1952年 第5回 日本推理作家協会賞
受賞の言葉
無期徒刑囚の言葉
フランスの俳諧詩(Haikai)で、ぼくの好きな句に
彼女は諾(ウイ)と云った
すばやすぎて
私は否(ノン)と受取る
といふのがある。今度のクラブ賞受賞は、ぼくとしてはまともに受取ることができず、これを一種の刑罰の宣告と承服したのは、まさにこの詩のプロセスである。
陪審裁判による無期徒刑の宣告を受けた以上、悪びれずに刑に服するより他はないは、実は内心、「やりやがったな。」と叫ばざるを得なかった。
決定委員会席上、賞がきまった時、乱歩はにやりと笑い、宇陀児は上目づかひにぼくを睨み据へたやうに思へた。大坪砂男はぼくの耳に囁いた。「悪意ある授賞。いゝ題名じゃないですか。」と。
公式に賞はあくまで賞であるが、諸兄の眞情はもつと深いところにあるであろう。ありがたう。
戦後、作家として再出発したぼくが、いかなる幻滅に出会ひ、悪あがきをしながらどんな無気力な作品を書いたかについて、弁じることはやめるし、又今はその場合ではない。
刑は確定した。ぼくは赤い服を着て、足に鎖をひきずり、死ぬまで逃げ終せきれぬ荒地を這い廻る。この覚悟をつけてくれたクラブの制度を天上のものと思ふ。願はくは、今後のぼくの作品に鋭い監視をたまはらんことを。
- 作家略歴
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1904~2001.3.20
北海道函館市生れ。早稲田大学卒。
一九二一年、「新青年」に「好敵手」を投稿して入選。「探偵趣味」の編集を経て博文館に入社し、「新青年」の編集に長年携わるかたわら創作活動を続ける。主な作品に「お・それ・みを」「われは英雄」「司馬家崩壊」など。五二年に「ある決闘」で探偵作家クラブ賞を受賞。フランス・ミステリーの翻訳やゴルフ関係の著訳書も多い。
2001年3月20日没
- 作家略歴
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1894~1965
三重県生れ。早稲田大学卒。
一九二三年、「二銭銅貨」を「新青年」に発表。「D坂の殺人事件」「心理試験」「屋根裏の散歩者」などで探偵小説界の基礎を築く。数度の休筆を挟んで、「パノラマ島綺譚」「陰獣」「押絵と旅する男」「孤島の鬼」「蜘蛛男」「黄金仮面」などを発表。評論・研究にも熱心で、評論集「幻影城」で探偵作家クラブ賞を受賞。探偵作家クラブ初代および第二代会長。日本推理作家協会初代理事長。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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中間報告(会報一月号)の如く十二月の幹事会でクラブ賞詮衡委員を、正副会長、幹事長及び従来の受賞作家と定め、即ち江戸川、大下、木々、水谷、横溝、香山、島田、山田、高木、大坪の十人がこれに当ることになり、委員会は更に昨年度全作品に目を通して候補作を推薦する委員を山田、高木、大坪、永瀬、椿、岡田、津川の七氏に委嘱、その結果左記の十五篇が候補作として提出された、(五十音順)
岩塊(大下宇陀児) 虚影(大坪砂男) わが女学生時代の犯罪(木々高太郎) 深入り(仝) 恐風(島田一男) 燠火(城昌幸) その家(仝) 我が一高時代の犯罪(高木彬光) 野球殺人事件(田島茉莉子) 扉(椿八郎) 良心の断層(永瀬三吾) 愛情の倫理(宮野叢子) メフィストの誕生(水谷準) ある決闘(仝) 帰去来殺人事件(山田風太郎) 八つ墓村(横溝正史)
これと平行して全会員に往復ハガキにより投票を求めた結果は左の通りであった。
廿票高木「一高時代の犯罪」、十票島田「恐風」、八票大下「岩塊」、四票水谷「メフィストの誕生」、横溝「八ツ墓村」、三票水谷「ある決闘」、木々「わが女学生時代の犯罪」、二票五篇、一票十三篇、ほかに小説ではないが江戸川「幻影城」に十一票。
三月十二日、授賞作決定の詮衡委員会を開いた。詮衡方針は中間報告の如く今度から長篇短篇二本建を廃し、原則として年度内の最高作一篇に授賞すること、また既に受賞している作家と、そうでない作家の間に全く差別をつけず、何度でも同じ作家が受賞してもよろしい、兎に角最高作品ををいうことに申合せてあった。この日、江戸川、大下、木々、水谷、香山、島田、高木、大坪の八名が出席、横溝委員は病気欠席、且つ候補作を読む時間がなく棄権した。山田委員は幹事長に詮衡意見を記した手紙を送り、また高木委員に口頭傳達を依頼した。右八名は席上順次意見を述べ、意中の作品一篇または二篇を推挙した。今年度は授賞作なしと三名あった。各委員の意見は別項の如くである。
今度の委員会では全員活発に発言、十分論論を盡したが、各委員の意見に可なりの異同があり、結局多数決によるほかなく、口頭で票を入れて見ると次の如き結果になった。
「ある決闘」四点、「岩塊」三点、「燠火」二点、「わが一高時代の犯罪」一点。
十分討議を盡した上であるから多数の意見を尊重することとし、全員一致、最高点の水谷準作「ある決闘」を推すことに決定した。
更に委員会では江戸川乱歩著「幻影城」への授賞を討議したが、これは詮衡委員会で決定すべきことではないので、議案として二十二日の幹事会に提出、出席幹事が討議表決の結果授賞と決定したものである。閉じる
選評
- 江戸川乱歩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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私は会員投票のハガキに、高木「わが一高時代の犯罪」大下「岩塊」の二篇を記入しておいた。委員会でもこの考えは変っていなかった。
「岩塊」は構成、描写とも心憎くき巧みさで、前年度の「石の下」に感じたような破綻は少しもなく、殆んど完璧の作品であった。そういう意味では昨年度の最高作品である。しかし、際立った創意とか情感とかで、殊更ら人を打つものはなかった。うまいなあと感心はしたが、心に残るところは余りなかったのである。
「我が一高時代」はこの作者の日頃の作風と異り、いつわらざる情感の直接胸に来るものがあった。もう一つは、憲兵の恐怖というものが実によく出ていた。私はそこに強いスリルを感じた。謎解き以外のこの二つの感銘が心に残った。文章その他いろいろの缺点があるにもかかわらず、この作を推したのは、この感銘によるものである。ロック・クライミングのトリックはアッと云わせるほどのものではないけれども、失望はしなかった。近年アメリカで評判になったハーバート・ブリーンの「ワイルダー一家の消失」のトリックなどに比べて、さして劣っているとも思われない。又、塔上消失の着想を非難して、あんな大げさなお芝居をしなくても、いくらでも簡單な方法があったのではないかという非難も多いようだが、この「不必要なお芝居」というものは、西洋の本格ものには殆ど例外なく含まれているところで、カーや日本の小栗虫太郎などの作品は、「一高時代」以上の不必要なお芝居によって構成されていたことを思い合すべきである。
委員会の席上でも私は大体右のようなことを喋った。そして、一作を選ぶならば心を打たれたという意味で「一高時代」の方を採りたいと申述べた。
右の二作のほかでは、島田「恐風」水谷「メフィスト」木々「深入り」城「その家」などが私には面白かった。「或る決闘」は受賞作としては全く私の意中にはなかったので、委員会の結果はちょっと意外だったが、むろん拙い作ではないし、私としては「メフィスト」の方をも含めて、この多数決に同意したというわけである。
高木君の「一高時代」を推す委員が一人もなかったことも、私には意外であった。從来の例では、会員投票で最高点の作が大体授賞作になっている。それが今度に限って、会員投票では他の諸作をグッと引きはなして最高点を得た「一高時代」が、委員会では私のほかに一人の推薦者もなかったのいうのは、異例の現象というべきであろう。閉じる
- 大下宇陀児[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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水谷君の『ある決闘』を賞にするときめたあとで、私は水谷君には、何かほかの作品で授賞したかった、と言っておいた。というのは、この作品が、水谷君のもつ力の最高なものを持っていないからである。私は、決定に最後まで反対し、しかし、ついに反対しきれなかったことを、いま、よくなかったのではないか、水谷君のためにも、探偵文壇のためにも、と思っている。 しかし、一方では、他の誰の度の作品が授賞の資格をもつか、ということになると、残念ながら、該当作品はないということにもなっている。候補作品の個々については、その作品を傷つけることを恐れるから、言及することを避けるけれども、これが授賞作品だといって世間へ―探偵文壇以外の文壇へ、持ち出したら、世間から笑いものにされるような作品も、中にはあったような次第である。結局、いろゝと事情もあって「ある決闘」へおちつくことが、まず妥当だったのであろう。私は、そう考えて、私の心を納得させている。
クラブ賞の選定は、むづかしい、ということをしみじみ思った。廿七年度の作品を選ぶのには、今からふんどしをしめてかからねばならぬ。が、ふんどしのしめ方がわからぬ、というのが本当だろう。そして、その問題のギリギリ、結着のところを決定するものは探偵小説の本質論になるだろう。本質が、万人納得されるように決定した時、はじめて授賞のめども、万人納得するようにわかってくるのである。しかも、文学上の討議が、万人を納得せしむることはあり得ない。從って、クラブ賞の決定も、万人を納得せしむることは、やはりあり得ないということになるのである。まことに、ふんぎりの悪い、さりとて致し方ないことである。(一九五二・三・十三)閉じる
- 木々高太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年のリーダアス達が選んでくれた作三十二三篇のものは全部よんだ。そして、昨年のリーダアス達のものより、やはりはるかによかったとまづ感じた。
愈々詮考委員会となり、最初に、旧人新人に係らず、嘗つての受賞者と否とに係らず、最高作品をと申し合わせて、さて、自分の候補者を言い出した。
ぼくは水谷準「ある決闘」に一〇〇点、大下宇陀児「岩塊」に九五点、もし一篇なら水谷を、二篇とってよいなら、この両作をと主張した。そして水谷となったが、今でも僕としては二篇を出して、最初の申し合せの通り、曽の受賞者と否とに係らずという意思を反映したかったと思っている。
水谷「ある決闘」はホームズとビーストンを一緒にしたような古典的の探偵短篇の味がある。今、これだけのものがかける作家はゐない。今年の賞として今までの賞に劣ることはない。
「岩塊」はいゝ作品だ。島田一男の諸作が最近「岩塊」の流儀でよいものがあるが、比較すると大下宇陀児の二十年の年季がたしかに光ってゐる。然し島田一男にはよい前途を見出したと、僕は今度思った。
今までうすうす感じていたが、江戸川乱歩の鑑賞力を僕は疑うようになった。それは主張や評論の問題ではない。眞の意味の鑑賞力を、この人は政治力ですっかり駄目にして了ったといふ印象である。僕はこの詮考委員会の帰途、僕がクラブよりぬけて了はなくてはならぬ日が近づいて来たとひとりで考へた。出来るだけ我慢するつもりではあるが、何か堪え難いものを感じて来た。これは一度当っておいた方が自他共によいと考へるので、とくにかいておく。(三月二十二日)閉じる
- 香山滋[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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本年度受賞候補作品表を手にして、私は既読のものの中から第一位「メフィストの誕生」、第二位「岩塊」の二篇を選んだ。
これを基礎として、もし未読のものの中から、然るべき作品が発見されたら、それと比較検討するつもりで選んだところ、「或る決闘」の一篇を得た。これは「メフィスト」と同作者であり、当然私は、そのどちらかに決定しなくてはならない破目に陥入った。
私は「メフィスト」を再読したが、病的な主人公の醸し出す陰影のうまみには、矢張り大いに惹きつけられたが、結末の意外性への持ってゆき方に、作者の労苦が目にちらつくようで辛かった。
それが「決斗」では、意外性は「メフィスト」よりも更に強烈であるに拘らず、その辛さを少しも感じないで済む。云いかえれば、「メフィスト」は読者に"この作者はこの物語の結末をどうつけるだろう"という客観的興味を起させるのに反し、「決斗」は"この物語の結末はどうなるだろう"という主観的興味に引っぱり込む。
作品としての絶対価に「決斗」が「メフィスト」を遥かに引き離している所以はであり、私が躊躇なく「決斗」を推しかえた所以でもある。
「決斗」は、眞向うから取っ組んだ純本格探偵小説であり、美しい合理性文学である。
とかく遊びの中に崩れがちな探偵小説の中に、本年度受賞作品として「決斗」が決定された事は、同時に、後進への規範の一つの型を示されたものとしても意義深いことと信じている。閉じる
- 高木彬光[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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水谷先生の受賞なされたことについては、当然と思ひます。たゞ私個人としては、一応、問題となるべき作品に全部目を通した結果、該当作品なしといふ結論に達しましたが、これは個人の好み乃至は鑑賞の能力如何によるもので、やむを得ず棄権いたしました。
なほ、個人的には、私は今年のやうな、クラブ賞の決定方法には異議があるので、例年のやうに、幹事会の決議で定めるか、或は会長、副会長、幹事長の三人委員会で決定すべきことだと思ひます。閉じる
- 大坪砂男[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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「ある決闘」が第五回探偵作家クラブ賞に決まりました事は、甚だ意義あるものとして満足に思う一人であります。私は下読み役を兼ねましたので、昨年度発表された作品を多数読む機会を得ました。そして、結果の感想は、今回こそ「小説のうまさ」は表彰されるべきだと信じ、「ある決闘」と「燠火」のニ作へ投票いたしました。
前回賞を得られた大下、島田両氏が続いて昨年度もより良い秀作をものされましたやうに、水谷先生もまた、さらに傑作を次々と発表され、以って後進に範を垂れて下さるやう願って止まないものであります。閉じる
- 山田風太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今度の賞の特徴はおふたりとも「大家」であって、共に日本探偵小説の創始以来の大功労者であるということである。この歳月にわたって惟ひとすじに探偵小説を愛し、熱意をもって書き、評し、編集されてきたということは、実に私のごとき精神薄弱者には、しみじみと嘆賞畏敬以外の何ものでもない。
水谷先生の御作については、特に私のようにしつっこい疎野な田舎酒場のような小説をかくものには高雅な仏蘭西料理をみるような羨望を感ぜしめるし、「幻影城」の偉業については会員諸氏のひとしく認められるところであろう。評論をクラブ賞にすることについては意義あるむきもあったようであるが、私は全面的に賛成であった。自他ともに探偵小説でないと認める私が、それでも探偵小説に対する熱情をかきたてられるのは、実をいうと乱歩先生の小説よりも随筆・評論を拝読したときの方が強烈な効果があるくらいである。両先生永遠に御健在なれ!
「賞」そのものもこれによって一層権威を加えたといってもよく、またこれを受けられて両先生が無邪気なばかりによろこばれるお顔をみていて、実に、微笑ましくうれしかった。閉じる
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『岩塊』 大下宇陀児
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『虚影』 大坪砂男
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『深入り』 木々高太郎
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『恐風』 島田一男
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『燠火』 城昌幸
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『その家』 城昌幸
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『わが一高時代の犯罪』 高木彬光
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『扉』 椿八郎
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『良心の断層』 永瀬三吾
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『愛情の倫理』 宮野叢子
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『メフィストの誕生』 水谷準
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『帰去来殺人事件』 山田風太郎
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『わが女学生時代の犯罪』 木々高太郎 (『わが女学生時代の罪』として刊行)
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『野球殺人事件』 田島茉莉子
- [ 候補 ]第5回 日本推理作家協会賞
- 『八つ墓村』 横溝正史