、稀薄だと感じた。描写の積み重ねではなく、むしろ削りこみの方が、世界を重厚なものにしたのではないだろうか。
『黒龍荘の惨劇』は、起きている事件の割に、心情に切迫したものが欠けているような気がした。明治が舞台なのだが、時代の気配もあまり感じられない。私は、ただ頭の中だけで、事件を追うだけであった。こういう作品が好きな人には、それなりの魅力があるのかもしれない、という思いもある。
『シャーロック・ホームズの蒐集』は、なんという作品であろうか。私はすぐに引きこまれ、夢中になって読んだ。中学生のころ、教科書に挟んで授業中に読んだのと、同じ感覚の読書体験であった。あのころのホームズが、ここにいる。刺激的で、しかしどこか騙されているようで、複雑な気分で読み進めていたと思う。候補作中、最も面白く読んだという気がする。しかし、賞に適当なのかどうか、ということについては首を傾げた。パスティーシュというらしいが、私ははじめて読むものであり、推協賞以外のところで評価されるべきものだろう、とも思った。いい読書をさせて貰った気分は、いまも残っている。
受賞二作については、私は丸をつけて選考会に臨んだ。ともに文体は確かなものとしてあり、内包しているテーマもある、と感じた。ただ、『イノセント・デイズ』は、どこまでも暗く、闇のトンネルを脱け出すことはついになかった。死刑制度について一石投じているのかとも思ったが、そういう書き方ではないという気もする。カタルシスに欠ける、と簡単に言っていいものかどうか、迷いもした。『土漠の花』は、逆に闇に欠けていたような気がした。砂漠の闇、人間の心の闇。登場人物が魅力的に描かれている部分も多く、闇の先に光が見えるような作品にもなり得たと思う。血と汗と硝煙と埃。そして暑さ。それが臭いや気配として、描かれていない。それでも、ともにある強い迫力は感じさせる作品で、対極にあるというよりも、較べきることができない二作でもあった。
受賞作なしになりかかったが、相当強引に二作受賞を主張してしまった。その強引さについては、後に反省したが、受賞作を出せたことは、やはり賞にとっては喜ばしいことだったと思う。閉じる
- 真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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岡田氏の『黒龍荘の惨劇』は、序文を読んで期待が煽られた。が、残念ながらその軽妙さが息切れし、離れ業トリックの成立のみに終始していた。現実の事件を参考にしたのかもしれないが、すべてを“恐怖で縛る”で片付けてしまった点に練りの浅さが感じられ、残念だった。警察の無能は、こういった作風でのお決まりではあるにしても、外国人宅などにする逃げの策はまだあった気もする。二十一章の台詞に力を注ぐくらいなら、根幹となるトリックの後ろ支えと、物語を語るテクニックに心血を傾けてほしいと切に願う。
葉真中氏の『絶叫』は、二人称の語りにこそ価値が生まれる作品だろう。が、死体の発見シーンから、多くの読者は真相を見ぬいている。であるなら、“あなた”である必然こそが重要になる。バレバレのトリックに必要な○○のみで選ばれたのでは、“あなた”と呼びかける語りに共感まではできなかった。主人公と正反対の立場にいる恵まれた者などの理由づけがあれば、主人公の行動を応援したくなったろう。また、犯行の決意も、○○狩りという強引な偶然あってのことで、ここも主人公と作者の“悲壮な決意”を感じさせるまでにはいたっていなかった。逆に突き放す物語にする方向性もあるが、その場合は、より乾いた筆致が必要になる。が、この挑戦心は必ず次に繋がるはず、と信じている。
個人的には北原氏の『シャーロック・ホームズの蒐集』を楽しく読んだ。人狼伝説や○○人の殺し屋やサーカスなども、原点にあるキワモノ的面白さを感じさせてくれて、作者はあえて選択した結果だと好意的に解釈できた。が、現代小説としての物差しを当てはめられてしまったため、かなり損をした。昔は許されたアンフェア部分と決別した作品であれば、と惜しまれた。
月村氏の『土漠の花』は、彼の手がけた作品の中で最上のものとは言いがたい。最初から枚数の縛りでもあったのか、闘いにアイディアと描写の意思が薄い。日本人のドラマ部分も、現地人の苦悩があまり書かれていないため、紛争を遠くから太平楽に眺める多くの日本人の安っぽさに繋がりきれていなかった。この点が補強されていれば、文句は出なかったろう。が、商品として成立する小説を書く力量は疑いない。
早見氏の『イノセント・デイズ』には違和感が残り続けた。他者への依存によって自分を支える人物たちの内面部分に強く引かれはしたのだが、読了後は、五作品の中で最もミステリからは遠い小説と感じられた。もちろんミステリを意識せずに書かれた作品が受賞してきたケースはあるが、そこにはミステリ作家に通じる技術があってのことだ。偶然の多用によって成立する物語をすべて否定する気はないが、この賞にはそぐわない、と個人的には考えた。今後は、推理作家協会賞という名前を変に意識することなく、バリバリと書き進んでいっていただきたい。閉じる
- 田中芳樹選考経過を見る
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選評および反省
「冷汗三斗」というと誇大だから、二斗半ぐらいにしておくが、まったく冷汗ものの選考会であった。激論、反論、再反論、戦況の転変に、生体エネルギーを根こそぎ持っていかれた感じ。最終的に、「受賞作なし」派と「二作同時受賞」派に分かれ、前者が有利かと思われたのだが、千思万考のあげく私が後者に寝返ったので、月村了衛氏『土漠の花』、早見和真氏『イノセント・デイズ』、二作の同時受賞と決した。今後、私が「業界の小早川秀秋」と呼ばれるのは是非もないが、こんな選考委員にとやかくいわれる方々も、ご迷惑であろう。
とはいえ、選評も義務のうちゆえ、自分の不明不見識をタナにあげて、書かせていただく。
『土漠の花』は、スケールも大きく、迫力もあり、今日的なテーマを提示しているが、既視感をぬぐうことができなかった。自衛隊をアメリカ海兵隊に置きかえれば、ハリウッドで量産されているような「わが部隊は弱い外国人を助ける正義の味方、上層部は政治的判断で正義の遂行をさまたげ、冷酷無比な敵は容赦なく追ってくる」ステロタイプのB級作品になってしまう。自衛官たちが涙を流して敬礼しあうシーンは、正直げっそりした。一歩まちがえば安っぽい感傷劇にしかならない。作者は今後の日本のSF冒険小説界を背負って立つ人だ。ハリウッドなど蹴散らして、はるかな地平線へと疾走していただきたい。
『イノセント・デイズ』は、一言で乱暴にいってしまえば「良心作」ということになろう。死刑制度や冤罪問題についても真摯に勉強しておられるようだ。ただ、すでに指摘されているように、あまりにも暗く、救いがない。ヒロインを殉教者として描くのはありだが、結局、死刑制度に反対なのか、死刑によってむしろ救われる人間もいる、ということをいいたいのか、とうとう判別がつかなかった。社会の不条理を正面から描こうとする姿勢は貴重なもので、エールを送りたい。もうすこし対象から距離を置けば、より説得力が増したと思う。
受賞を逸した三作について、大急ぎで。
『シャーロック・ホームズの蒐集』は、パスティーシュとして最高級の完成度を持っていたが、ゼロから作品世界や登場人物を創りあげた他の候補作と同列には置けなかった。候補作となったことに、作者のほうが当惑なさったかもしれない。
『黒龍荘の惨劇』は、タイトルからして私の好みだったが、時代色の描写やトリックの説得力がいま一歩であった。次回作に期待したい。
『絶叫』は、内容よりむしろ帯の惹句が災いをもたらした。作者にはお気の毒であった。失礼ながら版元には「逆効果」という言葉を贈りたい。閉じる
- 道尾秀介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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忘れがたい人生
長編小説は一つの人生だと考えている。ハッピーエンドでもバッドエンドでもいい。重い足取りの日々でも、軽やかに駆け抜ける日々でもいい。ただ、たくさんの思い出や情熱に満ちた、忘れがたい人生であってほしい。僕自身はそんな思いで長編小説を書いている。その小説観からすると、残念ながら今回の候補作の中に満足のいくものはなかった。
『黒龍荘の惨劇』は、とても忙しくて派手だけれど、誰かと似た人生であるという思いが最後まで拭いきれなかった。また、これと似た人生で大成功を収めた人たちの顔が、どうしても浮かんでしまった。
『シャーロック・ホームズの蒐集』は、喩えるなら高名な焼き物職人の伝統を引き継ぎ、自ら工房を構えた人の人生だろうか。彼の焼いた陶器は師匠のそれと比べても遜色がなく、どちらがどちらの作品なのか判別しがたいレベルにまで達している。しかしながら、師匠が自らの足で最高の土を探し歩き、その土を焼くのに最適な窯の温度を模索し、陶器のオリジナルデザインをゼロから考案したことを思うと、やはり諸手を挙げて絶賛することはためらわれた。
『土漠の花』は波瀾万丈で、魅力的な危険に満ちた人生だが、その波瀾万丈の具合や危険の降りかかりかたが単調で、半生を見た時点で残りの人生を推測できてしまった。その推測を裏切ってくれることを期待していたのだが、最後までそうはならず、不満が残った。
『絶叫』は日々の景色にあまり魅力を感じられなかった。見飽きているか、週刊誌で読み飽きている景色が滔々とつづき、どうしても退屈をおぼえてしまう。このようにひたすら哀しい出来事が連続すると、いつのまにか同情が湧き、応援したくなってしまうのが人間だが、そのオートマチックな感情以上のものは喚起されず、高く評価することはできなかった。
『イノセント・デイズ』は多視点だったので、何人もの人生をいちどきに味わわせてもらえるものと思ったが、単に一人の人生について複数人が語っているという構図だった。それぞれの語り口にもっと際立った特徴や奥行きや深みがあればよかったのだが、残念ながらあまり感じられなかった。
などと他人の人生に対して勝手な文句ばかり並べてしまったけれど、今回じつは某新人賞の選考を行った直後にこれらの候補作品を読んだこともあり、どの作品も、さすがプロだなあと感じ入りつつ、楽しみながら読めた。『黒龍荘の惨劇』の文章は大好きだし、『シャーロック・ホームズの蒐集』のパスティーシュとしての出来には驚かされたし、『土漠の花』を書き切ったエネルギーにも恐れ入ったし、『絶叫』の著者と『イノセント・デイズ』の著者については、いつか独自のスタイルを見つけ出したときに傑作を書くのではないかと思わされた。受賞者の月村さん、早見さん、おめでとうございます。閉じる