1970年 第16回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
受賞の言葉
懶惰に生れついた私が、初めて小説というものを書き、乱歩賞に応募してから五年の年月が経つ。その間、選後評として賜った諸先生のお励ましの言葉は、無能非才の私にとって、明日を生きるために取りすがれる唯一の、そして力強い命綱となった。
本篇の僭越極まりないトリックも、この思念が凝結した結果だったが、今回の受賞の報を頂き、改めてご厚意のほどが胸にしみた。
- 作家略歴
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~2022.2.2
東大阪市出身、慶應義塾大学文学部中退。大学二年のとき特別調達庁芸能課の審査カード(現在はこの制度は廃止)を得てプロミュージシャンになる。以来二〇年間を芸能界で過ごす。昭和四五年(一九七〇)第一六回江戸川乱歩賞を「殺意の演奏」で受賞。翌年より専業作家に。代表作「大密室殺人事件」「殺人予告状は三度くる」趣味はスチールギターとウクレレの演奏。C&W音楽とハワイ音楽の鑑賞。オートバイ。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度の江戸川乱歩賞は、既報のとおり、応募作品八十二篇の中より、予選委員会左記五篇が候補作品に選ばれた。
ベネトナーシュの矢 幾瀬 勝彬
赫の盲点 里生 香志
私の虚像 愛里 収
殺意の演奏 大谷羊太郎
京城の死 山村 美紗
この五篇を本選考委員に回読を乞い、去る七月二日午後四時から第一ホテル新館“桃山の間”において選考委員会をひらいた。
出席者は高木彬光、角田喜久雄、中島河太郎、仁木悦子、横溝正史の五選考委員(五十音順)で、松本清張委員は所用で欠席した。
中島委員の司会で各委員がかわるがわる意見をのべた後、最終候補作を二本に絞り、「私の虚像」と「殺意の演奏」について慎重審議を行なった結果、大谷氏の「殺意の演奏」に授賞が決定した。閉じる
選評
- 高木彬光[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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推理小説に対する情熱
本年度の五篇は、いちおう粒はそろっていたが、これはと思わせるものがなかったというのがいつわらない感想である。以下、各作品についてかんたんな短評を書きしるす。
「赫の盲点」 構成文章ともにあまりにも古すぎる。主人公の老刑事の性格描写については若干見るべきところもあるが、それだけでは長篇推理小説は支えきれるものではない。
「ベネトナーシュの矢」 いちおう読ませる作品だが、雑然混然、いろいろな要素をむりやりにつめこんだという感がある。犯行動機にも無理があり、複数犯人のあつかい方にも筆力不十分から来る弱さをまぬがれない。
「京城の死」 終戦直後と今日のソウルを中心とした背景描写には感心させられる点もあったが、推理小説としては構成が弱すぎる。また大阪、ソウル間の飛行機が、最初は満席に近く、数枚後に「空席がめだつ」というような無神経な描写が多すぎる。いったいこの作者は書きあげた原稿を読みなおしたのだろうか。
「私の虚像」 最初通読した時にはいちおう面白かったが、二度目にはあらがめだった。奇妙なムードをかもし出す腕はかなりのものだと思うが、肝心の大トリックに無理がある。双生児の姉妹を使うところはまあいいとして、第三の女が顔の手術で、その一人に入れかわるのはどう考えても不可能だろう。
「殺意の演奏」 五篇中では第一の力作に違いないが、私としては積極的に推賞する気にはなれなかった。部分的にはうまいなと感心するところもあったが、野球でいえば単打の連続で点をかせいで行くような作風である。本格長篇推理の魅力はホームランのような長打の魅力と共通するものがあるはずなのだ。しかし作者の推理小説に対する情熱はよくわかる。受賞を機会に今後の精進を期待したい。閉じる
- 角田喜久雄[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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その才能と努力
「殺意の演奏」大谷羊太郎氏。
大谷さんの従来の作品は、余りにも材料を盛込みすぎ、それが却って読後感を稀薄にする欠点があって、最終選考から漏れる最大の原因になっていたが、今度の作品ではその点がかなり良く整理され、新しいものを作り出そうとする新人的意欲も感じられて好感を持った。ただトリックの一部に目につく欠陥があったこと、全篇を通して読者を引張ってゆく面白さにやや力不足なところがあったりして、私としては積極的に推薦するほどの考えはもたずに委員会に出た。
しかし、委員の中に強力に推す人があり、他の委員諸氏もそれに同調したので、結局私も賛成した。大谷さんは、困難な密室トリックに真正面から取組んで、この作品を含めて四回も最終選考に残っているが、こういう傾向の作品が少ない当節、その才能と努力は高く買う価値があり、今後を大いに期待していい人だと信じている。
「私の虚像」愛里収氏。
この人は昨年度も最終選考に残ったが、その作品にくらべ今度のは格段の進歩を見せた。うるさい理屈を抜きにして読み流せば、これが一番面白かったが、何としても最大の山場である最終の人物の入れ換りに重大な欠点があった。その欠点がうまく書き直せれば、他には色々欠点はあるにしても、それなりに一篇の面白い作品になったであろう。この人には大谷氏と別の意味で大いに期待したい。是非次回に力作をよせてほしい。
「ベネトナーシュの矢」幾瀬勝彬氏。
達者にそつなくまとめているが平凡であった。多少の欠点はあっても、新人らしい新しさ、冒険があってほしい。
「京城の死」山村美紗氏。
推理小説としてはやや力不足で難点も多かったが、何かしら惹かれるものがあって、この人の作品をもう一、二篇読んでみたいと思った。閉じる
- 中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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意表をつく快作
候補作五篇はそれぞれの纏まりをもっているのだが、斬新さの魅力となると、首をひねるものが多かった。
テレビの八百長事件を扱った幾瀬氏の「ベネトナーシュの矢」、建設業者をめぐって連続殺人の起る里生氏の「赫の盲点」も、新しい視点が欲しかった。
愛里氏の「私の虚像」に興味をもたれた選考委員もあったが、性格は相反するが、容貌の酷似した双生児が登場し、育てた伯父も恋人の警官も見分けがつかないという設定は、私にはまったく埒外であった。
山村氏の「京城の死」は、作者の体験したかと思われる終戦前後の韓国の様相に、素材的な興味を覚えたが、論理的な処理に一工夫が欲しかった。
大谷羊太郎氏はこれで四回目の候補にのぼったことになる。密室殺人にとり組んで来られたが、今回の「殺意の演奏」では、さらに構成の上に新しい冒険を試みておられる。
動機でも、トリックでも、作品全体にしかけられた罠でも、考え抜かれているが、欠点はかえって、あまり細部まで立ち入って、全体の流動性を忘れる傾きを指摘できるかもしれない。
推理小説の形態が固定しているとき、二様に解決できるという野心的な企図を実現しているし、江戸川賞をトリックに組み入れるなど、推理小説の遊戯的論理性を心得ているので、きっと愛好家をたのしませるに相違ない。
江戸川賞ももう十五年を経た。時にはこういう意表をついた作風を紹介し、新しい刺激を与えてみたらと思った。是非の論をきかせてほしい。閉じる
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未知数にチャンスを
今年の選考は気が重かった。全体のレベルは去年より上がっており、それ程ひどい作品はなかったが、絶対これだといい切れる傑出したものもなかった。 「赫の盲点」は、ソツなくまとまってはいるが、あまりにも新しさがなかった。
「京城の死」は、生々しい題材を扱っており着眼点はよいが、小説としてのふくらみに欠けていた。
「ベネトナーシュの矢」は、道具立てが面白いし読ませるものがあった。が、人物に一貫性がなく散漫な印象を与えることと、動機があまりに薄弱なのが気になった。
「私の虚像」の作者は、去年も最終選考に残った方だが、去年と比べて格段の進歩がみられる。ペンネームからアイリッシュファンだと思われるが、一種不気味な雰囲気や読者を引張ってゆくサスペンスを盛上げることはなかなかうまい。が、あまりに大きな無理が随所にあるのと、文章や構成に厳密さが足りず、誤字も多くて危なっかしい感じをうけた。未だ若いのだからこれからも勉強して大成して頂きたい。
「殺意の演奏」は、ある意味であっと驚く作品で、どう評価してよいか戸惑うようなものだった。文章は以前よりよくなっているものの冗長で説明的だし、読者を引きつける魅力にとぼしく、トリックもとりたてて云う程のものではない。云わば欠点だらけの作品なのだが、にもかかわらず私はこれを推した。結末にこれまでの受賞作に一回もなかった奇抜で独創的な着想があるのが捨てがたかったし、何よりも今日推理小説に失われてしまった遊びの精神があるのが嬉しかった。私自身の経験だが、最初は「文章が下手だ」「素人くさい」と云われながら、受賞したために否応なしに作家にさせられ、四苦八苦して書いているうちに次第に書くことになれた。云わばチャンスを与えられたためにそうなれたので、同じチャンスを欠点だらけではあっても極めてユニークなこの未知数の新人に与えて、今後の成長を見守りたいと云うのが、私の偽らない気持であった。閉じる
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斬新なアイディア
今年度は残念ながら応募総数で乱歩賞始まって以来の最低を記録した。しかし、候補作として残ったものは皆一応の水準に達していたのは幸いであった。
「ベネトナーシュの矢」は文章も馴れており、まとまりもあるが、新味に欠ける。しかし、推理小説以外のもので、作者の博識を生かして行けば面白いのではないか。
「赫の盲点」は題名の意味が不明である。本人の説明でも納得がいかなかった。この作者の文章には余りにも誤字が多かった。作品としては、前者と同じく新味がなく、古風な推理小説である。候補者中の最年長者として、その努力に敬意を表しておく。
「京城の死」の作者は既に何回か応募したことのある人のようであるが、文章がいささか素人くさく、長編の書き方、特に章の立て方等が全く出来ていない。内容は面白くはあるが、構成力で弱く、従って迫力にも欠ける結果になった。小説作法の基本を身につけることを望んでおきたい。
「私の虚像」について、選者の中に無責任に読んでいる限りは面白かったという人もあったが、同感である。ただ推理小説として考えた場合、アイディアはよいし、日記が三人で書かれたものであることを解明して行く所もよいのだが、日記が邦文タイプで打たれていることや、一卵性双生児の性格の違い、伯父の心理等、無理が目立った。
受賞作は全員一致の形で「殺意の演奏」に決まった。この作者は、既に何回か候補に残ったことのある人で、毎回複雑なトリックを使って、選者を感心させてきたが、欲張りすぎて失敗して来た。今回は今までといささか趣向を変えて異色の作品となっている。細かい点でいくつかの欠点はあるが、暗号と記憶術を結びつけ、日本字の音訓を使い分ける等、斬新なアイディアを駆使して仕上げた力作である。この作者には読者に面白く読ませる工央を重ねるよう希望しておく。閉じる
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今後がたのしみ
私のところへ廻ってきた順序で、簡単に読後感を述べさせてもらうと、まず最初に読んだのが、
里生香志氏の「赫の盲点」
かつては鬼刑事とよばれた主人公が、ある事件を契機として、すっかり老い朽ちて、若い刑事たちからバカにされている。それがふとした動機で、昔日の情熱を取り戻し、鬼刑事の執念である事件に取っ組んでいく。この設定はたいへん面白く、どういう素晴らしい事件が展開されていくかと期待しながら読んだが、結果は案外だった。「赫の盲点」という意味も、私にはわからなかった。
幾瀬勝彬氏の「ベネトナーシュの矢」
テレビのクイズ番組の不正事件に端を発する復讐が、殺人の動機になっているのだが、これでは殺人の動機に一般の共感をうることはむりではないかと思う。トップ屋にたいする警告みたいなところもあるが、こういう扱いかたをされると、トップ屋諸君に同情したくなる。星占いは余計だろう。これがこの小説をひどく古めかしいものにしてしまった。
山村美紗氏の「京城の死」
終戦直後のドサクサまぎれに、ソウルで変死した父の死因をつきとめようと、二十何年かのちにその娘なる女主人公が、みずからソウルへ赴いて調査する話で、着想も面白いし、わりに素直に書けているのだが、すべてに弱いし、ネタがはじめから割れている感じである。終戦直後の混乱がもっと突っ込んで書けていると面白いのだが。
大谷羊太郎氏の「殺意の演奏」
この作者のものを読むのは、去年の「虚妄の残影」につづいて二度めである。去年もいったが、あいかわらずサーヴィス精神過剰である。しかし、こんどの作品は皮肉にできているし、こういう作者はいちど賞をとると、それを機会に伸びるのではないかと思う。構成力のあることは去年の作品でも立証ずみなのだから。
愛里収氏の「私の虚像」
読んでいちばん面白かったのがこの作品だが、トリックがあまりにも無理である。しかし、去年の「明かりのない部屋」からみると、筆力の点で非常な進歩である。まだ若いひとのようだからつぎの作品に期待したい。閉じる