2017年 第70回 日本推理作家協会賞 短編部門
受賞の言葉
このたびは名誉ある賞を賜り、本当にありがとうございました。
日本推理作家協会賞の候補にしていただいたのは今回で三度目です。最初の「オムライス」はデビューの翌年に書いた作品で、その後わたしにとって唯一のシリーズ作となる夏目刑事シリーズの一作目でした。二度目と三度目の候補も同じシリーズですので、今回の十年越しの受賞には特に深い感慨を抱いています。
予選委員と選考委員の皆様と、選考に携わられたすべての皆様に、深く感謝いたします。
ミステリー小説を書いているわたしにとって、日本推理作家協会賞というのは特別な響きがあります。今回のわたしの作品がこのような歴史と実績のある賞にふさわしいのだろうかとためらう気持ちもありました。ただ、その思いを吹き飛ばすような多くの編集者さんたちの歓喜に触れ、今は心から今回の受賞を喜ぼうと思います。
あの幸せな時間をふたたび得られるようさらに頑張っていきますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
- 作家略歴
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1969.8.26~
1988年、駒澤大学高等学校 卒業
2005年、「天使のナイフ」で第51回江戸川乱歩賞を受賞
2016年、『Aではない君と』にて第37回吉川英治文学新人賞を受賞
2017年、「黄昏」にて第70回日本推理作家協会賞短編部門を受賞
代表作:天使のナイフ
趣味:映画鑑賞、カラオケ
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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第七十回日本推理作家協会賞(ミステリーグランプリ)の選考は,二〇一六年一月一日より二〇一六年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集および評論集などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年十二月よりそれぞれ予選を開始した。
長編および連作短編集部門と短編部門では、例年通り各出版社からの候補作推薦制度を適用した。なお推薦枠を持たない出版社からの作品については、従来通り予選委員の推薦によって選考の対象とした。
長編および連作短編集部門では出版社推薦と予選委員の推薦による一〇九作品、短編部門では出版社推薦と予選委員推薦による四三二作品をリストアップし、協会が委嘱した部門別の予選委員がこれらの推薦にあたり、各部門の候補作を決定した。
本選考会は四月二十日(木)午後三時より、新橋第一ホテル東京にて開催された。長編および連作短編集部門は、あさのあつこ、逢坂剛、黒川博行、長岡弘樹、麻耶雄嵩(立会理事・北村薫)、短編部門・評論その他の部門は、大沢在昌、北方謙三、真保裕一、田中芳樹、道尾秀介(立会理事・月村了衛)の全選考委員が出席して、各部門ごとに選考が行われた。
受賞作決定後、午後六時より月村了衛理事の司会進行により、長編及び連作短編集部門受賞者の、宇佐美まこと氏、短編部門受賞者の薬丸岳氏を迎え記者会見が行われ、あさのあつこ氏と大沢在昌氏からそれぞれの部門の選考経過の報告があった。その後、宇佐美氏、薬丸氏が受賞の喜びを語った。
詳細な選考過程は以下の通り。閉じる
- 月村了衛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短編部門選考経過
最初に選考委員による投票が行われた後、全作品について真摯な討議が交わされた。点数の低い作品に関しては、「文章がしっかりしている」「好感が持てる」等の好意的な意見が見られたものの、総じて批判的な意見が多く、早々に落選が決まった。『鼠でも天才でもなく』は、作中の遊びとも言える趣向について賛否が分かれた。また「リアリティがない」「トリックのためのトリックである」等の批判もあり、最終的に同時受賞には至らなかった。
受賞作となった『黄昏』は、最初の投票から高得点であったが、否定的な意見を持つ委員もいた。支持する委員は人間の情念が描かれている点を主に評価した。推理作家協会賞の在り方から、文学観にまで及ぶ討議の結果、全委員の同意を得て受賞が決まった。
評論その他の部門選考経過
本年の評論その他の部門の候補作に関しては、当初より選考委員から疑問の声が上がった。
『署名はカリガリ 大正時代の映画と前衛主義』は否定的な意見が多く、まず落選が決まった。『ぼくのミステリ・クロニクル』はインタビュアーでもある編者の掘り下げ不足に対する落胆の声が多く聞かれた。『モンスターマザー』は面白さを認める委員もいたが、推理作家協会賞の対象範囲とすべきでないとする意見が大勢を占めた。『狂うひと』を推す委員もいたが、「丹念な調査報道にとどまっている」という指摘があった。『ドラキュラの精神史』は、「牽強付会に過ぎる」「論文としても評価できない」という意見が相次いだ。
候補作選出の過程における問題や、売れ行き不振から出版社がミステリ評論を出版しないという現状にまで話が及び、図らずも「評論その他の部門」における今後の課題を浮き彫りにした選考会であった。閉じる
選評
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
短編部門
短篇推理小説を書く難しさは理解している。ミステリとしての結構を備えた上で、小説としても完成されていなければならないというのは、高いハードルである。
今回、そのハードルを唯一、クリアしていると思われたのが受賞作「黄昏」であった。この作品の謎には、確かに人間の息遣いを感じる。明かされる犯罪の〝動機〟には、ある哀しみと救いがあって、こういう物語を書く薬丸岳氏は、よい作家になられたと感心した。
「影」は主人公の思いこみのみで物語が動いていて、話作りが強引だと思った。「言の葉の子ら」は、エレナ先生の〝正体〟をめぐるどんでんがえしがさほどきいておらず、最も人間的な材料である不倫問題がおきざりになっているのも気になった。
「旅は道連れ世は情け」は、桃恵さんの造形に作者の才気は感じたものの「テレビドラマによく登場する人情派の刑事みたいな」おじさんが、本物の刑事だとわかったとたん白けてしまった。この例えはないでしょう。結末にもまるで意外性がない。
「鼠でも天才でもなく」は、〝注〟に登場しない画家がそれにより作りものだとわかってしまったり、トリックのためのトリックとしかいいようのない〝犯人〟の行動に説得がまるでない。ただ、この作者ならではのセンスのようなものは感じた。
結局のところ受賞作とそうでない作品の差は、登場人物のリアリティだったような気がする。薬丸氏の筆は、それを描いて一日の長があった。おめでとうございます。
評論その他の部門
これについてはまず協会賞に携わる者として、一部の候補者の方に深くお詫びを申しあげたい。理由は、それらの方々の著者を一方的に「候補」としておきながら、推理作家協会賞にはふさわしくないという理由で選外にすることを、私が主張した点にある。
予選委員会と本選委員会においては、ここに大きなへだたりがあった。
過去、推理文芸とは無関係な評論やノンフィクションが推理作家協会賞を受賞した歴史は、私も承知している。だが、ミステリ評論が商品として成立しづらく、版元が出版に足踏みをする時代なればこそ、原則的な候補作にこだわりたいのだ。
その点で候補作にふさわしいと思えるのは、『ドラキュラの精神史』と『ぼくのミステリ・クロニクル』の二作のみであった。
『ドラキュラの精神史』では、著者の博識に驚かされるものの、「ドラキュラ」をめぐる発見とはなっておらず、読み進むのに苦労した。一方の『ぼくのミステリ・クロニクル』は、戸川安宣氏がすぐれたミステリ編集者であることは論を俟たないものの、残念ながら凡庸な回想録としか読めなかった。存命の作家が登場するからかもしれないが、やや遠慮があったようだ。
結果として今回は受賞作なし、ということになった。閉じる
- 北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
五本の候補作で、読みごたえが際立っているものはなかった。短編の読みごたえとは、切れ味であり切り口であり、イメージの鮮烈さである。
思いつきで書き進み、散漫な印象になってしまったのが、「影」である。こんなことがあり得るかと思っても、読む者に食いこんでくれば、小説はそれでいいと言える。掘り下げが、もう一段欲しかった。
ロボットの保育士が登場するのが、「言の葉の子ら」である。発想は受け入れたが、ロボットに視線を与えたところに、小説的なミスがあると感じた。別のアプローチがあったという気がする。視点から情念が欠けると、表現としてどこか不毛なものが漂う。
アイデアがまず押し寄せてきて、興味が惹かれる「鼠でも天才でもなく」は、書きようによっては、私の心に食いこんできたかもしれない。行為のリアリティに無理があるところが、私の興味を押し潰した。謎の呈示も、その解決も、言葉だけのものになったと、いささか惜しい気分に襲われた。
ロードムービーのようなはじまり方をする、「旅は道連れ世は情け」は、女と親しくなっていく描写のあたりに、妙なリアリティがあり、おやと思ったが、全体の枠組みの作り方に失敗したような気がする。それで、破綻を感じざるを得ない結末になった。細部にも、もっと注意を払うべきであろう。
受賞作は、華やかさに欠けるところが、私の好みからははずれていたが、母の遺体と一緒に過ごした女の行為の解明には、納得できるものがあり、私は票を投じた。華やかさの欠如は、犯罪そのものの地味さと、刑事たちのまっとうさにあるのではないか、と感じた。それが冗漫に陥らず、小説的緊迫は保っているところも、評価できた。女の抱く、ある哀しみはよく伝わってきて、短編を読む快感になった。なにより、小説で描くべき人の姿が、よく出ているところを、私は評価した。
さて、評論その他の部門だが、私は読むのに相当手間取った。それでも、いずれ劣らぬ力作、秀作が並んだという印象は持ったのだ。
ただ、これは推理作家協会賞であり、もう少し内容を絞りこむべきだ、という強い意見があり、私もかなりの部分で同感した。協会賞の候補にしておきながら、協会賞に合わないという選考結果を示すのは、相当心苦しいものがある。しかし、やはり協会賞なのだ。ミステリー関係に特化する努力を、われわれもしなければならないのだろう。
四方田犬彦氏のものと、小野俊太郎氏のものを、私は推そうと思って選考会に臨んだが、賞のありように議論がむかったので、印象的だったということだけ、ここに書いておく。
私の選考委員の任期は、今回で終りである。二年間は、評論も読んだのが、苦しみはしたが、一番の収穫でもあった。
ミステリーについては音痴気味で、それは申し訳なく思っている。閉じる
- 真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
昨今のミステリ短編は、ライトノベル系の身近な物語が受けている。その近辺の著作でないと商売になりにくい、という出版界の厳しい状況があるからだろう。平明さは読者を持てなす大切な要素のひとつではあるにしても、軽さが登場人物の中身や物語の運びにまで及んでしまえば、作品の薄さに直結し、読後感は味気ないものになりやすい。今回の候補作でも、その境界線上で悩ましい作品があった。
個人的には「鼠でも天才でもなく」を面白く読んだ。文章は平易で読みやすく、キャラも親しみが持て、絵画の情報も興味深く、種明かしのあとに真相が訪れるという結構にも好感が持てた。が、謎の周辺描写を軽く(読みやすく)しようと考えたせいか、トリックだけが浮いてしまった。でも、読者には支持される作品だろう。「言の葉の子ら」にも似た弱点があり、楽しく読めたものの、同時に物足りなさも感じてしまった。
受賞作はアイディアが秀逸であった。が、連作の一編であり、この作品には不必要と思えるエピソードが邪魔で、何の効果も与えていない。また、主人公である刑事の感慨が、あまりにもありきたりすぎるし、多くが台詞で説明されてしまうためにテーマの切実感を削ぐ気もした。今後は語りの技術をより高めていってもらいたいと切に望む。
評論その他の部門は、受賞作を出せなかった。ミステリ作家の団体が顕彰すべき意味がどこにあるのか、が議題になった。純粋なミステリ評論がなかったせいもあるだろう。
ただ、優れたノンフィクションにも、ミステリにつながると思える執筆技術やテーマ性を持つ作品はある。ノンフィクションにはその分野の賞があるのは承知しつつも、ミステリを書く団体が顕彰することで、素晴らしい作品をより読者にアピールして業界に貢献できるだろうし、また、ミステリ系執筆者の新たな目標のひとつになるケースもあると考える。まったく意味はない──ことはないだろう。が、その線引きは難しく、選考委員によって大きな差が出てきても困る。小説でも昨今はミステリが拡大解釈される傾向にあり、今回の長編部門にも純粋なミステリとは言いがたい作品も挙がってきている。
ミステリ団体が運営する賞であり、推理作家協会はこの賞のためにあるとも言える。ミステリの面白さを広く読者に伝えるため、素晴らしい作品に報いていくため──の賞でありたいと考えている。閉じる
- 田中芳樹選考経過を見る
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選評
今回の選考においては、短編部門が「黄昏」一作の受賞、評論その他の部門が受賞作なし、という結果に終わった。いささか寂しい結果といえなくもない。
私個人の立場からいえば、柄にもない選考委員の任は今回で終わりなので、受賞作が出た件については、ほっとしている。ただし、私はその受賞作に投票しなかったので、何とも奇妙な気分を味わってもいる。
賞の選考にあたっては、自分自身のことはなるべく遠くの棚へ放り投げて、候補作品の長短をあげつらうわけであるが、これがなかなか割り切れない。候補者にしてみれば、頼んだわけでもないのに俎上にのせられ、さんざん難じられたあげく落選、などということになってはたまらないであろう。一方、選考する側としては、いかな力作であっても賞にふさわしくないと見れば落とさざるをえないのであって、葛藤の間に生命が縮む思いがする。いまさらこんな初歩的なグチをこぼすのも愚かなことだが、まあ、やめていく者の捨てゼリフとしてご寛恕いただきたい。
受賞作に対して私が一票を投じなかったのは、作者のキャリアと照らしあわせて、どうにも、ものたりなかったからである。文章が堅実で読みやすいのは、あたりまえのことだ。内容的に、人情話にかたむいて、ミステリー色やサスペンス色が薄いのが残念であった。どんでん返しが必須とは思わないが、もうすこしおどろかせてほしかった。ただ、「ちょっといい話」としては職人芸的なよさがあり、相対的には候補作中もっとも総合的にすぐれていたので、受賞には賛同した。シリーズ中の一篇ということなので、今後に期待するところは大きい。
「鼠でも天才でもなく」は、個人的には文章は一番すぐれていると思ったし、受賞作につぐ票を集めたが、「トリックのためのトリック」「リアリティの欠如」が指摘されて受賞を逸した。やや才気に溺れたきらいがある。「旅は道連れ世は情け」は叙述に問題多し。「言の葉の子ら」は、めだった破綻はなかったが、ミステリーとしてはAIが登場する必然性に欠け、「影」は行儀のよい作品ながら先が見えてしまう。短篇を書くというのは貴重な才能だ。大事にしてほしい。
評論その他の部門について述べると、本格ミステリーについて評した作品が一冊もなかったのは意外であった。『狂うひと』は評伝としてはよくても、ミステリーと無関係に思えた。『モンスターマザー』は作者の前作からいっても、素材の切り口が最初から見えていた。『署名はカリガリ』は読者に対する配慮がまったく見られず、『ぼくのミステリ・クロニクル』は楽しかったが個人的体験の羅列にとどまり、『ドラキュラの精神史』はタイトルの割に深みを欠いて「紹介本」にとどまったのが惜しまれる。閉じる
- 道尾秀介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
まず短編部門について。
「鼠でも天才でもなく」は、登場人物も設定も類型的ではあるが、本文外の遊び使われている注が、その類型的な世界を箱庭的なものに変え、何か新しいガジェットを楽しませてもらっているような感覚があった。ただしそのガジェットは、小説の本流ほど能動的ではない。
「言の葉の子ら」は、この仕掛けを大真面目にやっていることに思わず笑い声を上げてしまったが、半分以上は賞賛の笑い声だった。著者の挑戦意欲には非常に好感が持てる。しかしながらその仕掛けには甘さが目立ち、受賞作としては推せなかった。
「旅は道連れ世は情け」は文章の力が弱く、人物に血肉が伴っていない。仕掛けも単純で、容易に予想できてしまう。この手の仕掛けは、むしろ長編にして、大きな文章世界に入れ込んであげたら、いい小説になるのではないか。もちろんそのためにはさらなる文章力が必要ではあるが。
「影」はプロット自体があまりにリアリティとかけ離れていた。また、やはり文章が弱い。文章そのものというよりも、読者の気持ちを感じる力がいまひとつ足りていない。一例を挙げると、「携帯電話に着信があったのは、十一月二十九日の深夜だった」なども、このシーンでは、読者としては日付よりも時刻のほうが気になるので、そちらを明記したほうがいいだろう。文字の連なりを小説に変えるのは、こうした細かい気配りの累積であり、それはしばしばプロットの不自然さまで覆い隠してくれるので、是非そのあたりの力を磨いていただきたい。
「黄昏」は地味だけど、グッときた。真相も展開も登場人物も、ありきたりではあるが、そうした「普通のもの」を上手く描く力が、著者にはある。なによりこの小説は非常に能動的で、読者の心中でいろいろな形と広がりを持って再構成される。タイトルに込められた複数の意味、また、彼女の名前が幸田華子――「幸せの華」であること。そのあたりもきっと、著者は十分に吟味を重ねた上でキーボードを叩かれたのだろう。
受賞作なしとなった、評論その他の部門について。
『ドラキュラの精神史』と『署名はカリガリ』は、たとえば昆虫図鑑のように、書かれていることに心から関心がある人でなければ、なかなか興味を持って読み進むことができない。前者は逆に、そのおかげで興味深く読めたのだが、論理に牽強付会の感があり、しばしば首をひねらされた。牽強付会については『署名はカリガリ』もしかりで、どちらも受賞作として推すことはできなかった。
『ぼくのミステリ・クロニクル』については、自分もこうした生身の人間がつくる歴史の上で小説を書いているのだという思いに、身が引き締まった。また、ミステリー業界の愉快痛快な裏事情もいろいろと知ることができたが、それだけではやはり推せなかった。
『狂うひと』と『モンスターマザー』は猛烈に面白く、どちらも○をつけたのだが、そもそも「日本推理作家協会賞の受賞作」としてふさわしくないという意見が複数あり、力になれなかった。候補作として挙がってきた時点で、受賞の資格ありと考えていたのだが、どうもそうではないようで、これでは著者をいたずらに振り回してしまうことになりはしまいか。閉じる