2018年 第71回 日本推理作家協会賞 短編部門
受賞の言葉
二〇〇九年にライトノベルの賞でデビューし、二〇一五年に「このミステリーがすごい!大賞」でミステリー作家として再デビューし、小説のお仕事をするようになってから今年で十年目になりますが、ここ最近は、自分たちの力不足と努力不足を痛感する日々を過ごしていました。そんな中で降って湧いたのが、日本推理作家協会賞短編部門へのノミネートのお話でした。「降田天」という名前を使い始めてから、つまりミステリーを書き始めてから、「いつかは」と密かに憧れていた賞でした。そんな賞に手を伸ばすことを許していただけた気がして、気持ちが奮い立ちました。
伸ばした手がそのまま届いてしまうという展開は、正直なところまったく予想もしておらず背筋が寒くなりましたが、歴史ある賞の重みを受け止め、また新たな気持ちで十一年目を目指していきたいと思います。ありがとうございました。
- 作家略歴
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略歴:
早稲田大学第一文学部卒業
第13回「このミステリーがすごい!」大賞
2018年「偽りの春」にて第71回日本推理作家協会賞短編部門を受賞
執筆鮎川颯とプロット萩野瑛の二人組
代表作:
女王はかえらない
趣味・特技等:
萩谷 読書、食べ歩き、旅行
鮎川 ランニング、観劇
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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第七十一回日本推理作家協会賞(ミステリーグランプリ)の選考は、二〇一七年一月一日より二〇一七年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集および評論集などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年十二月よりそれぞれ予選を開始した。
長編および連作短編集部門と短編部門では、例年通り各出版社からの候補作推薦制度を適用した。なお推薦枠を持たない出版社からの作品については、従来通り予選委員の推薦によって選考の対象とした。
長編および連作短編集部門では出版社推薦と予選委員の推薦による九三作品、短編部門では出版社推薦と予選委員推薦による四〇二作品をリストアップし、協会が委嘱した部門別の予選委員がこれらの推薦にあたり、各部門の候補作を決定した。
本選考会は四月二十六日(木)午後三時より、新橋第一ホテル東京にて開催された。長編および連作短編集部門は、垣根涼介、長岡弘樹、深水黎一郎、麻耶雄嵩(立会理事・北村薫)、短編部門と評論・研究部門は、あさのあつこ、逢坂剛、大沢在昌、黒川博行、道尾秀介(立会理事・月村了衛)の選考委員が出席して、各部門ごとに選考が行われた。
なお、長編および連作短編集部門選考委員である藤田宜永氏は、入院加療のため、事前に選考委員を辞退されていたが、今期は欠員の補充は行わず、前記の四氏による選考となった。
受賞作決定後、午後六時より北村薫立会理事の司会進行により、短編部門受賞者の降田天氏(鮎川颯氏と萩野瑛氏)を迎え記者会見が行われ、深水黎一郎氏と黒川博行氏からそれぞれの部門の選考経過の報告があった。その後、降田天のお二人が受賞の喜びを語った。また長編および連作短編集部門受賞者の古処誠二氏から、受賞を喜ぶメッセージが届き、受賞作の担当編集者が代読した。
詳細な選考過程は以下の通り。閉じる
- 月村了衛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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短篇部門
最初の投票から『偽りの春』が票を集めたが、全候補作について真摯な討議が行われた。『階段室の女王』は支持が得られず否定的見解が多かった。『理由(わけ)』は「アンソロジーの縛りによる悪い面が出たのでは」との意見に集約されるだろう。『ただ、運が悪かっただけ』は「三メートルの伸縮性のある脚立など存在しない」との指摘があり、他の選考委員も首肯した。『火事と標本』は「緊張感があり、読ませる」「文章は上手い」等の声もあったが、プロットや心理の不自然さから受賞には至らなかった。『偽りの春』は、「候補作の中では一番」「二転三転する話がよくできている」との声がある一方、「立証するのが極めて難しい犯罪である」「昨今のリアリティレベルからすると警察や関連法についての無知が目立つ」「警察官の行動としてあり得ない」との極めて厳しい指摘もなされた。しかしそれらの難点は作者の今後の課題とし、美点を評価するとして全選考委員が授賞に賛成した。
評論・研究部門
今年度から改称された本部門では、最初の投票で同点四作という大接戦であった。『乱歩と正史』は学者らしい文章や図版が得票を妨げた。残る四作が同点で、『ミステリ読者のための連城三紀彦全作品ガイド』は圧倒的な著者の努力や熱量への称讃という点では全委員が一致していたが、そのぶん冷静さに欠け、評論として評価できないとの声があり、『本格ミステリ戯作三昧』は戯作部分に対する好悪が評価をわけた。その結果『アガサ・クリスティーの大英帝国』と『昭和の翻訳出版事件簿』の決戦となったが、前者は「読み物としては面白い」と概ね高評価であったものの、視点・切り口が新しいか否かで意見が分かれた。対して後者は、著者の功績への敬意や記された新事実に対する評価の声が上がる一方、「ミステリーに関する記述が少ない」「これは個人史ではないか」との意見もあったが、討議の結果、積極的な反対はなく、全選考委員の同意を得て授賞が決定した。閉じる
選評
- あさのあつこ選考経過を見る
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選評
身の程知らずにも、協会賞の選考委員を引き受けたのは、やはりおもしろい作品に出会える大きな機会だと考えたからだ(それだけでは、ありませんが)。特に短編、評論・研究部門となると選考委員でなければ読むことのなかった作品に巡り合えたりするのでは……と、ちょっぴりだが胸がときめいた。が、今回、ときめきはあまり増幅されず、むしろ、へなへなと萎んでいったようだ。
短編候補作五編、むろん、どれも読ませる。それぞれの作者の力量が随所に感じられ、楽しませてもらった。しかし、五編を読み終えて、どの作品にもわたしは“新たなもの”を感じなかった。“ここでしか読めないもの”も感じ取れなかった。他の物語とは明らかに違う何かが、どこにもなかった気がする。受賞作「偽りの春」は、よくできた人間ドラマ、人を主軸としたミステリーだった。昔、男に裏切られ、今は高齢男性をターゲットにした結婚詐欺や美人局に手を染めている主人公、光代のくすんだ悲哀が描かれ、胸にせまる。他人である隣室の少年にランドセルを贈る約束をし、少年との交流に束の間の安らぎとささやかな喜びを見出していきながら、それ故にさらに追い詰められていく光代の姿はせつない。ただ、光代を脅していた犯人の正体を始めとして、どうしても既視感がぬぐえなかった。読み始めてすぐに、こういう終わり方を予測できた。それが悪いわけではない。よく似た筋書きの作品はたくさんある。しかし、その既視感が気にならなくなるような何かがなければ、“よく似た筋書きの作品”に埋没してしまうのではないか。もっともっと、人間を掘り下げ、滲み出してきた独特の色合いを表現してもらいたい。人こそがミステリーという証を見せてもらいたい。蛇足になるが、最後のシーンで、銀色のランドセルを希望の象徴のように使っているが、それを背負うはずだった少年の状況を思えば、とても小学校入学どころではないだろうと思った。自分の創り出した人物を疎かにせず最後まで心に留めておいてもらいたい。
評論部門は、『昭和の翻訳出版事件簿』を推そうと決めて、選考会に臨んだ。大変な労作だと思う。正直、わたしには解せない部分もあったが、昭和の翻訳出版界の生々しい実像に確かに触れた気がして、息を呑んだ。とくに、第四章の十年留保と著作権法改正は圧巻のおもしろさで、『くまのプーさん』の裏側まで見せてもらった気がした。読み終えて、あの戦争と敗戦を抱え込んだ昭和という時代の禍々しくもあり、生き生きともしていた空気が染みてくるようだった。ただ回顧録の側面も濃くあり、今に繋がる評論の部分がやや薄れたところは残念だった。ともあれ、協会賞に相応しい作品であることに間違いはない。
おめでとうございます。
『連城三紀彦全作品ガイド』は連城愛に満ち満ちた、熱い一冊だった。しかし、熱情ばかりで冷静な洞察のないものは評論になりえない。連城作品の限界をも視野に入れ、今のミステリー作品を語る。その視点がほしかった。閉じる
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選評
【短編部門】
久しぶりに短編部門の選考に臨んだが、今回はレベルの高い作品がそろっており、絞るのに苦労した。
「ただ、運が悪かっただけ」は、病床の妻と大工の夫の対話で、物語が進む構成になっている。ただ、夫の視点で書かれているはずの部分も、〈夫は……〉という書き方になっており、いささか違和感を覚える。他の選考委員から、重要な小道具たる伸縮性脚立の構造に、疑問があるとの指摘が出るなどして、減点されたのが惜しい。プロバビリティの犯罪、という視点はおもしろいし、心理ミステリーとしてもよくできているが、もうひとつ説得力、パンチ力に欠けるのが惜しまれる。
「火事と標本」は、連作短編の一つということもあってか、旅館の客が最後に急に探偵になったような印象があり、そもそもの背景を知らないと分かりにくい憾みがある。全編を通して読めば、最後の一行の意味も分かったはずだし、その点は作者にとって不利だったかもしれない。物語には、適度の緊張感と推進力が備わり、謎の提示にも工夫がみられるが、いささか作りすぎの感があって、点が伸びなかった。
「理由」の作者は、すでにキャリアを重ねたベテランだが、テーマを与えられてのアンソロジー作品、というところに無理が感じられた。むろん、それもプロの仕事のうちだが、実力からすればもっと点数の高い作品で、候補になるべき人だろう。
「偽りの春」は、今どきの高齢者を対象にした詐欺事件に、一石を投じる佳作といえる。読む者の予想を次つぎにくつがえし、意表をつく展開に落とし込む筆力は、並のものではない。警察官の職務執行について、不備な点があるとの指摘も出たけれども、ミステリーとして致命的、というほどの瑕疵ではないように思う。ただ、作家として細かいところをあやふやにせず、納得のいくまで調べる姿勢を忘れないようにしてほしい。
「階段室の女王」は、主人公の女性の被害妄想的な心理が、マンションの孤絶した階段室を舞台に、不気味な雰囲気で描き出される。それなりにおもしろかったが、読み終わってみると主人公の反応に、あまり説得力やリアリティがないように、感じられてくる。雰囲気を作る力はある人なので、今後の精進に期待したい。
【評論・研究部門】
ミステリー評論は、非常にむずかしい。常に、未読の読者にトリックや結末を明かしていいのか、逆に明かさずに論評することができるのか、という疑問の壁にぶつかってしまう。どの候補作も、取り上げたテーマに対する愛があふれていることは、よく分かる。ただ、わたしが大いに興味をもって読了したのは、受賞作の『昭和の翻訳出版事件簿』だけである。決して、ほかの候補作を下位に置くものではないが、知的興奮を覚えて啓発された点では、受賞作がいちばんだった。何より、高齢を感じさせぬ受賞者のエネルギーに、拍手を送りたいと思う。閉じる
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
短篇ミステリの醍醐味は謎が解けた瞬間の爽快感に負うところが大きい。その点で今回はやや不満を感じる候補作が多かったように思う。
「ただ、運が悪かっただけ」は、全体をおおう暗いトーンが演出効果をあげてはいるが、脚立をめぐる真相はわかりにくい。
「そうだったのか!」ではなく、「ああ、そうなのね」で終わってしまったという印象だ。そういう性格の視点人物なのだといわれれば、その通りだが、物足りなさが残った。
「火事と標本」は、愛する母親が台所に立つ姿を写真に残したいという動機と、そのための行為がどうしてもつながらない。痛々しくて、そんなことができるとは考えにくい。
ミステリのトリックには強引さがときに必要だというのはわかるが、これは受け入れられなかった。
「理由」が、そもそもテレビ番組の撮影中に、出演者の違法駐車が原因で交通事故が起こるという設定に首を傾げた。スタッフ、キャストともクレームを避けるために違法駐車は決してしないであろうし、よしんばしたとしても、それが原因であろうとなかろうと、撮影中、あるいは前後に、その付近で交通事故が起こり子供が死亡したとなれば、決してオンエアはされない。したがって事件の動機は成立しないと思われる。
「階段室の女王」は、主人公があまりに”男”のいいなりになる姿に、最後まで違和感を抱いた。携帯電話まで渡してしまう理由がわからない。作者の都合でしか登場人物が動いていない、という印象で、この枚数を要してまで語る必要のある物語とも思えなかった。
「偽りの春」には、いい意味でだまされる快感を味わった。狩野という制服警察官がやけに優秀で、しかも「元捜査一課」という経歴をもつことには首を傾げたが、それはどうやら連作のタテ糸の部分にかかわることらしい。
悪い奴の、そのまた上をいく悪い奴がいて、それを見抜く目をもつ警察官が登場する。
連作がまとまるのが楽しみな作品である。
おめでとうございました。
評論・研究部門は、今回はミステリにかかわりをもつ作品ばかりが候補となり、読むこちらも、背筋をのばした。
『ミステリ読者のための連城三紀彦全作品ガイド』には、連城作品に惜しみなく愛を注ぐ作者に好感を抱いた。が、その愛が、評論には不可欠の距離感を失っているという指摘には首肯せざるをえなかった。
『アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代』を、私は実に興味深く読んだ。「ジェントリー」あるいは「メイヘム・パーヴァ」といった言葉とその意味を初めて知った。クリスティーの作家としての変化と大英帝国の変貌をつなぐ、作者の視座には感服した。
『本格ミステリ戯作三昧 贋作と評論で描く本格ミステリ十五の魅力』は贋作まで書いてしまう作者の本格愛【3字傍点】にほほえましさは感じるものの、そこを評価するところまでには、私は至らなかった。
『乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか』には苦労した。表現が難解過ぎる。太平洋戦争と乱歩にまつわる部分が大半を占め、正史に触れた部分は乏しく、読み終えてみると、蒙を啓かれる、とはいかなかった。
『昭和の翻訳出版事件簿』は、ミステリとはいえない翻訳作品に関する著述も多くあるが、本年九十歳になられようという作者の、生きた翻訳史を顕彰したいという他選考委員の熱意に動かされた。「十年留保」など、私の知らなかった、かつての翻訳事情を知らされたという意味でも、授賞に反対する理由はなかった。閉じる
- 黒川博行[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
短編部門候補五作の中に推したい作品はない状態で選考会にのぞんだ。短編はキャラクターやディテールをじっくり書き込む枚数がないため、長編とはまたちがった難しさがあるように思う。
「ただ、運が悪かっただけ」は、丁寧で安定した筆致でセリフも自然だが、ストーリーに起伏が乏しく、主人公の大工も妻も人間が一面的に描かれすぎていると感じた。自宅に作業場のある大工は指物大工か家具職人であり、その大工が工事現場に出ることはほとんどない。またトリックの主要な小道具である高さ三メートルの脚立だが、伸縮可能な製品は存在せず、これを事故の原因とするのは無理がある。
「火事と標本」は、すべてが推察で終わってしまった。警察が現場検証をして結論づけたことを覆すにはよほどの力業が要る。連作の一編であるためか探偵のキャラクターが弱く、セリフが説明に終始するのも、わたしの小説感には合わなかった。
「理由」は、まずプロットにおける前提がおかしい。交通事故でもっともわるいのは事故を起こしたドライバーであり、事故の原因のひとつとなった違法駐車をしたドライバーが恨まれるのはおかしい。子供を失くした母親がアルコール依存症になる――、その友人が母親に代わって復讐する――など、ストーリーに無理があった。
「階段室の女王」は、階段室という“密室”における男女ふたりの本格ミステリーなのだろうが、その状況を設定するために多くの不自然な点が生じてしまった。男と女の行動に説得力がない――。ひとが倒れているのを発見すればすぐに通報するだろうし、それがいやなら階段室を出る――。若い男が転倒しただけで簡単に死ぬ――。多くが偶然の産物であり、これをミステリーとして小説にするのは不自然と感じた。
「偽りの春」は、構成が巧みで語り口が柔らかく、キャラクターも的確だが、警察機構とその捜査方法に多くの疑問をもった。パトカーの警官がバス停にいる老女に対して、職務質問と明かさず、「パトカーで家まで送っていく」とはいわないし、半ば無理やりにパトカーに乗せた上に、所持品のリュックの中を本人の立ち会いもなく見分することはありえない。これらの行為は警察官職務執行法に抵触し、対象者の犯罪容疑を検察にあげても、検事は立件しない。違法捜査で得た証拠で公判を維持することはできないし、警官は違法捜査によって懲戒処分される。また、還暦を超えた女が結婚詐欺や美人局で資産家老人から金を奪う手口は安易で、犯罪としてのリアリティーがない。
選考会は受賞作なしとするか、「偽りの春」を受賞作とするかの議論に多くの時間が割かれたが、多数決で受賞と決まった。
評論・研究部門候補五作のうち、わたしは『本格ミステリ戯作三昧 贋作と評論で描く本格ミステリ十五の魅力』と『昭和の翻訳出版事件簿』を〇と考えて選考会にのぞんだ。
『ミステリ読者のための連城三紀彦全作品ガイド』は、間口が狭く奥行きが深すぎて、マニアックな熱い思いに共感できなかった。
『アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代』は、切り口に新味が感じられず、その論に牽強付会ではないかと思うところがあった。
『乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか』は、読みにくい文章だったが、国策や戦争との関連は興味深かった。
『本格ミステリ戯作三昧』は、分析が分かりやすく、贋作のあまりのリアリティーのなさが、かえってほほえましかった。
『昭和の翻訳出版事件簿』は、回想録であり、ミステリー色は薄い。しかしながら、いまは古典とされる多くの作品の翻訳事情と、出版に至る経緯がおもしろかった。“生き字引”とはこの著者のことであり、いささかの敬意をこめてこの作品を推した。閉じる
- 道尾秀介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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まず短編部門から。「ただ、運が悪かっただけ」は冒頭から描写が見事で、ものの数秒で世界に引っ張り込んでくれる。が、人の心理が絡み合うミステリーなのに、その心理に理解できない部分が多い。みんな七割くらいは理解できるのだが、それらが絡み合ったときに七割×七割×七割……となり、大事な結末に近づくにつれ、せっかく引っ張り込まれた世界が遠ざかっていく。夫による過去の告白も、彼から聞いた話を綴っているにしては不自然に詳細で、つくりものめいた印象がある。短編は書き直すのが簡単なのだから、ここからもう一手間かけてもらいたかった。「理由」についても、ベテランの柴田さんなので、もちろん文章は素晴らしい。ただしこれもまた、登場人物の心理にいまいち納得がいかず、真相が明らかになったとき、語り手の鼓動の高まりに同調することができなかった。「火事と標本」も文章が上手く、寒い地域の空気感、飲み食いの描写、漢字の閉じ開き、どれも絶妙だった。ただし、ミステリー短編としては、謎の真相に説得力がない。目を引くような謎を先につくってちりばめ、あとからそれらの説明を考えたのだろうか。「偽りの春」については、素人たちがつくる詐欺集団という設定が面白いが、これにリアリティを与えるには文章力が少々不足している。また、ある事情により必要となる金が一千万、そのときふと思い出す「手に入れられそうな金」が同じ一千万というのは、さすがに安易かと思う。たまたま同じ額でもいいのだが、そうする場合、その偶然に気づいたときにはもっとハッとするはずだ。このあたりのディテールにこだわれば、ぐんと求心力のある物語になってくれるのではないか。 「階段室の女王」は、昔よく旅館に置いてあった「箱入り娘」を思い出させる小説だった。四角いピースをスライドさせていき、奥にいる「娘」を出口まで動かすパズルだが、ご存じだろうか。ただしこれはパズルではなく小説であり、登場人物たちを動かすのは物理的な力ではなくそれぞれの心理なので、その心理に一箇所でも不自然な部分があると、なにやらズルをされたようで、「娘」の行く末に興味が持てなくなってしまう。
評論・研究部門について。『ミステリ読者のための連城三紀彦全作品ガイド』は胸を打たれるほどの熱い恋文だが、恋文だけあって盲目的な部分が目立ち、それを好ましく感じたものの、授賞作としては推せなかった。『本格ミステリ戯作三昧』は非常に楽しませてもらったが、できれば「いま」のミステリーについても言及してほしかった。『乱歩と正史』『アガサ・クリスティーの大英帝国』については、どちらも興味深く読んだが、「いったい何があの作家にこの作品を書かせたのか」という点について、牽強付会の感が拭えない。実作者としては、小説はもっと、何年も前に見た映画とか、子供時代に友人と喋ったこととか、先月読んだ本とか、たまたま見た珍しい景色などの影響が強く出てくるという実感がある。『昭和の翻訳出版事件簿』は、かなり専門的な世界についての体験談であり、文章も平易ではないので、よほど興味のある読者以外はなかなか入り込めないが、出版文化の記録として残すべき作品かと思う。閉じる